“Raya Kita”:タイ南部のマレー系ムスリムと国王

Anusorn Unno

2011年に子供の日のお祭りが、ヤラー県ラーマン郡(the Raman district)のLa Meng 1校で開催された。このお祭りの様々な催しには、ゲームや出しもの、くじ引き、屋台、景品や表彰式などがあった。いくつかの国家機関や軍部から送られた「山のような贈り物」に加え、その年のお祭りを特別にしていたのは、生徒たちの“Rayo Kito”(あるいは、マレー語の標準語では“Raya Kita”、意味は「我らが王」)の合唱会であった。この歌は、国王が臣下たちのために、いかに献身的にたゆまぬ努力を行ってきたか、またそれに応じて、臣下たちがいかに彼を敬愛してきたかという事を歌ったものである。この歌を子供の日のお祭りに歌う事で伝えようとしているメッセージは、マレー系ムスリムの生徒たちも、この国の他の者達と同じように国王に感謝し、彼を愛しており、その事に彼らの民族や宗教の違いは関係ないという事だ。

Busaという5年生の子供の父親は次のように述べた。子供の日のお祭りは、今なお続く騒乱が2004年に勃発して以来、国家機関から多くの支援を受けるようになったが、国家から厳重に監視されるようにもなった。兵士たちがAPC(装甲車)や軍のピックアップトラックでやって来たのは、単にプレゼントやアイスクリームを渡すためだけではなく、その催しが防衛方針に沿うものであるかどうかを確認するためでもある。生徒たちがお返しに“Rayo Kito”を歌ったのは、彼らが国王と国を愛し、これに忠実である事を、国家の要請通りに示すためであった。そこで彼が続けて言うには、この出しものは額面通りに受け止められぬものであり、学生たちの中には、国王の事を歌の通りに尊敬する者たちがいたとしても、他の者たちは歌詞など全く意識しておらず、歌えと言われたから歌ったまでなのであった。

マレー人ラジャ

La Mengの住民たちは、マレー人ラジャ(あるいはRaya)を、カリスマを持った無敵の人物と見ている。彼らの間に膾炙する一つの物語では、あるラジャが森の中を従者と共に旅していた時、一頭の象に出くわし、これに攻撃を仕掛けられた。ラジャは力を籠め、素手のままでこの象を打ち倒したのである。この物語が広く流布し、ラジャを手強い人物と印象付けた。また、ラジャたちは超自然的な存在と関係している事から、守らなくてはならない幾つかの食事規定がある。彼らが食べられないものは、筍と数種類の魚であり、これらを口にすると彼らの力は消えてしまう。また、彼らがカリスマ性を持つと同時に無敵である事は、臣下たちに愛と恐れを抱かせる。

マレー文化専門家のMengは、住民たちがラジャに対して相反する感情を抱いていると言う。村人たちが好感を抱いているのはRamanの支配者たち、中でもTok Niであり、彼は村の設立に重要な役割を果たした事で知られている。村人たちが祖霊やその他の精霊の儀式を行う際は、必ずRamanの支配者達に敬意が表される。だが、彼らの先祖は数名のRamanの支配者達を、その残忍さゆえに恐れていたのである。一つの物語によると、Raya Sueyongという、ケダ州を逃れ、Ramanの支配者の娘と結婚した者は、常に料理人たちに命じ、料理を作る際に彼の何人かの臣下の肉を入れさせていたという事だ。また別の物語によると、あるRamanの支配者は、彼に贈られたジャックフルーツの一部が欠けている事に気が付き、兵士たちに誰がそれを取ったのかと尋ねた。ある妊婦が、つわりのためにそれを食べた事を知った後、彼は兵士達に彼女の腹を裂いてジャックフルーツを取り出すよう命じた。また同じ様に、彼はある側室が王宮からこっそりと抜け出していた事を知ると、彼女の脚を切断させたのであった。

Mengは、マレー人臣民達のマレー人支配者に対する恐れが、シャム人の国王達にまで拡大されたのだと付け加えた。彼は次のように言った。「マレー人臣民達がシャム人の国王達を恐れた理由は、これらの王達が遠方に住み、彼らが一度も王達を見た事が無かったためでもある。彼らは王がどのような者達であるのかを知らなかったのだ。さらには、あるシャム人の王が、以前この地域にKhun Phanを送ってマレー人盗賊の成敗に当たらせた事があり、この事が地元のマレー人達にシャム人の国王をより一層恐れさせる事となった」。Mengの話が正しいとすると、疑問は、なぜ現代のマレー人達が、タイ国王、とりわけプミポン国王を愛しているのか、という事だ。

