アスワンを探して―フィリピン社会の怪談・化け物・妖術師 東 賢

Azuma Kentaro

      

はじめに―1枚の絵画 

  数年前、福岡に行った際に、かねてより気になっていた福岡アジア美術館へと足をのばしてみた。充実したアジア各国の絵画・美術作品の展示の中で、フィリピン人画家カルロス・フランシスコの「教育による進歩」の前で、私は立ちすくんだ。フィリピンの教育と発展という啓蒙的なイメージが描かれる中で、切り離された上半身から内臓を垂らしながら、作品上部をノイズのように漂う異形の姿は、まぎれもなくアスワンだった。教育と発展の中で消え去るべき「迷信」のイメージが、そこには集約されていた。まさか、こんなところでまたアスワンに再会することになるとは。どうやらアスワンを探す私の旅は、まだ終わってはいないらしい。 

アスワンの過去と現在

  アスワンとは、フィリピンのとくに低地キリスト教社会において、民間信仰や口頭伝承の中に頻繁に現れる超自然的な存在である。多様に語られるアスワンの姿は、大きくまとめれば(a)吸血鬼、(b)内臓吸い、(c)獣人、(d)人喰い鬼(e)妖術師の5つに分類できるという[Ramos 1990]。私がカルロス・フランシスコの絵画の中にみたのは、「内臓吸い」の姿で漂うアスワンであった。さらに近年、メディアや都市伝説の中で、その姿はさらに多様さを増しているようである。 

  私がアスワンと出会ったのは、マニラのある大学で留学生活をしていたころだった。男子学生寮は4人ずつの相部屋で、各地からマニラへとやってきたフィリピン人学生たちは、忙しい勉学の時間の合間にも語り合ったり遊んだりすることを忘れず、賑やかな日々が続いていた。そんな中、深夜にベッドで眠りにつく前に、ルームメイトたちが静かに語る怪談話に耳を傾けるのも楽しみの1つだった。そして、そんな他愛もない怪談話の中で、アスワンはよく語られていた。地域差はあれど、アスワンについてはある程度定型化された語りのフォーマットがあるようで、異なった地域出身のルームメイトたちもその面白さと怖さを共有しているようだった。私は次第に、フィリピンの怪談という二重の異世界の魅力に引き込まれ、アスワンについてもっと知りたいと欲するようになっていった。 

  調べてみると、さかのぼればアスワンは、フィリピンへの植民者であるスペイン人の記した15世紀や16世紀の歴史資料にすでに登場していた。そこでは、カトリックを布教しようとするスペイン人宣教師の目から見た「原住民の迷信」として、またカトリックの神に反する「悪魔」として、アスワンは描かれていた[Plasencia 1903-9; Ortiz 1903-9]。それが、スペインとアメリカによる統治期、そして第2次世界大戦の日本による軍政期を経て独立の後、マルコスの独裁政権におけるナショナリズムの流れの中、アスワンはフィリピンの国民的な民間信仰や口頭伝承としての地位を獲得していく。中 でも、上述のラモスによる研究は、ほぼフィリピン全土にわたるアスワンの口頭伝承の収集、記録作業を行ったものであり、農村や漁村から都市部まで国家レベルでの信仰と伝承の流通と、その共通性と多様性がともに示されている。そのように、「国民的な化け物」としての地位を確立したアスワンは、さらにその語られるコンテクストを広げていくのである。 

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メディアの中のアスワン 

「国民的な化け物」としてのアスワンは、地方の農漁村や山奥に身を隠しているだけではない。その姿は都市伝説の中で語られる、マニラのハイウェイを疾走する老婆の姿であったり、また出稼ぎ先の国外で邪悪な力に感染し、帰国後自分の子を殺し食べてしまう母親の姿であったりする。地域共同体の中で育まれてきたであろうアスワンについての想像力は、一地域を超えたナショナルなレベルで、またときに国境を超えたグローバルなレベルに展開しているのである。 

またさらに、様々なメディアの中にもアスワンは頻繁に登場する。驚くべきは、タブロイド紙を中心に一般紙でもアスワンの出現が報道されることである(もちろんその「事実」が最終的に検証されることは稀であるが)。また、フィクションとしては、アスワンを取り上げたりモチーフにした小説やコミックなど数多く、さらに近年の特徴としてはテレビ番組や映画など、映像メディアの中でも扱われることが挙げられる。 

