Book Reviews

REVIEW: Si Amapola sa 65 na Kabanata [Amapola in 65 Chapters]

 Lee, Ricky. 2011. Si Amapola sa 65 na Kabanata[Amapola in 65 Chapters]Quezon City, Philippines: Philippine Writers Studio Foundation, Inc. 364+ pp.   Amapola, the protagonist of distinguished playwright and screenwriter Ricky Lee’s novel, is a female impersonator […]

Issue 12

ประวัติศาสตร์ของความตาย มรดกของวิถีชีวิต สุสาน Bukit Brown ในสิงคโปร์

มรดกถือว่าเป็นสิ่งที่ไม่เพียงพอต่อการพิจารณาบทบาททางสังคมในอดีตเป็นเพียงแค่ส่วนหนึ่งของประวัติศาสตร์ มรดกก่อให้เกิดภูมิคุ้มกันต่อการเปลี่ยนแปลงทางประวัติศาสตร์ มรดกต่างจากประวัติศาสตร์ตรงที่ มีความประณีต มีเรื่องราวของการเฉลิมฉลอง และมีแค่มิติเดียว […]

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Sejarah tentang Kematian, Cagar warisan bagi Kehidupan: Taman Pemakaman Bukit Brown di Singapura

Cagar warisan adalah sesuatu yang kurang memuaskan dalam mempertimbangkan peran sosial masa lalu. Ada kecenderungan untuk menyeleksi dan membuang bagian dari masa lalu itu dan menciptakan bagian tertentu dari sejarah. Ia seringkali menciptakan masa lalu yang kelihatannya tahan terhadap perubahan sejarah. Cagar warisan rapi tertata, dirayakan dan satu-dimensi, sementara sejarah sering tidak seperti itu. […]

Issue 12

死者の歴史、生者の遺産:シンガポールのブキット・ブラウン墓地

遺産は過去の社会的役割を考察する上で十分なものではない。遺産には過去を取捨選択し、不完全な歴史的解釈を生み出す傾向がある。それはしばしば、歴史的変化に影響されぬかのような過去を創作する。遺産は整然としており、賛美的で表面的なものであるが、史実はそうでない事が多い。 […]

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Kitab tentang zombi

        Berbicara secara spesifik tentang zombi dan mayat, salah satu sumber lokal yang jarang dipelajari tetapi paling terkenal adalah Vetāla-prakaraṇam (Koleksi cerita tentang zombi).  Vetāla-prakaraṇam adalah satu bagian dari seluruh jenis teks prakaraṇam, yang berdasarkan […]

Issue 12

เรื่องราวเกี่ยวกับอมนุษย์ ในพุทธศาสนาในเอเชียตะวันออกเฉียงใต้

         หากจะพูดถึงเรื่องราวของอมนุษย์ ภูตผีปีศาจ หรือศากศพ เรื่องเล่าที่ดีที่สุดคือ เรื่อง เวตลาปกรณัม (ซึ่งเป็นนิทานสุภาษิตที่รวมเรื่องเล่าเกี่ยวกับอมนุษย์และ ภูตผีปีศาจ)  เวตาลปกรณัม เป็นส่วนหนึ่งของประชุมปกรณัมหรือหนังสือที่รวบรวมนิทานสุภาษิตที่มีลักษณะเป็นนิทานซ้อนนิทาน ซึ่งเป็นที่รู้จักทั่วไปในเอเชียตะวันออกเฉียงใต้ ตามหลักฐานที่ได้ถูกบันทึกไว้ช่วงศตวรรษที่ 15 เรื่องราวที่น่าสนใจในประชุมปกรณัมประกอบไปด้วย เวตาลปกรณัม (หนังสือรวมนิทานที่เวตาลเล่าไว้) เวตาลปกรณัม (เรื่องราวเกี่ยวกับวัวที่ชื่อนนทกที่เอาใจออกจากนาย ซึ่งมีทั้งได้รับการแปลเป็นภาษาอินเดีย ภาษาชวา ภาษาทมิฬ และภาษาลาว) มัฑุกปกรณัม (เป็นนิทานเกี่ยวกับกบ) ปีศาจปกรณัม (รวมเรื่องเล่าเกี่ยวภูตผีปีศาจและผู้วิเศษ) ปักษีปกรณัม ( หนังสือรวมนิทานที่ตัวละครเป็นนก) หรือบางครั้งมีชื่อว่า สกุณาปกรณัม (คำว่า “ปักษี” และ […]

