Issue 11 Mar. 2011

특집에 붙여

세계화와 지역화의 진전에 따라 동북아와 동남아의 관계가 급속하게 확대되고 심화되어 간다. 그러므로 유교문화의 전통적 위상을 기준으로 동아시아의 지리적 범위를 중국, 한국, 일본 등 동북아와 베트남으로 축소하는 ‘페어뱅크(Fairbank) 패러다임’의 문화중심적 접근은 역사적 계속성에 집착한다는 점에서 지극히 […]

Issue 11 Mar. 2011

The Faces of Islamic Politics

The popular imagination with regards to Islamic politics has lately been focussed on ‘radical’ Islamic groups that appear intent on establishing states run on the basis of Islamic law as well as being vehemently opposed […]

Issue 11 Mar. 2011

Chinese-Indonesians in Local Politics: A Review Essay

 Despite various changes that happened after the tragic event of May 1998, including the latest revision of Citizenship Law (issued as No. 12/2006) which have given the Chinese-Indonesians social and political space to express their […]

Issue 11 Mar. 2011

Catatan Tentang Orang Cina Indonesia dalam Politik Lokal

 Pendahuluan  Walaupun banyak perubahan yang telah terjadi setelah peristiwa tragis pada Mei 1998, termasuk revisi paling terbaru dalam Udang-Undang Kewarga-negaraan (terbit Nomor12/2006) yang telah memberikan kalangan Cina Indonesia ruang sosial and politk untuk mengekspresikan identitas […]