SRR_small国語であり共通語であるフィリピノ語で制作されたいわゆる「タガログ映画」の中に、アスワンを題材にしたヒット作がいくつかある。人気ホラー映画シリーズShake Rattle & Roll II (1990)に収録された”Aswang”や、2011年にもリメイク作品が制作されたAswang(1992)などが代表的なものであるが、近年はアスワンをモチーフにラブコメディ風に仕上げたAng Darling Kong Aswang(2009)やラブロマンスの要素を強くしたCorazon: Ang Unang Aswang(2012)などジャンルも横断的になっている。 

アスワンの故郷?

  日常生活の中で、また現代的なコンテクストにおいても、アスワンが頻繁に語られ描かれる中で、その表象がある特定の一地域と関連付けられる傾向がある。それは、西ビサヤ地方のパナイ島にあるカピス州を「アスワンの故郷」だとする語りである。 

  私がカピス州の州都ロハス市で、2000年ごろから長期滞在調査をすることになったのも、「カピスがアスワンの故郷だ」という語りを多く、マニラの友人たちから聞いたのが理由である。日本人の大学院生がなぜかアスワンに興味を持ち、それを研究の対象にしようとしていることを聞くと、皆口をそろえて「カピスがアスワンの故郷だ」と、私に意味ありげに告げるのである。そのようにいわれる何かがカピス州にあるのか、という関心から、私はカピス州ロハス市での長期滞在調査を実施することを決定した。 

  ところが、いざロハスに到着して、アスワンについて聞きまわっていると、人々の反応は好ましくなく、非協力的で、ときに暴力的なまでの反感を抱かれることもあった。アスワンについては語りたくないという態度から、カピスにはアスワンなどいないという反応まで、とにかく私の聞き取り調査はことごとくうまくいかなかった。その調査の不調の理由を知ったのは、しばらく経った後、ロハス市内にあるカピス州の地方新聞社を訪れたときである。週刊の新聞のバックナンバーを調べていると、そこには90年代の半ばごろから数カ月に1度のペースで、アスワンに関する記事が掲載されていた。それら記事の主題は、「アスワンの故郷」という外部からの表象に対して、それを受け入れるのか、否定するのかというものだった。とくに、1999年に全国公開された映画Sa Piling ng Aswang(アスワンの国)の中で、カピス州に実在するパニッタンという町の名前が用いられたことに対して、映画を非難するという町議会の決議をはじめとして、「アスワンの故郷」という表象についての強い反発が州内から、また州外在住の出身者によって表明されている。 

  しかし他方、「アスワンの故郷」というネガティブなイメージを観光資源としてポジティブに逆利用しようとする「アスワン・フェスティバル」開催への動きも、同じ時期に起こっていた。もともとはマニラの旅行会社から提案されたフェスティバル開催案は、90年代を通じて州議会で議論されたのち、カトリック教会なども含む反対派の強い反発にあい、私の滞在中には沈静化しているようだった。「アスワン・フェスティバル」はその後、若手のアーティストらを含むDugo Capiznon Inc. によって、ハロウィーンのイベントとして2004年に実施された。そして、3年間の実施期間の後、カトリック教会の根強い反対と、市議会の協賛を得られなくなったため、中止することになった。ここでは、単なる迷信や怪談だとされるはずのアスワンをめぐって、具体的な地域や人々の、政治・経済・宗教的な争いが生じているのである。 

村落内の妖術師 

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  さらに、アスワンが具体的な地域や人々に深く影響を与える状況が存在する。それは、妖術師としてのアスワンへの信仰や伝承が、村落内でのある特定の人物への差別や排除と結び付く状況である。先述のラモスのアスワン5分類のうち、「妖術師」とは「共同体の中に住み、邪悪な力で他の人々を病気にしたり殺したりする存在」[Ramos 1990]である。 

