Issue 30

Irigasi di Isan: Identitas Timur Laut dan Politik Air

Tulisan ini membahas bagaimana kebijakan air di Thailand Timur Laut (Isan) menghubungkan geografi wilayah dengan warganya, menghasilkan, memperluas, dan terkadang, menantang identitas politik mereka yang selama ini direndahkan. Saya berpendapat bahwa irigasi dan bendungan sangat […]

Issue 30

ชลประทานอีสาน: อัตลักษณ์ภาคตะวันออกเฉียงเหนือกับการเมืองเรื่องของน้ำ

บทความนี้พิเคราะห์ว่า นโยบายน้ำในภาคตะวันออกเฉียงเหนือของประเทศไทย (อีสาน) เชื่อมโยงภูมิศาสตร์ของภูมิภาคนี้กับประชาชนในท้องถิ่นอย่างไร มันก่อให้เกิด ขยายและบางครั้งก็ท้าทายอัตลักษณ์ทางการเมืองที่เป็นพลเมืองชั้นสองของพวกเขา  ผู้เขียนชี้ให้เห็นว่า การชลประทานและการสร้างเขื่อนมีบทบาทอย่างยิ่งในการรักษาความสัมพันธ์ที่ไม่เท่าเทียมระหว่างภาคตะวันออกเฉียงเหนือของประเทศไทยกับรัฐไทยภาคกลาง  นโยบายน้ำไม่ได้มีความเป็นกลางทางสังคม ตรงกันข้าม มันเชื่อมโยงลักษณะเชิงภูมิศาสตร์ของอีสาน กล่าวคือ ความร้อนและแห้งแล้ง ผูกกับความสำนึกว่าชาวอีสานล้าหลัง ด้อยกว่าและมีความกระด้างกระเดื่องทางการเมือง (ดังนั้นจึงจำเป็นต้องอยู่ภายใต้การปกครองที่เข้มงวดกว่า) อีสานหรือภาคตะวันออกเฉียงเหนือของประเทศไทยมีทั้งหมด 20 จังหวัด  อีสานเป็นภาคที่ใหญ่ที่สุดของประเทศ มีผู้อยู่อาศัยประมาณ 22 ล้านคนหรือ 33% ของประชากรทั้งหมดในประเทศ  ประชาชนในภูมิภาคนี้ที่เรียกกันว่าคนอีสาน ส่วนใหญ่พูดภาษาลาว  ตลอดประวัติศาสตร์ไทย พวกเขาถูกตีตราว่าไร้การศึกษาและล้าหลังเนื่องจากการจัดลำดับชั้นทางสังคมแบบชาตินิยม  อีสานเป็นภาคที่ยากจนที่สุดในประเทศ  มีรายได้ต่อหัวต่ำที่สุด ที่ดินในภาคนี้ส่วนใหญ่มีลักษณะดินปนทราย เป็นกรดและไม่อุดมสมบูรณ์ ทำให้การเพาะปลูกไม่ค่อยได้ผล  ด้วยเหตุนี้ […]