Issue 12

ゾンビとの出会い―東南アジア仏教におけるゾンビへの考察

          とりわけ、ゾンビや屍については、ほとんど研究される事の無いものではあるが、最も有名な現地資料の一つにVetāla-prakaraṇam(ゾンビの物語集)がある。Vetāla-prakaraṇamはprakaraṇam文献全体の一ジャンルであり、東南アジアに広まり始めたのは、証拠となる写本によると15世紀である。prakaraṇam文献の中で最も重要なものには、Vetāla-prakaraṇam(ゾンビ物語集)、Nandaka-prakaraṇam(雄牛物語集、実際のところ、インドの言語、ジャワ語、タミル語、そしてラオ語の物語では、あらゆる種の動物が一頭の雄牛を訪ねる物語である)、Maṇḍūka-prakaraṇam(蛙物語集)、Piśāca-prakaraṇam(幽鬼物語集)、Pakṣī-prakaraṇam(鳥物語集)であるが、これは物語によってはŚakuna-prakaraṇam(どちらもサンスクリット語で鳥の意味)と題される事もある。これらは通常は短編集で、怪物や動物を主題とした物語である。しかし、この呼称はまた、少なくとも一例において、特定の都市の成り立ちや特定の像、及び遺物の来歴にまつわる歴史物語集にも用いられる。これらの書物は、中世日本の説話物語や、中国の志怪小説の物語に幾分似たところがあるが、ヨーロッパなどで見受けられる動物寓話集とは似ていない。これらは、幻想、怪奇的な生き物の世界への詳しい入門書ではないが、物語に登場するのは、動物や人の姿をした悪魔や幽鬼、半獣などである。prakaraṇamのジャンルは、鳥や蛙の物語集と、その他の種や超自然的存在である幽鬼、怪物などの物語集とを区別しない。東南アジアのそれぞれのprakaraṇam文献に収められた、これらの物語の多くは『パンチャタントラ』や『ヒトーパデーシャ』、『カタ―・サリット・サーガラ』その他、インドの物語集のサンスクリット語の物語に由来する。しかし、その他のインドの物語と同様に、東南アジアの物語の多くは対応するインドの物語とは、かなり異なっている。特にラオ語とタイ語のPakṣī-prakaraṇamは『パンチャタントラ』の、主に第三巻の様々な物語に間接的に由来している。しかし、これらが直接的に東南アジア(特にジャワ、北タイ、シャン地方やカンボジア)に初めて紹介されたのは、Tantropākhyāna(ラオ語ではMun Tantai、タイ語ではNithan Nang Tantrai、ジャワ語ではTantri Kāmandaka、あるいはTantri Demung)を通じてであった。    この物語集のインドにおける最古の写本はマイソールで発見されたもので、時代は西暦1031年に遡る。サンスクリット学者や南インド文学の専門家であるEdgerton、Venkatasubbiah、Artola達は、サンスクリット語文献の異本や、タミル語、カンナダ語、マラヤーラム語で、作者がインド人のVasubhāga、Viṣṇuśarman、Durgasiṃhaらとされる物語の由来を明らかにした。それらはBhāvadevasūriの編纂したジャイナ教の聖者パールシュヴァナータの物語に類似している。 当然、これらの物語のうち、より広く知られている物語は中央アジアや中東の諸言語にも見られる。例えば、パフラヴィ―語やペルシア語、シリア語の物語である『カリラとディムナの物語』(『ビドパイの寓話集』としても知られる)は、Pakṣīや『パンチャタントラ』のいくつかの鳥の物語に近似している。これらの物語の中には、ギリシア語、アラビア語、ヘブライ語やスペイン語に翻訳されたものもある。大変人気の高い『鳥の会議(ペルシア語:Manteq at-Tair)』は、12世紀の詩人Farid ud-Din Attarの作であるが、構想や登場する鳥がPakṣī-prakaraṇamのそれに酷似している。    Syam PhathranuprawatとKusuma Raksamaniは、これらの原典と思しきインドの文献を広範に研究し、さらにはこれらをジャワ語の物語と比較してきた(しかし、仏教文献との比較は行われていない)。Kusumaの研究はNandakaprakaraṇamに集中しているが、彼はNandaka、Pakṣī、Maṇḍūka、Piśācaの諸文献が、タイ北部に1400年代の半ばにもたらされた事、また、これらがおそらくVasubhāgaの物語に由来する事を示しているが、Pakṣīの大部分はViṣṇuśarmanの系譜に連なるようである。これに相当するパーリ語文献は発見されておらず、北タイ語の写本はニッサヤ形式によって記されたものであり、これはパーリ語ではなく、サンスクリット語文献に由来する。