ベトナムにおける仏教研究:現在と今後の方向性についての考察

Jordan Baskerville

仏教研究の分野において、ベトナム仏教は欧米圏の研究者の十分な関心を集めて来なかった。これはある程度、学問が文献を中心とする仏教研究を偏重し、暮らしに即した日々の仏教実践の表現を軽んじる傾向があることに起因する。こうした偏見は古い学問的方法論に基づいており、そこでは特定の文献を特別扱いし、その観点から宗教概念を組み立てる一方で、個人や個別文化の描写や記述を大幅に無視する。そしてベトナム仏教に関する経典文化は、他の仏教圏の経典文化と同程度には発展してこなかったため、結果として学問的な関心が向けられる事があまりなかったのである。加えて、ベトナムの現政権下で宗教は扱いに慎重を要するトピックであるため、宗教研究を成し遂げようとする研究者にはこれも障害となっている。例えば、インタビューの対象者を探し出して接触することや、ひどくお役所的な公文書類を扱うことは、他の仏教諸国で同じことをするよりも、はるかに骨の折れる仕事となろう。しかしこういった制限にもかかわらず、卓越したベトナム研究が行われ、それが仏教史と現代における仏教実践に関する特定分野に光をあててきた。けれども、一部の非常に優れた研究はあるものの、ベトナム仏教研究の多くの重要な分野には未だ大きな空白が残っている。そういった分野の一つが、他の仏教との比較という領域である。ベトナム仏教をめぐって立ち現れる数多くの研究課題候補の一つに、ベトナム仏教の「大乗性」を他の「大乗」仏教や、一般に「上座仏教」とみなされる仏教形態と比較調査する仕事がある。このような仏教の多様なあり方について、特徴を定義するために用いられてきた従来の比喩はもはや精査に耐えるだろうか。「大乗」という呼称はベトナム仏教にふさわしいものであろうか。

「上座仏教」と「大乗仏教」という二項対立は、長年、仏教の分類として太鼓判を押されたかのように用いられてきたものであるが、近年、これを疑問視し、反論する研究が急速に進んできた。数ある論考の中でも重要な編書、”How Theravāda is Theravāda? Exploring Buddhist Identities(『上座仏教が上座仏教である所以:仏教アイデンティティの研究』は、この一般的な枠組を用い続けることから生じる諸問題を検討し、明確に示している。比較研究に富んだ、同書と対を成すような必携の編著 ”How Mahāyāna is Mahāyāna?”(『大乗仏教が大乗仏教である所以』のようなものがあったならば、他の仏教圏においてもみられるあまりに単純な二項対立的な枠組みに関する理解と認識を深める上でも有効であり、また、ベトナムの現代仏教の本質を理解するためにも有効であろう。

Important collected volumes, How Theravāda is Theravāda? Exploring Buddhist Identities

英語圏での仏教に関する知識や理解は、何よりも、このような乗り物(大乗・小乗といった)の分類で捉え、その中で地域仏教を描写するという立場を、大体において採り続けてきた。研究者が目指すべき意味ある方向性というのは、このような分類を越えて、地域仏教の独自性を描写し、より精緻な枠組みを用いて表現し分析することであろう。この可能性ある研究領域は、仏教の何たるかについて、これをエリートの経典中心の禁欲的な宗教として描き、信徒の目標を涅槃への到達だとするような見解から、学術界が距離をおくことの一助となるだろう。

説得力のある文献としてSwearer (1995)や McDaniel (2011)、 Kitiarsa (2012)、Soucy (2012)のものがある。これらは仏教研究を、古く、理想化された正典中心型のものから、生き生きとした民衆による宗教実践の領域へと押しあげてきた。ベトナムとそこで実践される宗教について理解を深めるために必要なのは、この方向性に沿ったさらなる研究が、特にベトナムの政治における仏教の役割や仏教のポリティクスに重点を置いて行われることである。