Issue 30

イサーンにおける灌漑——東北部のアイデンティティと水政策

本論では、タイ東北部(イサーン)の水政策が、この地域の地理条件や人々をどのように結び付け、イサーン人の従属的政治アイデンティティを生み出し、助長し、時には、挑戦しているのかを考察する。灌漑とダム建設は、タイ東北部とタイ中央政府との不均等な関係を維持する上で、絶対不可欠な存在だ。そもそも、水政策は社会的に中立的な政策ではない。むしろ、これは暑くて乾燥したイサーンの地理的特性を、イサーン人が後進的で劣った反体制派だ(ゆえに、より厳しく統治する必要がある)とするイメージに結び付ける政策なのだ。 タイ東北地方のイサーンには、20の県が存在する。この地方は、タイ最大の地域であり、その約2,200万人の住民は全国の総人口の33%を占める。この地域の人々、コーン・イサーン(khon Isan/イサーン人)は、主にラオ語の話者である。だが、タイ史のどの時代にも、イサーン人は無教養で後進的な人々との烙印を押されてきた。その原因は、民族主義的な社会のヒエラルキー構造にある。また、イサーンはタイで最も貧しい地域であり、1人当たりの国民所得は最低レベルだ。それにイサーンの大地は、砂で覆われ、酸性、不毛を特徴とし、これが農業経営を困難にしている。このため、同地域からバンコクに送られる出稼ぎ労働者は、タイの他の地域よりも多い。 大規模な水インフラは、干ばつに強いという口実でこの地域に売却され、二毛作を促進してきた。これらの政策は、100年近くの間、イサーンにおける政府の重要政策となっている。東北地方の政治家は、しばしば、このような政策がコーン・イサーンに水を供給し、生活と収入を向上させると言っている。だが大抵、中央政府と全国の政治家は、水政策を貧困からコーン・イサーンを「救う」手段であり、イサーン政治を支配する方法と位置付けている。とはいえ、後述するように、コーン・イサーンは受け身のアクターではない。むしろ、彼らは常に水管理をめぐって政府と闘ってきたし、そのような闘いを通じて、しばしば、自分たちの従属性に異議を申し立ててきた。この地域の水にまつわる歴史を分析する事で、どのように水政策が、コーン・イサーンを後進的とするイメージを生み出しているかが分かる。さらには、この分析によって、水政策がコーン・イサーンの新たな政治的実践を生み出す場となった事も明らかになるだろう。   水とイサーン支配 過去70年のうちに、イサーン地方は森林地帯から水田地帯へと、急速な環境の変化を経験してきた。また、これとほぼ同時期に、中央政府は様々な種類と規模の灌漑事業、6,000件以上に出資してきた。これらの事業は、この地域の約120万ヘクタールの土地に水を供給するために計画されたものだ。これらの事業では、同地域を乾燥した不毛の土地であり、これを開発し、住み良くするには、インフラが必要だとされている。 だが、これらの地理的特性にも、政策が関係している。というのも、タイで共産主義の反乱が起きた時代に、イサーンは、その地理条件や貧困、そしてラオスやカンボジアに国境を接する立地から、特に共産主義の影響を受けやすい地域と認識されていたのだ。これらの不安材料の重なりは、一連の政治的で開発主義的な傾向のある国家主導型の開発事業を開始させる動機を政府に与えた。そのようなわけで、米国の支援もあり、イサーンが経済・インフラ開発の優先対象とされた事で、近隣諸国の「共産主義の脅威」を抑制する緩衝地帯が生じる事が望まれていた。 1958年にサリット・タナラット(Sarit Dhanarajata)陸軍元帥がタイの主導権を握ると、彼はイサーンにおける幾つかの事業に着手した。この地域の出身者であるサリットは、米国から資金援助を受け、5年間の開発計画(1961年に発表)を推進した。この計画の一部であった緊急農村開発計画(Accelerated Rural Development Programs)は、県知事の管掌の下で反乱対策を講じ、経済改革を促進させる一つの手段であった。 当時、政府はコーン・イサーンの生業として、大規模な工業型農業を奨励していた。これに伴い、イサーン農民は、コメの生産高を上げるため、「緑の改革(Green Revolution)」の一環として導入されたハイブリッド種や、化学肥料、殺虫剤の使用を勧められた。このように、農業が変わってゆく状況の中で、新たな農法はコメの生産高向上に役立ち、農民は需要の増加に応じるべく、新たな土地区画を開墾した。この新たな手法は、土着農法よりも多くの水を必要とするものであった。 現在、イサーンには17基の水力発電ダムがあるが、最新のものは、ウボン・ラチャタニ(Ubon Ratchathani)県のパクムン(Pak Mun)・ダムだ。イサーンにおける農業の重要性を考えると、バンコクで権力を握った全ての政権が、この地域の開発ニーズに対する解決策の第一として、水資源を大いに重視してきたのは当然の事だと言える。だが、たとえ政府が、この地域の経済成長の促進のために巨大ダムの提案をしたのだとしても、これらは、バンコク向けに電力を発電するダムとされたのだ。このようにして、ダム建設はバンコクとイサーンの非対称的な関係性を助長する事になった。それに、コーン・イサーンは、ダムがもたらした結果に苦しみはしたが、これらの事業から、ほとんど何の恩恵も受けなかったのである。 また、論争の的となったパクムン・ダムの状況も、これと似たようなものだった。このダムが1994年に完成した後、多くの急流は水底に沈み、ムン川とその支流からは、150種類以上の魚種が姿を消した。これに対し、パクムン・ダムがもたらす灌漑と電力の恩恵には限りがあった。このため、貧民連合(Assembly of the Poor, 以下AoP)と世界ダム委員会(The World Commission on Dams , WCD)は、この事業を大いに批判した。また、このダムが建設される前には、適切な環境アセスメントが行われていなかった。しかも、商業と自給自足の両方の目的で、小規模な漁業活動を営む地域の村人は、川や河川資源に対するダムの悪影響に比べると、灌漑用水にどのような利点があるのか分からないと述べた。地元住民は漁業収入を失い、多くの者がAoPに代わってデモに参加した。これらの運動には、イサーン各地から人々が集まり、中にはシリントン・ダムなど、過去の事業の影響を受けた人々もいた。このようにして、人々は新たな方法で運動に加わる事となった。これらの運動は「タイ・バーン(Thai Baan)研究」を通じて、新たな知識を生産し、反覇権主義的な政策決定の可能性を提示した。そうする事により、彼らはイサーンの環境政策と政治的アクターの改革を行ったのである。 また同時に、政府は水力発電事業にも着手し、経済発展を促そうとした。この水関連のインフラ計画は、貧困を撲滅し、食糧の安全保障をもたらし、アグリビジネスに水を供給する手段として、具体的レベルで様々に正当化された。また、これらの計画には、重要な政治的意義もあった。というのも、これらは共産主義の反乱と闘い、政治的支援を得るために計画されていたからだ。この地域で最初の水力発電事業は、1971年に完成したラムドムノイ(シリントン・ダムLam Dom Noi/ Sirinthorn Dam)で、このダムの建設により、2,526世帯が強制的に彼らの土地を追われる事となった。その後、不毛な土地に再定住させられた彼らには、なけなしの補償が与えられたばかりである。 […]

