Issue 17 Mar. 2015

タイにおける不平等と政治 

よく知られているように、『アメリカの民主主義』の記述において、アレクシス・ド・トクヴィルは「境遇の平等」をアメリカの民主主義の基本でだと言明している。これはタイには当てはまらない。というのも、境遇の不平等こそが、タイの民主主義を規定しているからだ。したがって、トクヴィルの言葉を次のように言い変える事ができる。タイの不平等は社会の動きに甚大な影響を与える。それは国家イデオロギーに一定の方向を与え、法律にある傾向を付与し、為政者に従うべき原則を与え、被治者に特有の習性をもたらす。この不平等の影響は政治や法律を超え、はるか広範に及ぶ。それは世論を創り、感情を生み、慣習を導き、それと無関係なものすべてに修正を加える。タイの不平等は根源的事実であり、全てはそこから生じる。 貧困、所得と不平等 タイにおける経済的、政治的な不平等は、お互いを強化し合う関係にある。それは高度経済成長の利益をエリート達が占有する過程で生まれた。エリートの特権の保護が、排他的で権威主義的なエリート支配の政治構造を生み出しているのだ。1950年代以降の高度経済成長期の大半を通じた独裁的政権の支配が、資本主義の発展を促し、資本家や中産階級を生んだ一方で、政治的権利は制限されてきた。成長は貧困を削減したものの、不平等は依然として高水準にとどまっている。つまり、成長は多くの者達に利潤をもたらしはしたが、資本家階級とその仲間たちがその利益を占有していたのである。 成長が不平等の減少をもたらさなかったのは、所得の増加が富裕層に集中していたためである。0.45から0.53というジニ係数は、1980年代以来、高い水準にとどまったままで、その他の富の測定値も同じような結果である。2007年のデータによって明らかとなったのは、トップ10%の家族が富の51%以上を保有する一方で、下の50%は8.5%の富を保有するにすぎないという事だ。土地や家屋、その他の財産については、人口のわずか10%が私有地の約90%を所有している。別のデータは労働から資本への所得再配分を示すもので、労働の生産性向上に伴い、利益が増加した事で、大いに資本が蓄えられている。2011年の後期まで、低迷した実質賃金がこのパターンの一部であった。. 不平等をどう説明するか この搾取と不平等のパターンは、長い間存在してきたものである。事実、研究者たちは上述のデータと似たようなデータを、数十年の間、引用してきたのだ。1960年代にBellは、貧しい東北地域から巨額の黒字が移転され、この地域を「低開発地域化」させた事を明らかとしたが、これは生産者たちが低賃金と不十分な農業利益で搾取されていたためであった。 30年後にはTeeranaが、貧困削減が所得格差を縮めないという結論を出し、タイにおける不平等が、他のアジア諸国よりも高い事を示した。 なぜ不平等は存続するのか。最良の答えは、国の政策と資本の構造的な力にある。 国家と政策 政策の研究は長年に渡る農村部と都市部の分断を指摘している。国家主導の産業化の結果、より多くの労働者階級が生じたが、資本集約度が高かったため、産業部門は農村部から都市部に出稼ぎに来た移住者たちを吸収できなかった。結果、巨大なインフォーマルセクターの中で、労働者達が国家の限定的な福祉制度の外に取り残される事となった。国家の再配分の対象が小規模なフォーマルセクターに限定されたことで、ますます不平等になった。 同様に、国家の教育投資も都市部に集中してきた。経済が急成長した時代、国家の教育のための支出は、長い間、低いままだった。1960年代の農民や労働者達が人口の85%を占めていた頃に、大学生の15.5%のみが、これらの階層出身であった。1980年代の半ばには、この割合が低下し、わずかに8.8%となった。つまり、下層階級は低賃金や単純労働を脱するための出世街道から除外されていたわけである。 課税政策も貧困層に対して差別的であった。製造業の保護によって農業は冷遇され、また何十年ものあいだ、米の逆進税が地方から都市に富を移転させてきた。1990年代まで、一連の逆進税を通じて富裕層は課税制度から利益を得てきた。2012年の国家の財政政策および支出は、金持ち贔屓にとどまっていた。これらの諸政策の影響によって、貧者から富者への再配分が行われてきたのである。 これらの諸計画を補完してきたのが、政府や企業によって継続されてきた低賃金・高収益政策で、これが富を資本家へと移転してきたのである。 階級と権力 この低賃金・高収益政策の継続に必要となる政治権力は、国家と企業との一連の戦略であり、法律や政策、イデオロギー、そして抑圧にまつわるものである。高度経済成長期の大半を通じ、サバルタン(従属的社会集団)を巡る政治は限定的で、しばしば厳しく抑制されてきた。このような階級に根差した戦略は、選挙政治を制限することで権威主義的体制を維持せんとするものであった。 恩顧主義、あるいは「金権政治」は、カネという特定の利害にもとづく政治的な支持を集める事によって、不平等に対する政策上の注目をそらすものになった。少なくとも2001年まではこれが支配的な傾向だった。選挙が行われた時に、あまりに多くの政党が関与する事となったため、連立政権は常に弱く短命であったし、関与した政党が地元の補助金以上の政策を展開させることは一度も無かった。この政策が多数派を締め出し、代議制を無力な状態に保ち、軍部と王室の支配を可能としてきたのである。その結果、不平等は政界のエリートたちから顧みられず、排除された集団は再配分問題に対する計画的な配慮よりも、むしろ排他主義的な政治利益を受け入れざるを得なかったのである。少なくとも、タクシン・シナワットが2001年に当選するまではそうであった。 不平等への対応 不平等とそれを維持する構造に対して異議が唱えられている。ごく最近では、2009年と2010年に行われ、長期に及んだ赤シャツ派の抗議が、そのような異議の一つであった。2006年のクーデターを拒絶する大勢のなかで、民主化に関する論争に不平等が関連付けられるようになった。この関連付けは、一連の政治・経済的危機、すなわち1991年の軍事クーデターに始まり、続く1992年5月の市民蜂起、そして1997年に長く続いた急成長が終焉した結果として生じたものである。1997年の憲法は、その結果として誕生したものであり、これが政治支配を変える事となった。 1997年憲法の下で選出された唯一の政権は、2001年と2005年のタクシン政権であった。1998年に結成されたタクシンのタイ愛国党(TRT)が、選挙で人気を博したのは、その政策が貧困層のための改善を公約するものであったためである。