仏教と、ベトナム史における仏教の役割に関する一つの際立ったサブテーマに目を転じると、Woodside (1976)とMcHale (2004) 、 DeVido (2007, 2009)が、20世紀ベトナムの仏教復興運動について貴重な研究を提示している。だがこの運動の遺産については、まだ多くの研究が待たれる。手短に言えば、この復興運動が目指したのは、ベトナムにおける仏教の強化と変容であり、仏教が全盛を極めたと想像される黄金時代に引き戻すことであった。アジアの他の復興運動と同様に、ベトナムで生じたこの運動も、より強固な民族アイデンティティを構築し、それを活気ある近代的革新的仏教に組み込もうとするものであった。あらゆる場所の近代仏教に見られるように、この復興運動も仏教実践を合理化し、カルトや金銭を燃やすこと、シャーマン的実践など、異端的要素を取り除こうとした。さらに、新旧の仏教経典を翻訳し、それに重要な救済論上の位置づけを与えた。同時に信徒は、これらを読み学んで理解する方が、その内容も分からずに丸暗記して唱える事を頼みにするよりも良いと助言された。ベトナムの復興論者たちが重視したことは、社会参加であり、学校や診療所、組織、その他の社会奉仕手段の設立であったが、これらの多くは現在でも存在している。 1その結果、近代化し、政治にも積極的に参加する仏教という型式が、この復興運動から生じる事となったが、これは後にティク・ナット・ハン(Thích Nhất Hạnh)が「社会参加仏教(engaged Buddhism)」と呼んだものである。ナット・ハンの言葉によると、「仏教学者たちは1930年代には既に、仏教の近代社会への参加を論じていた」。 2社会参加仏教という型式は、1960年代から70年代の間にナット・ハンが密接に関わったものであるが、これは新たな現象ではなく、古くからある仏教実践を取り組んだもので、その理論的起源は中国に存在する。この流れに沿うさらなる研究が望まれる。それは、ベトナムの社会参加仏教が、どの程度、仏教界において社会参加仏教という現代的言説や実践に影響を及ぼし、形作ってきたのかということについて理解を促す。さらに、ベトナムでの思想や実践、集団の形成における中国以外の他の地域の仏教の役割については、ほとんど知られていない。いずれにせよ、仏教研究において地域や国境を超えた取り組みは、仏教が国境というしがらみから離れ、仏教運動の展開と発展についてのより明確で幅広い視野に到達する上で、役立つものである。

The burning of money — the Revival Movement in Vietnam attempted to rationalize and rid Buddhist practice of such non-canonical elements.
Image: Wikipedia

南ベトナムにおける仏教徒の平和運動は、一つの重要な歴史的要素であり、近年研究者の注目の的となっている復興運動と密接に関わっている。Topmiller (2002)や Moyar (2004), McCallister (2008), Taylor (2013)、 Miller (2013, 2015)らは皆、この運動とその中心的な人物たち、例えば論争の的であるティック・チ・クアン(Thích Trí Quang)について、しばしば対立的な見解を示してきた。歴史研究から大きく欠落しているのは、南ベトナムの1970年から1975年まで(及びそれ以降)の時代と、政治や政府における仏教運動の役割に関する研究である。例えばTaylorは、彼の不朽の名著『ベトナム史』の中で、第二次ベトナム共和国下で1967年に開催された第一回下院選挙の際に、チ・クアンの信奉者を含む仏教徒が下院議席の三分の一を獲得した事実について短く触れている。1971年には再び、チ・クアンの信奉者が下院議席で最大のブロックを獲得した。 3これらの歴史上の小さな出来事は、ベトナムにおける仏教のポリティクスや、ベトナム戦争での仏教徒の役割に関する、より大きく綿密な研究を行う上での土台となり得るものである。政治に携わった仏教徒たちが、その後の南ベトナム崩壊までの数年間とそれ以降の時代にどうなったかという事に関しては、まだ調査研究が待たれている。一つの将来性のある研究課題として、議会に選出された仏教徒たちがどの程度復興運動の従来の目標のための仕事を続けたかということについての研究や、また同時に、南ベトナムにおける仏教徒全般の及ぼした政治への影響とその功績についての研究が考えられる。

The TIME magazine cover featuring the ‘controversial’ Thich Tri Quang | Apr. 22, 1966.

著者自身は、タイの社会参加仏教の歴史や、それとベトナムの仏教復興運動との関連、加えて現在はグローバルな社会参加仏教の運動との関連性についても研究している。さらに、タイーベトナム間の仏教徒の社会参加に関するつながりやネットワークも追跡している。1970年代半ばという時代は、タイの社会参加仏教の指導者スラック・シワラック(Sulak Sivaraksa)が、ベトナムにおけるティク・ナット・ハンや彼に追随する僧侶の社会参加仏教に見られる行動主義を知るようになった時代である。1975年頃、シワラックは彼の弟子の一人に、ティク・ナット・ハンの『〈気づき〉の奇跡』の翻訳を依頼し、この本はタイの特定のコミュニティの中で人気を博した。シワラックは、その後もナット・ハンとの関係を深め、さらに後援者として他の仏教徒や社会参加仏教の国際ネットワーク(the International Network of Engaged Buddhists /INEB)、ダライ・ラマ、ティク・ナット・ハン、マハー・ゴーサナンダ(Maha Ghosananda)との関係も築いていくこととなった。