中には、サンスクリット語の言葉がパーリ語に翻訳されている例もあるが、これらの文献の本格的なパーリ語訳は、北タイ語方言への翻訳と注釈より前には存在しないようである。Syamは、北タイ語やラオ語、タイ中央部の言語によるTantropākhyāna物語が全く異なるという点を強調している。Tantropākhyānaのタイトルは、サンスクリット語でTantrī、あるいはTantrū、ラオ語、タイ語、ジャワ語の物語では、Nang Tantai 、Nang TantraiあるいはTantriとされる女性の名前に由来するものである。この女性が王に様々な物語を聞かせた事によって、理論上では360編ほどの物語が伝わったとされているが、通常、東南アジアの物語集には80編から90編の物語のみが存在する。    Vetāla-prakaraṇam、あるいはタイ語で一般にNithan Wetanというこの物語は、タイで有名なものであり、過去数年間のうちに数編の現代版が存在した。それらは過去四世紀に渡って、ラオ語やタイ語で流布していたサンスクリット語の物語集の中の、20編から25編の物語を題材としたものである。この物語集は、サンスクリット語や幾つかの現代東南アジア言語の様々な物語に見出される。この最古の物語集には、どうやら25編の物語が収められていたらしく、10世紀頃よりVetālapañcaviṃśatiというタイトルが付けられていた。これは後にソーマヴェーダが編纂した『カタ―・サリット・サーガラ』に組み込まれることとなった。Theodore Riccardiは、ネパールで知られているJambhaladatta版の物語に関する学位論文を書いた。この物語11編のうち、人気の高い一編がRichard Burton作の「Vikram and The Vampire」となったが、Arthur Riderの「Twenty-Two Goblins」もまた、この物語の不完全な翻訳である。 この文献ではそもそも、これらの物語がVikramādityaという名の王によって語られたとされているが、この人物は東南アジアの写本では物語の作者と認識されている。   東南アジアの物語では、Vikramādityaは木に吊るされた死骸と一連の対話をする王である。これは生ける屍、もしくはヴェターラー(タイ語ではwetan)として知られるゾンビである。王はこのゾンビを捕らえて担ぎ、バラモンの預言者(サンスクリット語ではṛṣi、タイ語ではphra reusi)のところへ運び、この預言者から神秘的な力を授かろうとしている。ゾンビは繰り返し、王に様々な生き物にちなんだ広範で、しばしば、とても滑稽な物語に関する謎をかけては逃げてしまうのであった。ゾンビは王に謎をかけた後に(奇妙な事に、王に正解を当てさせておいて)王の肩を飛び下り、元通り木に登ってしまうのであった。例えばある物語ではオウムと九官鳥が、女と男ではどちらがより無知であるかと議論をする。九官鳥はある恩知らずな男の話をする。美しく裕福な女性に愛されながら、彼女から盗みを続け、彼女を捨ててしまった男である。オウムはある女の話をする。彼女は結婚しているにも関わらず、長い間、あるバラモンと浮気を続けている。ところがある日、このバラモンは彼女の部屋に忍び込んだ泥棒と勘違いされてしまう。彼女の召使いに頭を殴られた男が横たわって死にかけていると、女は彼を生き返らせるために、その口から息を吹き込もうと試みたのであった。しかし、彼は断末魔の苦しみから、図らずも彼女の鼻を食いちぎってしまった!彼女は自分の美貌が損なわれた事を夫のせいにした。この夫は彼女に非が無ければ、王に死刑にされていたところである。ゾンビは王に、男と女で本当に酷いのはどちらであるかと尋ねる。王は「女」と答えるが、その答えは何ら客観的な理由もなく、ゾンビが正解と見ていたものである。また別の物語では、あるバラモンの父母が、彼らの年若い息子の突然の死に悲しんでいた。彼らが息子の亡骸を墓地へ運ぶと、そこには年老いたヨーガ行者がおり、彼は初めにその子を見て泣いたが、その後、飛び上がって小躍りし、その子の亡骸に乗り移るために魔術を使った。両親たちは、自分たちの子供が生き返った様子を見て大喜びであった。しかし、その子は禁欲的なヨーガ行者として余生を過ごす決意をしたのである!ゾンビは王に、このヨーガ行者が初めに泣き、それから小躍りした理由を尋ねた。王は再び正しく答え、ヨーガ行者は自分の古い肉体を失う事を悲しみ、それから新たな若いバラモンの肉体を得る事に喜んだのであると言った。他にも恋愛や毒殺、遊女の話、魔法によって性が入れ替わる話など、謎かけ物語が多く存在する。この王とゾンビの物語の終わりに、ゾンビは人間や動物の習性に対する洞察から、その苦行者が王を殺し、ゾンビの力を利用せんとしている事を王に警告する。このゾンビは王を怖がらせるのではなく、最終的には王の命を救い、彼の霊的な味方となるのであった。  […]