  カピス州をめぐる内外のアスワン表象の対立について調べていたころ、私は偶然にも、滞在していたロハス市郊外の村落で、複数の人物がアスワンだと噂されている状況に遭遇した。アスワンについての調査を、当初は好ましく思っていなかった滞在先の家族や近所の人たちだったが、私の関心が学術的なものであることを理解するにしたがい、アスワンについての情報を共有してくれるようになっていった。その中で、滞在先の村落に居住している2名の人物について、アスワンだという噂があるということがわかってきたのである。 

  2名の人物と近隣の住民の間には、特に表面的に何か衝突が起こったり、あからさまな問題が生じることはない。しかしながら、滞在村落での生活を続けていくうちに、2名の人物が社会的弱者として排除的な状況におかれていることがわかってきた。2名のうち1名は未亡人であり、零細な漁労活動で生計を立てる中、漁で通常であれば得られるはずの親族や友人からの協力が得られず、また魚介類の販売についても顧客関係の構築に困難を抱えていた。もう1名は、妻を亡くした高齢者の男性であり、事故によって歩行が困難な障がい者となりながら、親族や友人からの扶助が十分に得られない困窮状況にあった。これら差別や排除とよびうる状況は、必ずしも2名がアスワンであると噂 されていることと直接的な因果関係があるわけではない。しかしながら、本人たちの前では公然と語られることのない「アスワンである」という噂は村落内で継続しつつ、本人たちへの排除的状況も同時に継続している。このような、単なる噂話とアスワンについての信仰や伝承が結びついたとき、具体的な人物が現実的な差別や排除を受けることを正当化するような暗黙の了解が成立するのである。 

おわりに―「進歩の中の迷信」

  フィリピン社会の文化・社会的諸事象を調査しながら、私がアスワンからどうしても離れることができないのは、それがカトリックからみた悪魔でも、単なる怪談話や噂話でも、ホラー映画に登場する化け物でも、それらとても周縁的にみえるものの中に、リアルな人々の生がつねに立ち現われてくるからである。 

  そもそも植民地的な状況において、アスワンはすでに駆逐すべき異教的なものであった。また、その後の近代化における進歩や発展の啓蒙的物語の中でも、余分で不必要で消滅するはずのものと思われていた。まさに、カルロスの作品の中で、教育がもたらす発展の中心的なイメージに対して、見落としてしまいそうな作品の周辺部を漂うのが、「迷信」としてのアスワンの姿である。 

The artist  Carlos V. Francisco

The artist Carlos V. Francisco

 

  だが、ここまでみてきたように、メディアや移動が可能にする幅広い想像力の中で、アスワンはこれまで以上に多様な姿を、多様なコンテクストの中で展開している。またメディアの中でのアスワン表象が、一地域の社会・経済・宗教的現実に影響を与えている。さらには、村落内の差別や排除という微視的な状況において、特定の人物の生についても、アスワンについての信仰や伝承が深くかかわっている。  

  こういった「迷信」がいつまでもリアルな存在感を持ち、進歩や発展の跡を影のようにつきまとう状況を横目で見ながら、フィリピンの社会や文化を理解する上で、アスワンを探し続けることがどうも避けては通れないものであるような気がしている。  

注記:アスワンについて、紙幅の関係上、詳細な資料やデータを提示することはできなかった。それらはすべて拙著[東 2011]の第1部に収録されている。 

 

 東 賢太朗
名古屋大学 

Kyoto Review of Southeast Asia. Issue 12 (September 2012). The Living and the Dead

文献 

東賢太朗 2011 『リアリティと他者性の人類学―現代フィリピン地方都市における呪術のフィールドから』三元社
Ortiz, P. T. 1903-9 Superstitions and Beliefs of the Filipinos. In The Philippine Islands, 1493-1898. 55 volumes. E.H. Blair and J.A. Robertson (eds.), vol.43: pp.103-112. Cleveland: A.H.Clark.
Plasencia, J. 1903-9 Custom of the Tagalogs. In The Philippine Islands, 1493-1898. 55 volumes. E.H. Blair and J.A. Robertson (eds.), vol.7: pp.173-197. Cleveland: A.H. Clark.
Ramos, M. D. 1990 The Aswang Complex in the Philippine Folklore. Manila: Phoenix Publishing House. 

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