Issue 11 Mar. 2011

地方政治におけるインドネシア華人:評論文

 序文  1998年5月の悲劇的な事件以来、様々な変化が生じた。それには(2006年に第12号として公布の)市民権法の最新の改正もあり、これはインドネシア華人達に自分達の文化的アイデンティティを示すための社会的、政治的な場を提供した。それにも関わらず一部の華人達は、事態が新秩序時代さながらの危険を孕むものであると見ている。中国の新年を祝う竜舞を禁じた市長命令127の発布前後である2008年初頭、ポンティアナックのマレー人達によって示された反中感情は、華人達の立場がいかに不安定であるかを示すものであるとされている。これに先立つ2004年10月12日、新たに選出されたジュスフ・カッラ副大統領の発言(シナール・ハラパン 2004年10月12日)にも、華人ビジネスマン達を中小企業及び大企業において異なる待遇で差別しようとする意図があり、華人達がいまだに平等な市民として扱われていない事を示すのであった。  明らかに、華人差別廃止に関する政府の諸政策のほとんどがレトリックである。たとえプリ(先住民) 及び、ノン‐プリ(移民)という言葉が、もはや公式な政府方針や事業で用いられるべきではないとする指令が、ハビビにより現に法制化(1998年大統領令第26号)されたとてもそれは同じである。同様に、アブドゥルラフマン・ワヒドが大統領職にあった2000年の大統領令第6号の発布により、中国の慣習や伝統の実践を個人的領域に制限する1967年の大統領決定第14号が無効となり、多くの中国人や現地インドネシア人達はこれを華僑差別の終わりであると見た。しかしこれらの政治的気配や法的改正が、華僑と現地インドネシア人達の間に長年培われてきた対立に与えた影響は、ごくわずかなもの過ぎない。ポンティアナック事件が正しく解釈されるなら、華人達は未だに差別を受け、深く恨まれている。  事件が起こったのは、ポンティアナックのある華人がダヤック人と共に西カリマンタンで知事、副知事の座を勝ち取った直後であった。ポンティアナックのマレー人達には、華人の地元政治関与への切望と要求は、明らかに受け入れられないものであった。  ジェマ・パーディ(2005:23)は、少数派華僑をめぐる状況の変わらぬ現実を、現地インドネシア人達の間にわだかまる華人の忠誠心に対する疑念と、彼らの認識を歪め続けている華人の経済的役割や、国家経済における支配力のレベルに関する神話のためであるとした。彼女は、我々が「反中暴力やその他多くの暴力を単に国家主導のものとする分析を再考するべきである」と論じる。なぜならば、彼女の研究した1998年5月以降の諸事件により、「大衆が暴力や反中感情と嫌悪の一連の記憶を持つに至る限度」が示されたためである。彼女は「華僑の経済的圧力、その周辺的地位への追い込みや不正との関係が、インドネシア人の心に深く刻み込まれている」と確信する。彼女の意見では、このために華人達の立場は「未だに深刻で一定の用心を必然とする」ものなのである。  ジェマ・パーディの見解は、「華人に向けられた人種的暴力には、明らかに経済的要因が作用している」1と結論付ける、その他の反中暴力に関する諸研究と大いに一致するものである。例えば、コロンビィンとリンドブラッドは次のように述べている。「1912年のサレカット・イスラームの設立以来、インドネシア華人達は、独断的なムスリム達が自分達のビジネス上の優位を華人に妨げられたと感じる度に、繰り返される大量虐殺の対象となったのであった。」  ゆえに、彼らにしてみれば、「暴動は、インドネシアでは偶然にも華人の顔をした資本家階級への抗議を表すもの」なのであった。この見解を支持したのはキース・ヴァン・ダイクである。 彼は「近代的な生産方式が人々を不公平な競争や、労働市場で他集団に太刀打ちできないという危惧にさらし、戦争(第一次世界大戦)初期の日々の食品の値上がりは、華人業者や小売商達のせいにされた」と論じた。それでも、彼の認めるように、数年後までは反中感情が暴力的噴出に至る事はなかった。 1946年にインドネシア革命を受けて起こった暴動は、極めて狂暴であった。これは、華人が現地人の経済的競合者として恨まれたに止まらず、オランダの協力者としても憎まれたためであった。当時、いわゆる「経済的国家主義」も、おそらくその一因となりつつあった。このため1960年代には、よそ者である華僑が地方で小売業に携わる事を禁じる1959年の大統領規則第10号を受け、更には1960年半ばに中国政府がその関与を疑われ、非難された「共産党関連の」失敗に終わった政変を受け、華人に対する攻撃は非常に大規模で全国的なものとなった。この事は、より政治的でイデオロギー的変動が、暴動をその最高点に導く力となった事を示す。つまり察するとおり、反中感情はインドネシア人の歴史に大変深く内在しており、それゆえに1998年の5月に、最後で最も残虐的な暴動が、ついに華人達の運命を変えるまでは、スハルトの権威主義的政権の30年間に反中暴動が「予期せぬ雷鳴」のごとく断続的に起ころうとも驚くには値しないのであった。たとえ、新秩序政府がある程度暴力の度合いをコントロールできたにせよ、暴力を永久に根絶する事は明らかに不可能であった。これはおそらく、そのような要望がなかったためであろう。 このような状況下、1998年5月の暴動以来設立されたインドネシア華人組織の、政治活動を避けんとする態度には、おそらく大いに根拠がある事だろう。例えば、PSMTI(Paguyuban Sosial Marga Tionghoa Indonesia-印華百家姓協会)は1998年8月28日に組織された。これは元陸軍准将(プーン)・テディ・ユスフ(ション・ディ)の指導のもと、5月の暴動後に設立された初のインドネシア華人非政党組織であったが、これは自身の立場を「非政治的」と位置付ける傾向にある。  「たとえPSMTIがインドネシアの法制度の範囲内で活動を行う事が許されていようと も、PMSTIは実質的な政治活動への参加せぬよう自制している。さらに、PSMTIは 政党に関連した政党や社会組織に属さない。」(2005年4月1日にアクセスした http://www.psmti.net/psmti_掲載の原文訳) これと同様に、INTI(Perhimpunan Indonesia Keturunan Tionghoa-インドネシア華人協会)は、スルヤディナタによると1999年4月10日、エディ・レンボン(ワン・ヨウシャン)の指導のもとに設立された。9彼らはその組織的任務に関する声明で「政治的」という言葉を避けているようである。  「Perhimpunan INTIとして知られるインドネシア華人協会は社会的組織であり、その特徴はその愛国心、自由、独立、非営利と平等性である。その設立の目的は、過 去の遺物である「インドネシアの中華問題」の解決にある。 INTIは全ての華人民が 一体となり、徹底的に総力を挙げて取り組む事が「中華問 題」解決の絶対条件であると確信する。」  この主なメンバーは中国系インドネシア人民であるが、INTIは排他的組織ではなく、その基本的原則や組織規則、またINTIの目標に賛同する全てのインドネシア人民に開放されているものである。  INTIがこのような「非政府的」、もしくは「曖昧な」政治的立場11を持つ理由は、2007年5月16日にインドネシア華人協会(INTI)前会長のエディ・レンボンが、ジャカルタ・ポスト紙に次のように語った時、明らかとなった。  「インドネシア華人は政治学を学ばなくてはならない。しかるべく知識に基づいた政 治家となるためである。しかし、私は民族を基盤とした政党の設立には賛成しない。ほとんどの華人達は、 未だ政治をタブー視している。政治に関わる事はおろか、彼らはそれについて語る […]

