魔法と記憶 ベトナム共和国時代を仏教徒として生きた旅医者の物語の考察

Quảng Huyền

ベトナム共和国時代の仏教史の記録を作成する際、個人の実体験は、人々がより大きな物語の輪郭をどのように歩んだかという洞察に光を投じる。この論文では、そのような物語の一つを考察する。これは、旅する癒術師で、仏教指導者でもある、グエン・ヴァン・クアン(Nguyễn Văn Quảng/ 1950年頃~現在)の物語だ。この物語は、アメリカ人ゴーストライター、マージョリー・ピヴァー(Margorie Pivar)の協力の下、“Fourth Uncle in the Mountain: A Memoir of a Barefoot Doctor in Vietnam (2004)”に綴られている。これはクアンが南ベトナム(Nam Bộ)での生活を振り返る回想録で、物語はチョラック県(Chợ Lách/ベンチェ省/Bến Tre)周辺での青年時代から始まる。その後、南ベトナム西部デルタの七山(the Seven Mountains)で修行した十代、第二ベトナム共和国時代(the Second Republic of Vietnam/1967–1975)末に仏教僧院長となった成熟期、共産主義体制に順応しようと医療従事者になった1975年以降、そしてついに、1987年にベトナム脱出を敢行するまでが描かれる。 1 このクアンの人生の、四つの波乱に満ちた時代を描く一連の物語は、地に根ざした人間の視点を我々に提示する。ここから、南ベトナムで「仏教徒」である事の意味や、南部デルタという土地での暮らしや旅の経験、そして、現地の人々の地域における関係性が検討できる。また、全編を通じ、クアンと彼の共著者は、青年時代や記憶、喪失にまつわる教訓を与えてくれる。

バオ・トゥロン(Bảo Trương)。祖師(Tổ sư)バオ・トゥロンは、著者の師が第二ベトナム共和国時代に教えを受けた始祖だ(写真は著者の菩提寺、サーロイ寺/ Chùa Xá Lợiと出版社の許可を取得済)

グエン・ヴァン・クアンとは、果たしてどのような人物だったのか?それは古参の医者たちにもよく分からない。1950年、乳児だったクアンは、チョラック県の市場に捨てられていた。どうやら、彼の両親は偏狭な仏教徒だったらしく、フランス人ともめていた。だが、クアンが旗ざおの下で見つかって間もなく、両親は射殺されて発見された。こうして、実の両親を失ったクアンは、喪失によって心に傷を負ったのだろう。彼にとって、医者であり僧侶でもある「ベトナム最強の魔術師」グエン・ヴァン・タゥ(Nguyễn Văn Thâu/1886-1983)が養父である一方で、「南洋桜」(Roe Tree / cây trứng cá, Muntingia calabura)を母親と想像するようになった。そして、このクアンとタゥの運命的な邂逅が、クアンの人生の筋道を決定した。クアンの叔母は、タゥに代わって彼をカイモン(Cái Mơn /ベンチェ省、チョラック県)村で育てた。やがて、クアンはこの村を9歳で出て、養父の職業である医学と宗教の修行を行った。こうして、クアンは尊い宗教的系譜を受け継いだ。ちなみに、タゥの父親、グエン・ヴァン・キ(Nguyễn Văn Kỳ/1842–1946)は、1867年に七山に赴き、ドアン・ミン・フェン(Đoàn Minh Huyên/1807–1856)の千年王国的な教えの影響を受けた仏教徒の第一世代と共に学んでいた。つまり、キが宗教的修行に入ったのは、千年王国思想軍(the millenarian militant)の司令官(Đức Cố Quản (Venerable Commander)であるチャン・ヴァン・タン師(Trần Văn Thành/?–1973?) による、バイ・トゥア(Bảy Thưa)蜂起(1867–1873)の開始と同時期だった。また、これは祖師第五霊能者(Đức Bổn sư, Năm Thiếp /Venerable Patriarch Master, Fifth Medium)のゴ・ロイ師(Ngô Lợi/1831–1890)が、初めて四恩孝義道(Tứ Ân Hiếu Nghĩa)の教えの構想を抱いた時期にも重なる。9年後、ゴ・ロイ師は、アンザン省チートン県(Tri Tôn, An Giang)のバチュク村(Ba Chúc)で、この教えを正式に確立した。ちなみに、キは四恩孝義道の創始者の一人で、同宗派の一教団の指導者(ông gánh)を務めていた。

