Issue 19

Rethinking “Religion” from the Margins

We have long been hearing about the degeneration of Buddhism in Thailand, most often accompanying scandals involving monks who deal with money, magic, or sex. Such realities are inevitably attributed to modernity or globalization. However, […]

Bahasa Indonesia

Menimbang-ulang “Agama” dari sudut pinggiran

Berita tentang kematian Buddhisme di Thailand telah lama terdengar, paling sering diikuti dengan skandal yang melibatkan sejumlah biksu yang berurusan dengan uang, sihir, atau seks. Beragam kenyataan tersebut pastinya terkait dengan modernitas atau globalisasi. Namun, […]

Issue 19

ทบทวน “ศาสนา” จากชายขอบ

เราได้ยินเรื่องความเสื่อมของพุทธศาสนาในประเทศไทยมานาน ส่วนใหญ่มักมาพร้อมกับข่าวอื้อฉาวของพระที่พัวพันกับเงิน ไสยศาสตร์หรือเพศสัมพันธ์ มันเรื่องหลีกเลี่ยงไม่ได้ที่ความเป็นจริงเหล่านี้มักถูกซัดทอดว่าเกิดจากความเป็นสมัยใหม่หรือโลกาภิวัตน์ อย่างไรก็ตาม ความเสื่อมของพระในฐานะคณะสงฆ์ที่รัฐรับรองอย่างเป็นทางการไม่จำเป็นต้องหมายถึงความเสื่อมของศาสนาโดยรวม อันที่จริงมันมีความหมายว่า ในส่วนของนักวิชาการมีความจำเป็นที่จะต้องทำความเข้าใจศาสนาต่างๆ ในเอเชียตะวันออกเฉียงใต้อย่างใส่ใจในรายละเอียดมากกว่าเดิม โดยย้อนกลับมาพิจารณาทบทวนการที่รัฐสร้างความเป็นสถาบันให้ศาสนาในช่วงกำลังเข้าสู่ความเป็นสมัยใหม่ ตลอดจนมโนทัศน์เกี่ยวกับศาสนาเอง ศาสนา รัฐและมุมมองแบบศูนย์กลาง  ความเข้าใจที่เรามีต่อพุทธศาสนานิกายเถรวาท รวมทั้งต่อศาสนาโดยทั่วไปในเอเชียตะวันออกเฉียงใต้ มักถูกจำกัดด้วยม่านบังตาสองชั้นด้วยกัน ชั้นแรกคือคำว่า “ศาสนา” ที่มาจากตะวันตก คำคำนี้มีปัญหาตั้งแต่เริ่มแรกแล้ว โดยเฉพาะในสังคมที่ไม่ใช่ตะวันตก การใช้คำคำนี้สร้างปัญหาขึ้นมาอย่างกว้างขวางเพราะการที่มีต้นกำเนิดจากตะวันตกและมาพร้อมกับอคติของศาสนาคริสต์ยุคใหม่ (cf. Asad 1993) เอเชียตะวันออกเฉียงใต้ก็มิใช่ข้อยกเว้น คำถามข้างต้นนำไปสู่การศึกษาเชิงวิพากษ์ทั้งในแง่ที่เอเชียนำมโนทัศน์ศาสนาของตะวันตกมาใช้และการเปลี่ยนแปลงของศาสนาในเอเชียภายใต้แรงกดดันจากตะวันตก ตรงกันข้ามกับการสร้างความมีเหตุมีผลและการเปลี่ยนไปสู่ฆราวาสนิยมในประวัติศาสตร์ของศาสนาคริสต์ อันเป็นกระบวนการที่เกิดขึ้นเองดังที่นักสังคมวิทยาศาสนาอย่างเวเบอร์และแบร์เกอร์อภิปรายถึงหลายครั้ง สังคมเอเชียมีลักษณะเฉพาะตรงที่ระบอบอาณานิคมหรืออำนาจรัฐที่กำลังก้าวสู่ความเป็นสมัยใหม่ในยุคหลังอาณานิคมเป็นฝ่ายบังคับให้ศาสนาต้องเปลี่ยนไปสู่ความมีเหตุมีผล ความมีมาตรฐานและความเป็นสถาบัน ด้วยเหตุนี้ อำนาจรัฐจึงเป็นปัจจัยที่หลีกเลี่ยงไม่ได้และมีความสำคัญอย่างยิ่งในการทำความเข้าใจศาสนาในภูมิภาคนี้ ม่านบังตาชั้นที่สองคือกรอบกระบวนทัศน์และมุมมองหลักในการเข้าใจพุทธศาสนานิกายเถรวาทมักได้มาจากประเทศไทยในระหว่างกระบวนการสร้างชาติ มันชี้นำวิธีการที่เราเข้าใจพุทธศาสนานิกายเถรวาทในหลายๆ […]