Issue 11 Mar. 2011

マドゥラのブラテー(Blater/悪党)の社会的起源と政治権力

マドゥラ族の象徴的イメージは暴力と宗教性に結び付けられている。しかし実際のところ、理論的に言えばこれらの言葉は異なる、または矛盾した意味を表す事もある。宗教的な人々は禁欲的に暮らし、悪行や暴力行為を犯す事を避けようとする。これに対して暴力に慣れた人々は、禁欲的な生活から遠ざかる傾向にある。ところが、社会的現実が提示する複雑な諸問題が、常に規範的な理論を裏づけるとは限らない。文化という文脈上では、暴力と宗教性は空所に作用するものではなく、その存在は常に社会構造の力関係や利害的相互作用と相関したものである(Foucault: 2002)。  暴力と宗教性は人類文明の「子供」である。暴力はその背景や動機により、様々な種類に区別される。チャロックについて考えてみよう。これはマドゥラ族の内紛を解決する暴力的な伝統である。  それは彼らの自尊心や誇りに対する熱烈さ、その思い入れ如何では、その関係者達に深刻な傷害や、死さえをも招く顛末となり得るものである。マドゥラ族がチャロックを行うのは、彼らの誇りや自尊心が侮辱を受ける、もしくは害され、傷つけられたと彼らが感じる時である。彼らの憤りの感情が、恥辱の感情(マロー またはトドゥス)に発展した場合、マドゥラ族はチャロックを行って争いを調停する。  この事情はマドゥラの有名な諺に確言されている。“ango’an pote tolang etembang pote matah”、字義どおりには「白眼をよりも白骨を」という意味で、「人生は自尊心を持たねば無意味である」という隠喩である。  マローとなりチャロックという結末をもたらす、恥辱という強い感情は、しばしば人妻をめぐる修羅場と結びつけられる。マドゥラ人は、彼の妻が侵害されるような事があれば、立腹してチャロックを行う。同様に、彼はその妻の不貞の噂に嫉妬心をおこし、彼女の不義の相手がチャロックの標的となるのである。チャロックはまた、報復行為、とりわけ殺害された家族への仇討という形をとる事もある。  このように、チャロックは人の高潔さを守る行為であり、その血筋を維持するための闘いであると解されている (Wiyata, 2002: 89-159)。 チャロック における動機と標的は大変明確である。人々は自尊心が害された事から生じる暴力的な争議に巻き込まれるのである。  自尊心と誇りにかけてチャロックを行うマドゥラ人は勇敢(ブラテー)であったと認識される。ブラテーは、その人の自尊心への打撃を暴力で解決する事であり、恐れのない精神、誇り、そして勇敢さを示すものである。一方、自らの自尊心を守るために「寛容性」を選ぶ者達は、地域社会からブラテーの精神を持たぬ者と見なされる。以前はブラテーでないとされていたマドゥラ人達が、ひとたびチャロックを行った後に、中でも血みどろの格闘を勝ち取った者らがブラテーとして認められる事例が数多くある。  このように、チャロックは地域社会で紛争を解決するための勇気であると見なされており、チャロックを行う事はその人のブラテーとしての社会的地位を強化し、正当化する重要な社会的行為なのである。  チャロックを行う事のみがブラテーの地位を正当化する方法というわけではない。他にもマドゥラ人をブラテーに変え得る、それ以上の社会的手段が多数存在する。  クラピン・サピ(マドゥラ族の牛競べ)、鶏闘、犯罪行為やレモー、 ブラテーへの関与…こういった全てがブラテーの文化的再生産を成すものである。  偏在するダイナミズムがこの独特な文化と地域社会をマドゥラに創り出した。 従って、あるマドゥラ人が自らをブラテーであると認め、かつ彼が社会において特別な地位に就いていようとも、何ら不思議はないという事になる。ブラテーは文化的に高い評価を集め、社会的尊敬を受けるし、そうでないブラテーを見つける事は困難である。  ブラテーは全てのコミュニティー、及び社会階級から現れ得る。サントリ出身の者もいれば非サントリ出身者も存在する。手短に言えば、大いに宗教的である者をも含む、いかなる社会的集団、または階級の者であれ、万人がブラテーになり得るのである。  元サントリ(厳格なムスリム)がペサントレン(伝統的なイスラームの学校)を卒業した後にブラテーとなった事例も多い。元サントリのブラテーは、大概ガジ(コーランの詩を吟ずる事)に長け、キターブ・クニン (黄色い本、ペサントレンで用いられるアラビア語の原書)に通じている。  これもまた、マドゥラ社会にあっては一般的な事である。マドゥラ族の伝統上、宗教的な教えは日常生活の一部となっているのである。若きは全ての子供達が島中の集落や村々に散在するランガル、ムソラ、スラウ、モスクやペサントレンで宗教を教えられる事に始まる。  このような背景があればこそ、元サントリのブラテーが文化的ネットワークを築き、彼をキアイ(イスラーム教の聖職者)であるかのようにさえ扱う伝統を展開させて来られたのである (Mansoornoor 1990; Bruinessen 1995)。  イスラーム教はマドゥラ社会で中心的役割を果たしており、様々な社会儀礼は常にキアイを指導的立場に戴く宗教的精神と結びつけられている。  […]

