インドネシアはなぜ我々を殺すのか?パプアにおけるKNPB活動家たちの政治的殺害

Budi Hernawan

インドネシアのレフォルマシ(改革)後、国際監視団の情報を受けた世界は、インドネシアが世界で3番目に大きな民主主義社会として生まれ変わったと考える傾向にある。この十把一絡げの認識が、重大な人権侵害の疑惑を有耶無耶にしてしまった。2001年の11月、パプア人指導者のテイス・ヒヨ・エルアイ(Theys Hiyo Elluay)が、インドネシア陸軍特殊部隊司令官とのジャヤプラにおける公式夕食会の後に誘拐された。数日後、彼の遺体がジャヤプラ近辺で発見された。当時のメガワティ大統領によって設立された捜査チームは、ジャヤプラに拠点を置く陸軍特殊部隊コパスス(Kopassus)が関与した証拠を発見し、4人の兵士が有罪宣告を受け、懲役3年及び、3年半の判決が下された。エルアイの運転手、アリストテレス・マソカ(Aristoteles Masoka)が依然として行方不明である一方、ハルトモ(Hartomo)司令官は、最近、軍の戦略情報局に昇進する事となった(BAIS)。 1

現場へ

2012年の6月には、パプア人の若き活動家、ムサ・マコ・タブニ(Musa Mako Tabuni)が、ジャヤプラの私服警官集団によって、同市付近で射殺された。彼はジャヤプラ警察病院に運ばれた時にはまだ生きていたが、数人の目撃者たちが認めた所では、警察が医師たちを妨害し、彼に適切な治療を施させず、彼は死ぬまで放置されたのだという(International Crisis Group 2010: 7; Koalisi Masyarakat Sipil untuk Penegakan Hukum dan HAM 2012)。だが、これまでに責任を問われた警官は、誰一人存在しない。警察の見解では、タブニはドイツ人旅行者にも怪我を負わせたジャヤプラでの発砲事件に関与していた。

それから程ない2014年のスシロ・バンバン・ユドヨノ大統領のパプア訪問前夜には、Komite Nasional Papua Barat (KNPB/西パプア国家委員会)の若きパプア人指導者、マルティヌス・ヨハメ(Martinus Yohame)の遺体が、ソロン市沖合に浮かんでいる所が発見された。遺体は手足を縛られた状態で、米を包装するビニール袋に入れられ、彼を沈めておくための錘に重い石が付けられていた。その数日前に、彼は記者会見を開いて大統領訪問に対する拒否表明をしていた。KNPBは、インドネシア国家治安部隊がこの殺人に関与していたと見ている。この結果、インドネシア国家人権委員会(Komnas HAM: the Indonesian National Commission on Human Rights)は、警察による捜査の実施を強く主張した。だが、この捜査は、被害者の遺族らが検視解剖を拒否したため 2、Komnas HAMが証拠を集められず、行き詰まってしまった。

The funeral of Musa Mako Tabuni in June 16, 2012 in Wamena, West Papua. Photo: Watikamvoice

これらの事件が、スハルトの独裁主義政権の間(1967-1988)ではなく、インドネシアの民主主義政権の下で起きた事を指摘しておくべきであろう。これらの殺人は、インドネシアの国家機関が、自らの主権に対する脅威と認識した自国の国民の生死を支配する手口を実証するものである。彼らはおそらく、インドネシア国家の敵というレッテルを貼られていたために、残忍な手口で殺害されたのだ。エルアイ、タブニ、そしてヨハメには、一つの共通した情熱があった。それは正義と自由に対する情熱である。法の支配を信条とする民主主義に代わり、彼らが対面する事となったのは、アキーユ・ンベンベ(Achille Mbembe (2003))が、「ネクロポリティクス(死の政治学)」と呼ぶものであった。すなわち、この政治学は、国家が自国の国民の生死を握り、支配し、これに対して国権を行使する手段を正当化するものである。

インドネシア正史には、1965年の大虐殺など、政治的殺害の長い歴史が存在するが(Cribb 2001; Gerlach 2010; Roosa 2006)、本論ではKNPBの指導者数名の殺害にのみ焦点を当てる。この選択によって、その他のKNPB活動家約40人が、インドネシア当局によって過去8年の間に殺害された事を軽視するつもりはない。 3むしろ、若きパプア人指導者数名を標的としたインドネシア国家治安局による殺人行為を検討する事で、これらの若きパプア人たちによって提起された「“Mengapa Indonesia bunuh kami terus?”(なぜインドネシアは我々を殺し続けるのか?)」という疑問を解明したい。