Issue 19

周縁からの「宗教」再考

随分と前からタイでの仏教の衰退を嘆く言説を耳にしてきたが、そのほとんどは金銭や呪術、セックスなどに関与した僧侶たちの醜聞を伴ったものだった。このような現実は必ず、近代やグローバル化のせいにされてきた。しかし、国家に認可された僧侶組織としてのサンガ(僧伽)の相対的な衰退が、必ずしも宗教全般の衰退を意味するわけではない。そこで求められているのはむしろ、研究者が近代国民国家の形成過程で促された宗教の制度化や、宗教自体の概念を再考する事で、東南アジアの諸宗教に対する、より細やかな理解を提供することである。 宗教、国家、中心からの視点 我々の上座部仏教や、より広い東南アジアの宗教全般に対する理解は、二重の目隠しによって視野を狭められてきた。一つは、西洋に由来する「宗教(religion)」という言葉そのものである。非西洋社会でこの言葉の用法が広く問題とされてきたのは、それが西洋を起源とするものである事と、近代キリスト教徒的バイアスがかかっているためである(Asad 1993参照)。東南アジアも例外ではない。これらの問題は、アジアにおける西洋的宗教概念の適用や、西洋の圧力下でのアジア諸宗教の変遷の双方に対する批判的なアプローチに道を開いてきた。キリスト教の歴史の過程で発生した合理化や、それに続く世俗化が、ウェーバー(Weber)やバーガー(Berger)といった宗教社会学者たちによって繰り返し論じられてきたのとは対照的に、この地域では、植民地国家、あるいは植民地独立後の近代化途上の国家権力によって、合理化や標準化、制度化が進められてきた。したがって、この地域の宗教を理解する上で国家権力は不可避の重要な要素となっている。 今一つは、上座部仏教を理解するための主要なパラダイムや観点の多くが、国民国家形成時のタイに由来しているということである。このことは我々の上座部仏教や、おそらくはこの地域の他の諸宗教に対する理解の仕方を様々に形作り、また我々の知識形成の方向性をも定めてきた。村落仏教にしても、仏教と精霊崇拝、森林の僧たちと僧院組織との関係、あるいは王権と国家にしても、これらの研究主題は主にタイから発せられたものであり、そこでの理解のパラダイムは、仏教と国民統合に焦点を置いたものとなっている。このことはまた、少数民族を仏教研究の考慮外に置いてきたことにも影響している。このように、この地域の仏教研究の焦点は、僧院組織と国家との関係、そして国民国家建設における仏教の役割の考察に当てられてきたのである(Ishii 1986; Tambiah 1976)。 これらの理由から、タイ仏教研究はエリートの僧院仏教を優先してきたのだが、実際にはそうしたエリート仏教は、McDaniel (2008)の指摘どおり、過去一世紀の仏教実践を標準化する上では、ごく限られた効果しかもたらしていない。一方、仏教は国民国家建設の営みにおいて一つの重要な「タイ人たる」指標となってきた。少数民族が仏教以外の宗教を選択すれば、それは彼らが自分達を非タイ人としてのアイデンティティを明示するための選択と見なされる。あるいは逆に、少数民族が仏教を実践すれば、それは何がしかの意味で異端の仏教と見なされてきた。 これまで仏教は、二重の意味で中心からの視点で論じられてきたといえる。第一に、仏教はその組織と国家の関係を理解する上で僧院の中心、またしばしば国家、王室の中心からの視点で、考察されて来たのである。また第二に、仏教は、「仏教的」、あるいは「非仏教的」と分類される多様な要素によって構成される、習合的な複合全体の階層の中心点とも目されてきた。 以上のようなサンガ中心のエリート主義的観点を相対化する試みは、これまでも繰り返されてきたのだが、この中心-周縁の構図が前提とされる限り、周縁の宗教要素は中心に対する抵抗と見られる傾向にあり、結局は中心‐周縁の理解モデルを強化してきたのである。少数民族の仏教実践を、多数派の仏教に対する何らかの抵抗として、あるいはアンチテーゼとして見なす限り、我々は国家を中心とする制度仏教とその他の少数民族の宗教という二分論、対立という従来の見方を上書きする事になる。 宗教と三つの境界 以上の見方では、民族カテゴリーを、宗教実践理解のための自明で自己完結した単位とみなすことになり、仏教徒・非仏教徒、多数派・少数派、中心・周縁などの二分化を前提としこれらの明確な区分とされるものを横断するような、それ以外の視点を排除してきた。このようなアプローチは、宗教実践と伝統が混ざり合い、複雑な重層を成す東南アジアの諸宗教の現実を、見えなくしてしまい、説明不可能にしてしまう。むしろ、少数民族の仏教を考察するのであれば、仏教への中心主義的な視点を根本から問い、民族と国家の区分を当然のものとする事に疑問を投じることから始めるべきである。 近年、日本の我々のグループは、境界や周縁で実践される宗教に目を向けてきたが、我々の確信は、周縁に生じる宗教動態を考察する事で、国家中心の制度宗教のパラダイムを問う事ができるだろうというところにある。ここで言う「境界」には、三重の意味あいがある。第一に、地政学的な国家間の国境、第二に、エスニシティ(あるいは山地と低地の間)の境界、そして第三に、出家と在家の境界である。さらに、隠された局面として、これらの周縁を深く探究する事によって「宗教」自体の縁辺や輪郭を問うに至ることが期待される。 エスニシティと宗教実践 この地域では少数民族が国境域に居住しているため、地政学的、民族的境界は多くの場合交差しあっている。従って、このような少数民族を理解することは、彼らが境界を跨ぐ存在であるがゆえに、国家中心の視点を問う出発点となり得る。この点から実感される事は、少数民族と宗教、多数派国家との間には複雑な関係のパターンがあり、それらをいかなる単純な公式に還元するのも不可能だという事である。 フィールドワークに基づく議論が提示する複雑な現実は、周縁の中心に対する抵抗、国家の認めた民族区分、制度宗教などを想定した既存の見解を問い直すものである。上ミャンマーのパラウン(Palaung)とパオ(Pao)の両者の間では、これまで多民族が共有する複合的宗教空間であったものが、民族別に、それぞれに独自の言語に音訳、翻訳された経典を備えた小規模僧院組織に分割され始めている(小島 2015; Murakami 2012; 村上2015)。これらはパラウン語を仏典に用いる試みを通じ、あるいは、パオの僧院組織の設立を通じて実現されてきた。皮肉なことに、このような動きを引き起こしたものは、少数民族の地域外を旅する機会を得た彼らの宗教的指導者や知識人たちの移動性の向上であった。別言すれば、境界を超え、自分達の民族の区域外の地域に行く経験が、逆説的に、民族的境界の確立を促したわけであるが、これは宗教実践における自身のエスニシティや言語の画一化という、多数派仏教徒たちの間で行われる制度化と並行した現象といえるだろう。 過去には、少数民族と低地国家との関係は「模倣か抵抗」のいずれかとされてきた。しかし、これらのパラウンとパオの事例が示しているのは、多数派、あるいは国家を中心とする低地社会の経験が、少数民族自身の仏教実践にフィードバックされ得るという事である。現実は単純な服従か抵抗かという二者択一よりも、遥かにダイナミックなものである。一見すると宗教的な境界の横断、あるいは少数民族の民族区分への囲い込みに見える現象は、実践者の観点からすれば、単なる宗教環境の改善方法なのである。この事例は、当事者自身の宗教実践がもつ意味に顧慮することなく、国境を行き来する移動性によって民族の区分が解き放たれるかのように無批判に想定することへの警鐘となっている。 民族カテゴリーの確立を分析する上で、宗教は重要な問題となり得る。20世紀ビルマのカレン族の民族意識が、宗教と仏教の再定義の過程から生じて来たものである事が解明された(Ikeda 2012)。「カレン族らしさ」の出現をめぐる仏教徒の語りは、少数民族とキリスト教その他の非仏教宗教との一般的な関連付けを改めるものであった。一方で、タイにおける中国寺廟の調査は、国家の宗教に対する規制の縁辺を解明するものであった(Kataoka 2012)。中国寺廟の信者たちは、公式の統計において自分達を仏教徒だと主張するが、習合的な神仏を祀る彼らの寺は、公式には「非宗教」と位置付けられている。国家の宗教行政から無視されてきた中国寺廟は、仏教の公式的定義と宗教自体とのギャップを提示するものである。 ここで明らかな事は、第一に、公式に定義された宗教や公認されたエスニシティの関係は、決して予想可能でもなければ、厳密に対応するものでもないという事だ。民族・宗教の関係は、一つの民族が一つの信仰を奉じているような場合でも、特に宗教と近代国家建設の再定義のプロセスの中では、決して単純なものではない。さらに、少数民族の宗教の研究は、「宗教」自体の境界の再検討につながり得るものである。 宗教的境界 宗教実践を周縁から検討する事は、制度に基づく諸制約から距離を置き、より現地や個々の実践者たちの視点から、仏教を理解する事につながってゆく。クルーバー・ブンチュム(Khruba Bunchum)や、ウ・トゥザナ(U Thuzana)など、カリスマ僧侶の国境の少数民族地域での足跡をたどる上で、我々は、少数民族の宗教運動にすぐに抵抗を読み取る既存の見解を疑問視する事から始めた(Hayami 2011; 速水2015; 片岡2015)。結局、これらの探求が明らかにするのは、現場の実践者たちにとっては、国家支持か反国家かという争点は、えてして二義的な価値しかもたないという点である。むしろ、実践者たちにとってより重要なのは、彼らの帰依するカリスマ的な力が、実際に彼らを守護し、彼らが自分達の生活状況の中で求める力を与えてくれるかどうかということなのである。 タイ・ミャンマー国境沿いでは、多くのカリスマ僧侶たちが少数民族から熱烈に崇拝されている。これらの僧侶たちは国家権力の狭間で活動し、これらの少数民族の者達にオルタナティブを提供している。だが大抵同時に、この同じ僧侶たちは、国境のいずれかの側で権力の座にあるエリートとも接触している。このように様々な帰依者たちを無差別に受け入れる事によって、彼らは境域での自由な往来を認められているのである。このような事例をもって、彼らカリスマ僧侶たちが国家を相対化しているのか、それとも国家の辺境統治に奉仕しているのか、と問うことは、そもそも的外れであるか、あるいは誤解を招くものでさえある。少数民族の多数派支配に対する、服従か抵抗か、という単純な二者択一自体が問われなくてはならないだろう。帰依者達自身にしてみれば、このような疑問はおそらく全くどうでもよいことである。したがって、周縁における宗教実践は、単なる「弱者の武器」なのではなく、完全に異なった筋から検討されるべきものである。 […]

Issue 19

The Curious Case of Buddhist Activism in Singapore

Buddhist activism has been a subject of considerable discussion among academics, policy makers, and practitioners in recent years. Buddhist activists, consist of both the Sangha and laity, have sought to promote social justice, campaign for political […]

Bahasa Indonesia

Keanehan Kegiatan Para Penggiat Buddhis di Singapura

Kegiatan para penggiat Buddhis telah menjadi topik bahasan yang luas di antara akademisi, pembuat kebijakan, dan praktisi dalam beberapa tahun terakhir. Para penggiat Buddhis, terdiri dari Sangha dan kelompok awam, berusaha mendukung keadilan sosial, kampanye […]