Issue 11 Mar. 2011

Social origin dan Politik Kuasa Blater di Madura

Kekerasan dan religiusitas selalu dekat dengan citra simbolik orang Madura. Padahal dua kosa kata itu secara teoritis memiliki kandungan makna yang berbeda bahkan saling berseberangan satu sama lain. Orang yang religius selalu membawa sikap hidup […]

Issue 8-9 Mar. 2007

ติดเซ็กส์

“ดร. วัลลภ ปิยะมโนธรรม นักจิตวิทยาและ อาจารย์ประจำคณะศึกษาศาสตร์ มหาวิทยาลัยศรีนครินทรวิโรต เปิดเผยว่า ประเทศไทยเริ่มมีโรคติดเซ็กส์มาตั้งแต่เมื่อ 10 ปีที่แล้ว แต่นับวันยิ่งมีการระบาดของโรคนี้มากขึ้น โดยกลุ่มที่น่าเป็นห่วงขณะนี้ คือผู้หญิงและวัยรุ่นไทย โดยผู้ป่วยจะมีพฤติกรรม 4 ขั้นคือ มักสำเร็จความใคร่ด้วยตนเอง ชอบโชว์โป๊ แอบดู ซึ่งหมายรวมถึงการดูภาพโป๊ในอินเทอร์เน็ต วีซีดี และขั้นสุดท้ายคือการค้าประเวณีเพื่อหาความสุขทางเพศไม่ใช่เพื่อเงิน ทั้งนี้สาเหตุเกิดจากบุคคลเหล่านี้ในวัยเด็กได้รับสื่อลามก ซึ่งในอเมริกามีประชากรประมาณ 3-6% เป็นโรคดังกล่าว…ผู้ชายที่มีต้นทุนทางสังคมดีจะถูกผู้ป่วยเซ็กส์แอดดิคส์มาขอนอนด้วยบ่อยมาก ซ้ำบางคนมีอารมณ์รุนแรงสามารถร่วมได้ 5 คนต่อคืน หรือถึงแต่งงานแล้วก็ยังอดมีชู้ต่อไปเรื่อยๆไม่ได้ นางพรนิภา ลิปพยอม เลขาธิการคณะกรรมการการศึกษาขั้นพื้นฐาน(กพฐ.) เปิดเผยว่า นายอดิศัย […]