Issue 30

การเปลี่ยนแปลงสภาพภูมิอากาศในประเทศไทย: ว่าด้วยการเมืองของความรู้และระบบการจัดการ

การเปลี่ยนแปลงสภาพภูมิอากาศเป็นความเสี่ยงด้านสังคม-สิ่งแวดล้อมระดับโลกที่ร้ายแรงที่สุดประการหนึ่งในศตวรรษที่ 21  งานเขียนหลายชิ้นที่ได้รับการรับรองจากผู้เชี่ยวชาญล้วนยืนยันว่า เหตุการณ์สภาพภูมิอากาศสุดขั้ว (extreme weather event) การสูญเสียถิ่นที่อาศัย ภัยพิบัติต่อพืชผลทางการเกษตร ชายฝั่งและเกาะที่จมลงใต้ระดับน้ำทะเลที่สูงขึ้น ทั้งหมดนี้เกิดขึ้นถี่กว่าเดิมและมีขนาดใหญ่กว่าเดิม  ภายใต้การแนะแนวทางของกรอบอนุสัญญาสหประชาชาติว่าด้วยการเปลี่ยนแปลงสภาพภูมิอากาศ (United Nations Framework Convention on Climate Change–UNFCCC) เพื่อรักษาความเข้มข้นของก๊าซเรือนกระจกที่ถูกปล่อยออกสู่ชั้นบรรยากาศให้มีค่าคงที่และรักษาความสามารถในการฟื้นคืนสู่สภาพปรกติจากผลกระทบที่จะเกิดขึ้นในอนาคต  ประเทศไทยตอบรับแนวทางนี้เป็นอย่างดีด้วยการจัดทำแผนแม่บทรองรับการเปลี่ยนแปลงสภาพภูมิอากาศ พ.ศ.2558-2593 (Thailand Climate Change Master Plan 2015–2050—TCCMP) แผนแม่บทนี้น่าชื่นชมในระดับนโยบายระหว่างประเทศ แต่การที่อุณหภูมิเพิ่มขึ้น 2 องศาเซลเซียสและโอกาสเสี่ยงที่จะเกิดอุทกภัยและภัยแล้งขั้นร้ายแรงมีเพิ่มขึ้น 15% สภาพเช่นนี้ส่งผลกระทบจริงๆ ต่อคนไทยอย่างไรกันแน่? […]