Issue 19

กรณีน่าสนใจเกี่ยวกับกิจกรรมทางสังคมของขบวนการพุทธศาสนาในสิงคโปร์

กิจกรรมทางสังคมของขบวนการพุทธศาสนาเป็นหัวข้อที่มีการอภิปรายกันมากพอสมควรในหมู่นักวิชาการ นักวางนโยบายและพุทธศาสนิกชนในช่วงไม่กี่ปีที่ผ่านมา นักกิจกรรมชาวพุทธที่มีทั้งพระสงฆ์และฆราวาส ต่างก็พยายามสนับสนุนให้เกิดความยุติธรรมทางสังคม การรณรงค์เพื่อการปฏิรูปทางการเมือง ส่งเสริมการอนุรักษ์สิ่งแวดล้อม และปกป้องความศรัทธาของตนจากภัยคุกคามและคำสอนที่แตกต่างไปจากความเชื่อดั้งเดิม ในบริบทของภูมิภาคเอเชียตะวันออกเฉียงใต้ เมื่อเอ่ยถึงกิจกรรมทางสังคมของชาวพุทธ เรามักนึกถึงภาพการเคลื่อนไหวเพื่อสันติภาพของพระมหาโฆษนันทะและติช นัท ฮันห์ การเคลื่อนไหวทางการเมืองและสังคมของสุลักษณ์ ศิวรักษ์ และที่ขาดเสียไม่ได้ก็คือ “การปฏิวัติผ้ากาสาวพัสตร์” (Saffron Revolution) ที่เกิดขึ้นในพม่าเมื่อ ค.ศ. 2007 อย่างไรก็ตาม กิจกรรมเหล่านี้ไม่ใช่เรื่องแปลกประหลาดสำหรับประเทศในแผ่นดินใหญ่ของเอเชียตะวันออกเฉียงใต้ที่มีประชากรส่วนใหญ่นับถือพุทธศาสนา กระนั้นก็ตาม ชุมชนชาวพุทธในประเทศเอเชียตะวันออกเฉียงใต้ที่แวดล้อมด้วยทะเลก็มีกิจกรรมทางสังคมไม่น้อยหน้าเช่นกัน เมื่อเอ่ยถึงประเทศในเอเชียตะวันออกเฉียงใต้ที่แวดล้อมด้วยทะเล เรามักนึกถึงโลกมลายูอิสลามที่ในปัจจุบันประกอบด้วยประเทศบรูไน อินโดนีเซียและมาเลเซีย รวมทั้งประเทศฟิลิปปินส์ที่ประชากรส่วนใหญ่นับถือศาสนาคริสต์นิกายโรมันคาทอลิก ส่วนสิงคโปร์ค่อนข้างแปลกแยกแตกต่างออกไปเพราะการมีประชากรส่วนใหญ่เป็นชาวจีน (ประมาณ 75%) และสิ่งที่คนจำนวนมากไม่ค่อยรู้ก็คือประชากรส่วนใหญ่เป็นชาวพุทธด้วย จากการสำรวจสำมะโนประชากรของสิงคโปร์ในปี 2010 […]

Issue 19

シンガポールにおける仏教運動の興味深い事例

近年、仏教運動は研究者や政策担当者、実践家の間で相当な議論の的となっている。 サンガ(僧伽、出家者集団)と在家から成る仏教徒活動家は、社会的公正と政治改革運動の促進や、環境保護主義の普及、そして自身の信仰への脅迫や異端教義からの擁護を目指してきた。東南アジアという文脈で仏教運動が想起させるものには、ゴーサナンダ(Ghosananda)やティク・ナット・ハン(Thich Nhat Hanh)らの平和運動や、スラック・シワラック(Sulak Sivaraksa)の政治・社会運動、それからもちろん、2007年ビルマで起きたサフラン革命がある。だが、このような運動は、東南アジア大陸部の仏教諸国に特有のものではない。東南アジア島嶼部の仏教徒コミュニティもまた、相応に運動を担ってきたのである。 東南アジア島嶼部と言ってしばしば思い浮かぶのは、今日のブルネイ、インドネシアやマレーシアを含むイスラームのマレー世界、そして、カトリックのフィリピンである。島嶼部の中でシンガポールが異彩を放っている理由は、圧倒的な華人人口の多さ(約75パーセント)と、あまり多くの人には知られていないが、その多くを仏教徒人口が占めることである。シンガポールで行われた2010年の人口調査によると、33.3パーセントの人々が、仏教徒を自認している。筆者は最近の研究で、シンガポールのポスト植民地期における仏教運動に焦点を当ててきた。そこで明らかになってきたのは、東南アジア大陸部の仏教徒活動家とは異なり、シンガポールの仏教徒活動家は、政治改革や環境保護主義、あるいは世界平和にはあまり関心を抱いていないということである。むしろ、彼らは、教義の誤った解釈や「異端」から仏教を擁護し、社会福祉活動を推進することに携わっている。 シンガポール仏教総会(The Singapore Buddhist Federation/ SBF, Xinjiapo fojiao zonghui 新加坡佛教總會)は、仏教コミュニティを代表する包括的な全国組織であり、英国植民地政府とシンガポール国内の様々な仏教団体との橋渡しを務めるべく、1949年に設立された。設立当初から、SBFは仏教コミュニティの利益促進に積極的な役割を果たし、1955年には、ヴェ(Vesak)が祝日として官報に告知されるよう求める植民地政府への働きかけにおいても重要な役割を果たした。また、植民地政府に対して、仏教徒用の墓地建設の承認を求める働きかけも行った。1955年9月と1959年2月には、SBFは当局に仏教徒用の墓地の設立と、その周辺での橋や下水設備、道路、仏教寺院や食堂の建設許可を与えるよう嘆願をした。墓地設立当初SBFが主導した運動は、主に仏教コミュニティに実用的かつ具体的な利益をもたらす運動に限られていた。SBFの関心は明らかに、政府を説き伏せ、自分達の要求を承諾させる事にあったのであり、仏教徒を結集させてその信仰を擁護したり、誤った教義解釈や実践を正したりすることではなかった。   ダルマ(仏法)を擁護する 1970年代初頭から、SBFは宏船尊師(Hong Chuan, 1907-1990)の指導の下、「仏法擁護運動」(hufa xingdong 護法行動)の推進に、より積極的に取り組むようになった。SBFは、仏教を冒涜する内容や間違った教義解釈を含む外国映画の検閲を求めて、政府に働きかける上で重要な役割を果たした。SBFが主導した最初の運動は1970年8月に行われた韓国映画「Dream (夢)」に対する抗議である。SBF側の言葉を引用すると、この映画は「仏教を侮辱し、道徳規範を堕落させ、人々の心を毒する」ものである。仏教コミュニティの「品格」を守るべく、宏船は映画検閲委員会に嘆願書を提出し、上映の一時停止と、SBFによる映画の検閲許可を求めた。その後、この映画はシンガポールでの上映が禁止となった。その後の数年間に、SBFはシンガポール映画検閲委員会に働きかけ、いくつかの他の映画、例えば「出家者(Monks/Chujia ren)」や「四大皆空(The Four Great Elements are Empty (Sida jiekong)」、「露乳女尼(Breasts Revealing Nun /Louru nüni)」、「肉蒲団(The Carnal […]

Issue 19

การศึกษาศาสนาพุทธในเวียดนาม: ข้อคิดเห็นบางประการเกี่ยวกับแนวโน้มในปัจจุบันและอนาคต

ภายในสาขาการศึกษาเกี่ยวกับพุทธศาสนานั้น ศาสนาพุทธในเวียดนามได้รับความสนใจน้อยเกินไปจากแวดวงนักวิชาการยุโรป-อเมริกัน ส่วนหนึ่งเกิดมาจากอคติทางวิชาการที่นิยมศึกษาศาสนาพุทธโดยรวมศูนย์อยู่ที่ตัวบทพระคัมภีร์มากกว่าการแสดงออกด้านวัตรปฏิบัติของพุทธศาสนาในชีวิตประจำวันจริงๆ อคติดังกล่าวนี้มีพื้นฐานมาจากวิธีการศึกษาทางวิชาการแบบเก่าที่ให้ความสำคัญแก่ตัวบทบางอย่างมากกว่า แล้วสร้างภาพของศาสนาขึ้นมาจากทัศนะดังกล่าว โดยมักละเลยการตีความและการแสดงออกของปัจเจกบุคคลและวัฒนธรรมของศาสนิกชน วัฒนธรรมเชิงตัวบทของศาสนาพุทธในเวียดนามมิได้พัฒนาไปถึงระดับเดียวกับประเทศพุทธศาสนาอื่นๆ และได้รับความสนใจจากวงวิชาการค่อนข้างน้อย นอกเหนือจากนี้ ยังมีอุปสรรคหลายประการสำหรับผู้ที่ต้องการศึกษาวิจัยศาสนาในเวียดนาม ซึ่งยังถือเป็นหัวข้อที่อ่อนไหวภายใต้ระบอบการปกครองในปัจจุบัน ยกตัวอย่างเช่น การกำหนดสถานที่และการเข้าถึงบุคคลที่ต้องการสัมภาษณ์ การติดต่อกับระบบราชการที่ล่าช้าจุกจิกมากเพื่อเข้าถึงแหล่งเก็บเอกสารสำคัญ ปัญหาเหล่านี้อาจมีความยากลำบากมากกว่าในประเทศอื่นที่ประชากรส่วนใหญ่นับถือศาสนาพุทธ ถึงแม้มีข้อจำกัดดังกล่าว แต่ก็มีผลงานชั้นเยี่ยมที่ศึกษาเกี่ยวกับเวียดนามและสร้างความกระจ่างแก่ประเด็นหลายอย่างในประวัติศาสตร์พุทธศาสนาและการปฏิบัติในปัจจุบัน กระนั้นก็ตาม ถึงแม้มีงานวิจัยที่โดดเด่นอยู่บ้าง แต่ก็ยังมีช่องว่างไม่น้อยในประเด็นสำคัญๆ หลายประการภายในงานวิชาการที่ศึกษาศาสนาพุทธในเวียดนาม ประเด็นหนึ่งคือการเปรียบเทียบกับศาสนาพุทธในที่อื่นๆ การวิจัยหัวข้อหนึ่งในหลายหัวข้อที่น่าศึกษาเกี่ยวกับศาสนาพุทธในเวียดนามก็คือการสำรวจตรวจสอบ “ความเป็นมหายาน” ของศาสนาพุทธในเวียดนามโดยเปรียบเทียบกับศาสนาพุทธนิกาย “มหายาน” ในประเทศอื่นๆ รวมถึงเปรียบเทียบกับรูปแบบของพุทธศาสนาที่เรียกกันทั่วไปว่า “เถรวาท” ด้วย แนวคิดที่มีมายาวนานเกี่ยวกับคุณลักษณะที่ใช้ในการจัดแบ่งนิยามนิกายและใช้กันซ้ำๆ ในพุทธศาสนานี้ยังคงใช้ได้หรือไม่? การนิยามศาสนาพุทธในเวียดนามว่าเป็นนิกาย “มหายาน” มีความเหมาะสมหรือเปล่า? […]