Issue 8-9 Mar. 2007

セックス中毒

  心理学者であり、シーナカリンウィロート大学教育学部常勤教授であるワンロップ・ピヤマノータム博士はこんな見解を披瀝している。「タイにおいて十年ほど前からセックス中毒とも言うべき病的な症状が観察されるようになり、この傾向性は日増しに強くなっている。とりわけ憂慮すべき層は女性と若年層である。患者の行動には以下の四段階がある。頻繁な自慰行為、露出行動、窃視(対象としてはインターネットやVCDのアダルト画像も対象として含まれる)、そして最終的な段階が、金銭目的ではなく、自己の性的欲求を満たすための売春。これらの行動の原因となっているのは、幼少時からのわいせつ媒体との接触であり、アメリカにおいては人口の3-6パーセントが患者であるとみなされる…社会的ステイタスの高い男性層は、しばしばこれらのセックス中毒患者のターゲットとされる。一晩5人と関係を持ったり、結婚後も浮気相手を常に探し続けるという重症患者も見られる。」   基本教育委員会のポーンニパー・リッパヨーム事務局長は以下のように表明した。アディサイ・ポーターラーミック教育相は、関係行政官を集め、若年層の性行動を指す語として、「愛をささやく」に代わるより適切な表現について検討させた。これらの話し合いにおいては、どのくらいの年齢の就学層が、公の場で性的な行為に及ぶべきではないかといったことも話題に上った。結論が下され次第、アディサイ氏は新しい表現の使用を宣言する予定であり、こういった行動をとる若年層の減少に寄与することを期待している。(日刊マティチョン、2004年9月7日火曜日号)   上に引用したニュースを既に目にされた方も多いだろう。私自身は一読して、何だこれは一体、とうなってしまった。記事の中には、「この病気は日増しに蔓延しつつある。」とあるが、セックス中毒病は、(記事掲載の翌日シータンヤー病院総裁ワチラ・ペンチャン医師は、セックス中毒は病気ではない、いい加減なことを言わないように、と反論した。)わたしの知らぬ間に鳥インフルエンザのように大流行していたのだろうか。その上この種の病(菌)に感染し易いリスク層は女性と若年層だとのことである。記事の展開にさらに付き合う気力があるならば、こんな見解に出くわすことになる。ワンロップ博士の見解(あるいは研究)によれば、この病気の流行の被害を受けているのは「社会的ステイタスの高い男性層」で、彼らは年齢を問わないセックス中毒の女性達に同衾を迫られているのだそうである。   「私自身、クリニックにおいて相談を受けたり治療にあたったりしていますが、30才の女性患者に騙されかかったことがあります。その患者は夫を前にして私と関係を持ちたい、と言ったのですが、夫に強要されているというのは実は嘘で、自分がそうしたかったのだということがわかりました…最近では16、7の女性が相談という口実でやってきて、私に関係を迫ったんですよ。」   記事から我々は以下のような知識を得ることができる。セックス中毒は「病気」であるばかりか、伝染病のようなものである。特に女性と若年層に大流行中しており、患者女性の性欲の犠牲となって、あの手この手でやり込められているのは、この情報の提供者である博士のような紳士方である。   一般的に言って、体が弱り抵抗力が低くなっている場合、流感にしろコレラにしろ伝染病に感染することがある。記事の内容から推測するに、女性と若年層は「脆弱」で「免疫システムに問題がある」人口であるということだろう。(そしてこの病気は肉体的なものというより精神的なものであるから、この場合の免疫システムの問題とは知的な欠陥を意味している。分かりやすく言えば、女性と若年層は愚かで頑迷なため、なんにでも簡単にひっかかりやすい。)感染しやすいこれらの性別と年齢層の人口は、しっかりと保護、観察の下に置かれるべきである。これに対し男性、特に「社会的ステータスの高い」層は堅固で優れた性であり、この病気の流行に巻き込まれるほど脆弱ではない。   おやおや、人生にさよならして、これからは生まれ変わるたびに「社会的ステータスの高い」男性に生まれたいものだわね。コギャルから熟女まで、寝る相手は引きもきらずというわけみたいだし。   