Komite Nasional Papua Barat(西パプア国家委員会)とは

2008年11月19日にジャヤプラのセンタニで、様々な団体やパプア人活動家たちによって設立された 4KNPBは、パプア人青年組織として急速に発達し、パプア人の住民投票を求める社会運動を行っている。これは彼らが1969年の第一回住民投票、いわゆる「自由選択行為」(‘the Act of Free Choice’)に不備があったと考えているためだ。歴史学者たちによって個別に確認された彼らの見解では(Drooglever 2009; Saltford 2003参照)、この自由選択行為がインドネシア国家によるパプア人の併合と抑圧に道を開いたのである。この見地が前提であるため、KNPBはインドネシア科学院(LIPI)とパプア平和ネットワークによって2009年以降に推進されたインドネシア政府との対話が、歴史的正義に取り組むための有効手段となるという考えに、今でもあまり納得が出来ずにいるのである。ある段階で、KNPBはパプア平和ネットワークによって企画された公的協議を中断しようと試みた 5

2012年初期のKNPBの大会では、主要なパプア人ジャーナリストを含む、地元ジャーナリストの数名が、KNPBによる脅迫を体験した。 6パプアの独立ジャーナリスト連合(AJI)のコーディネーターは、この事件に遺憾を表明した。

Photos of the KNPB rally in Jayapura, May 2, 2016. Images courtesy of KNPB

この背景を考慮すれば、国家当局や国際危機グループ(the International Crisis Group)などの国際監視団を含む多くの人間が、この団体を「戦闘的」と表現しても、驚く事ではない(2010: 1)。さらに、ブリュッセルに拠点を置くシンクタンクは、「この団体はおそらく、州都ジャヤプラ周辺での事件と、2009年選挙前後の暴力行為に関与していると思われる」(2010: 1)と示唆している。だが、この報告は、大胆な発言を裏付ける証拠を一つも示してはいない。著者はICG報告書に対する返答で、この記述が誤解を招く不適切なものである事を説明した(Hernawan 2010)。「彼らは一度も我々と会っていない」と、KNPB総委員長は打ち明けた 7

2014年のインドネシア国民選挙の期間中、この団体はパプアの主要都市で市民大会を開催し、選挙ボイコットを呼びかけた。 8この呼びかけはあまり奏効せず、大部分のパプア人が投票所へ行き、ジョコ・ウィドドをインドネシア大統領とするべく投票したのであるが、この呼びかけは、インドネシア民主主義の礎石である総選挙に挑むものであった。またこれは、KNPBがいかにインドネシアの政治制度への関与を拒否したかという事も示している。

過去数年間に、KNPBは自らを変革してきた。彼らはもはや、自分たちを路上の騒がしいパプア人青年集団として示す事はしない。彼らは2014年12月6日のサララナ(Saralana)宣言 9の下で、現在、最も重要なパプア人政治組織である西パプア連合解放運動(ULMWP)の共同設立者の一つとなったのだ(Hernawan 2016)。この組織は、南太平洋の下位外交フォーラムであるメラネシア先鋒グループ(Melanesian Spearhead Group)のオブザーバーの地位を、ソロモン諸島ホニアラでの2015年のサミットの際に与えられた(Hernawan 2015)。

A gallery image from the UMLWP website: https://www.ulmwp.org/ 

インドネシアはなぜ我々を殺すのか?

 KNPBは武装集団でもなく、暴力的手段を用いるものでもないが、国家の反応は度を越えたものとなっている。上記の背景を踏まえた上で、我々はこれらの指導者達に、このような惨死が果たして相応しいものか、という疑問を提起するべきだ。それとも、法は国家の敵と見なされた者達の件となると、一時的に停止されるものなのだろうか。

マコ・タブニの殺害は、KNPBソロン支部長のマルティヌス・ヨハメの殺害とは異なるものであった。タブニが公衆の面前で射殺された一方、ヨハメは密かに殺害された。彼の遺体は袋に詰められ、海に漂っている所を発見されたのである。前者がインドネシア警察によって公然と暗殺されたのに対し、後者を殺害した犯人は、今も不明なままとなっている。タブニ殺害が、国家の残忍性をこれ見よがしと示すものである一方、ヨハメの遺体は消し去られようとしていた。