Issue 19

ベトナムにおける仏教研究:現在と今後の方向性についての考察

仏教研究の分野において、ベトナム仏教は欧米圏の研究者の十分な関心を集めて来なかった。これはある程度、学問が文献を中心とする仏教研究を偏重し、暮らしに即した日々の仏教実践の表現を軽んじる傾向があることに起因する。こうした偏見は古い学問的方法論に基づいており、そこでは特定の文献を特別扱いし、その観点から宗教概念を組み立てる一方で、個人や個別文化の描写や記述を大幅に無視する。そしてベトナム仏教に関する経典文化は、他の仏教圏の経典文化と同程度には発展してこなかったため、結果として学問的な関心が向けられる事があまりなかったのである。加えて、ベトナムの現政権下で宗教は扱いに慎重を要するトピックであるため、宗教研究を成し遂げようとする研究者にはこれも障害となっている。例えば、インタビューの対象者を探し出して接触することや、ひどくお役所的な公文書類を扱うことは、他の仏教諸国で同じことをするよりも、はるかに骨の折れる仕事となろう。しかしこういった制限にもかかわらず、卓越したベトナム研究が行われ、それが仏教史と現代における仏教実践に関する特定分野に光をあててきた。けれども、一部の非常に優れた研究はあるものの、ベトナム仏教研究の多くの重要な分野には未だ大きな空白が残っている。そういった分野の一つが、他の仏教との比較という領域である。ベトナム仏教をめぐって立ち現れる数多くの研究課題候補の一つに、ベトナム仏教の「大乗性」を他の「大乗」仏教や、一般に「上座仏教」とみなされる仏教形態と比較調査する仕事がある。このような仏教の多様なあり方について、特徴を定義するために用いられてきた従来の比喩はもはや精査に耐えるだろうか。「大乗」という呼称はベトナム仏教にふさわしいものであろうか。 「上座仏教」と「大乗仏教」という二項対立は、長年、仏教の分類として太鼓判を押されたかのように用いられてきたものであるが、近年、これを疑問視し、反論する研究が急速に進んできた。数ある論考の中でも重要な編書、”How Theravāda is Theravāda? Exploring Buddhist Identities”(『上座仏教が上座仏教である所以:仏教アイデンティティの研究』は、この一般的な枠組を用い続けることから生じる諸問題を検討し、明確に示している。比較研究に富んだ、同書と対を成すような必携の編著 ”How Mahāyāna is Mahāyāna?”(『大乗仏教が大乗仏教である所以』のようなものがあったならば、他の仏教圏においてもみられるあまりに単純な二項対立的な枠組みに関する理解と認識を深める上でも有効であり、また、ベトナムの現代仏教の本質を理解するためにも有効であろう。 英語圏での仏教に関する知識や理解は、何よりも、このような乗り物(大乗・小乗といった)の分類で捉え、その中で地域仏教を描写するという立場を、大体において採り続けてきた。研究者が目指すべき意味ある方向性というのは、このような分類を越えて、地域仏教の独自性を描写し、より精緻な枠組みを用いて表現し分析することであろう。この可能性ある研究領域は、仏教の何たるかについて、これをエリートの経典中心の禁欲的な宗教として描き、信徒の目標を涅槃への到達だとするような見解から、学術界が距離をおくことの一助となるだろう。 説得力のある文献としてSwearer (1995)や McDaniel (2011)、 Kitiarsa (2012)、Soucy (2012)のものがある。これらは仏教研究を、古く、理想化された正典中心型のものから、生き生きとした民衆による宗教実践の領域へと押しあげてきた。ベトナムとそこで実践される宗教について理解を深めるために必要なのは、この方向性に沿ったさらなる研究が、特にベトナムの政治における仏教の役割や仏教のポリティクスに重点を置いて行われることである。 仏教と、ベトナム史における仏教の役割に関する一つの際立ったサブテーマに目を転じると、Woodside (1976)とMcHale (2004) 、 DeVido (2007, 2009)が、20世紀ベトナムの仏教復興運動について貴重な研究を提示している。だがこの運動の遺産については、まだ多くの研究が待たれる。手短に言えば、この復興運動が目指したのは、ベトナムにおける仏教の強化と変容であり、仏教が全盛を極めたと想像される黄金時代に引き戻すことであった。アジアの他の復興運動と同様に、ベトナムで生じたこの運動も、より強固な民族アイデンティティを構築し、それを活気ある近代的革新的仏教に組み込もうとするものであった。あらゆる場所の近代仏教に見られるように、この復興運動も仏教実践を合理化し、カルトや金銭を燃やすこと、シャーマン的実践など、異端的要素を取り除こうとした。さらに、新旧の仏教経典を翻訳し、それに重要な救済論上の位置づけを与えた。同時に信徒は、これらを読み学んで理解する方が、その内容も分からずに丸暗記して唱える事を頼みにするよりも良いと助言された。ベトナムの復興論者たちが重視したことは、社会参加であり、学校や診療所、組織、その他の社会奉仕手段の設立であったが、これらの多くは現在でも存在している。その結果、近代化し、政治にも積極的に参加する仏教という型式が、この復興運動から生じる事となったが、これは後にティク・ナット・ハン(Thích Nhất Hạnh)が「社会参加仏教(engaged Buddhism)」と呼んだものである。ナット・ハンの言葉によると、「仏教学者たちは1930年代には既に、仏教の近代社会への参加を論じていた」。社会参加仏教という型式は、1960年代から70年代の間にナット・ハンが密接に関わったものであるが、これは新たな現象ではなく、古くからある仏教実践を取り組んだもので、その理論的起源は中国に存在する。この流れに沿うさらなる研究が望まれる。それは、ベトナムの社会参加仏教が、どの程度、仏教界において社会参加仏教という現代的言説や実践に影響を及ぼし、形作ってきたのかということについて理解を促す。さらに、ベトナムでの思想や実践、集団の形成における中国以外の他の地域の仏教の役割については、ほとんど知られていない。いずれにせよ、仏教研究において地域や国境を超えた取り組みは、仏教が国境というしがらみから離れ、仏教運動の展開と発展についてのより明確で幅広い視野に到達する上で、役立つものである。 南ベトナムにおける仏教徒の平和運動は、一つの重要な歴史的要素であり、近年研究者の注目の的となっている復興運動と密接に関わっている。Topmiller (2002)や Moyar (2004), McCallister […]

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Menggugat Ruang Pemahaman dalam Politik Buddhisme

Gambaran umum dan ilmiah tentang mobilisasi umat Buddha di Myanmar belakangan ini mengangkat persoalan bagaimana pendekatan teoritis dan analitis dapat menentukan kajian Buddhisme, politik dan masyarakat. Munculnya organisasi monastik nasionalis “MaBaTha” dan upayanya untuk memberlakukan […]