農民の借金返済の猶予や、地域レベルのソフトローン、さらに政治上、最も決定的となったものが国民皆保険であった。これは初めて政党が公約とし、実行に移しさえした、計画的で普遍的な貧困・福祉対策計画であった。1997年に始まった景気の低迷が、エリートたちの力を弱めた。彼らの社会的対立に対する懸念は、彼らがタクシンと大衆たちとの政治取引に甘んじるに足るものであった。 TRTが並外れた人気を博したばかりか、有権者たちは、より対応力のある政府も可能であるという事に気が付いたのだ。これらの結果がエリートたちを動揺させた。王党派は国民選挙で選ばれた政治家たちを恐れ、タクシンを危険と見なしたが、これはタクシンが王室と張り合うような人気を確立させるかと思われたためである。2005年のタクシンの地滑り的再選を受け、枢密院議長のプレーム・ティンスーラ―ノンのような、王室寄りの人間は、君主制の政治的中心性が低下することを脅威と見た。この認識が、未だに終わらぬ選挙政治制限のための政治闘争を解き放つ事となった。保守派は、政治が最高の制度たる王制と共に機能すべきだという彼らの見解に、選挙が脅威になると考えた。彼らは選挙政治を、社会的、政治的秩序における王政の基本的役割を損ねるものと見なした。タクシンはまた、現状に異を唱えるにあたって官僚制度に揺さぶりをかけ、これを民選政治家や国民たちのニーズに答えるものとした。官僚たちの入れ替えや、諸大臣のリストラに際し、タクシンは自分のひいきの人物達を昇進させたが、この事は、数十年の間、国民たちを支配する事に慣れた高級官僚にとっては脅威であった。同様に、タクシンは資本家階級に挑み、国内のビジネスがより競争的なものとなる事を要求した。反対派はこれについて、シナワットの一団が競争力を得ていると考え、この経済力再編を危険であると考えたのだ。 タクシンは十分な自覚のないまま、エリート政治同盟である王室、軍部、企業に脅威を与え、また伝統的階級制を順守せぬ事で危険視される事となった。タクシンの下層階級への配慮は、数々の保守的、階層的、権威主義的諸勢力が、彼の政権に立ち向かう事を意味したのである。この結果が2006年のクーデターだ。クーデターは、この論争を終わらせはしなかった。赤シャツ派、その他のタクシン支持者たちが、王室と軍部に敵対したためである。2010年の新たな選挙を要求し、赤シャツ派は長期抗議行動を行ったが、その政治的レトリックは地位や不平等に的が絞られていた。 抗議者たちは周知の通り、被支配者である庶民を意味する古語、「プライ(phrai)」によって自分達を位置づけ、これに対する語として「アマット(amat)」、「支配階級の貴族」の語を用いた。彼らは法律の二重基準や、アマットたちの政治権力独占、さらには不平等に対して感じる深い憤りを強調した。赤シャツ派は急進的だという主張にも関わらず、彼らの要求は革新的であった。「我々が望む自由な資本主義国家は、金持ちと貧者の格差が縮小された国家である。我々は貧者のために、より多くの機会を作りたい。」という具合だ。この階級と地位に対する訴えがエリート層を怒らせたのは、特にこの抗議がサバルタンの団結を無視できぬ程にまで高めたためである。 この団結は政治動員と投票パターン、そして経済データの一致に反映されていた。投票パターンは低所得と貧困率に一致し、最貧困地域である北部と東北部、それに中央部の数県、さらにはバンコク周辺の労働者階級の暮らす地域で、一貫して親タクシン派政党への投票が行われた。平均的な一人当たりの県内総生産は、2007年にエリート層の支持する民主党に投票した県では、親タクシン派政党を支持する県に比べると、ほぼ2.4倍高かった。 不平等の政治 相対的に低い所得、歪んだ所有制、そして既存富裕層への所得の吸い上げ、これらが示すものは、長期的な搾取のパターンである。この搾取に対する抵抗はあったが、それらがこのパターンを変化させる事は無かった。エリート層は大抵、そのような「反逆」に、抑圧をもって応じてきた。この抵抗の結果、抗議者たちが1973年、1992年、2009年、そして2010年に、要求した通りに選挙政治がもたらされた際、その一つの結果となったのが恩顧主義の政治であり、これは文民政治家たちが不正で腐敗しているとの中傷を許容するものであった。この中傷が軍部や王室の干渉による抑圧や権威主義、エリート支配の再建を可能としている。エリート層は統治する際、その統治権を強調し、排他的概念である秩序や権威、道徳を引き合いに出す。このシステムの中心には、王政が不可欠であり、エリート層は王の道徳的権威と共に統治するという主張が存在する。 このイデオロギーを疑問視する者達が、繰り返し要求したのが、政治的代議制度と、深く根付いた搾取に挑む政策であった。中でも注目すべきは、選挙政治に対する粘り強い支持の存在である。2006年のクーデター以来、選挙が許されると、大勢の有権者たちが集まり、繰り返し、親タクシン政権への回帰が行われてきた。これは単なる親タクシン主義にとどまらず、選挙政治やサバルタンの利益を代表すると見られる政党の支持をも意味している。農村や労働者階級の有権者たちは、どうやら恩顧主義政治を拒み、あまり階級的でも搾取的でもない、より良い社会が築かれる事を望んでいるようだ。 赤シャツ派の多くの者たちにとって、民主主義はクーデターではなく、選挙政治を意味するようになった。また、不平等は裁判所から政治権力に及ぶ様々な舞台での「二重基準」と見なされた。正式の赤シャツ隊は「政治権力が真にタイ国民に属する」国家を要求したのである。彼らが望んだのは「公平で公正な国家」であり、「国民が貴族的寡頭政治(アマット)から解放され、誇りと自由と平等を有する」国家である。 これらの自由や正義、平等に対する要求は、政治体制の支配によって苦闘を経験してきた。このような要求への対応に、エリート層は司法手段を、軍部は銃を用いてきたし、王党派は度重なるデモを行ってきた。結果、2014年5月22日に軍事クーデターが生じ、これによって王党派エリート以外の政治家を弱体化させ、選挙政治を後退させようとしている。 結論 もし、トクヴィルが現在のタイにタイム・トラベルしたならば、彼は初期のアメリカ民主主義の特徴となり、その社会を構築していた「境遇の平等」を見出す事はできないだろう。むしろ、彼が目にする事になるのは、とてつもなく破壊的な、社会的、政治的、経済的制度の影響であり、これが不平等を維持すべく構築されている様子であろう。 Kevin Hewison西オーストラリア州 パース マードック大学 アジア研究センター 経営・管理学部(School of Management & Governance)Email: […]