記事中のセックス中毒の定義に従うなら、私も患者の一人なんだろうな。人生の中で文句なしに楽しいことは何か、と聞かれたら、その数少ない答えの中に入っているのがセックスだ。自分でするのを覚えたのは8才だったか9才だったか忘れたけれど、たまたま指が初めて「そこらへん」に当たってうっとりするくらい気持ちよかった時のことは覚えている。それからは今日に至るまで研究は欠かさないよ。隣で寝ている本物の男が眠り込んでしまおうものなら、私は自分でなんとかしますよ。年とともにテクニックは向上し、セクシーなねまきを選んで、音楽をかけ、キャンドルを灯し、香水を吹きかけて、どんな声を出すかって、これは超個人的なお楽しみ。   朝起きて隣に寝ている男を襲っちゃうのは当たり前として、夜とか明け方は…え?だってさー、その体でねまきのズボンだけで目の前で寝返りをうたれて、正気でいろっておっしゃるの?   お医者の先生さま…セックス中毒を治すにはどこへ行ったらいいんでしょう?だってそこまでおっしゃるのにまだ治療に駆けつけなかったら、この病気って周りの人にどんどんうつっちゃうんでしょう?このコラムに夢中の読者の皆さんがまるでアヘン中毒みたいにセックス中毒になっちゃう…考えてもみてくださいよ。立派な紳士の皆様方、例えばお医者様とか弁護士さん、エンジニアーさん、アピシットさま、アピラックさま、チャートゥロンさまみたいなイケメン政治家の方々がセックス中毒の女たちに追い掛け回されて仕事にならなくなっちゃうんじゃありません?   まあいいか、皮肉はここまでにして本題に戻りましょう。この記事を批判の槍玉に挙げて、私がここまでおちょくるのはなぜだろうか。「セックス中毒」は病気であるという決めつけに関しては、シータンヤー病院総裁が既に否定している。セックス依存というのは、アルコール、ギャンブル、ラグナロクゲーム、トーモーンさんのコラム、GMマガジン、週刊マティチョン、その他もろもろに対する依存症と同じようなものであり、社会問題として見ようと思えば見られなくもない。が、病気であると捉えることは間違っている。   この病気が10年来「流行している」とする見解も、何と比較を行っているのか不明であり、お話にならない。20年前に比べて今の人間がアダルト映像をよく見るようになったという事実も、セックス中毒患者の増加に単純に結びつけることは不適切ではないだろうか。アダルト映像産業の拡大、輸送システムの発達、VCDプレヤー価格の低下などの現象があり、また、エイズを恐れるあまり現実のセックスより自宅でアダルト映像をおかずにする人間が増えていることや、その他セックス中毒とは直接の関係がない無数の原因があるはずだ。   治療を受けようとする人間という観点から見た場合、精神科医にかかる患者の総数、精神科の患者数をとりあげてみれば、今のタイ人は昔に比べ精神の病を抱えている人間が増えているといえるのかもしれない。が、精神科の患者の増加から、精神を病むタイ人が増えていると単純に結論付けることはできるのだろうか。それよりは、精神科医や心理学に対する理解が変化し、精神科医にかかることイコール頭がおかしいというわけではない、という認識が生まれつつあることなども原因の一つとして考えてみる必要がある。また、最近のタイ人にとっての占い師や宗教の権威が低下し、精神科医は現代タイ人の心のよりどころとして、それらに代わる役割を果たしているのかもしれない。いってみれば、セックス中毒で治療を受ける患者数の増加が反映しているのは、昔なら自分に起こっていることが特に問題だとは感じず、治療の必要性など思いつきもしなかった、ということに過ぎないのではないだろうか。欲しくてたまらなかろうが、自分の手を使おうがそんなことはお前の勝手、亭主に一晩10回のしかかろうがこっちの知ったことか、それで嫌がる亭主なら新しいのを探せ、それと医者が何の関係がある、といったところである。   よく考えてみれば、セックス中毒というのはいかにもありそうなことで、性別、年齢を問わず全ての人間の身に起こっても不思議ではない。私自身もセックス中毒といえばいえるのかもしれないが、生きていく上でそれが問題だと感じない限り、治療が必要だとは思わないだろう。