カム山のヴァンリン・パゴダ(Vạn Linh Pagoda)(著者蔵、2006年)

クアンは、最初の6年間はチョラック地方で修行した。また、ベンカット(Bến Cát)(ベンチェ省、ディン・チュン/Định Trung, Bến Tre)では、短期間だが父親と共に暮らした。ところが、タゥは家に居ない父親であり、クアンを養子にして間もなく、フランス人諜報員に捕まり、旅する癒術師という彼の仕事と、彼に対する当局の疑いのため、絶え間ない移動を余儀なくされた。このため、タゥはクアンの教育の大部分を他人の手に委ねることになった。まず、クアンは、伝統医学の処方箋と仏教経典の言語である中国語の学習に取り掛かり、チョラック県に親戚がいたため、叔父と武術の稽古を行った。1862年には、ティエンザン省(Tiền Giang)カイベ―県(Cái Bè)の華人地区に引っ越し、海の女神(媽祖)を祀る中国式寺院で暮らし、その付近の華人系学校に入学した。2年後、仏教僧院での生活に向け、タゥはクアンに過酷な洗礼を授けた。チョラック県に新設されたキ・ヴィエン寺院(Kỳ Viên Vihāra)でクアンを剃髪させ、仏教乞食派(the Buddhist Mendicant Sect /Phật giáo Khất sĩ)の禁欲的な僧侶たちと共に生活させたのだ。この仏教乞食派の開祖、ミン・ダン・クアン(Minh Đăng Quang/グエン・タン・ダット/ Nguyễn Thành Đạt, 1923–1954?)は、七山で隠者として、カンボジアでは、テーラワーダ仏教の托鉢僧として修行した人物だ。 2

そして、1965年、15歳になったクアンは七山での長期修行に入り、バチュクの象山(núi Tượng, Ba Chúc)にあるタム・ブー寺(Tam Bủu Temple)に居を定めた。象山でのクアンには、公式・非公式を問わず、数多くの師がいた。例えば、オン・チン(Ông Chín)という華人の教師は鍼師で、漢方医であり、元武術家でもあった。また、カンボジアの符術とbùa gng(invincibility practices/不死身の術)の専門家で、タトゥーと呼ばれる人物や、オン・バ・チ(Ông Ba Chì)、または「鉛唇(Lead Lips)」の名で知られた、謎に満ちた小鬼のような魔術師もいた。その後、1967年にタム・ブー寺のông gánhが亡くなると、クアンは、象山の反対側のアン・ソン寺(An Sơn)に移り、そこで以前、タゥと共に同寺の前住職に師事していたオン・ナム(Ông Năm)と共に暮らした。

七山、オウム山(著者蔵、2006年)

クアンが最も厳しい修行を行った場所はカム山(núi Cấm)(アンザン省ティンビエン郡アンハオ村/ An Hảo, Tịnh Biên, An Giang)だ。1970年には、「四叔(Fourth Uncle)」と呼ばれる洞窟に暮らす隠者に合うため、タゥがクアンをここへ連れてきていた。四叔は、クアンに養生法や、呪術的トリップ術、とりわけ、「胎息(embryonic breathing)」と思われる呼吸法を伝授した。この呼吸法は、全真道(Complete Perfection Daoism)と関連した一種の自慰的な内丹術で、「霊的胎(spirit embryo)」を受胎するまで、体内で陰(女性)と陽(男性)のエネルギーの結合を試みるものだ。やがて、この「霊的胎」が成熟すれば、肉体を超えた移動が可能になる。 3 つまり、四叔は、ドー・ティエン(Đỗ Thiện)が「山の道士(Daoists from the mountain)」と呼ぶような修行者の一人だったのだ(なのだ?)。 4

3年後、クアンはカム山を出て、仏教指導者となった。24歳の時、彼は子供時代の自宅に近いクオック・トイ(Quốc Thới)寺(チョラック県ロントイ/ Long Thới, Chợ Lách)の僧院長となり、1974年から1977年までこの寺を統括した。ところが、彼は、ここで共産主義による南部政権の奪取を目撃する。この時、彼の10人の弟子の内、4人が共産党の諜報員だった事が判明し、これが彼にとって最も衝撃的な経験となった。このため、クアンは七山に引きこもろうと、バチュクに到着するが、そこにはさらなる悲劇が待ち受けていた。実は、彼にとってかけがえのない象山一帯の地域が、1978年のクメール・ルージュの侵略により完全に破壊されていたのだ。以来、クアンは、息の詰まるような近代化途上の医療機関で身を縮めるように過ごした。はじめはチョラック県の診療所にいたが、次に行ったクチ県(Cử Chi)の軍事キャンプでは、捨てられた地雷でひどい怪我を負った。とはいえ、戦後のクアンの人生は悲劇ばかりでもなかった。例えば、1981年にはマイ(Mai/1961年~現在)に出会い、一年後には彼女と結婚している。そして、叔母と養父が亡くなった後、1985年にはベトナム脱出計画を立て、ついに1987年には、船に乗ってタイへと逃れた。