Issue 17 Mar. 2015

ความไม่เท่าเทียมและการเมืองในประเทศไทย

ในนิพนธ์ชื่อ Democracy in America นั้น อเล็กซิส เดอ ท็อกเกอร์วิลล์เสนอแนวคิดอันโด่งดังว่า “ความเท่าเทียมของเงื่อนไขโดยรวม” คือรากฐานของประชาธิปไตยแบบอเมริกัน สำหรับประเทศไทยนั้นตรงกันข้าม เพราะคำนิยามของประชาธิปไตยแบบไทยๆ ก็คือ ความไม่เท่าเทียมของเงื่อนไขโดยรวม หากปรับถ้อยคำของท็อกเกอร์วิลล์มาใช้ เราอาจกล่าวได้ว่า ความไม่เท่าเทียมของประเทศไทยมีอิทธิพลอย่างล้นเหลือและขับเคลื่อนวิถีทั้งหมดของสังคม มันเป็นตัวชี้นำทิศทางให้อุดมการณ์รัฐและสร้างความหมายเฉพาะแก่กฎหมาย ให้คติพจน์แก่กลุ่มอำนาจที่ปกครองประเทศและแบบแผนความประพฤติแก่ผู้อยู่ใต้การปกครอง อิทธิพลของความไม่เท่าเทียมแผ่ออกไปพ้นการเมืองและกฎหมาย มันสร้างความคิดเห็น ก่อให้เกิดอารมณ์ความรู้สึก ชี้แนะกิจวัตรประจำวันของชีวิตและปรับเปลี่ยนอะไรก็ตามที่มันไม่ได้สร้างขึ้นเอง ความไม่เท่าเทียมของเงื่อนไขในประเทศไทยคือความจริงพื้นฐานที่เป็นต้นตอของทุกสิ่ง ความยากจน รายได้และความไม่เท่าเทียม ความไม่เท่าเทียมทางเศรษฐกิจและการเมืองในประเทศไทยเป็นเงื่อนไขที่เสริมกำลังให้กันและกัน ทั้งนี้เป็นผลมาจากการที่ผลประโยชน์ของความเติบโตทางเศรษฐกิจอย่างรวดเร็วตกอยู่ในเงื้อมมือของชนชั้นนำ การหวงแหนรักษาอภิสิทธิ์เหล่านี้ไว้ก่อให้เกิดโครงสร้างทางการเมืองที่มีลักษณะกีดกันและถูกครอบงำจากชนชั้นนำอำนาจนิยม เกือบตลอดช่วงเวลาที่มีความเติบโตทางเศรษฐกิจอย่างรวดเร็วนับตั้งแต่ทศวรรษ 1950 เป็นต้นมา ระบอบการปกครองแบบอำนาจนิยมครอบงำประเทศ ส่งเสริมระบบทุนนิยมและฟูมฟักชนชั้นนายทุนกับชนชั้นกลาง ในขณะเดียวกันก็จำกัดสิทธิทางการเมือง […]