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アスワンを探して―フィリピン社会の怪談・化け物・妖術師 東 賢

はじめに―1枚の絵画    数年前、福岡に行った際に、かねてより気になっていた福岡アジア美術館へと足をのばしてみた。充実したアジア各国の絵画・美術作品の展示の中で、フィリピン人画家カルロス・フランシスコの「教育による進歩」の前で、私は立ちすくんだ。フィリピンの教育と発展という啓蒙的なイメージが描かれる中で、切り離された上半身から内臓を垂らしながら、作品上部をノイズのように漂う異形の姿は、まぎれもなくアスワンだった。教育と発展の中で消え去るべき「迷信」のイメージが、そこには集約されていた。まさか、こんなところでまたアスワンに再会することになるとは。どうやらアスワンを探す私の旅は、まだ終わってはいないらしい。  アスワンの過去と現在   アスワンとは、フィリピンのとくに低地キリスト教社会において、民間信仰や口頭伝承の中に頻繁に現れる超自然的な存在である。多様に語られるアスワンの姿は、大きくまとめれば(a)吸血鬼、(b)内臓吸い、(c)獣人、(d)人喰い鬼(e)妖術師の5つに分類できるという[Ramos 1990]。私がカルロス・フランシスコの絵画の中にみたのは、「内臓吸い」の姿で漂うアスワンであった。さらに近年、メディアや都市伝説の中で、その姿はさらに多様さを増しているようである。    私がアスワンと出会ったのは、マニラのある大学で留学生活をしていたころだった。男子学生寮は4人ずつの相部屋で、各地からマニラへとやってきたフィリピン人学生たちは、忙しい勉学の時間の合間にも語り合ったり遊んだりすることを忘れず、賑やかな日々が続いていた。そんな中、深夜にベッドで眠りにつく前に、ルームメイトたちが静かに語る怪談話に耳を傾けるのも楽しみの1つだった。そして、そんな他愛もない怪談話の中で、アスワンはよく語られていた。地域差はあれど、アスワンについてはある程度定型化された語りのフォーマットがあるようで、異なった地域出身のルームメイトたちもその面白さと怖さを共有しているようだった。私は次第に、フィリピンの怪談という二重の異世界の魅力に引き込まれ、アスワンについてもっと知りたいと欲するようになっていった。    調べてみると、さかのぼればアスワンは、フィリピンへの植民者であるスペイン人の記した15世紀や16世紀の歴史資料にすでに登場していた。そこでは、カトリックを布教しようとするスペイン人宣教師の目から見た「原住民の迷信」として、またカトリックの神に反する「悪魔」として、アスワンは描かれていた[Plasencia 1903-9; Ortiz 1903-9]。それが、スペインとアメリカによる統治期、そして第2次世界大戦の日本による軍政期を経て独立の後、マルコスの独裁政権におけるナショナリズムの流れの中、アスワンはフィリピンの国民的な民間信仰や口頭伝承としての地位を獲得していく。中 でも、上述のラモスによる研究は、ほぼフィリピン全土にわたるアスワンの口頭伝承の収集、記録作業を行ったものであり、農村や漁村から都市部まで国家レベルでの信仰と伝承の流通と、その共通性と多様性がともに示されている。そのように、「国民的な化け物」としての地位を確立したアスワンは、さらにその語られるコンテクストを広げていくのである。  メディアの中のアスワン  「国民的な化け物」としてのアスワンは、地方の農漁村や山奥に身を隠しているだけではない。その姿は都市伝説の中で語られる、マニラのハイウェイを疾走する老婆の姿であったり、また出稼ぎ先の国外で邪悪な力に感染し、帰国後自分の子を殺し食べてしまう母親の姿であったりする。地域共同体の中で育まれてきたであろうアスワンについての想像力は、一地域を超えたナショナルなレベルで、またときに国境を超えたグローバルなレベルに展開しているのである。  またさらに、様々なメディアの中にもアスワンは頻繁に登場する。驚くべきは、タブロイド紙を中心に一般紙でもアスワンの出現が報道されることである(もちろんその「事実」が最終的に検証されることは稀であるが)。また、フィクションとしては、アスワンを取り上げたりモチーフにした小説やコミックなど数多く、さらに近年の特徴としてはテレビ番組や映画など、映像メディアの中でも扱われることが挙げられる。  国語であり共通語であるフィリピノ語で制作されたいわゆる「タガログ映画」の中に、アスワンを題材にしたヒット作がいくつかある。人気ホラー映画シリーズShake Rattle & Roll II (1990)に収録された”Aswang”や、2011年にもリメイク作品が制作されたAswang(1992)などが代表的なものであるが、近年はアスワンをモチーフにラブコメディ風に仕上げたAng Darling Kong Aswang(2009)やラブロマンスの要素を強くしたCorazon: Ang Unang Aswang(2012)などジャンルも横断的になっている。  アスワンの故郷?   日常生活の中で、また現代的なコンテクストにおいても、アスワンが頻繁に語られ描かれる中で、その表象がある特定の一地域と関連付けられる傾向がある。それは、西ビサヤ地方のパナイ島にあるカピス州を「アスワンの故郷」だとする語りである。    私がカピス州の州都ロハス市で、2000年ごろから長期滞在調査をすることになったのも、「カピスがアスワンの故郷だ」という語りを多く、マニラの友人たちから聞いたのが理由である。日本人の大学院生がなぜかアスワンに興味を持ち、それを研究の対象にしようとしていることを聞くと、皆口をそろえて「カピスがアスワンの故郷だ」と、私に意味ありげに告げるのである。そのようにいわれる何かがカピス州にあるのか、という関心から、私はカピス州ロハス市での長期滞在調査を実施することを決定した。    ところが、いざロハスに到着して、アスワンについて聞きまわっていると、人々の反応は好ましくなく、非協力的で、ときに暴力的なまでの反感を抱かれることもあった。アスワンについては語りたくないという態度から、カピスにはアスワンなどいないという反応まで、とにかく私の聞き取り調査はことごとくうまくいかなかった。その調査の不調の理由を知ったのは、しばらく経った後、ロハス市内にあるカピス州の地方新聞社を訪れたときである。週刊の新聞のバックナンバーを調べていると、そこには90年代の半ばごろから数カ月に1度のペースで、アスワンに関する記事が掲載されていた。それら記事の主題は、「アスワンの故郷」という外部からの表象に対して、それを受け入れるのか、否定するのかというものだった。とくに、1999年に全国公開された映画Sa […]

