保留状態に生きる: イスラームの法的ディスコースにおけるインドネシア人クィアたち への規範に基づく暴力の感情的側面
インドネシアで同性愛と宗教に関する議論が脚光を浴びるようになったのは、最近、国内で規範から逸脱したセクシュアリティを罪に問う、二つのイスラームの法的提言が発表された後であった。この二つの展開のうち、最初のものはアチェ州におけるシャリーア法施行下での刑事条例の可決である(Gaystarnews.com, 29/09/2014)。同条例には、同性愛行為を行って捕まった者に対し、公開の場でむち打ちの罰を与えるという規定がある。2つ目は、インドネシア・ウラマー評議会(Majelis Ulama Islam:MUI)のメンバーによる布告(Gaystarnews.com, 15/03/2015)で、同性愛を「墜落した行為」とし、これが死罪に値すると明言したものである。これら二つの法的展開は、誰にも分かる立法過程を経ており、異なる地政学的状況下で起きたものである。しかし、私の分析では、これらを一括りに捉え、特に1998年以降のポスト・レフォルマシ(改革)時代のインドネシアでの、セクシュアリティの規範的秩序を構成しているイスラーム正統主義の一部とみなす。 2014年の9月後半に、アチェ州議会によって可決された刑事条例(Qanun Jinayat(アラビア語の「刑法」にあたる))で特記すべきは、同性愛行為(つまり、liwath:男性同士のアナルセックスや、musahaqqah:女性たちが性的快楽のために互いの身体を「ラビング」する事)によって捕まった者が、公開の場で最高100回のむち打ちに値すると定めていることである。現地の役人の話では、公開の場でのむち打ちは、単なる体刑というよりも、むしろ、これに携わった者たちに恥をかかせることが目的であるという。2009年には、当時の州知事イルワンディ・ユスフ(Irwandi Yusuf)は、当初のアチェでの刑事条例案が姦通に対する石打ちの刑を含んでいたため、同条例への署名を拒否した。このため、アチェ州議会は以後五年間にわたり、刑事条例を書き直してきた。アチェでは、2005年に長年に渡る軍事作戦地区指定が解除され、和平協定が締結された。その一環で中央政府はアチェがシャリーア法制度を新たに適用することを認め、この制度のもとで反同性愛条例が制定された。当初、シャリーア法は「価値観」の表現と称され、厳格な実施を伴わないと言われていたが、実際にはシャリーア法は厳格に施行されてきている。道徳警察部隊(Wahdatul Hisbah)が結成されたのはその証拠であり、この部隊がアチェ社会の監視を行い、シャリーア法のさらなる厳守を強要している。 一方、MUIはイスラーム組織で、彼らの法律上の見解(アラビア語ではファトワ(fatwa))は、しばしばインドネシア国家と社会により、イスラーム法、神学、倫理や道徳規範に関する知識の権威筋と見なされている。インドネシアの執行府も立法府も、MUIのファトワの内容を、国家の法案の法源一つと考えている。法的拘束力は無いものの、MUIの布告はしばしば、宗教的マイノリティやその他のマイノリティの人々に対する暴力行為を正当化するために用いられる。その例が、2011年のアフマディア派宗教運動のメンバーに対する暴力であった。私はこれら二つの正統派の法的布告を、西欧世界で同性愛についての市民権が発展し、差別禁止法が生まれていることへの反発の兆候と見ている。ただし、本論ではこの点について更に検討はしない。 予め言っておけば、私は、イスラーム正統主義は、イスラームを唯一の存在範疇とするという本質主義者的な解釈をすると考えている(Asad 1986)。西洋におけるクィアの諸権利のディスコースでは、こうした本質主義的な解釈が、しばしば、抑圧を生み、暴力的文化慣行の源((Dhawan 2013))となっているという烙印を押され、後進的なるイスラーム世界を象徴するものとしても用いられてきた(Massad 2002)。タラル・アサド(Talal Asad)(1986)に倣い、私は、イスラーム正統主義は、イスラームという主要な信仰への多面的理解のなかの一つの見方にすぎないと考えている(Schielke 2010)。イスラームというのは、「複数の意見の単なる集合ではなくて、明確な関係性、権力関係」を持っている。ムスリムたちが正しい実践が何かを規制し、正しい実践を支え、要求し、あるいは正しい実践を調整していく権力を持つようなところ、また、間違った実践を非難し、辞めさせ、その土台を掘り崩し、あるいは置き換える権力を持つようなところであれば、(イスラーム正統主義は)どこにでも存在する(Asad 1986: 15-16)。