Issue 17 Mar. 2015

香港における雨傘運動 ― 経済問題から物質主義の拒否まで

2014年9月の下旬、何千人もの人々が、香港の大通りの占拠を始め、これが2カ月以上に及んだ。抗議者たちは、オキュパイ・セントラル:愛と平和で中環を占領せよ(讓愛與和平佔領中環)運動の呼びかけに応じたものであるが、この運動は真の民主主義が否定されれば、市民的不服従も辞さぬと警告したものである。この運動が起きたのは、8月31日で、この時、全国人民代表大会(全人代)常務委員会は、行政長官の普通選挙実施を制限しようとする決断を発表した。 ついに学生達が道路封鎖を始めたのは、一週間に渡るストライキの後であった。平和的な抗議者達が催涙ガスで迎えられたため、何万人もの香港人たちが通りへ繰り出し、行き過ぎた暴力が、学生やその他の活動家たちに向けられた事に抗議する事となった。抗議者達が雨傘で身を守った事から、これが雨傘運動として知られるようになった。この熱心な抗議活動の噴出は、過去の抗議と同じく、経済問題の影響を受けたものであったが、それと同時に、これは主として物質主義に反対する運動でもあり、真の普通選挙のための自己犠牲を強調するものであった。 香港の所得不平等は先進諸国中で最も高く、困った事に、その格差は今も拡大を続けている。ジニ係数は不平等を測定する指標で、1996年にはその数字が既に憂慮すべき0.52であったが、2011年には0.54にまで増加している。これはかなりビジネス主導の非民主的な政治制度が、大物実業家たちに偏った力を与える一方で、大量の貧困層を顧みなかったためである。労働組合は極めて弱く、雇用者たちのために多くを得る事ができず、雇用者たちはストライキをすれば、激しい競争環境の中で失職するのではないかと怯えている。多くの人々が超過密環境で暮らしているが、その中には、あまりに狭いため、背筋を伸ばして座る事もできぬようなケージホームも含まれる。最近、この問題への対策として、最低賃金の導入や公式貧困線の設定などがあるが、これらは問題を阻止する上では、ほとんど役に立っていない。その訳は、これらの手段が極めて不十分であるという事実で、例えば最低賃金の30香港ドル(2014年12月現在)は、食費や家賃の支払いに足るものではない。 しかし、大変な不平等にもかかわらず、香港の民主化抗議は、最悪の影響を被る人々が先導するものでも、主に経済的不平等に関連するものでもない。むしろ、その第一の目的は、高度な市民的自由の維持と民主主義的機構の設置によって市民を保護する事である。この民主主義運動は、主に高度な教育を受けた中間所得層に根差すものである。そのため、この運動の起源を、専門的な職業に就く人たちが主な原動力となった1970年代の圧力団体政治に求める事ができよう。返還後、社会問題が増々目につくばかりとなったが、これは比例代表制の導入により、多数の新政党が出現するようになったためである。この目的は、かつて強大であった民主党の弱体化にあったが、これが目標や戦略をめぐり、汎民主陣営内に多くの深い分裂をもたらす事となった。汎民主派政党の中には、今日、さらなる富の再配分を呼びかけるものも存在するが、大企業主たちの間では、彼らの利益に対する民主化の悪影響への不安が高まっている。例えば2014年の10月20日には、元実業家の行政長官が、「ひと月の収入が1,800米ドル以下の香港の半数の人々」の代表とならねばならぬ事を不安だと述べている。 つまり、運動の原動力となっている根本的な要因は、不平等とは直接関係がなく、むしろ社会的流動性の低下や、生活の質の悪化に関する事柄であり、中産階級に最大の影響を及ぼすものである。2003年には、これら諸問題の対処における政府の無能ぶりと相まって、香港人の基本理念である公民権までもが失われるのではないかと恐れられた。この引き金は、政府が基本法第二十三条に基づく治安法を提案した事であり、これには言論と集会の自由を損ねる恐れがあった。その結果、およそ50万の人々が、香港島の中心地区のいたる所で行われた大規模集会に参加する事となった。政府は結局、この法案を見送り、さらには一年後の別の大規模抗議の後、董建華行政長官も辞任する事となった。 多くの人々にとって、路上での抗議運動が、政治的意思決定の過程に働きかける事のできる唯一の手段となった。毎年、大小多数の抗議運動が行われている。毎年恒例の7月1日の大規模集会の他にも、1月1日の集会や、6月4日のキャンドルライト・ビジルがある。後者は毎年行われ、1989年の天安門事件の犠牲者達を偲ぶものである。このような毎年のイベントの外にも、多くの抗議運動がより自発的に企画されている。例えば2009年の反高速鉄道路線デモや、2012年の反国民教育デモなどがある。これらの抗議運動はいずれも、ユース・アクティビズムの復活を示すもので、その原動力となっているのはソーシャル・メディアや、社会政治問題に対する意識の向上である。これらの抗議運動はまた、香港のアイデンティティの強化を反映するものでもある。深い文化的、経済的、政治的な違いから、多くの香港人たちは自分達が本土から疎外されていると考えており、また同時に、中国からの大量の移民や旅行者たちの流入による悪影響も受けている。彼らが生活費上昇の一因となっている事から、彼らを「イナゴ」と中傷するものがあっても驚くにはあたらないだろう。 最近の雨傘運動には、過去の民主化を求める抗議運動との共通点がいくつかある。真の民主主義に対する要求の背後で、主な推進力となった学生と学者の両者は、非常に遅い政治改革の進捗に苛立ち、この街の未来に深い懸念を抱いた者達であった事。参加者の大半が中間所得層の出身で、深刻な社会問題の最悪の影響を被る者達ではなかった事。事実、汎民主派の労働組合によって市の全域における労働者ストライキが提案されたが、これが実現する事はなかった。現実に、大半の労働者達は、なけなしの給料に頼って生存しており、進んで職を賭す気などないという事である。したがって、所得不平等はむしろ、学者たちの間での懸念となっている。活動家たちにとって、より気がかりな事は、昇進の機会が希薄になり、住宅費のせいで、前の世代よりも良い暮らしをする事が非常に困難になっている事実なのであった。 この運動はまた、一つの重要な側面において、過去の大半の抗議運動とは異なっていた。経済問題を強調する代わりに、この雨傘運動は、物質主義と金儲け文化に対する典型的な拒絶を示していたのだ。それは、より理想的な目標を志すもので、真に民主的な社会を発展させ、人々が互いを信頼できるような社会にするといった事である。多くの特筆すべき出来事が、運動のこの特質をひときわ目立たせている。例年7月1日に行われる民主化支持のデモは、多くの政党や非政府組織によって寄付金集めに利用されるものであるが、この2ヵ月に及ぶ占領は、これには相当せぬものであった。物売りは一人もおらず、ステッカーやポストカードも無料で配布されていた。Tシャツや雨傘でさえ、製造原価で売られていた。その上、無料で水や菓子、温かいスープを配給所からもらう事もできた。参加を思いきれなかった多くの香港人たちは、支えとなる巨額の資金を配給所に寄付したのであった。 もう一つの重要な違いは、この雨傘運動が芸術や手工芸品を重視する場であったという事実で、これらのものは通常、金権主義社会では軽視されている。政府は自分達が経済の四大支柱と考えるもの(金融業務、通商および物流、観光業、工商業支援と専門サービス)を第一に重視してきたため、製造業や文化産業が顧みられなかったためである。抗議デモの主会場で、雨傘広場と呼ばれる会場では、ボランティアたちが自作の学習コーナーを設けたり、来場しやすいよう、通路網が設けられたりした。革製の黄色いリボンが作られたり、Tシャツには傘モチーフのロゴがプリントされたりして、人々が長蛇の列を作った。ついには、印象的なインスタレーション作品や、あらゆる類の絵が展示される事となった。これらの芸術作品の題材は、基本的な論点となった社会問題や、より良い民主主義的な未来に対する信念を貫く必要性などであった。 この運動の大きな特徴はまた、その教育的な性質でもあった。教授や非常勤講師たちのグループが、無料講義を提供したが、これは学生たちによるボイコットが行われていた9月の後半にはすでに始められていた。占領の間、「民主主主義の教室」は通りへ移った。110以上の異なる講義は、主としてこの運動の関連主題である民主政治や、自由、市民的不服従、比較展望などに焦点を合わせたものであった。運動のこの側面によって明らかとなったのは、自分達の権利をより意識し、また、それらがなぜ街の未来の発展にとって重要であるかを意識した、より教養ある市民を生み出す試みであった。 この活動の大部分が、3か所の主要デモ会場に集中していた一方で、運動をさらに大きな社会へと拡大させる試みも存在した。最も顕著な試みは、巨大な黄色の垂れ幕の使用であり、これが香港のランドマークであるライオンロック(獅子山)にかけられたのだ。象徴的なこの山は、九龍のほとんどの場所から見る事ができるものだ。だが、これは単に認知度を高めるためだけの試みではなく、香港のアイデンティティの核心的意義を再定義しようとする試みでもあった。1970年代には、この山はどのような困難をも克服し、出世街道を進んで行く事のできる香港人の、「なせばなる精神」と同義だと考えられていた。この抗議団体はYoutubeのビデオで次のように発表した。「我々はライオンロックの精神を金銭にまつわる事だけではないと考えています…普通選挙を求めて戦う香港中の人々が、偉大な忍耐を不正との戦いにおいて、また困難に直面して示してきました。これこそ真のライオンロック精神であります」。言い足すなら、香港人は単なる経済的成功以上に、誰もが尊重されるような民主的社会の発展を目指しているという事だ。 最も明白にこの抗議運動の反物質主義的傾向を示す例が、最新の抗議運動の形態で、いわゆる「ショッピング革命(鳩鳴革命)」というものであった。これによって何百人もの人々が、組織立ってはいないが、平和的な抗議デモに、ほぼ毎晩参加することとなった。この運動は、旺角のデモ会場が片づいた後に起きたものである。ごちゃごちゃとしたショッピングエリアの中で、抗議者達は同じ映画館で毎晩8時ごろに待ち合わせ、その後「ショッピング」ツアーのため、西洋菜街という大変混雑したショッピング街に繰り出す。この際、頻繁にスローガンを唱え、民主主義を要求する黄色ののぼりを用い、のろのろと歩いては小銭を投げ、またそれを拾ったりするのだ。この抗議運動の形態は、梁振英が、デモ会場が片付いたら国民は再び買い物に戻るべきである、と言った事から生じたもので、この発言は、ある中国本土人が民主化に反対する抗議の最中に、マスコミのインタビューを受けたところ、香港に買い物に行っていたと答えた記憶をよみがえらせるものであった。そこで、抗議者たちはこれを一転させ、買い物と見まがうような抗議運動を行うようになった。結果、何百人もの警察官が毎晩この地域に配置される事になったのである。 結論として、香港での体制変化は、主として中間所得層の人々が牽引するものであり、彼らはこの街の未来に懸念を抱いている。高額な住宅費や生活費などの経済的問題が、重要な役割を果たしている事は明らかであるが、もっと重要な事は、より理想的な価値観、例えば個人の自由や民主的権利などである。雨傘運動が著しく反物質主義的で、草の根的な民主化運動であるのは、多くの参加者たちが、財産よりも値打ちのある何かのために奮闘した事による。同時に、大多数の香港人が、未だに低賃金の極度な長時間労働を抜け出せずにいる事が、より広範囲な支持を得る上での大きな障壁を生み出してきた。また、たとえ彼らが動員され得たとしても、民主化のプロセスは、やはり中国政府が必要な諸改革を許容する気があるかどうかにかかっている。現在のところ、残念ながら、その見込みはなさそうである。 香港城市大学 Stephan Ortmann助教 Issue 17, Kyoto Review of Southeast Asia, March 2015