タイ国王 2

シャム国境が定められるや否や、その支配層エリートたちが没頭した事は、領内の異なる民族や宗教の人々を結びつける方法を見い出す事であった。これが極めて重要であったのは、フランス人達が民族を口実に、ラオ族やクメール族を仏領インドシナに属すると主張し、その支配を拡大させていたためである。そのような民族理論に直面し、ラーマ五世とその顧問達は、シャム国内に住む人間は、一定の基準、とりわけ、国王に忠実であるという基準を満たす限り、タイ国家に属するものとの考えを示した。ラーマ五世の「包括的」国家建設計画は、ラーマ六世から、ラーマ七世、ラーマ八世の治世の間、国の政変によって中断される事となったが、ラーマ九世、すなわちプミポン国王の治世に再開される事となった。

プミポン国王は、あらゆる民族・宗教の違いを超越した存在と称されていた。彼は一仏教徒でありながら、憲法上はイスラム教をも含む諸宗教の擁護者なのであった。この結果、イスラム教徒が国家イデオロギーの「宗教的」範疇への適合を、後者が仏教と強く結びついている事から困難に感じていても、「国王」の範疇においては、支持と保護を見い出すのである。同様に、彼は一タイ民族でありながらも憲法上は国家元首であったし、ごく最近は祖国の父として知られ、その慈悲は民族によらず、全市民に注がれるものとされていた。マレー民族は、国家イデオロギーの「国民」の範疇への適合を、後者のタイ民族との結びつき上、困難に感じていても、「国王」の範疇には、同じく支持と保護を見い出すのである。したがってこの範疇は、マレー系ムスリムの人々がLa Meng住民の事例のような民族的・宗教的差別で悪評高い仏教国家、タイの領内に住む事を可能としているものである。

Mengは、マレー人ラジャに馴染みがあった事に加え、住民達がプミポン国王を難無く尊敬する事ができた理由には、彼に対する住民達の認識の仕方が関係していたはずだと言った。一概に、住民たちはプミポン国王に対して無関心であったが、彼の支配下で虐げられているとは感じていなかった。彼らは国家当局、特に公安当局を嫌っていたかもしれないが、彼らがそのような当局、あるいは政府を、国王に結びつける事はなかった。Kak Dahは、国家支援を受ける数多くの団体の一員であるが、彼女は国王が民族や宗教に関して差別的であるとは思わなかったが、特定の国家当局は差別的だと感じていたと主張した。彼女はこれに加え、次のように言った。「タイ人だけが国王を愛しているのではありません。マレー人も国王を愛しています」。6年生のAsrohは、彼が国王に対して全く問題を感じていない理由を次のように主張した。「国王は僕らマレー人に良くして下さる。イスラム教徒にも良くして下さる」。また住民たちの中には、数名の王族メンバーに関する批評やうわさ話をした者はいても、プミポン国王に対する嫌悪を私の前、あるいは人前で口にした者は一人もいなかった。彼らの愛はさておき、プミポン国王を神のような人物として神秘化する事は、住民たちが答えるべき神学的、宇宙論的疑問を投げかけている。

Bhumibol was crowned King of Thailand on 5 May 1950 in the Baisal Daksin Throne Hall in the Grand Palace in Bangkok.

我々はミスター・キングを愛している」

ある日、我々が道端の東屋に腰をかけてお喋りをしていた時、私はKak Dahに、式典用の大皿に刻まれた“เรารักนายหลวง”(Rao Rak Nay Luang、我々は国王を愛している」)の文中の“เรา” (Rao、我々)という語が何を意味するものであるかと尋ねた。「マレー人の事です」と彼女は言った。そこで私は彼女に、一見したところ、主にタイ民族のために考案されたような文章を用いる事に不快感はなかったのかと尋ねてみた。すると、彼女は「いいえ、マレー人が国王を愛したって問題はありません」と言った。そこで、式典用の大皿準備を手伝ったKak Mohという人にKak Dahと同意見かと尋ねてみると、彼女はそうだと答えた。彼女は「タイに住んでいるのだから、私たちもタイ人です」、と付け加えた。この姿勢は、その東屋にいた他の人々にも分かち合われた。