Issue 19

การช่วงชิงภูมิทัศน์ด้านมโนทัศน์ในการเมืองของพุทธศาสนา

การตีความเกี่ยวกับการระดมมวลชนชาวพุทธในเมียนมาระยะหลัง ทั้งที่เป็นการตีความในแวดวงวิชาการและโดยคนทั่วไป ชี้ให้เห็นประเด็นที่วิธีการเชิงทฤษฎีและเชิงวิเคราะห์มีผลต่อการศึกษาความเกี่ยวพันระหว่างพุทธศาสนากับการเมืองและสังคม การขยายตัวขององค์กรพระสงฆ์ชาตินิยมอย่าง MaBaTha และความพยายามขององค์กรนี้ที่จะผลักดันให้มีการออกกฎหมายที่เข้มงวดและชี้นำการเลือกตั้งในเมียนมาที่เพิ่งเปลี่ยนสู่ระบอบประชาธิปไตยเมื่อไม่นานนี้ ทำให้ประเด็นการเมืองของพุทธศาสนาและลัทธิชาตินิยมหวนกลับมาเป็นเป้าของการวิเคราะห์กันอย่างมากมายในเอเชียตะวันออกเฉียงใต้อีกครั้ง ชื่อองค์กร MaBaTha มาจากคำขวัญของลัทธิชาตินิยมต่อต้านอาณานิคมในช่วงต้นศตวรรษที่ 20 นั่นคือ “Amyo (Ma), Batha (Ba), Thathana (Tha)” หรือ เชื้อชาติ, ศาสนา/ภาษา และสาสน์ (sāsana หมายถึงระบบและคำสอนของพระพุทธเจ้า) ชื่อขององค์กรเองชี้ให้เห็นความเชื่อมโยงระหว่างพัฒนาการในสมัยปัจจุบันกับการเคลื่อนไหวระดมมวลชนของชาวพุทธในพม่าเมื่อศตวรรษก่อน ปัญหาที่เกิดขึ้นก็เช่นเดียวกับการวิเคราะห์ทางวิชาการเกี่ยวกับประวัติศาสตร์ช่วงก่อนนั้น กล่าวคือ การวิเคราะห์ที่มีมากมายเกี่ยวกับการขยายตัวของ MaBaTha กับลัทธิชาตินิยมและบรรยากาศการต่อต้านมุสลิมในเมียนมา มักอ้างว่าต้นกำเนิดของปรากฏการณ์นี้มาจากชาวพุทธที่ใช้ศาสนาเพื่อเป้าหมายทางการเมือง หรือจากลัทธิชาตินิยมที่มีมายาวนานและความเกลียดกลัวคนต่างชาติที่ฝังอยู่ในศาสนาพุทธของพม่า ข้ออ้างทั้งสองประการนี้ต่างก็ผิดพลาด ไม่เพียงเพราะเป็นการตีขลุมสรุปที่หยาบง่ายเกินไป แต่เพราะมันสะท้อนถึงวิธีการที่มีปัญหาในการคิดเกี่ยวกับพุทธศาสนา […]