Issue 17 Mar. 2015

“ขบวนการร่ม” ในฮ่องกง : จากประเด็นปัญหาด้านเศรษฐกิจถึงการปฏิเสธลัทธินิยมวัตถุ

ในช่วงปลายเดือนกันยายน ค.ศ. 2014 ประชาชนหลายพันคนเริ่มยึดท้องถนนสายหลักในฮ่องกงและการยึดพื้นที่ยืดเยื้อต่อไปกว่าสองเดือน กลุ่มผู้ประท้วงปฏิบัติการตามเสียงเรียกร้องของขบวนการ Occupy Central with Love and Peace ซึ่งขู่ว่าจะปฏิบัติการดื้อแพ่งของพลเมืองหากรัฐบาลจีนไม่ยอมมอบระบอบประชาธิปไตยที่แท้จริงให้ ทั้งนี้สืบเนื่องจากเมื่อวันที่ 31 สิงหาคม คณะกรรมการประจำสภาประชาชนแห่งชาติของจีนได้มีมติจำกัดการใช้สิทธิ์ออกเสียงเลือกตั้งทั่วไปในการเลือกตั้งผู้ว่าการเขตบริหารพิเศษฮ่องกง หลังจากหยุดเรียนประท้วงหนึ่งสัปดาห์ ในที่สุด กลุ่มนักเรียนนักศึกษาก็เริ่มประท้วงด้วยการปิดถนน เมื่อผู้ประท้วงอย่างสันติต้องเผชิญกับแก๊สน้ำตา ชาวฮ่องกงหลายหมื่นคนจึงอดรนทนไม่ได้จนต้องออกสู่ท้องถนนเพื่อประท้วงการใช้ความรุนแรงเกินกว่าเหตุต่อนักเรียนนักศึกษาและนักกิจกรรม เนื่องจากผู้ประท้วงใช้ร่มในการป้องกันตัว จึงได้รับการขนานนามว่า “ขบวนการร่ม” (Umbrella Movement) ถึงแม้การปะทุของกิจกรรมการประท้วงอย่างมุ่งมั่นครั้งล่าสุดได้รับอิทธิพลจากประเด็นปัญหาทางเศรษฐกิจคล้ายกับการประท้วงที่เคยเกิดขึ้นก่อนหน้านี้ แต่ขบวนการกลับมีประเด็นหลักอยู่ที่การต่อต้านลัทธินิยมวัตถุ โดยหันไปเน้นการเสียสละเพื่อสิทธิออกเสียงเลือกตั้งทั่วไปที่แท้จริง ฮ่องกงมีความไม่เท่าเทียมทางรายได้สูงสุดในกลุ่มประเทศที่มีเศรษฐกิจพัฒนาแล้วในโลก และเรื่องที่น่าเป็นห่วงก็คือความเหลื่อมล้ำนี้ยิ่งถ่างกว้างขึ้นเรื่อยๆ ทั้งๆ ที่ค่าสัมประสิทธิ์จีนีซึ่งเป็นตัวชี้วัดความไม่เท่าเทียมก็มีตัวเลขที่น่าวิตกถึง 0.52 แล้วใน […]