Issue 30

タイにおける気候変動——知識の政策と支配への影響

気候変動は、社会と環境に対する21世紀最大の世界的危機の一つだ。それに、異常気象現象や動植物の生息地の喪失、作物の不作、それに沿岸部や島しょ部の水没が生じる頻度や規模が増大している事は、査読を受けた出版物が裏付けている。そこで、温室効果ガス排出量の安定化と将来の影響に対するレジリエンスの構築を目指す国連気候変動枠組み条約(United Nations Framework Convention on Climate Change, 以下UNFCCC)に従って、タイは十分な対応を講じるべく、タイ王国バンコク都気候変動マスタープラン2015–2050(Thailand climate change master plan 2015–2050, 以下TCCMP)を策定した。確かに、この対応は、国際政策のレベルでは申し分のないものだ。だが、タイ人にとって気温が2℃上昇し、異常な洪水や干ばつが発生する可能性が15%高まるという事は、具体的に何を意味するのか? タイ語では“karn plien plang sapab puumi aagad”という気候変動には、様々な理解の仕方がある。例えば、科学者のように炭素濃度を計測する代わりに、おそらく農民は、季節的な悪条件による不作を通して気候変動を認識している。これに対して、宗教儀礼によって神々を鎮めるなり、さらに農薬を買うなりする必要も出てくるだろう。また、仏教僧侶の場合は、こころを正す事が悪天候の解消法につながる。つまり、道徳の重要性を回復する事で、これを自然に還元するという事だ。彼らにとっては、気候変動の問題は地域的、個人的に解決する事が可能な問題であり、これを解決するのに、いかなる国際機関に頼る必要もなければ、低炭素政策の策定も関係ないと思われている(Vaddhanaphuti 2020)。だが問題は、これらの宗教的発想に基づく行為が、気候変動問題の削減に有効と言えるのか?という点だ。 本論は、タイにおける気候関連知識と政策決定の展望を主題とし、気候関連知識の歴史的展開を検討し、気候変動に対する認識や対応の様々なあり方を探るものだ。気候変動については、種々の団体が主張する多様な現実がある。ところが、国内外のテクノクラート的な気候管理体制の下で、タイ人の気候関連知識は、温室効果ガス削減ばかりに限られているように思われる。つまり、その他の気候関連の知識形態が軽視されているのだ。そこで、気候政策における気候関連知識の多元性と公正を実現するため、この構造の道徳的、政治的影響を検討して、この分析を締めくくる。だが、誌面に限りもあるため、本論では主に、気候適応のコンテキストに焦点を絞りたい。 タイにおける気候関連知識と気候政策の形成 タイにおける気候変動の問題は、森林の生物多様性や、農作物の生産性に対する物理的、経済的影響を研究する学者たちの間で、1990年代の後半に持ち上がった。この学者たちは“predict-then-adapt(予測後適応)”という研究に携わっていた。この研究では、脆弱性に対する潜在的な社会的、政治的な原因の調査よりも、むしろ精確な予測(prediction)に必要な、気候の将来予測(climate projection)を微調整する事に主眼が置かれていた(Chinvanno and Kersuk 2012)。気候変動の社会面の研究は、特に都市や農村、沿岸などの領域で次第に増加していった(ここを参照)。2011年にタイ研究基金(Thailand Research Fund)は、タイにおける気候関連知識の状況を概観するため、タイ気候変動に関する第一次評価報告書 (Thailand’s First Assessment Report on […]

Civil Society Southern Thailand
Issue 28

Masyarakat Sipil di Thailand Selatan dan Negara yang Lemah

Idealnya, peran pemerintah adalah menjamin kebahagiaan dan kesejahteraan bagi warga negara; membuat aturan untuk melindungi warga dari konflik serta memastikan penegakan hukum dan tata tertib. Jika tidak, konflik kekerasan antara pemerintah dan warga negara dapat […]