Issue 19

諸概念が拮抗する仏教のポリティクス

ミャンマーでの近年の仏教徒動員についての一般的、学問的な表象をみてみると、いかに理論的で分析的なアプローチが仏教、政治、社会に関する研究を形作っているかを考えさせてくれる。最近民主化されつつあるミャンマーにおいて、ナショナリストの僧院組織、マバタ(MaBaTha)が台頭し、彼らが規制をかける法律を作り、選挙政治に影響を及ぼそうと試みており、それは、仏教とナショナリズムのポリティクスの問題を再び、多くの東南アジアについての分析の中でも中心的な問題にした。マバタはその名を20世紀初頭の反植民地ナショナリストのスローガンで、人種、宗教・言語及びサーサナー(sāsana/仏の法や教え)を意味する「Amyo (マ), Batha(バ), Thathana(タ)」からとっている。この名前自体が現代の展開を100年以上も昔のビルマでの仏教の一般大衆動員と結びつけるものとなっている。 問題なのは、20世紀初頭の運動についての研究の大半と同様、ミャンマーにおけるマバタ、その他のナショナリストや反ムスリム感情の台頭に関する分析の多くが、仏教徒たちが宗教を政治目的に利用したことに台頭の原因を求めたり、ビルマ仏教の本質にはナショナリスト的感情、あるいは外国人嫌いの感情が根強く存在することに台頭の原因を求めたりしていることだ。これらはいずれも間違いであるが、その理由は、単にこれらが過度の単純化であるというだけでなく、むしろ、これらが仏教や宗教、アイデンティティを考察する上で問題含みのアプローチの典型であるためだ。そうした研究は、仏教に永劫不変の本質が有るとみなしており、また、人間の経験や行動において宗教と政治とは別個の領域として容易に識別できるとみなしてしまっている。これらの各状況をもう少し深く掘り下げてみれば、これらの運動についての研究の多くは、単に政治情勢やナショナリストのアイデンティティ、仏教実践に関するある特定の解釈や内容を助長しようとしているだけでなく、このような議論の拠り所となる概念的枠組みを積極的に形成し、それについて論じようとしていることが明らかとなる。 これらの運動にまつわる多くの現在の言説は、以前の運動と同様に、これらの運動もまた、仏教とビルマ人らしさを保とうとして、この両者を積極的に構築し、刷新していることをまったく見落としてしまっている。こうした試みにおいては、仏教も国民も流動的な(空っぽの)容器でしかなく、社会構造やヒエラルキーの創造と変容のメカニズムとして作用する。だが、仏教、ビルマ国民といったアイデアを意図せずして固定的で単一で識別可能なものとしてしまうのは、何も一般的な言説、ジャーナリスティックな言説、政策的な言説に限らない。往々にして、学者たる我々自身が研究を通じて、これらが固定的な知の対象であり、我々が記述し説明する専門的知識を持つと主張できる対象だとしてしまっている。その点を意識しなかった場合、我々は無意識のうちに自分達の研究する場の文化の政治に巻き込まれてしまい、国民、人種、あるいは排除という言葉で定義されない別の形での仏教が創造される可能性やアイデンティティと動員の諸形態が創造される可能性を排除してしまうという深刻な事態になりかねない。 20世紀の初頭には、植民地時代のビルマの多くの仏教徒たちが、植民地支配の到来に伴う絶え間ない変化を、仏の教えが失われつつあるという予感として経験した。彼らは仏教を守るための大規模な運動を起こし、これが社会や社会組織のさまざまな側面に影響を及ぼし、そして究極的には反植民地ナショナリストの政治に影響を与えたのである。現代のミャンマーにおける動きと極めて似ているようにみえる。この国は再び、社会的、政治的、経済的な激動の時代に直面している。多くのビルマ人たちが、変化が不安定を生むことに不安を感じ、そして、何か致命的なものが失われつつあるという懸念を表明している。仏教や仏の教え、ビルマ文化の保護を主張する運動が大衆動員を生み出してきた。仏教保護の取り組みに共感し、仏教への脅威が誰、あるいは何であるか(ムスリム、政党、外国のNGO、ライフスタイルの変化)についての言説に共感することが、明らかに多くのミャンマー人達にとってアイデンティティの一部をなしてきているように思われる。 しかし、これら2つの動きにつながりを認めて、仏教徒の言説やビルマ人のナショナリズムに共通する本質を説明しようするよりも、進むべき道は、この2つの動きがミャンマー(ビルマ)、仏教と宗教という本質的なカテゴリーをどのように構築、再構築してきたかを考察することである。こうしたカテゴリーは流動的で拮抗しており、そして、とりわけ影響力のあるものとして着目し、人々が自分達自身をどのように組織化するかに着目する研究であれば、我々は社会の中の権力の作用、すなわち、仏教のポリティクスを理解することができるのである。 我々にとってもっともやりやすいのは、東南アジア研究を形成する上で重要であり続けているベネディクト・アンダーソン(Benedict Anderson)の批判的洞察に従うことである。つまり、これらの運動の言説における国民を脱国民化(解体)し、これらの言説がどのように排他主義的な宗教アイデンティティの観点からミャンマーを想像することになっているのかを分析することであろう。国民や国民アイデンティティを論じ、これらを構築する動きはどのようなものであれ往々にして表立っているし、容易に政治的言説に結び付く。しかし、排他的な運動に対抗して、よりリベラルにミャンマーを国民として想像しようとする運動の行われ方については、研究者たちは見過ごしがちである。国民を脱国民化(解体)することは、こうした運動を理解する上で何が重要であるかを分析するためには決定的に重要な第一歩であり、有用でもあるが、最初の一歩に過ぎない。次の段階は、おそらく宗教学者たちにとってはわかりやすいことだが、仏教を脱仏教化(解体)することであり、こうした運動がその言説やプロジェクトを通じ、どのようにミャンマーにおいて仏教がもつ意味の広がりを変えているかに着目することである。通俗的な分析や政策分析は、歴史を超越する仏教の本質があり、それが特定の歴史的な運動によってはっきりと示されているかのように、あるいは、歪められているかのように記述しており、仏教徒たちが仏教の解釈を変容させ続けてきていることを認識していない。ミャンマーにおける現代の運動は、たとえ仏教の擁護や保護をその使命の中心と主張しようとも、仏教の実際的な意味を積極的に作り変えていることが明らかなのにである。 さらに、ミャンマー人や仏教といったカテゴリーを論点としながら、再想像するこの作業は、ナショナリスティック、原理主義的、あるいは反ムスリム的とレッテルづけされている運動に限らず、多種多様の仏教運動や僧侶たちによって実行されている。このせめぎ合い、作り変えられて行く範疇に着目することで、我々は現代ミャンマーの様々な仏教運動の関係性を理解し、これらの運動がミャンマーの社会的、宗教的、政治的展望の中に生み出すより深い変化を、それらの単なるレトリック内容をはるかに超えて考察することが可能となる。 我々は、仏教やミャンマー人といったカテゴリーを解体していくこの分析をもう一歩進め、仏教運動において宗教と世俗それら自体がいかに論じられて、再構築されてきており、きわめて重要な政治的・社会的相互作用の一部になっているのかに着目する必要がある。このとき、我々が仏教と政治に関心があるのであれば、カテゴリーに着目することは極めて有用である。学者たちはしばしば、(宗教が何を意味するかを問うこともなく)仏教に宗教というレッテルを貼り、宗教と政治を考察することは、それぞれを分析し、その関係性と相互作用を分析するうえで有益な方法だとしている。だが、これは宗教を政治から切り離すことの出来る生活・行動・思想カテゴリーであることを前提としてしまっている。宗教は他の社会生活、世俗とレッテル貼りされている社会生活から切り離しうるという世界観と概念区分を前提としてしまっている。Talal Asadらが教えてくれたように、このような世界観は絶対でもなければ、当然のものでもなく、特殊なイデオロギー、世界観であり、我々はこの下で常に、あらゆる場所の全ての人々の営みが行われていると決めつけるべきではない。宗教を境界のあるカテゴリーだとするのは、特殊なヨーロッパ史の所産である。これは東南アジアに植民地主義とともにもたらされ、宗主国特有の様式として機能した。東南アジアの仏教徒たちは、植民地支配の下で宗教・世俗という世界観に適応するようになり、またこれを現地の概念的枠組み(lokiya/lokuttara, sāsana /ローキヤ・ロークッタラ、サーサナなど)と融合させたものの、このような枠組みは昔も今も、議論の続く、物議を醸すものなのだ。宗教の境界の明確な輪郭線と、そのカテゴリーと政治、経済などの世俗的カテゴリーとの相互作用は、積極的な解釈、翻訳、さらなる翻訳を生み出している。 植民地時代には、仏教徒たちも英国の行政官たちも同様に、「世俗」の意味するものを定義することに積極的であった。国家と宗教の完全な分離というレトリックにも関わらず、英国植民地時代の「世俗主義」には、政府が僧侶らに(律/Vinayaではなく、パーリー語仏典の内容に関する)試験を実施するという意味もあった。それは仏教が、教えの実践ではなく、仏典の内容に限定されたものである限り、僧院を政府の教育制度に取り込めたことを意味する。植民地時代のビルマ人たちにとって世俗とは、カルマやサーサナの概念は使える空間であるが、実践は別のロジックが作用していたようである。 現代の運動においては、国家と公的な政治的言説、そして宗教の役割の間の正しい関係についてかなりのやりとりが行われている。国家とは、法律によって制限を設けて仏教を外的脅威から保護するプロジェクトを実施する機構だと言う人は多い。あまり露骨に外国人嫌いを目論まない形で仏教団体が国民のアイデンティティや国家の発展、文化の保護を国家と同様に積極的に進めるべきだという人もいる。ミャンマーにいる欧米の大使たちが、開発計画や特定の僧侶や僧院派閥による仏教解釈を積極的に是認した後、選挙の直前に政教分離を表立って要請した。それはあたかも、先の是認だけでは、仏教、宗教、政治の構成要素を定義する作業が予定したようには進められていないからとでも言いたいかのようであった。 このような大使たちの行為は、仏教と世俗主義のカテゴリーが構成されていく過程ははるかに複雑であることを示している。僧院の開設や、仏教徒の社会奉仕事業に臨む大使たちの映像は、パーリー語の試験を監督し、僧院学校のカリキュラムを書き直す、19世紀の英国植民地の行政官たちのセピア色をした写真のテクニカラー版のようにしか見えない。仏教はそれ自体、これらの相互作用における権力をめぐる言説の産物なのである。このゲームの中で、このような大使たちの行動は、リベラルな解釈とナショナリスティックな解釈という両極の間で仏教解釈の幅を決めていくことを正当化してしまい、そうすることで、国民、人種、あるいは排他主義的アイデンティティによって定義されないような仏教実践、アイデンティティと動員の概念と態様の創出をきわめて積極的に阻止してしまう。さらに、こうした行動は、一部の意見を助長し、その他の意見を封じ込める過程の中で、ミャンマー特有の世俗の意味を規定していくことになる。 学者たる我々が、宗教、政治、あるいは世俗を普遍的で固定的な性質のカテゴリーと前提したまま仏教と政治を調査すると、諸概念を現地の文脈の中で再定義し、再形成しようとする人々が行っている多くの作業を見逃してしまう。自分たち自身の想定に基づいてこのようなカテゴリーを常識的で固定的なものと考えて、分析装置として使用することは容易である。だがそれでは、我々が研究せんとする運動のポリティクス、すなわち、文化と知の働きにある権力の作用を見落としてしまう。この点で、我々にとってより有意義なことは、仏教徒たちがビルマ人の生活を構成するカテゴリーを定義、再定義するポリティクスに着目することであろう。そうすると、植民地時代と現在の仏教徒の運動の両方が、諸概念をどのように作りなおしてきたのかを考えることができる。サーサナや宗教、政治、国家、仏教といったアイデアの変化を通じて、ビルマの人々が自己や自分達の行動、その未来と過去を認識するときの諸概念がどのように作りなおされてきたのかがわかるのである。  我々がミャンマー(ビルマ)とビルマ仏教を研究対象にすることで、我々はこれらの概念に真実味や信ぴょう性を添えることになるが、それは問題含みである。もし、我々がビルマ(ミャンマー)を知っていると主張することでキャリアを積むうち、「ビルマ(ミャンマー)」は一国民として無意識に当たり前の対象となり、知ることができ、一見不変なものとしてしまうと、我々はナショナリズム、ベネディクト・アンダーソンの言う国民の想像行為に寄与していることになる。もし、ビルマ仏教が我々の研究の中で絶対的で当然の何かとなり、我々が常に権力の作用を察知するような流動的な概念でなくなるのなら、我々は自らを現地の政治に関与し、暗黙のうちに現地で支配的な言説を、たとえその内容を批判していたとしても、支持することになる。だが、我々が学術研究や論文において、「仏教」、「宗教」あるいは「世俗」といった概念が、明らかに研究の余地を残すものであり、アイデンティティや排除の方法であり、相容れ難いさまざまな文化と表現の一部であると論じつづける限り、(自由主義的形式であれ、排他主義的な形式であれ)ナショナリストたちがアイデンティティと政治的現実を排他的に捉えて主張する試みというのは、ミャンマー、アイデンティティ、仏教に関するその他の意見や解釈を打ち消すためのメカニズムであることを認識することができる。 トロント、ヨーク大学 准教授 Alicia Turnerアリシア・ターナーはトロントのヨーク大学のHumanities and Religious Studies(人文宗教学)の准教授で、The Journal of Burma Studies(ビルマ研究ジャーナル)の編集者である。彼女の最新の著作はSaving Buddhism: The Impermanence of Religion in […]

Issue 19

นาฏกรรมของศาสนาฮินดูในมหานครกรุงเทพฯ: เทศกาลพิธีกรรมและพหุนิยมทางศาสนาในสภาพแวดล้อมทางสังคมไทยพุทธของเมืองใหญ่