“เรา” (Rao)という語の意味は明快であるが、“นายหลวง” (Nay Luang)という言葉は違う。“นายหลวง” (Nay Luang)は、実は“ในหลวง” (Nai Luang)のスペルミスであり、これはタイ人がプミポン国王を呼ぶ際の言葉である。Mengと二人きりになった時、彼が“Nay Luang”をどういう意味で使ったのかと尋ねてみると、彼は「国王」と言った。私がさらに、彼が“นาย” (Nay)をどういう意味で使ったのかと尋ねると、彼はこの語が使用される言語によって、二つの異なる意味を持ち得る事を説明してくれた。タイ語では、“นาย” (Nay)はミスターの意味で、“นายหลวง” (Nay Luang)という言葉はつまり、「ミスターLuang」の意味であり、国王を意味する事もあれば、そうでない事もある。だが、マレー語の“นาย” (Nay)は、“Toh Nay”という、タイ人仏教徒官僚を指す言葉の一部である。“หลวง,” (Luang)と組み合わさると、マレー語の“นาย” (Nay)は官僚長、すなわち国王の印象をもたらす。だが、Mengは続けて、“Toh Nay”が前世代のマレー人たちによって用いられた事を考えると、大皿を作った若者たちが“นาย” (Nay)を「ミスター」の意味で用いた可能性の方が高い、と言った。また、“หลวง” (Luang)が通常は国王に結び付けられる事を踏まえ、Mengは大皿を作った者達の多くが、おそらくは“นายหลวง” (Nay Luang)で、「ミスター・キング」を意味したのであろうと言った。

Mungの説明を念頭に置き、私は大皿を作った他の人々に同じ質問をしてみたが、同じような答えが返って来た。Kak Dahは、彼女が“นาย” (Nay)を「ミスター」の意味で使ったのは、国王が「男性」だからだと言った。彼女はこれに付け加え、地元のマレー人達の“Toh Nay”は発音が違い、それゆえ“นาย” (Nay)が“Toh Nay”を意味するのではないとも言った。同様に、Asrohは“Toh Nay”、あるいは“Toh Nae”というマレー語をほとんど聞いた事がないため、彼にとっての“นาย” (Nay)は、「ミスター」を意味するタイ語であると主張した。さらに、Kak DahとAsrohは共に、“หลวง” (Luang)が国王を意味する、あるいは国王に関するものを意味する事を認めた。そのような事から、これらの大皿を作るマレー人達にとって、“นายหลวง” (Nay Luang)はタイ語の、逐語訳では「ミスター・キング」を意味する言葉なのであった。

“นายหลวง” (Nay Luang)という言葉が国王を示しつつ、字義通りの意味合いでは「ミスター・キング」である事実は重要である。たとえ憲法上では諸宗教の擁護者と目されていたにせよ、プミポン国王を神のような人物として再神秘化するには、ヒンドゥー教やバラモン教と関連した王室儀礼が行われたのである。彼の神話的、神学的諸要素が住民たちの問題となる理由は、ムスリムである彼らには、アッラー以外のいかなる至高の存在も認められないためである。この、“เรารักนายหลวง”すなわち、「我々はミスター・キングを愛している」という文は、彼らがその宇宙論の中にプミポン国王を受け入れつつ、教義を曲げずにいる事を可能としているのだ。第一に、この「愛している」という語は、親密な関係を示すものであり、厳粛な礼拝や崇敬の行為を示すものではない。第二に、この「ミスター」という語は、人間的な存在を指すものであり、神や超自然的存在を示すものではない。これらを考え合わせると、「我々はミスター・キングを愛している」とはすなわち、至高の存在に対する崇拝行為というよりも、親密な人間関係の表現なのである。プミポン国王からその神話的、神学的要素を取り去る事が、彼をムスリムの秩序の中に組み入れる事を可能としているのである。

御代の後

プミポン国王の死は、タイ政治に変化をもたらしただけでなく、マレー系住民のタイ国王との関わり方にも影響を及ぼした。神秘化の過程はすでに始まっているが、ワチラロンコン国王が彼の父のように神のような人物となるには時間がかかる、とマレー系住民も含む彼の臣民たちは見ている。この空位期間の間にマレー系住民が答えを出さなくてはならぬ問題は、至高の存在に関するものではなく、むしろ、人間に関する問題であるのかもしれない。

タマサート大学
社会・人類学学部長
准教授

Anusorn Unno

Issue 22, Kyoto Review of Southeast Asia, September 2017

Banner image— Krabi, southern Thailand – October 2016: Thai mourners take picture after the Mourning Ceremony of King Bhumibol Adulyadej at Krabi Provincial Hall

References

Anusorn Unno

2011 “We Love Mr. King.”: Exceptional Sovereignty, Submissive Subjectivity, and Mediated Agency in Islamic Southern Thailand. A PhD Dissertation, the University of Washington.  
2016 “‘Rao Rak Nay Luang’: Crafting Malay Muslims’ Subjectivity through the Sovereign Thai Monarch,” Thammasat Review. Vol.19, No.2 (July – December).

Notes:

  1. 情報提供者の安全とプライバシー保護のため、人名および村名は匿名とする
  2. 本章以下は、主にAnusorn 2011, 2016.より引用