だが我々は、この両事件において、法が機能を停止させていた事に気が付く。法は、死を蔓延させるネクロポリティクスの力を貫かねばならぬ時に無力と化したのである。タブニとヨハメの事件を、同じく著名な指導者であったムニール(やエルアイの事件と並べてみると、共通点が見い出される。損傷された彼らの遺体は、統治者のメッセージをより広範囲の聴衆に伝えるための伝達手段とされたのだ。したがって、殺害は、それ自体が目的なのではない。むしろ、それは慎重に計画され、恐怖のメッセージを標的にされたコミュニティ、すなわち、パプア人コミュニティに吹き込もうとしたものである。

興味深い事であるが、ンベンベの予測とは裏腹に、KNPBとパプア人組織は、インドネシア国家の横暴な権力に屈していない。むしろ、彼らは損傷された遺体を伝達手段に変じ、KNPBのヨハメ追悼の際に考案された抵抗のメッセージを伝えたのである。

「やあ、インドネシア、植民地開拓者よ、
お前は私の肉体を殺せるかもしれないが、私の霊魂は永遠である。
それはパプア人の闘争史に永遠に刻み込まれたのだ。」 10

パラマディナ大学大学院外交研究科 講師;
インドネシア大学 宗教間対話・平和のためのアブドゥルラフマン・ワヒド・センター 研究員
Budi Hernawan

REFERENCES

Cribb, R. 2001, ‘Genocide in Indonesia, 1965–1966’, Journal of Genocide Research, vol. 3, no. 2, pp. 219-39.
Drooglever, P. 2009, An Act of Free Choice, Decolonization and the Right to Self-Determination in West Papua, One Word, Oxford.
Gerlach, C. 2010, Extreme Violent Societies: Mass Violence in the Twentieth-Century World, Cambridge University Press, Cambridge.
Hernawan, B. 2010, ‘Portraying a Threat to a Reluctant Government’, Australia Policy Online, <http://www.apo.org.au/commentary/portraying-threat-reluctant-government>.
—— 2015, ‘Contesting Melanesia: The summit and dialogue’, The Jakarta Post, <http://www.thejakartapost.com/news/2015/07/08/contesting-melanesia-the-summit-and-dialogue.html>.
—— 2016, ‘ULMWP and the insurgent Papua’, Live Encounter, 1 November 2016.
International Crisis Group 2010, Radicalisation and Dialogue in Papua, International Crisis Group, Brussels.
Koalisi Masyarakat Sipil untuk Penegakan Hukum dan HAM 2012, Laporan Investigasi: Pembunuhan Kilat Musa Mako Tabuni Tanggal 14 Juni 2012 di Waena, Jayapura, Papua, Koalisi Masyarakat Sipil untuk Penegakan Hukum dan HAM, Jayapura.
Mbembe, A. 2003, ‘Necropolitics’, Public Culture, vol. 15, no. 1, pp. 11-40.
Roosa, J. 2006, Pretext for Mass Murder: The September 30th Movement and Suharto’s Coup d’État in Indonesia, The University of Wisconsin Press, Wisconsin.
Saltford, J. 2003, The United Nations and the Indonesian Takeover of West Papua, 1962-1969, The Anatomy of Betrayal, First edn, RoutledgeCurzon, London & New York.

Notes:

  1. http://www.thejakartapost.com/news/2016/09/24/activists-question-hartomo-s-promotion.html (accessed on 13 December 2016).
  2. http://www.cenderawasihpos.com/index.php?mib=berita.detail&id=7181 (accessed on 13 December 2016)
  3. Interview with the General Chairman of KNPB in Jakarta on 13 December 2016.
  4. See “KNPB Dari Mana Sedang ke Mana” in KNPB News, Vol. 3. (II), Edition of June-August 2016, p. 34.
  5. Interview with a Papuan analyst in Jayapura on 3 January 2012.
  6. http://sp.beritasatu.com/home/jurnalis-papua-kecewa-dengan-intimidasi-knpb/18380 (accessed on 13 December 2016)
  7. Interview with the General Chairman of KNPB in Jakarta on 13 December 2016.
  8. http://tabloidjubi.com/16/2014/03/21/knpb-serukan-boikot-pemilu-2014/ (accessed on 13 December 2016
  9. See https://www.ulmwp.org/wp-content/uploads/2014/08/Saralana-Declaration_with-Witnesses.pdf (accessed on 13 December 2016).
  10. http://suarakolaitaga.blogspot.co.id/2014/08/ketua-knpb-sorong-martinus-yohame-di.html (accessed on 13 December 2016).