Issue 17 Mar. 2015

Inequality and Political Regimes in Asia

Rising inequality worldwide has directed new focus to the classic political economy question concerning the relationship between democratization, or political regime change, and inequality. But despite a rather dramatic rise of social and political conflicts […]

Book Reviews

REVIEW: A new religious cult for Thai middle-class?

Kamin Kamani (คามิน คมนีย์). เย็นวันเสาร์-เช้าวันอาทิตย์ (The Sunday Morning Club)Bangkok: Amarin Publishing, 2004 (1st edition); Banbook Publishing, 2014 (2nd edition). Kamin Kamani (คามิน คมนีย์). หัว*ใจ*เท้า (Head, Heart and Feet)Bangkok: Banbook Publishing, 2014. As symptoms of determination, […]

Book Reviews

REVIEW: Barefoot Scholars

Jeon Je-Seong (ed.), 맨발의 학자들: 동남아 전문가 6인의 도전과 열정의 현지조사(Barefoot Scholars: challenges and passions in the fieldwork of six Southeast Asian specialists)Seoul: Nulmin books, 2014 This book consists of six notes of fieldwork experience […]

Issue 17 Mar. 2015

REVIEW: English Only, Please (2014)

English Only, Please (2014)Directed by Dan Villegas. Script by Antoinette Jadaone and Dan Villegas Bashing the featured films in the Metro Manila Film Festival (MMFF) has become a tradition as time-honored as the event itself. […]

Issue 16 Sept. 2014

ASEAN Integration: Translating A Vision into Reality

As 2015, the date set for accomplishing an integrated regional community, looms near, for members of the Association of Southeast Asian Nations (ASEAN), there is much debate and discussion on how much has been accomplished. […]

Issue 16 Sept. 2014

Studying Comics From Southeast Asia

Since the turn of the millennium, comics have seen an unexpected increase in critical and scholarly attention. Apparently, this can be explained by three larger currents: first, the almost unrestrained expansion of the market economy, […]

Bahasa Indonesia

Pendahuluan: Mempelajari komik dari Asia Tenggara

Semenjak pergantian milenium, komik telah menarik perhatian yang lebih besar baik secara kritis maupun secara ilmu pengetahuan secara tidak terduga. Sangat jelas, hal ini dilatarbelakangi oleh tiga pergerakan yang lebih besar: yang pertama, ekspansi dari […]