Civil Society Southern Thailand
Issue 28

ภาคประชาสังคมในสามจังหวัดชายแดนภาคใต้ของประเทศไทยกับรัฐอ่อนแอ

ในอุดมคตินั้น บทบาทของรัฐบาลควรอำนวยความสุขและสวัสดิภาพแก่พลเมือง  วางกฎกติกาเพื่อคุ้มครองพลเมืองจากความขัดแย้ง รวมทั้งบังคับใช้กฎหมายและสร้างความเป็นระเบียบเรียบร้อย  มิฉะนั้นแล้ว ความขัดแย้งอย่างรุนแรงระหว่างรัฐบาลกับพลเมืองอาจเกิดขึ้น  ในทางทฤษฎีนั้น ภาคประชาสังคมอยู่นอกภาครัฐ  แต่การมีธรรมาภิบาลที่ดียากจะแยกขาดจากภาคประชาสังคม  กระนั้นก็ตาม รัฐที่อ่อนแอคือผลที่ตามมาเมื่อรัฐบาลไม่สามารถจัดการความรุนแรงภายในประเทศและเมื่อรัฐไม่สามารถกระจายจัดสรรผลดีทางการเมืองแก่พลเมืองของตนอย่างถ้วนหน้า  นี่คือกรณีที่เกิดขึ้นในประเทศไทย นับตั้งแต่วันที่ 4 มกราคม 2547  พื้นที่จังหวัดชายแดนภาคใต้ของประเทศไทยต้องเผชิญกับความปั่นป่วนทางสังคม  องค์กรภาคประชาสังคมเติบโตอย่างต่อเนื่องเพื่อตอบโต้ต่อการที่รัฐบาลไม่สามารถคุ้มครองชีวิตและทรัพย์สินของประชาชนในสามจังหวัดชายแดนภาคใต้  รัฐบาลไทยมักกระทำการลับๆ ล่อๆ  ยุยงให้ประชาชนในพื้นที่คอยสอดแนมกันเองโดยใช้ยุทธศาสตร์กองทัพที่เรียกว่า “ยุทธการข้อมูลข่าวสาร (Information Operations—IO)  การใช้ IO ผ่านเพจปลอมในเฟซบุ๊กที่เน้นการสร้างเนื้อหาเพื่อเผยแพร่และกระตุ้นให้เกิดความเกลียดชังต่อเครือข่ายของฝ่ายกบฏขบวนการแนวร่วมปฏิวัติแห่งชาติมลายูปาตานี (Barisan Revolusi Nasional Melayu Patani) หรือ  BRN-Coordinate นอกจากนี้ […]

Civil Society Southern Thailand
Issue 28

タイ深南部の市民社会と弱い国家

理想を言えば、政府の役割は国民に福利をもたらす事、すなわち、規範を作り、国民を紛争から守り、法と秩序をもたらす事であるはずだ。 そうでないなら、政府と国民の間には武力衝突が生じる可能性がある。理論上、市民社会は国家の枠外に存在するが、これを良い統治と切り離して考える事は難しい。だが、政府が国内紛争への対応に失敗し、政治財を国民に供給する事ができなければ、最終的には弱い国家となる。タイの場合がこれに当たる。 2004年1月4日以来、タイ深南部は社会不安に直面してきた。市民社会団体は、南部国境県の住民の生命や財産を保護する力の無い政府に対処するように、着実に成長してきた。タイ政府は秘密裏の行動をしている。政府は「情報作戦」(IO/Information Operations)という軍事戦略を用い、この地域の人々が互いに監視し合うように仕向けた。 架空のFacebookページを通じて行われるIOは、コンテンツの拡散と、反政府ネットワークであるパッタニ・マレー民族革命戦線(Barisan Revolusi Nasional Melayu Patani)、BRNコーディネート(BRN-Coordinate)に対する憎悪の扇動を中心としている。架空ページは、BRNコーディネートを支援する個人や組織(学者やNGOなど)の割り出しにも利用される。タイ王国国内治安維持部隊(Internal Security Operations Command)は、IOが10年以上にわたる軍事行動の一環である事を認めた。これはより多くの問題を市民社会にもたらし、国民がこの地域の和平プロセスに関与する事を一層困難にしている。 コロナウイルス感染症まん延の渦中は、タイ政府とBRNが敵対するタイ深南部の和平構築の絶好の機会があった。2020年4月3日にBRNコーディネートは、医療援助が必要な人々を救助する余地を設けるため、武力衝突を終結させるという声明を発表したが、この唯一の条件は、タイ政府が軍事活動を再開させない事であった。 …「今回、BRNは人道的理由により、全ての活動を停止させる。理由は、全人類の大きな敵がコロナウイルス感染症であると気が付いた事だ」BRN中央事務局(BRN’s Central Secretariat)のものとされる声明は、そのように伝えた。 南部国境県の平和を目指す仏教徒ネットワーク(the Buddhist Network for Peace in the Southern Border Province)の代表で、タイ最南部市民社会協議会(the Civil Society Council of Southernmost Thailand)の元副議長でもあるルクチャット・スワン(Rukchat Suwan)氏は、4月5日、個人のフェイスブックに「タイ政府関係者が攻撃を仕掛けていない限り」、誰もが参加することを喜んでいるためタイ政府はこの声明を無視してはならないとのコメントを投稿した。2004年にタイ南部各県で武力衝突が発生して以来、「南部国境県の平和を目指す仏教徒ネットワーク」は、南部国境の県に住む仏教徒で結成された。南部国境の3県で平和的に共存する方法の理解を深め、問題解決のための方法としての暴力を拒否するために、平和を目指し、すべての仏教徒のための援助を行っています。 権威主義的な国家の姿は、2020年4月30日のパッタニ県ノーンチック群(Nong Chik […]