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นักเวทย์ และการเมือง ในอินโดนีเซีย

       ราวกับว่าเป็นผู้แอบซ่อนในรถไฟทางการเมือง บทบาทของนักเวทย์ หรือ Shaman” มักจะไม่ถูกกล่าวถึงอย่างชัดเจนในการศึกษาเรื่องการเมืองหลังยุกปฏิวัตาการเมืองการปกครองของอินโดนีเซีย จากการศึกษาที่ผ่านๆมาจะเน้นไปในเรื่องของ หลักของเหตุผล และวัตถุประสงค์ซึ่งเป็นพื้นฐานของการเมือง ในความจริง นักเวทย์ หรือ Shamanได้เข้ามามีมีส่วนเกี่ยวของกับการแข่งขันเพื่อช่วงชำอำนาจทางการเมืองของอินโดนีเซีย และมีบทบาทที่ไม่สามารถจะถูกละเลยได้ นักเวทย์ จะถูกว่าจ้าง เพราะความเชื่อที่ว่า นักเวทย์จะช่วยนำมาส่งโชคลาภ และความปลอดภัยให้กับผู้ที่ลงสมัครเลือกตั้ง เพื่อที่ชิงอำนาจทางการเมือง  เนื้อหาที่กําลังจะกล่าวต่อไปนี้ จะนำเสนอบทบาทของนักเวทย์ที่มีต่อการเมืองยุคใหม่ในอินโดนีเซีย แต่ไม่ได้มีเจตนาจะแสดงให้เห็นถึงให้เห็นถึงพลังอำนาจ ลี้ลับของนักเวทย์แต่อย่างใด ความตั้งใจของข้าพเจ้าคือ เพื่อจะชี้ให้เห็นบทบาทของนักเวทย์ในการแข่งขันทางการเมือง ที่กลายมาเป็นปรากฏการณ์ โดยไม่ได้คำนึงถึงการเติบโตของสำนักวิจัยโพลที่ได้รับการพิจารณาว่าเป็นบรรทัดฐานของประชาธิปไตยสมัยใหม่ของอินโดนีเซีย  นักเวทย์ในยุคการปกครองสมัยใหม่  ” หรือ ชามานนิซึ่ม เป็นปรากฏการณ์ทางสังคมที่ไม่ได้อยู่ไกลไปจากการดำรงชีวิตประจำวันของชาวอินโดนีเซีย บุคคลผู้ซึ่งถูกเชื่อว่ามีพลังอำนาจวิเศษ จะใช้เวทย์มนต์เพื่อก่อให้เกิดประโยชน์หรือเป็นไปตามที่ผู้ร้องของได้ขอไว้ […]