タイとベトナムの仏教関係史における一つの興味深い展開として、タイのナコン・ラーチャシーマーにあるプラム村(Thai Plum Village)の設立とその継続的な発展が挙げられる。この僧院施設の歴史についてはほとんど何も書かれていないが、ここには数百名の主にベトナム人僧侶や尼僧が暮らし、ティク・ナット・ハンの流れを汲んだ実践を行っている。現代の汎仏教的な地域を超えた関係性を明らかにし得る研究の一つの手段として、プラム村がタイ仏教に及ぼしてきた影響やタイ仏教がプラム村に及ぼしてきた影響を調査することが考えられる。ここでは、今後の多くの研究指針の候補のうち、ごくわずかなものに触れたばかりであるが、ベトナムは仏教研究者にとって可能性に満ち溢れている。公文書や個人へのアクセスが年々容易になるだろうと見込まれる中で、これから増々多くの研究がベトナムから生じ、この研究分野が抱える大きな空白の一部を埋めていくことが望まれる。

Jordan Baskerville
(PhD Candidate, University of Wisconsin at Madison)

Issue 19, Kyoto Review of Southeast Asia, March 2016

 

The Thai Plumb Village, Nakhon Ratchasima, Thailand. Image: Facebook

The Thai Plum Village, Nakhon Ratchasima, Thailand. Image: Facebook

 

References

DeVido, Elise. “‘Buddhism for This World’: The Buddhist Revival in Vietnam, 1920 to 1951, and Its Legacy.” Modernity and Re-Enchantment: Religion in Post-Revolutionary Vietnam (2007): 250–96.
———. “The Influence of Chinese Master Taixu on Buddhism in Vietnam.” Journal of Global Buddhism 10 (2009): 413–458
McCallister, James. “’Only Religions Count in Vietnam’: Thich Tri Quang and the Vietnam War.” Modern Asian Studies, 42:4 (2008): 751-782.
McDaniel, Justin. The Lovelorn Ghost and the Magical Monk: Practicing Buddhism in Modern Thailand. Columbia University Press, 2011.
McHale, Shawn Frederick. Print and Power: Confucianism, Communism, and Buddhism in the Making of Modern Vietnam. University of Hawaii Press, 2004.
Miller, Edward. Misalliance: Ngo Dinh Diem, the United States, and the Fate of South Vietnam. Cambridge: Harvard University Press, 2013.
———.”Religious Revival and the Politics of Nation Building: Reinterpreting the 1963 ‘Buddhist Crisis’ in South Vietnam. Modern Asian Studies, June 2015. Pp 1-60.
Moyar, Mark. “Political Monks: The Militant Buddhist Movement during the Vietnam War.” Modern Asian Studies, 38:4 (2004): 749-784.
Pattana Kitiarsa. Monks, Mediums, and Amulets: Thai Popular Buddhism Today. University of Washington Press, 2012.
Skilling, Peter, Carbine, A. Jason, Cicuzza, Claudio, Santi Pakdeekham eds. How Theravāda is Theravāda? Exploring Buddhist Identities. Silkworm, 2012.
Soucy, Alexander. The Buddha Side: Gender, Power, and Buddhist Practice in Vietnam. Uiversity of Hawai’I Press, 2012.
Swearer, Donald K., The Buddhist World of Southeast Asia (second edition), SUNY Press, 2010.
Taylor, K. W. A History of the Vietnamese. Cambridge University Press, 2013.
Thích Nhất Hạnh. Vietnam: Lotus in a Sea of Fire. Hill and Wang, 1967.
Topmiller, Robert. The Lotus Unleashed: The Buddhist Peace Movement in South Vietnam. University of Kentucky Press, 2002.
Woodside, Alexander. Community and Revolution in Modern Vietnam. Houghton Mifflin, 1976.

Notes:

  1. Elise DeVido. “‘Buddhism for This World’: The Buddhist Revival in Vietnam, 1920 to 1951, and Its Legacy.” Modernity and Re-Enchantment: Religion in Post-Revolutionary Vietnam (2007), 284.
  2. Thích Nhất Hạnh. Vietnam: Lotus in a Sea of Fire. (Hill and Wang, 1967), 42.
  3. Taylor, K. W. A History of the Vietnamese. (Cambridge University Press, 2013), 608-9.

Leave a comment

Your email address will not be published.


*