2015年9月1日の明け方、ディアトゴン村シティオ・ハンアヤンの何百人もの男女や子供たちが、準軍事組織マガハット・バガ二(Magahat Bagani)の武装した男たちの一団によって眠りから覚まされた。その後、彼らは一か所に集められ、コミュニティの指導者であったディオネル・カンポス(Dionel Campos)とジョビロ・シンゾ(Juvello Sinzo)の残酷な処刑を目撃させられる。二人はいずれも頭に銃弾を撃ち込まれたのであった。学童や教師たちは、後にエメリト・サマカラ(Emerito Samarca)の遺体を発見する事になるが、それは内臓をえぐられ、喉を切り裂かれた遺体であった。彼がその事務局長として慕われていた、中等教育のためのオルタナティブ・スクールは、先住民マノボ族の子供たちのためのもので、農業と生計の発展のためのオルタナティブ・ラーニング・センター(Alternative Learning Center for Agricultural and Livelihood Development, Inc.)、ALCADEVと呼ばれ、このコミュニティ内に拠点がある。ちょうどこれと同じ日、ハンアヤンやその他の近隣コミュニティから、約3,000人の住民たちが、自らの家や農場を退去して、街の中心地、リアンガ町の体育館に押し掛けた(Interaksyon.com, 2015)。 これは痛ましい事件であったが、先住民の指導者やオルタナティブ・スクール、そしてコミュニティ全体に残忍な攻撃が仕掛けられた事は、今回が初めてではない。だが、この事件の特異性は、フィリピン南部ミンダナオ島での一事件の中に、特定の被害者層を狙った準軍事組織の暴力の組織性がいかに現れていたかという点にある。 強制退去の物語 前アキノ政権下(2010-2015)では、合計71人の先住民指導者が殺害されている。また、先住民の子供達のためのオルタナティブ・スクール87校に対する攻撃は95件も記録されている。コミュニティ全体で、4万人以上の先住民の人々が、その社会的、政治的、経済的生活を破壊され、無数の避難所へと逃れて来た。これは彼らが指導者達を殺害、あるいは投獄され、学校が襲撃されたためである。反乱対策を装い、これらのコミュニティに駐留し、恐怖の種をまき散らしているのが政府軍でないなら、その汚れた仕事を代行するのは政府の準軍事組織なのである(Manilakbayan, 2015)。 準軍事組織による恐怖と暴力の所業は、「ルマド」というミンダナオ先住民族を指す語を、フィリピンの人々に認識させ、2015年には#stoplumadkillings(ルマド殺しを止めろ)キャンペーンが、内外の人々の支持を幅広く集める事となった。彼らが開催した2015年の歴史的なManilakbayanの抗議隊は、指導者たちや学校、コミュニティへの攻撃を被ったミンダナオの様々な先住民コミュニティから、数百の先住民代表団が、その苦境を切実に伝えるために首都へやって来るものとなった。 これらの強制退去に共通の物語を分かち合い、様々な事例の記録を見てみると、先住民の指導者や学校、コミュニティに対する攻撃の組織的パターンの中に、一つの目的がある事が露わとなる。どうやらその目的は、先住民の指導者たちを殺害し、これらのオルタナティブ・スクールを中心としたコミュニティの連帯を弱め、最終的にはコミュニティを、彼らの家や農場から追い払う事を意図しているようだ。テロは意図的で、周到な準備によって、先住民コミュニティを先祖伝来の土地から強制退去させるために仕掛けられたものだ。ルマド族がその土地から追い出される事によって、誰が得をする事になるのだろうか。 絶滅戦争 フィリピン南部のこの島は、この国の大部分の先住民人口の故郷であり、全体ではフィリピンの総人口約1億人の中の15%を占めると推定される(Journal of Philippine Statistics, 2008: 92)。 世界中の他の先住民族(IP)と同様に、フィリピン先住民族もまた、国の最貧層に相当し、保健や教育、人権などの機会において理不尽なまでに苦しんでいる(UNDP, 2013:1)。国連などの多国籍機関には、世界中の先住民族を、歴史的で体系的な差別と排斥の犠牲者とする認識がある。政治的、経済的支配力を持つ多数派と共に発展した国家が背景となる場合、これは殊のほかあてはまり、またより深刻である。フィリピン国家の少数民族であるミンダナオのルマド族やモロ族などが住む地域の貧困は、最も深刻で厳しい(ADB, 2002: 33)。 だが、先住民族やその他の周縁化された集団に不利な制度の設定以上に、ルマド族のコミュニティに対する暴力的攻撃は、「組織的差別」という言葉の意味をはるかに上回る厄介な現実を示している。実際に起きている事は、ミンダナオ先住民族に対する、軍と準軍事組織によって仕掛けられた絶滅戦争なのである。これらの暴力と強制退去の物語は、「ルマド」という、自らを規定したアイデンティティを持つミンダナオ先住民の人々にとり、新しいものではない。事実、この言葉の所産は、ミンダナオ、あるいはフィリピン先住民族周縁化の歴史だけでなく、彼らをその土地から追い出し、そのアイデンティティや文化の抹消を試みた勢力に対する彼らの勇敢な抵抗をも示している。 「ルマド」は政治用語であり、これが最初に一般語彙に加わったのは、マルコスの独裁政権時代であった。当時、活動家たちはこの語を用いる事で、モロ族以外の先住民族で、国家主導の伐採や採鉱、農業プランテーションの拡大などの開発侵略が、先祖伝来の土地にまで及んだ被害者達を指した。1986年の6月26日、ミンダナオ先住民族18部族の中の15部族の集会が、この語を自ら規した集団的アイデンティティとして正式採用したのは、ルマド・ミンダナオ国民連合(Lumad Mindanao People’s […]