七山、サム山麓のタイアン・パゴダ(Tây An Pagoda)(著者蔵、2006)

メコンデルタにおいて、「仏教徒」であるとは何を意味するのか、我々はクアンの伝記から、これについて多くを学ぶ事ができる。クアンは度々、「四恩孝義道(T Ân Hiếu Nghĩa)」を「私の宗教」と呼ぶが、その他の様々な風習も見境なく実践していた。例えば、仏教乞食派や、中国の媽祖信仰、道士の教え、さらには得体の知れない符術師や降霊術師、薬草を用いる魔術師の教えなどもあった。当然、クアンの師は千差万別で、例えば、オン・ナムは、四叔の教えを根拠のない放縦な教えだと考えていた。だが、このような、一つの宗派にとらわれない経験により、クアンは共産主義政権下でも主流派寺院の僧院長として、僧侶の礼服である黄衣を纏っていられた。またある時、卓越した癒術師であるクアンとタゥは、呪詛による病に見舞われ、女性霊媒師の祈祷に救いを求めた事もあった。さらに、クオック・トイ寺の僧院長として、クアンが複数の縁談に対応していた事から、僧侶も結婚が可能で、それが当然視されていた様子も窺える。最後に、クアンのような旅を続ける人間にとって、仏教は移動しながら伝授可能で、宗教的学識を求めてデルタを横断しながら、人々を病苦から解放する教えだった。

また、クアンの物語には、南ベトナムの様々な宗教団体に属する人々の全体像が示されている。例えば、ショーン・マクヘイル(Shawn McHale)は、クアンの誕生前の数年間に生じた民族間の亀裂を記録した。 5 しかし、クアンの伝記から、これらの民族間の緊張の多くが地域や個人のレベルで解消されていた事が分かる。また、クアンは華人社会の中で青年期を過ごしたが、彼が居た象山の地域の住民の多くはクメール民族だった。実際、「家を出て」、旅の僧侶になろうと志す者は、まず、己のアイデンティティを捨てる。このような洞察をドー・ティエンに与えたのは、彼の祖父の1938年の七山への旅だ。七山で、彼の祖父に教えを授けたのはタイ族の人だったが、その人物はクメール呪術に精通し、流暢なベトナム語を話した。 6 それに、著者の七山仏教の師もまた、彼の師である旅の僧侶を回想し、「師は外見から判断すると、クメール民族に見えたが、複数の言語を流暢に話すので確信は持てなかった」と語る。

七山の象山にあるタム・ブー・パゴダ(著者蔵、2006)

最後になるが、四叔の教えは記憶の中に存在する。私は、自分の祖父に関する古い物語を聞いて育ったが、祖父もまた、クアンと同じ旅医者で、七山への巡礼者だった。それらの物語には、荒唐無稽に思われるものもあり、祖父の「血ヨモギ (Blood Artemisia/huyết ngi)」の物語などは、鶏を丸飲みにする不思議な力を持った薬草の物語だ。当時、私はこの物語を聞いて驚いたが、かのクアンも、密林の隠者、「鉛唇」が、そのような不思議な植物を栽培していたと回想する。クアンが指摘するように、医者にせよ、魔術師にせよ、薬草を扱う者にとって、森の植物は魂を持った存在なのだ。実際に、密林は、ベトナムの戦時中の記憶の中で特別な位置を占めている。また、クアンが仙境のような山林と、子供時代とを並べて回想する場面は読者に最大の感銘を与える。バオ・ニン(Bảo Ninh)の “Wilderness that Beckons Souls” (truông Gi Hn) 7 のおどろおどろしい印象とは対照的に、クアンの記憶の中の七山は、彼の子供時代の遊び場だった。オルガ・ドロール(Olga Dror)がMaking Two Vietnams (2018)で指摘するように、青年にはしなやかな適応力があり、子供時代には不思議や魔法がつきものだ。だが、全てを包み込む山の胎内に引き籠りたいという望みを吐露するも、ついにクアンは、回復不可能なまでに過去から切り離されてしまう。そして、クアンの魔法に満ちた世界は、とうとう、クアンの目の前で無残に抹消されてしまった。この部分は、おそらく、最も言葉少なで痛ましい回想だ。クアンは、クメール・ルージュによる殺人を飾り気のない一文で語る。初恋の相手と、弾丸に傷つけられない不死身の術を持ち「最強の魔術師」だったはずの「手榴弾」が、事もなげに殺されてしまったのだ。