それどころか、一日のうちに何度もクオリティの高いセックスをしてリフレッシュできるなんて、とってもいいことじゃないかとすら思う。それなのにまた一体どうした大騒ぎだ。教育省が「愛をささやく」に代わる新語を探そうとするほどの大事なのか。男にとってのセックス中毒は憂慮の必要がないが、女にとってはそうはいかないというようなニュアンスが行間から感じられるのもひっかかる。そんなものの考えのせいで私たちが今さら振り戻されるのはこんなお決まりの思考パターンだ。セックスが好きな男は普通だけれど、女ならそれはどうかしている、セックスにおける女の役割は男の欲望を受け止めること、男にとって望ましい「ビーナス」とは、男に犯されるのを待っているような上品な女で、厚かましくも「ねえ、本当に欲しい。」と身をすり寄せてくるような女はヒステリー(タイ人の一般的な理解と用法に従った場合)だ。   また、経済的理由からではない少女売春を、セックス依存と結びつけることも短絡過ぎる解釈ではないだろうかと、そのお手軽ぶりに眉をひそめたくなる。女、男、ゲイ、またその他のセクシュアリティのうち誰がする場合にせよ、売春という行為には、様々な要因が絡み合っているものだ。愛、性、金銭、身体、資本、利益、商品化、宗教、リプロダクティブヘルスなどの意味に対する理解から始まり、苦しみや喜びをどう受け止めているか、セックスに何を求めているのか、国家の中における自身の位置づけに対する理解などもその中に含まれる。   「子供」の性行為に関するニュースが流れるや否や、社会や教育省が示す戦々恐々ぶりは、パニック状態の域に達している気がする。そう遠くない歴史を振り返ってみれば、チュラロンコーン王時代の刑法によれば、子供の年齢は12才を境に定めてあった。12才の女性をレイプした場合、それは女性に対する行為であって「子供」に対するものではなかったのである。王族の系譜を紐解いてみれば、宮中のやんごとなきお方たちが13才で子供を持っている例を見ることができる。13才で出産したということは、11,2才当時の妊娠ということになる。「子供」が性行為を行っている、という捉え方は単純に年齢によって判断されるものではなく、その時代の政治(国家、統治のあり方)、経済のあり方に影響されて変化する「子供」の定義づけや役割に左右されるものなのである。また、社会階層やその他の要素も関連してくる。   こういったパニック状態を見るにつけ、セックスを不潔でネガティブなものだと皮相的に捉えている限り、バスの中で性行為に及ぶ若者たちにあきれ返りののしり散らす(といっても実はこういう記事をかなりわくわくしながら読んでいる)ことを性懲りもなく繰り返すだけなのではないかと感じる。実のところセックスは、社会、経済、政治といった要因と結びつきながら歴史的に変遷を遂げてきた私たちの生き方の一部とすら言えるものなのに。 また明日にでもなれば、ティーンエージャーがショッピングセンター、道端、公園などでことに及んでいるというニュースを読むことができるだろう。具体的に、どんなやり方で、どんな風に服に手を突っ込んで愛撫し、女の子の方はどんな格好で色気づいているのか、まったく最近の子はなんて嘆かわしい、と騒ぎ立てるのはまるで、ネットでアダルトページの女の子を見ながら興奮しつつもあきれたと口にしている時と変わりがない。おーい一体こりゃあ、こういう子たちって恥ずかしくないのかね、こういうのと付き合うのはごめんだね、見ろよ、すげえ胸だなあ! […]

Book Reviews

Book Review: Ukkil: Visual Arts of the Sulu Archipelago

Ligaya F. Amilbangsa, Ukkil: Visual Arts of the Sulu Archipelago. Quezon City: Ateneo de Manila Press, 2006 Ukkil: Visual Arts of the Sulu Archipelago is a treatise on cultural practices inextricably linked to the political, economic, and social […]