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ドゥクンとインドネシア政治

         スハルト政権崩壊後のインドネシア政治研究では、インドネシア政治という電車の無賃乗客のように、ドゥクン(呪術師)の存在は拒否され扱われてこなかった。政治においては、合理的で客観的だとされる側面にばかりこれまで関心が寄せられてきた。しかし、とりわけインドネシアの政治闘争においてドゥクンを利用するという現象は古くから続いてきたのであり、到底無視することなど出来ない。ドゥクンが重宝されてきたのは、政治闘争で彼らを用いれば、ドゥクンの利用者に権力と安寧をもたらすと信じられているからである。    この小論考では、現代政治におけるドゥクンの役割を描きたいと考えている。ただし、本稿はドゥクンのもつ呪術的な力が実在するのかどうかを経験論的に証明しようとするものではない。本稿は、多くの事例にみられるドゥクンを利用するという現象は、インドネシアの政治闘争とは切っても切り離すことが出来ず、現代民主主義の試金石ともみなしうる世論調査機関が乱立するようになった今でもそのことは当てはまるのである。  スハルト政権期におけるドゥクン    社会現象としてのドゥクンは、人々の日常生活とは無縁なものではない。ドゥクンとは呪術的な力とエネルギーを持つと信じられ、自分のために、或いは他者の依頼を受けて、密かに、そして、謎めいた方法でその力とエネルギーを使うもののことである。その力とエネルギーにより、対象となる人物の救済や健康の回復を行う場合もあれば、その逆に、対象となる人物に恐怖心を引き起こしたり、災厄をもたらしたりする。    一般に、「白いドゥクン」と「黒いドゥクン」がいることが知られているが、その区分 はまったくもって社会的文脈しだいである。「白いドゥクン」は救済や回復の祈願など、「善」を目的とするものであり、「黒いドゥクン」は他人を傷つけるだけでなく、殺害までも行う、「悪」を目的とするネガティブなものである。    ドゥクンはその行為類型で分類することもできる。たとえば、人間と精霊を媒介するドゥクン・プレワガン(dukun prewangan)、助産ドゥクン(dukun beranak)、災厄除去するドゥクン・シウェル(dukun siwel)、さらには人体に金・ダイヤモンド・クリスタル石から作られた細い針を埋め込むことで美容・権威・権力を確約するドゥクン・ススック(dukun susuk)もいる。呪文やハーブによって治療を行うドゥクン・ジャンピ(dukun jampi)、ドゥクン・サンテット(dukun santet)、ドゥクン・テルゥ(dukun teluh)、ドゥクン・テゥヌン(dukun tenung)は呪術で敵対者に災厄をもたらすことができる。dukun leak (バリ)、dukun minyakkuyang(南カリマンタン)など、インドネシア各地に特有のドゥクンの呼び名がある。    一方、政治におけるドゥクンとは、ドゥクンの利用者が政治において、とりわけ地方首長直接選挙のような政治闘争において、利得や勝利をもたらすことを約束する。政治現象としては、ドゥクンの存在は、独立以降の近代民主主義の展開と軌を一にしてきた。インドネシア政治におけるドゥクン現象に関する学問的な記録はほとんどないが、政治ドゥクンは政治のダイナミクスにおいて一定の地位を占めており、新秩序期には権力の一翼を担っていた。地方政治アクターたちのみならず、「大人物(orang besar)」としてのスハルトもこの灰色の世界と密接な関係を持っていたと言われている。    当時、ABG、すなわち国軍(ABRI)、官僚(Birokrasi)、ゴルカル(Golkar)からなる比較的シンプルなパターンに基づいて政治的リクルートが行われていたものの、ドゥクンの入り込む余地がなかったわけではない。実際には、ドゥクンは特別の地位を保持していたものの、秘匿とされていたのであった。権力者の「承認」を獲得することがカギであったため、ドゥクンの仕事はこの閉じられたダイナミクスの中で「承認」を得るための方法やアクターを見出すことであった(mbah Limリム老師へのヒアリングに基づく。2012年1月17日、シドアルジョにて)。ドゥクンとは、信頼に足る助言者として重要な存在とされていたのである。また、ドゥクンは政敵、あるいは将来政権にとって脅威となる政治仲間を排除するためにも用いられた。ドゥクン・サンテットであるキ・グンデン・パムンカス(Ki Gendeng Pamungkas)は政治家や権力者の取り巻きから、その政敵のみならず、いずれ「悪巧み」をしうる同僚に呪術をかけて生命を奪うよう依頼されることもよくあると述べている。    スハルトのリーダーシップにおける神秘的な側面は、確かにジャワのリーダーシップに関する文化から説明できよう。しかしながら、社会事実としてそのリーダーシップは精神的・霊的助言者に故意に依存していたのである。スハルトのリーダーシップを「守護する」忠実なドゥクンたちも存在した(Liberty, 1-10 Juni 1998)。全国に少なくとも「1000人のドゥクン(seribu […]