ในช่วงหลายทศวรรษที่ผ่านมา ชาวไทยพุทธหันไปนับถือเทพเจ้าในศาสนาฮินดูมากขึ้น โดยยึดถือเป็นแหล่งพึ่งพิงทางใจที่จะช่วยดลบันดาลปาฏิหาริย์ที่เป็นคุณแก่ตนและเครื่องยึดเหนี่ยวทางศรัทธา ภายในมหานครกรุงเทพฯ ยุคปัจจุบัน มีสถานที่สาธารณะจำนวนมากช่วยกระตุ้นความสนใจที่มีต่อเทพเจ้าฮินดูและการสักการบูชา หรืออาจรวมถึงศาสนาฮินดูเองด้วย มีศาสนสถานฮินดูหลายแห่งที่แรกเริ่มเดิมทีนั้น ผู้อพยพชาวอินเดียก่อตั้งขึ้นเพื่อรับใช้ชุมชนพลัดถิ่น เช่น วัดพระศรีมหาอุมาเทวี (วัดแขก) วัดเทพมณเฑียร วัดทุรคามณเฑียรและวัดวิษณุ มีอีกหลายวัดที่ชาวไทยพุทธเองสร้างขึ้นเพื่อสักการะเทพเจ้าฮินดู เช่น เทวสถาน (โบสถ์พราหมณ์) ที่สร้างขึ้นสำหรับพราหมณ์ประจำราชสำนักตั้งแต่ต้นราชวงศ์จักรี หรือวิหารพระศิวะขนาดใหญ่ที่ตั้งอยู่บนถนนรามอินทราก็เพิ่งสร้างขึ้นเมื่อสิบกว่าปีมานี้ นอกจากนี้ยังมีภูมิสถาปัตยกรรมแบบขยายพื้นที่รอบแท่นบูชาสาธารณะที่ตั้งโดดๆ โดยมีศูนย์กลางอยู่ที่รูปปั้นเทพเจ้าฮินดู ซึ่งสร้างขึ้นโดยบุคคล สถาบันเอกชนหรือหน่วยงานรัฐบาล ศาลพระพรหมเอราวัณน่าจะเป็นตัวอย่างที่มีชื่อเสียงที่สุดของภูมิสถาปัตยกรรมประเภทนี้ แม้ว่าจะมีศาลอื่นๆ ที่สร้างขึ้นเพื่อบูชาพระอินทร์ พระนารายณ์ พระลักษมี พระตรีมูรติและพระพิฆเนศ ตั้งอยู่ใกล้ๆ ในระยะเดินถึงได้จากสี่แยกราชประสงค์ก็ตาม ในประการสุดท้าย รูปปั้นและศาลบูชาเทพเจ้าฮินดูองค์ต่างๆ สามารถพบเห็นได้ง่ายทั้งในวัดพุทธศาสนาและตามเทวสถานแบบหลายศาสนาที่มีอยู่ทั่วไปในมหานครกรุงเทพฯ […]