その後、船でベトナムを離れるようとするクアンの前に、胸を露わにした水の精が現れ、彼を誘惑するように荒れ狂う水底へと手招きした。それは、バオ・ニンの主人公、キエン(Kiên)が、彼の記憶の原野の中では幽霊でも、少女でもない、愛するプオン(Phương)の出現を経験したのと似ていた。また、グエン・フイ・ティエップ(Nguyễn Huy Thiệp)の夢破れた登場人物、チュオン(Chương)が、川の妖精の娘(興味深いことに、これもプオンという名だった)の方へ、裸のまま、あてどなく泳いで行くのにも似ていた。 8 こうして、クアンは、夢と希望、喪失を伴う自身の苦悩を我々に打ち明ける。たとえ、二度と取り戻せないにせよ、青年時代の魔法は記憶の中で今も生き続けていると、クアンは教えてくれる。クアンは自身の伝記を通じ、青春時代の七山の不思議をいきいきと伝え、これを好奇心に満ちた後世の人々へと語り継いでいくのだ。

Quảng Huyền
VinUniversity, Hanoi

Reference

Bảo Ninh. Nỗi buồn chiến tranh. Thành phố Hồ Chí Minh: NXB Trẻ, 2011.

Đỗ, Thiện. “Daoists from the Mountain.” Vietnamese Supernaturalism: Views from the Southern Region, chapter five. London: RoutledgeCurzon, 2003.

Dror, Olga. Making Two Vietnams: War and Youth Identities, 1965-1975. Cambridge: Cambridge University Press, 2018.

Ho Tai, Hue-Tam. Millenarianism and Peasant Politics in Vietnam. Cambridge, MA: Harvard University Press, 1983.

Komjathy, Louis. Cultivating Perfection: Mysticism and Self-Transformation in Early Quanzhen Daoism. Leiden: Brill, 2007.

McHale, Shawn Frederick. The First Vietnam War: Violence, Sovereignty, and the Fracture of the South, 1945–1956. Cambridge: Cambridge University Press, 2021.

Nguyễn Huy Thiệp, “Con gái Thu thần.” In Tuyển tập Nguyễn Huy Thiệp: truyện ngắn, edited by Anh Trúc, 102–148. Hà Nội: NXB Phụ nữ, 2001.

Thích Giác Toàn, ed. Buddhist Mendicancy Tradition of Vietnam. Ho Chi Minh City: Minh Đăng Quang Dharma Institute, 2017.

Notes:

  1. 現在、グエン・ヴァン・クアンは、バーモント州、ブラトルボロ(Brattleboro)に在住し、ベトナムの伝統療法を実践している。
  2. Thích Giác Toàn, ed., Buddhist Mendicancy Tradition of Vietnam (Ho Chi Minh City: Minh Đăng Quang Dharma Institute, 2017).
  3. Louis Komjathy, Cultivating Perfection: Mysticism and Self-Transformation in Early Quanzhen Daoism (Leiden: Brill, 2007), passim.
  4. Thiện Đỗ, “Daoists from the Mountain,” chapter five of Vietnamese Supernaturalism: Views from the Southern Region (London: RoutledgeCurzon, 2003), 165–206.
  5. Shawn Frederick McHale, The First Vietnam War: Violence, Sovereignty, and the Fracture of the South, 1945–1956 (Cambridge: Cambridge University Press, 2021), 94–105.
  6. Thiện Đỗ, “Daoists from the Mountain,” 180.
  7. Bảo Ninh, Nỗi buồn chiến tranh (Tp Hồ Chí Minh: NXB Trẻ, 2011).
  8. Nguyễn Huy Thiệp, “Con gái Thủy thần,” in Tuyển Tập Nguyễn Huy Thiệp: Truyện Ngắn, ed. Anh Trúc. (Hà Nội: NXB Phụ nữ, 2001), 106–108.