Issue 16 Sept. 2014

序:東南アジア発の漫画研究

2000年に入ってから、漫画について批判的な視点や学問的観点から注目が予想以上に集まっている。明らかに、より大きな三つの流れがこの背景には存在している。一つ目は、ほぼ無制限な市場経済の拡大であり、消費主義や新たな類の「ポップカルチャー」もこれに含まれる。二つ目は、グローバル化の過程であり、これは例えば白石さやによると (2013: 236-237)、日本のマンガやアニメが特定の作品としてよりも、他の社会に応用可能な文化産業のモデルとして、世界的な規模で普及している事に現れている。三つ目が、情報社会の出現により、参加型で流動的な文化の形態が脚光を浴びるようになった事であり、これについてはファンアートやコスプレ、ソーシャルネットワーキングサービスなどを挙げておけば十分であろう。全く驚くべきことに、漫画が一般に認められたのは、基本的に従来の活字メディアによって形成された漫画のアイデンティティに崩壊が生じた、ちょうどその時であった。 こうした流れが、メディア研究や文化人類学、社会学、さらにその他の分野における、マンガ関連の研究を推し進めてきた。この点について、ある東アジアと東南アジアのポップカルチャーの編著本の序章には、次の事が誇らしげに述べられている。「学会であるテーマが妥当かどうかを示す基準の一つは、経済学者や政治学者たちが、これをいつ重視するようになるかである」(Otmazgin & Ben-Ari 2013: 3)。大抵、このような権威付けが意味するのは、マクロ分析の方が入念な個々の事例のクローズアップよりも好まれるということである。せいぜい、漫画はこれといったメディア特有の属性を持たぬ、単なる一次資料の役割を果たせば良いということになる。しかし、このような傾向は、政治学の分野それ自体よりも、過去十年間の学術研究の変化に負うところが大きいようだ。上記の本より40年前、Benedict Andersonは、インドネシアのアニメと漫画を用いて、インドネシアの政治的コミュニケーションの研究を行っていたが、これは今日でも驚くほどに洗練された手法であった。「形式は内容と同じ程度にものを言う」(1990: 156)などの基礎前提や、娯楽的な続き漫画は、一コマの政治漫画とは違い、研究者が「形式に目を向け、しかる後に内容を見る」事を要するという見解は、決して時代遅れなどではない。むしろ、特に現代の地域研究で漫画を使う有効性を示している。日本研究は、近年のマンガと関連メディアの有効性を示している点で先を行く。ここでの主流は、漫画研究をポップカルチャーや社会科学の分野に割り当てる傾向で、テキスト分析やヴィジュアル吟味、その他の美学的考察は大抵が無視されたままである。アメリカやヨーロッパの漫画は、「グラフィック・ノベル」という名のもと、あちらの文学部で学術的に考察される一方、特に日本のマンガ、より一般的にはアジアのマンガは、このような学術的取り組みの価値が無いかのようにみなされている。 しかし、この特集号の諸論文は、必ずしも、ある地域研究の枠組みに依拠しているわけではない。ここに掲載された論文は、東南アジア研究を優先させるというより、漫画とその研究に関する論文である。これらが東南アジア研究に貢献できぬと言うのではなく、ただ、そのような貢献が漫画研究を介して行われるという事だ。その意味をここで手短に述べておいた方が良いであろう。 世界的な規模で、漫画研究は、英語、フランス語、日本語、あるいは、アメリカン・コミックス(アメコミ)、バンド・デシネ、マンガといった地政学的、言語学的に明確な文化に応じて枝分かれしており、興味の大半は英語、フランス語、日本語の漫画である。東南アジアの漫画に焦点をあてるという本号の試みは、まだ、かなり例外的なものである。通常、漫画文化の研究は、北アメリカ、西ヨーロッパと日本の比較が中心で、時折、特に日本のマンガについては、韓国や中国語の市場の比較もこれに含まれる。この偏重ぶりは、インドネシアと日本の漫画プロジェクトにもあらわれた。これは2008年に国際交流基金(ジャパン・ファウンデーション)が二カ国間の国交50周年を機に後援、実施したものである。この成果であるDarmawan とTakahashiの編集による短編集は、当初、両国の言語で出版される予定であったが、日本語版はついに実現せず、日本人のマンガ評論家や読者たちが、インドネシアと日本の両国に起源を持つ非マンガ形式の漫画について学ぶことができなかった。 本号では、東南アジアにおける「マンガ」の役割だけに着目しているわけでもない。焦点はむしろ、漫画の多様性にあり、その範囲は自伝的物語から、絵日記、エッセーのようなブログ上の書き込み、教育向けの作品(歴史教育や性教育に関するものも)、さらには娯楽的フィクションに及ぶ。興味深いことに、紹介された作品例の大半が、もはや「日本の」、「インドネシアの」、「ベトナムの」、といった文化によって分類できるような範疇には当てはまらぬものである。それどころか、さまざまな形でフュージョン・スタイルと呼ぶべきものに広がっていることが特徴的である。さらには、一方では商業的で、型通りで、ファン本位のものとしての「マンガ」があり、もう一方には個人的で、創造力に富んだグラフィック・ナラティブとしての「同人誌」があるという差別化が東南アジアの漫画には必ずしも当てはまらないということが示唆される。おおよその場合、西洋的、日本的観点からも相互に排他的であると見なされているこの二つの種類が、文化的、経済的状況に関する限り、多くの共通点をもつように見えるのである。マンガであれ同人誌であれ、作家達が、少なくとも、それだけで生計を立てることは不可能なのである。 近年では、東南アジアの若手研究者で、大抵が日本を拠点にマンガ研究に携わる者達が、自分達の地域の漫画に注目し、これらを日本語で批判的に紹介しようと懸命に努力している。すでに1990年代の後半には、アメリカで教育を受けた文化人類学者で、インドネシアの専門家である白石さやがこの分野に着目しており、初めは日本マンガの普及について、しかし程なくして、現地の漫画文化についても関心をもつようになった。2013年に彼女の論文集が日本語で出版されたことから、彼女の初期の取り組みを再発見し、今日の方法論的問題と関係付けて読みなおすことができるであろう。同様に、特筆しておくべきことは、ベテランの漫画歴史家John Lentが、1999年から、“The International Journal of Comic Art (IJOCA)”という雑誌を世界中のアニメやグラフィック・ナラティブに関する記事のために提供してきたことである。これらの筆者たちの中には、彼の最新巻“Southeast Asian Cartoon Art (2014)”に寄稿した者もいる。これらの評論的、学術的試みに加え、重要な漫画名作選についても、最後に触れておこう。“Liquid City”は、ちょうどその第3巻が出版されたところである(Liew 2008, Liew & Lim 2010, Liew & Sim […]

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คำนำ: การศึกษาการ์ตูนช่องจากเอเชียตะวันออกเฉียงใต้

นับแต่เปลี่ยนสหัสวรรษใหม่ การ์ตูนช่องได้รับความสนใจในเชิงวิพากษ์และวิชาการเพิ่มขึ้นอย่างคาดไม่ถึง เห็นได้ชัดว่าปรากฏการณ์นี้มีภูมิหลังจากกระแสที่ใหญ่กว่าสามประการคือ ประการแรก การขยายตัวของระบบเศรษฐกิจตลาดอย่างแทบไร้การควบคุม รวมทั้งลัทธิบริโภคนิยมและ “วัฒนธรรมป๊อบ” ที่เกี่ยวเนื่องกัน ประการที่สอง กระบวนการโลกาภิวัตน์ทำให้ผลงานบางอย่าง อาทิเช่น มังงะและอนิเมะของญี่ปุ่นที่แพร่หลายไปทั่วโลกมีลักษณะเป็นผลงานเฉพาะกลุ่มน้อยลง แต่กลายเป็นแบบจำลองของวัฒนธรรมอุตสาหกรรมที่สังคมอื่นรับมาเป็นของตัวเองได้ ดังที่มีอธิบายไว้ในงานเขียนของ Shiraishi Saya (2013: 236-237) และประการที่สาม ความเฟื่องฟูของสังคมสารสนเทศ ซึ่งทำให้รูปแบบวัฒนธรรมแบบมีส่วนร่วมและปรับเปลี่ยนได้ก้าวขึ้นมาอยู่แถวหน้าสุด ยกตัวอย่างง่ายๆ เช่น แฟนอาร์ต คอสเพลย์ และบริการเครือข่ายสังคมเฉพาะกลุ่ม เป็นต้น เรื่องที่น่าสังเกตอย่างยิ่งอีกประการหนึ่งก็คือ การ์ตูนช่องได้รับการยอมรับจากสาธารณชนในช่วงเวลาเดียวกับที่อัตลักษณ์ของการ์ตูนช่องที่เคยถูกกำหนดรูปลักษณ์พื้นฐานจากความเป็นสื่อสิ่งพิมพ์กำลังจะสิ้นสุดลงพอดี กระแสทั้งสามข้างต้นช่วยเอื้ออำนวยให้เกิดงานวิจัยที่เกี่ยวข้องกับการ์ตูนช่องในภาควิชานิเทศศาสตร์ มานุษยวิทยาวัฒนธรรม สังคมวิทยา รวมถึงภาควิชาอื่นๆนอกเหนือจากนี้ คำนำของหนังสือรวมบทความเกี่ยวกับวัฒนธรรมป๊อบในเอเชียตะวันออกและเอเชียตะวันออกเฉียงใต้ตั้งข้อสังเกตอย่างภาคภูมิใจในประเด็นนี้ว่า “บรรทัดฐานหนึ่งที่บ่งบอกความชอบธรรมของหัวข้อศึกษาในโลกวิชาการก็คือเมื่อนักเศรษฐศาสตร์กับนักรัฐศาสตร์เริ่มสนใจหัวข้อนั้นอย่างจริงจัง” […]

