
ミャンマー軍事支配下のデジタル・クーデター 弾圧のための新たなオンラインの手法
ミャンマーにとって、軍事独裁支配や、それに伴うメディア規制は何も目新しいものではない。ただし、2011年から2021年の間は別で、このわずか10年間に、ミャンマーは50年におよぶ暗黒時代から抜け出そうとしていた。当時、ミャンマーは、検閲済みの厳めしい国営放送や国営新聞が幅を利かせた時代から、携帯電話やソーシャルメディアが普及する21世紀の世界へと向かっていた。例えば、2000年代の軍政下では数千ドルもした携帯電話のSIMカードは、国内で最初の外国企業が操業を開始した2014年後半に1.5米ドルまで値下がりした。また、携帯電話のフェイスブック(FB: Facebook)は、電子メールや固定電話回線ネットワークを一足飛びに飛び越し、事実上、国内の連絡手段や主な情報源となった(Simpson 2019)。 この解放的でありながら、無法状態のメディア環境は、社会・経済面で多大な恩恵があった反面、主にロヒンギャなどの少数民族に対するヘイトスピーチの拡散も引き起こした(Simpson and Farrelly 2021b)。それでも、これらの技術が利用可能となり、さらに10年間の政治・経済改革もあり、たとえ非常に低い基準からにせよ、より開かれた民主的で透明性の高い社会への道筋が開かれた。 ところが、2021年2月1日、前年11月に圧倒的多数で再選された国民民主連盟(NLD: the National League for Democracy)率いる政府を国軍が追放し、この進歩が打ち砕かれた。この日の朝、国軍は、アウン・サン・スー・チー国家顧問や、大統領などのNLD議員、活動家を逮捕して政治機構を乗っ取った。そして、全国的な大規模デモの後、インターネットやソーシャルメディアの使用が禁止、制限され、戦争犯罪や人道に対する罪にも等しい弾圧が広まった(Andrews 2022; Fortify Rights 2022; Human Rights Watch 2021; Simpson 2021a)。 また、NLD政権下では、新サイバー・セキュリティ法の準備が進められていたが、軍政、国家行政評議会(SAC: the State Administration Council)は、クーデター直後に意見聴取のための草案を発表した。これに対し、企業団体やNGOからは厳しい批判があったが、2022年の初めに配布された最新の草案は、以前にも増してひどいものだった(Free Expression Myanmar 2022)。この新法案には国内外から強い反対があったが、この記事の執筆時点(2022年6月)では、まだSACのサイバー・セキュリティ委員会がその反響を検討していた。この記事では、ミャンマーにおける検閲とメディア規制の歴史を手短に紹介し、新たなサイバー・セキュリティ草案の人権に対する影響を分析する。 2021年クーデター以前の検閲 1962年の軍事クーデターから2011年まで、ミャンマーは軍事独裁支配を様々な形で経験してきた。例えば、民間の日刊紙は存在せず、民間のメディア事業者や出版社、ミュージシャンやアーティストは、誰もが事前に報道審査委員会(Press Scrutiny Board)に作品を提出しなければならなかった。この発表前の検閲により、国軍や政府に対する批判が含まれていないかどうかを確認する必要があったのだ。このように、発表してよいものには厳しい制限があった。例えば、1988年の全国的なデモで、アウン・サン・スー・チーが有名になった後、彼女について一言でも触れた出版物は、破られるか、黒く塗りつぶされる事となった。また、当時はテレビやマスコミの多くが国家の機関だった。 […]