Issue 19

首都バンコクにおけるヒンドゥー教の舞台: 都市部タイ仏教徒空間の儀礼的スペクタクルと宗教多元主義

この数十年間でタイの仏教徒は増々、奇跡的な加護と親しみやすい信仰を兼ね備えた慈愛の源泉として、ヒンドゥーの神々を崇拝するようになってきた。現代バンコクの多くの公共の場には、ヒンドゥー教そのものではなくとも、ヒンドゥーの神々や信仰実践への興味をそそる場所がある。例えば、インド系移民が元々は移民コミュニティのために建てたヒンドゥーの諸寺院、シュリ―・マハーマリーアンマーン寺院(Wat Khaek/インド寺院)、デーヴ寺院(Dev Mandir)、ドゥルガー寺院(Durga Mandir)、ヴィシュヌ寺院(Wat Wisanu)などが挙げられる。また、タイ族の仏教徒たちが、ヒンドゥーの神々に祈りを捧げようと建設した寺院には、チャクリー王朝初期に王宮のバラモン達のために建てられたデーヴァサターン(Bot Phram/バラモン寺院)や、より近年に建てられたラームイントラー通りの巨大なシヴァ寺院などがある。加えて、様々な個人や私立機関、政府機関などが、ヒンドゥーの神々の神像を単体で中心に据える公設の祠を建てることも増えてきている。エラワン廟のブラフマー神像は、おそらくこの最も有名な例であり、またインドラ神や那羅延天(ヴィシュヌ神)、ラクシュミー神、三神一体(トリムルティ)、ガネーシャ神の祠も、ラーチャプラソン交差点から徒歩圏内の近場にある。現在、様々なヒンドゥーの神々の神像や祠が、首都バンコクの至るところにある仏教寺院(wat)や汎宗派主義の神廟(thewasathan)の両方で容易に見られるようになった。  インド系移民がヒンドゥー教信仰を実践するための場であれ、タイ人仏教徒がヒンドゥーの神々への信仰を示すための場であれ、このような公共の礼拝所は、バンコクに居住する両者にとって、ヒンドゥー教全体としての社会的再生産と公的イメージ化の重要な中心となっている。そして、ヒンドゥーの諸寺院(あるいはヒンドゥー教団体と関連するラームイントラー通りのシヴァ寺院)が、ヒンドゥーの儀式を大規模な公共の祭りとして企画・推進する時、インド人ヒンドゥー教徒とタイ人仏教徒の宗教世界や儀礼的想像力、信仰の論理は、ほとんど必然のように密接に絡み合う。意図の有無にかかわらず、ヒンドゥーの儀礼サイクルの中で共同で作り出される神像を祀る儀礼の中で現出するのは、インド人コミュニティにとっての伝統的ヒンドゥーの宗教性を帯びた瞬間だけではなく、一般のタイ人仏教徒にとっての汎宗派的な信心や他者性を帯びた光景でもある。このような宗教的接触を通じて、仏教徒やヒンドゥー教徒、そのコミュニティや、当局は、根本的なところから互いを構築し合うようになる。そして、増々都市化と国際化の進むタイ社会というイメージの元で、宗教多元主義や多様性の受容、寛容、アイデンティティにまつわる興味深い問題を提起している。 ナヴラートリ祭 10日間に及ぶナヴラートリ祭は、シーロム通りにあるタミル・シュリ―・マハーマリーアンマーン寺院において、毎年10月に執り行われる。この祭りは、タイ都市部の公共空間で、複数の宗教・宗派のコミュニティが、彼らのために大規模なヒンドゥー教儀礼を計画、運営、開催する際に生じる複雑な宗教の絡み合いの状態をよく示している。多面的な様相を示す祭りの期間中、ドゥルガー、ラクシュミー、ウマテウィー、サラスヴァティーといった女神像はその配偶者や従者らの像と共に、寺院の中に置かれ礼拝の対象となる。それぞれの日に以下のものを組み合わせる。すなわち①絶え間ない個々の一般参加者による伝統的な供犠と、②その寺のバラモンが行う朝、昼、晩の三度の特別な供犠である。最終日の夜に寺の外で行われる行列は、祭の儀礼とその実践のクライマックスである。行列の中心を成すのは、それぞれに異なる女神に憑依された三人のインド人霊媒師と、ガナパティ(ガネーシャ)、スブラマニアン、クリシュナ、カタラガマ(スカンダ)、ウマテウィーの神像を乗せた5台の山車である。大勢の楽師隊や踊り子、バラモンや信者の一行が、これらの霊媒師と山車を取り囲む中、行列は寺を抜け、一巡するのに7時間以上もかかる3㎞の環状の道路沿いを進んで行く。何万人ものタイ人仏教徒たちが、飾りを施した大きな祭壇を行列経路の両側に設置し、時には深夜の2時3時まで待ってようやく、彼らの脇を次々に通過してゆく霊媒師やバラモン、神々の全てから祝福を受けとるのだ。 この祭りの最初の9日間の一般参加者の90%以上は、タイ系の人々や中国系タイ人の仏教徒であるが、最終日の夜には、バンコク郊外や内陸部各県からの来訪があるため参加者数は天文学的な数字に膨れ上がり、インド系ヒンドゥー教徒の割合はより一層少なくなる。つまり、シュリー・マハーマリーアンマーン寺院のナヴラートリ祭は、本質的にはバンコクに居住するタミル系ヒンドゥー教徒コミュニティの重要な年中行事であり、祭祀を専門とするバラモンが主宰、運営するが、信徒や参加者、後援者の大部分はインド人でもなければ、ヒンドゥー教徒でもないのである。そして、この祭りの10日間を通して公衆に示される儀礼の供物、供犠、信仰は複雑に絡まり合い、模範的なヒンドゥー教行事でありながら、正統的仏教儀礼として共鳴している。さらに印象深いのは、ナヴラートリ祭が実際に、ヒンドゥー教徒と仏教徒の両コミュニティの内部から、参加者や信仰上の見解、儀礼の筋書の多元性を醸成し促進しているという事であり、それらが全て、祭りの期間中に満足のゆく形で表現され、実現されているという事だ。   儀礼参加者の多様性と儀礼の筋書の多元性 人口統計で見ると少数派でも、インド系ヒンドゥー教徒の多様な集団は、ナヴラートリ祭の開催に重要な役割を担っている。バラモン神官やインド人霊媒師、儀礼補佐役、それに古典音楽の奏者らは、この祭りの期間中祭祀を司る重要な人々である。これに加え、寺の管理者や出資者、ジャーナリストや映像監督も、シーロムに居住するローカルなインド人コミュニティの出身者であり、常連の、しばしば重要な参加者として、毎日早朝から深夜までかかる儀礼を計画し、運営する。ローカルなインド人コミュニティの信心深い個人や家族、商人たちが、ヒンドゥー教徒の参加者の大部分を占める一方で、インドから来るタミル州宗教省の官僚代表や、マレーシアとシンガポールから来る少数のヒンドゥー教徒たちも姿を見せる。プーケットで行われる華人のベジタリアン祭のような国境を越えた華人の巡礼と観光の対象には未だなっていないものの、現代のグローバル化したメディアと交通の時代の中、このナヴラートリ祭のヒンドゥー教徒の観衆たちは、明らかにバンコクだけでなくその外からも訪れるようになっている。 タイ人仏教徒をみても多様な集団がこの祭りに参加している。例えば、少数だかタイ人警官や軍人が警備をしていたり、露店商が儀礼用品を売ったり、メディアがこの行事を報道したりする。さらに重要なことは、大勢のローカルなタイ人と中国系タイ人の仏教徒たちが、シュリ―・マハーマリーアンマーン寺院の日々の営みの中で重要な権限を持った地位を占めているという事だ。彼らは寺の管理人や出資者、儀礼補佐役を務めている。この寺の儀礼補佐役の多くはタイ人仏教徒であり、彼らは祭りの期間中に寺に押し寄せ、なだれ込む、大勢のタイ人仏教徒の一般参拝者たちをさばく上で不可欠なのである。寺に押し寄せるタイ人仏教徒の参拝者たちは、主にバンコク出身者であるが、明瞭に異なるいくつかの層に分けることができる。圧倒的多数は、この寺やヒンドゥーの神々には一過的にしか関わらず、祭りを神の加護と祝福を得るのに丁度よい、一度きりのチャンスと見ている個人や夫婦、家族などである。しかし、タイ人仏教徒の中には、祭りの期間中定期的にこの寺に戻り、日に三度行われる祭式に参加しようと居残るものたちが存在する。以前この寺に参拝したり供物を捧げたりして得た霊的加護に恩義を感じている者もいる。またヒンドゥーの神々全般に特別な信仰上の思い入れを募らせる者たちもあり、ナヴラートリ祭はこの信心を実践し、強める上でうってつけの機会となっている。また、中にはプロの霊媒師もおり、彼らは自分達に定期的に憑依するヒンドゥーの神々や女神たちとの深い一体感を感じ、業(カルマ)によって現世で神への奉仕者となったと恩義を感じている。 最終日の夜の行列では、これらタイ人仏教徒の多様な層は、数も増え、特徴もますます多様化する。大勢の警官やボランティア、露店商たちがやって来て大群衆をさばき、サービスを提供する。バンコク大都市圏に住み、日和見的に神の加護を求める事に興味を持つ何万人ものタイ人仏教徒が、この行列を目にしようとやって来るのだ。しかし、行列経路沿いに一時的な祭壇を設けている個人や集団の多くは、ヒンドゥーの神々を熱心に信奉する人々の小集団か、あるいは個人的な取り巻きに付き添われたプロの霊媒師たちのどちらかである。これらの信奉者や霊媒師たちのほぼ全員が、この祭りの期間以前にシュリ―・マハーマリーアンマーン寺院で行われたいかなる儀式にも参加した事がなく、また中にはピッサヌロークやコーンケーンなどの遠方からやって来る者もいる。一般のタイ人仏教徒市民にとっては、殺到する大群衆のために寺院へ近寄る事が困難となるために、これらの行列経路沿いの仮設祭壇が二次的で補助的な祭祀の供物や祭りの光景と共に、しばしば宗教的好奇心や関わりの主な対象となる。正規の行列の前後には、一般の人々が祭壇の前にたむろする様々な霊媒師たちに神の祝福や神との仲裁、神の助言を求める。この祭の行列経路は事実上、騒々しいタイ人仏教徒の帰依者にとって、補助的・自律的な舞台となる。ここでの信仰は、寺のバラモン権威の統制が直に及ばぬものとして、自然発生的に出来上がっていく。実際、正統派ヒンドゥー教から黙認された仏教徒の熱狂的信仰やトランス憑依、パフォーマンスの過剰、異教性といった大規模に展開する公衆の人々の光景は社会的可能性を切り開くものであり、多くの参拝者や参加者たちがこのナヴラートリ祭の劇的な山場に魅力を感じる所以ともなっている。   仏教徒の首都における多元主義、多様性の受容と寛容  シュリ―・マハーマリーアンマーン寺院のナヴラートリ祭の開催において、バンコクのヒンドゥー教徒と仏教徒のコミュニティが密接に絡み合いながら役割を持っていることは、ある程度、近代タイの一連の大規模な社会発展に基づいたものである。インターネットや全国規模のマスコミ市場、そしてグローバルに行われる観光によって、インドとタイ両国におけるヒンドゥー教の信仰や実践は、タイ人仏教徒にとってさらに知られたものとなり、理解可能で近づきやすいものとなった。タイ人資本家や企業家は、ヒンドゥー教の芸術的、物質的、文学的文化の中で、隙間産業を生み出してきた。都市化と交通網の発達によって、増々多くのタイ人が仏教とヒンドゥー教の継続的接触を日常的に体験できるようになった。規制のない中で宗教という多様にまたがる領域で仕事をする企業家は、創造的・宗教的なブリコラージュを行い、二つの宗教コミュニティ間で文化を仲立ちする役割を果たしてきた。拡大を続ける宗派を超えたこの大衆的な宗教性は、奇跡や熱狂的信仰、秘教、恍惚状態を強調しながら、既存の秩序や正統派エリートの支配の及ばぬところで宗教の交流を促進してきた。こういった展開は、さらに新たな問題を提起している。 シュリ―・マハーマリーアンマーン寺院のナヴラートリ祭は、明らかにヒンドゥー教の儀礼であるが、これを仏教徒の祭りと呼ぶ事も、今では可能なのではないか?祭りの主な神話や儀礼の筋書がある一つの宗教コミュニティに根差したものでありながら、圧倒的な数の参加者が別の宗教コミュニティの出身である場合、どのように宗派のラベルを用いるのか?祭りの最初の九日間に寺の内部で生じる儀礼サイクルは、儀礼の精神や信仰論理、宗教的権威が多様化し細分化する最終日の行列とは、記述上でも分析上でも異なったものとして扱うべきではないのか?何らかの意味があるとすれば、どのような意味において、この祭りがシンクレティズムやハイブリッド性、ブリコラージュ、トランス・カルチャーの事例となりうるのか? さらには、現代の仏教国タイにおける宗教の多元主義や多様性の受容、寛容といった特異な社会的現実をいかに説明するのか?祭祀への共同参加やその相互作用の事例が、仏教徒とヒンドゥー教徒、華人の宗教コミュニティの間で豊富な一方、仏教徒とキリスト教徒、ムスリムのコミュニティの間でそのような事例が見られる事は少ない。これらの宗派を超えた共同関係に見られる違いは、一体どの程度、宗教人口統計や宗教の土着化に関する戦略、純化への要求、宗教的共存の歴史的記憶、そして改宗や紛争をもたらすとされる外国人への恐怖心などが対照をなしていることの結果であるのか?祭祀への共同参加やその相互作用が、仏教徒とタイ国内の全ての宗教的マイノリティたちとの間でも、同じ様に上手く宗派間分裂の橋渡しとなる事を望めるだろうか?それともむしろ、全てを受け入れ続ける寛容性を追い求める上では、多様な代替戦略の醸成が必要なのだろうか? Erick White(Cornell University) Issue 19, Kyoto Review of Southeast Asia, March 2016

Issue 19

Review: Corridor (12 short stories)

Corridor (12 short stories)Alfian Sa’atSingapore: Ethos Books, 2015 (second edition) “Behind these fantastic stories however, was the faint hope that somehow, I had found someone who shared something in common with me.” (“Duel” in Corridor 68) […]