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Educational Komiks: Shifting Perspectives

Komiks has been with part of Philippine culture for quite some time. Ambeth Ocampo and Dennis Villegas would  offer Jose Rizal as one of the earliest to illustrate komiks (Villegas, 2011 and Ocampo, 1990). Yet […]

Bahasa Indonesia

Komik Edukasi: Pergeseran Perspektif

Komik telah menjadi bagian dari budaya Filipina untuk waktu yang cukup lama. Ambeth Ocampo dan Dennis Villegas telah memperkenalkan Jose Rizal sebagai satu dari orang Filipina pertama yang menggambar komik. (Villegas, 2011;)(Ocampo, 1990) John A. […]

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教育用漫画:変化する認識

漫画は長らく、フィリピン文化の一部となってきた。例えば、Ambeth OcampoとDennis Villegasは、フィリピンの英雄であるホセ・リサール(Jose Rizal)を漫画で描いた最初期の人物の一人だ (Villegas, 2011) (Ocampo, 1990)。John A. Lentは、フィリピン人がはじめて漫画に魅了されたのは風刺画を発表していたスペイン占領時代であるとしている (Lent, 2004) 。1930年代はフィリピン漫画の創成期と見なされており、Tony Velasquezの“Mga Kabalbalan ni Kenkoy”が出版された時期であった。そのため、Velasquezは「フィリピン漫画の父」と認識されていた(Roxas & Arevalo, 1985)。しかし、その出版よりも先に、フィリピン人は1900年代にはすでに風刺画を制作し、消費していた(McCoy & Roces, 1985)。 風刺画が社会問題をそれとなく批判する手段であるとすると、漫画は手頃な娯楽の一形態と見なされ、フィリピンの人々はこれを消費することで、日々の現実から逃れようとしていた。しかしReyesは漫画の主要なテーマが、単にファンタジーに関連したものだけでなく、現実的側面も含むものだと考えていた。そして、作家たちは漫画というメディアを、笑いの提供から洗練されたストーリーテリングのジャンルへと変化させる。1930年代から1980年代にかけて、漫画のレパートリーに含まれるようになったロマンスやSF、成人向けなどの様々なジャンルは、実質的にフィリピン文学の神話や叙事詩、小説や短編作、awitやcorridoにとって代わる事となった。漫画の魅力は、単に手頃であるというだけでなく、その言葉づかいや、絵が文を補う点にもあったのだ(Reyes, 1985)。 このメディアが成熟すると、漫画は教育的用途を含むようになった。日本占領期の後、漫画家たちは戦争に関する物語を制作するようになった。その最初期の作品の一つには、Antonioの“Lakan Dupil: Ang Kahanga-hangang Gerilya”がある。これは1947年3月にLiwaywayマガジンから出版されたものである。この連載は、想像上の登場人物を中心とし、日本占領期を舞台にゲリラ活動やカリバピの裏切り、憲兵隊の拷問などを描くものであった。フィリピン最大の漫画出版社、Ace Publications, Inc.は、教育的古典(Educational Klasiks)の第六巻を刊行した。これは1960年1月11日に始まったもので、その意図は、これを私公立の学校の補助的読書教材にする事であった(Komiklopedia, 2007)。 このような歴史ものの漫画が存在しても、読者たちがこれを教育的目的で使い始めるには、時間がかかるだろう。最も初期の作品は、Balagtasの“Florante at Laura”で、これはPed […]

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การ์ตูนช่องเพื่อการศึกษา: มุมมองที่เปลี่ยนไป

การ์ตูนช่อง (Komiks) เป็นส่วนหนึ่งของวัฒนธรรมฟิลิปปินส์มายาวนานทีเดียว อัมเบธ โอคัมโปและเดนนิส วีเญกาสเคยชี้ว่าโฮเซ่ ริซัลคือหนึ่งในคนฟิลิปปินส์รุ่นแรกสุดที่วาดการ์ตูนช่อง(Villegas, 2011) (Ocampo, 1990) จอห์น เอ. เลนท์เชื่อว่า ชาวฟิลิปปินส์ชื่นชอบภาพวาดการ์ตูนช่องมานมนาน ตั้งแต่สมัยที่นิตยสารตีพิมพ์ภาพการ์ตูนในยุคอาณานิคมสเปน (Lent, 2004)ผู้สันทัดกรณีระบุว่า ทศวรรษ 1930 เป็นจุดเริ่มต้นของการ์ตูนช่องในฟิลิปปินส์เมื่อมีการตีพิมพ์การ์ตูนช่องเรื่อง “Mga Kabalbalan ni Kenkoy” ของโทนี เวลาสเกซ ด้วยเหตุนี้ เวลาสเกซจึงได้รับการยกย่องเป็น “บิดาแห่งการ์ตูนช่องฟิลิปปินส์” (Roxas & Arevalo, 1985) อย่างไรก็ตาม ก่อนหน้าการตีพิมพ์หนังสือของเวลาสเกซ […]

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Comics in Vietnam: A Newly Emerging Form of Storytelling

The Concepts of Comic in Vietnam Comics in Vietnam have suffered criticism from the general public because of the widely felt overtones surrounding the word “comic”.  “Comic” in Vietnamese is “truyen tranh” — whereby  “truyen” means […]