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Shaman and Politics in Indonesia

The role of the shaman is barely mentioned in the spotlight of political studies of post New Order Indonesia. The fact is, shaman has been involved in contestation for power in Indonesian politics and thus, its role cannot be ignored. […]

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Dukun dan Politik di Indonesia

       Seperti penumpang gelap dalam kereta api politik Indonesia, dukun dinafikkan dan tersembunyi dari gegeran studi politik pasca Orde Baru. Perhatian banyak sekali tercurah kepada aspek-aspek yang dianggap rasional dan obyektif dalam Pemilu. Padahal, fenomena […]

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Bunuh Diri di Kalangan Anak dan Remaja Indonesia

Kyoto Review of Southeast Asia. Issue 12: The Living and the Dead (October 2012) Gejala bunuh diri di kalangan anak dan remaja di Indonesia nampaknya dari tahun ke tahun semakin meningkat. Fenomena ini baru menjadi perhatian […]

Issue 12

Suicide Among Indonesian Children/Teenagers

       Suicide among Indonesian children/teenagers is apparently increasing every year. This phenomenon started to catch the public attention only after 1998. Komnas Anak (National Commission for Child Protection) in its 2012 mid annual-report mentions that […]

Issue 12

การฆ่าตัวตายในกลุ่มเด็กและเยาวชนชาวอินโดนีเซีย

       การฆ่าตัวตายในกลุ่มเด็กและเยาวชนชาวอินโดนีเซียเพิ่มขึ้นทุกๆปีอย่างเห็นได้ชัดเจน ปรากฏการณ์การฆ่าตัวตายเริ่มมาเป็นที่สนใจของสาธาราณชนภายหลังจากปี ค.ศ.1998 ในรายงานประจำปีของ Komnas Anak (กองคุ้มครองสวัสดิภาพเด็กและเยาวชนแห่งชาติ อินโดนีเซีย) ระบุว่าช่วงระหว่างเดือนมกราคม ถึงเดือนกรกฎาคม ครึ่งปีของ ปี 2012 มียอดการฆ่าตัวตายของเด็กและเยาวชนถึง 20 ราย Arist Merdeka Sirait คณะกรรมการกองคุ้มครองสวัสดิภาพเด็กและเยาวชนแห่งชาติ อินโดนีเซีย กล่าวถึงสาเหตุของการฆ่าตัวตายทั้ง 20 รายว่า 8 รายมีสาเหตุมาจากมีปัญหาในเรื่องความรัก 7 รายประสบปัญหาทางเศรษฐกิจ 4 รายมาจากปัญหาครอบครัว และอีก 1 รายมาจากปัญหาเรื่องการเรียน โดยอายุของเด็กที่ฆ่าตัวตายตํ่าสุดอยู่ที่ […]