こうした権力がどれほどの意味を持ち、規範的秩序となっていくのかを明らかにしなければ、インドネシアだけでなく、より広く東南アジアのコンテキストにおいても、相互依存の進んだ世界において特有な形を持って現れる性的排除と不平等の姿を理解できないと考えている。 本論における分析の焦点は、インドネシアにおける法律上のイスラームの同性愛者観を明らかにし、そして、こうした見方がムスリムのクィアたちへの一般的な感情をどのように形成しているかを明らかにすることである。政治がインドネシアのムスリムのクィアたちの感情に与える影響を調査するという、私のより大きな研究プロジェクトの一環として、宗教と同性愛の力学における感情的側面に焦点を当てることで、支配的であるディスコースについての研究、つまり、伝統的に、フォーマルな法的意見や実践、イデオロギーの記述が支配的であった研究を一歩でも推し進めることができるはずである。 インドネシアのセクシュアリティの現代史における規範に基づく暴力 エブリン・ブラックウッド(2007)は、インドネシアでの同性愛に対する現代の統制が、三つの歴史的段階に分かれると述べている。まず1980年代には、スハルトの新秩序体制下の国家は、大多数が「信心深いイスラーム信者である」、「正常化された、再生産をする市民を創出すること」でセクシュアリティを統制した(Blackwood 2007:294)。ブラックウッドはさらに、国家とイスラーム指導者たちが一緒に作り上げてきたセクシュアリティにまつわるディスコースが、性的権利を支持する国際的圧力に応じて変化したのが1990年代の10年間であったとした。三つ目は1998年のスハルト政権崩壊以降の時代である。この時代は保守的なイスラームの指針が押し付けられた時代で、これには国家刑法典におけるより厳しい法律や、法的に正当な行為を明確にし制限するリストを作ることで異性愛結婚を法制化するといった直接的な試みも含まれている。その一方で、同意に基づく成人の同性愛行為への法的位置づけは曖昧なままである。この最後の時代に、ブラックウッドはまた、国家がどこまで規範的秩序を定めるのかについての国民的議論が巻き起こり、ある種の「モラル・パニック」を引き起こしたとも述べている (2007: 303)。不安定な社会経済状況に加え、政治の地方分権化、競合するエスノ・ローカルな政治的課題に基づく多党制の出現から生じた難題に直面し、国家は「道徳規範」に依って、反動的な立法を行うことで、一般生活では安定しているとの印象を作り上げざるを得なかったのである。 ポスト・レフォルマシのインドネシアではまた、日常生活において、規範から逸脱したセクシュアリティやジェンダーに対する、宗教的に動機づけられた敵意の増幅もみられた。物理的襲撃を含め、さまざまな暴力の行使が、ますます、LGBTQ(レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダー、トランスセクシュアルやクィアたち)のパーティーや公開イベントを標的とするようになっている(参照Thajib, 2014)。トム・ブルストールフ(Tom Boellstorff)(2004)は、この新たに生まれつつある暴力の行使を「政治的同性愛嫌悪」の一種であるとし、誰が国民であるかについての支配的な男性優位主義的かつ、異性愛を規範だとする論理に対して、規範から逸脱した人々が脅威とみなされていることが原因だと述べている。次章では、インドネシアでのこの新たな状況への最近の対応について論じる。 根強い国民感情にどう対処するか 「モラル・パニック」という表現で使われる「パニック」、「政治的同性愛嫌悪」という表現で使われる「嫌悪」という言葉は、メタファーとしてよく使われるにすぎないとはいえ、そうした言葉が使われること自体が、感情を組み込んで規範的秩序が作り上げられていることを意味している。ジャニス・アーヴィン(Janice Irvine)(2009)は、アメリカにおける性教育をめぐるモラル・パニックの分析で、このことを明らかにしている。アメリカの性教育は、公的なディスコースにおいても、恐れや怒り、憎悪や反感といった嫌悪感を示す感情的な表記を含んでおり、そうすることで、最も重要と考えられる規範的道徳の形を強調している。実際、ディスコースの一種としての規範的秩序には、「感情を組織化してまとめ上げることで生み出される公共性を生み出す力を持っている」(Irvine 2009, 247)。 アーヴィンの記述を読むと、保守的な政府関係者や聖職者たちが、いかに感情的ディスコースを持ちだして、自分達自身に道徳的権威があることを示しつつ、同性愛の欲望や行為を非難するかがよく分かる。同様のことは、2014年の終わりに、刑法(Qanun Jinayat)が可決される前のアチェで起きた。バンダアチェの副市長イリザ・S・ジャマル(Illiza […]