Issue 12

インドネシア における 子供 ∙ 若者の自殺

          近年、インドネシアにおいて子供や若者の自殺が増加しているといわれる。この現象は1998年に初めて注目を浴びた。国家子供保護委員会(Komisi Nasional Perlindungan Anak, Komnas Anak )は、2012年上半期の報告書において、2012年1月から7月までに子供の自殺が20件あったと報告している。アリスト・ムルデカ・シレイト(Arist Merdeka Sirait)同委員会会長は、この20件の自殺について、その主な原因が、失恋(8件)、経済的問題(7件)、家庭内不和(4件)、学校での問題(1件)であったと述べた。また、20件のうち最も若い自殺者の年齢は13才であった。  自殺に関する全国的な統計はないが、2012年前半までの傾向をみると、子供や若者の自殺は、2012年末までに全国的にさらに増えるかもしれない。こうした多くの子供や若者たちの自殺は、実に痛ましい問題である。インドネシアの子供や若者の世界では一体何が起きているのだろうか。インドネシアで子供や若者の自殺が増えている原因は何であろうか。なぜ彼・彼女らは自殺を決意したのだろうか。これらの問いに答えるためには、より深い考察が必要であるが、本稿ではインドネシアの地方文化に焦点を当て、ジョグジャカルタ州グヌンキドゥル県にみられる文化的背景から子供や若者の自殺という現象について考えてみたい。  プルンガントン    ジョグジャカルタ州グヌンキドゥル県は、インドネシアにおいて子供や若者の自殺が最も多い地域として知られている。過去5年間の統計をみると、確かに自殺件数はかなり多い。地元の警察によれば、2011年における子供や若者による自殺の件数は28件であった。また、専門家間対話フォーラム(Wahana Komunikasi Lintas Spesialis)によると、グヌンキドゥル県における自殺の割合は10万人に9人である。ちなみに首都ジャカルタにおける自殺の割合は10万人に1.2人である。    グヌンキドゥル県には、「プルンガントン」とよばれる、この地方特有の概念がある。この概念は、人が自殺をする理由に関する民間信仰に由来している。この信仰によると、人は夜、空から「pulung」あるいは「wahyu」とよばれる星がふってきたと感じて自殺をするのである。「pulung」は彗星のような尾を持つ丸い光のかたまりであり、黄みを帯びた赤色で、青い光を放っている。この星は、とてつもない速さで自殺をする人の家あるいは家の近くに落ちていく。自殺をする人は首をつって(gantung)自殺することから、この伝承は「pulung gantung(プルンガントン)」と呼ばれるようになった。    「プルンガントゥン」は、誰かが自殺をすると口伝えで広まり、その自殺は自然なものであり、なんら疑う余地がないとして正当化される。しかし、住民たちは、その人が自殺に至る前には大抵何か解決のできない個人的な悩みや問題があったのだという事実を否定することはない。そうした問題は、大抵は住民たちの間で周知されている。個人的な問題には、例えば、不治の病、借金苦、進路問題、失恋などがある。    この信仰は、例えば、次の事例にもみることができる。2011年12月24日、シシリア・プトリ(Cicilia Putri)という15才の女子中学生が首をつって自殺をした。住民たちは、彼女が自殺をする数日前に、彼女の家の周辺に丸い光が尾を引いて空から落ちてきたと信じていた。しかし、西ジャワ州バンドンに住む彼女の両親は、彼女が彼氏にふられたために自殺をしたのではないかと考えている。    グヌンキドゥル県の「プルンガントン」信仰は、運命を自然に起きたこととして受け入れる文化が形成される過程の一部を示したものといえる。こうした自殺は周辺住民の間で、すでに再生産された知識となっており、理性や感情を抑えることぐらいでは解決できなくなった日々の問題をどうやって解決するかを教えてくれる「教材」になっている。 人生の意味をめぐる危機と国家政治    すでに多くのメディアで語られているように、インドネシアにおいて自殺は単に経済的な問題を理由に起きるわけではない。また自殺者の家族的背景が、経済的に困窮した家庭や教育レベルの低い家庭、または農村家庭であるとは限らない。子供や若者の自殺は大都市でも起きており、また、比較的裕福な家庭や教育レベルの高い家庭の子供たちにも見られる。経済的状況や教育レベルによって、人がストレスから解放されたり、人生における問題を理性的に解決することができるという保証はない。    グヌンキドゥル県の例は、自殺の動機に経済的問題があると読み取ることもできるが、上述したように経済的問題がない子供や若者の自殺の場合は異なる意味合いをもっている。つまり、子供や若者は何か問題に直面したときに、理性や感情のコントロールでは越えられない複雑な現実を目の当たりにし、問題の解決法として近道を選んでしまうのである。    こうした自殺の意味合いは、インドネシアにおける1998年以降の社会・政治的変化の文脈の中で、より一層大きくなっている。権力闘争に明け暮れる地方行政官は、子供や若者の問題に注意を払わなくなっていた。また、本来子供の成長と想像力を養う重要な役割をもつ家族は、今日さまざまな問題に直面している。父親や母親は、政治闘争や人間関係の希薄化など社会生活における複雑な問題に対処するのに忙しく、子供と一緒にいる機会をもてないでいる。21世紀におけるインドネシアの課題は、子供たちの理性や感情の成長発育にとって最適な状態と空間をどう提供していくかにある。  […]