Issue 28

Kingdom’s Edge by Richard Humphries

My journey into Thailand’s deep south began in late 2005 with a minivan journey from the southern Thai city of Hat Yai to Pattani. I was living in Malaysia at that time, and about to […]

Isan Redshirts Indentity KRSEA
Issue 27

อัตลักษณ์ในอีสานและการกลับมาของ “คนเสื้อแดง” ในการเลือกตั้งปี 2562 และอนาคตข้างหน้า

บรรยากาศมืดมนน่าขนลุกของการเลือกตั้งปี 2562  คือสัญญาณบ่งชี้ว่า เส้นทางสู่ระบอบประชาธิปไตยของประเทศไทยยังถูกสกัดขัดขวางจากยามชุดเดิม กล่าวคือ ชนชั้นนำเบื้องหลังรัฐบาลทหาร  ถึงแม้พรรคเพื่อไทย ซึ่งเป็นพรรคฝ่ายค้านพรรคใหญ่ที่สุด ได้รับคะแนนเสียงจนได้ที่นั่งเสียงข้างมากในรัฐสภา แต่กลับไม่สามารถตั้งรัฐบาลได้  ผลการเลือกตั้งเช่นนี้มีความหมายอย่างไรต่อผู้ลงคะแนนเสียงในภาคตะวันออกเฉียงเหนือ (หรือที่เรียกกันติดปากว่าภาคอีสาน)?  การส่งสัญญาณชัดเจนว่า พลเอกประยุทธ์ จันทร์โอชา ผู้นำรัฐบาลทหาร ตั้งใจจะครองอำนาจต่อไป  ประเด็นนี้จะกลายเป็นจุดเริ่มต้นที่ปลุกให้ขบวนการคนเสื้อแดงอันทรงพลังฟื้นคืนชีพอีกครั้งหรือไม่ เมื่อคำนึงถึงว่าขบวนการนี้เป็นการแสดงออกของความคับข้องใจทางการเมืองในภาคอีสานมาเป็นระยะเวลานานพอสมควร  ในบทความนี้ ผู้เขียนจะพยายามตอบคำถามข้อหลังจากมุมมองของสมาชิกรากหญ้าในขบวนการทางการเมืองนี้  ผู้เขียนต้องการอภิปรายให้เห็นว่า อัตลักษณ์ของคนเสื้อแดงและอัตลักษณ์ทางการเมืองในภาคอีสานโดยรวมในปี 2562 มีความซับซ้อนยิ่งขึ้นกว่าเดิม กระนั้นมันก็ยังไม่พัฒนาเป็นขบวนการทางการเมืองเชิงชาติพันธุ์ ประวัติศาสตร์ของ “คนเสื้อแดง” ในภูมิทัศน์การเมืองไทย ความขัดแย้งทางการเมืองที่นำไปสู่การรัฐประหารปี 2549 และการยึดอำนาจจากนายกรัฐมนตรีที่มีทั้งคนรักคนชังอย่างทักษิณ ชินวัตร ทำให้ประเทศไทยแตกแยกเป็นสองขั้ว  ฟากฝ่ายหนึ่งคือขบวนการเสื้อเหลือง […]

Isan Redshirts Indentity KRSEA
Issue 27

イサーンにおけるアイデンティティと2019年選挙、その他における赤シャツの再来

不気味なほど重苦しい2019年選挙の雰囲気は、タイの民主主義への道のりが、今なお軍事政権に支援された支配層エリートという、代わり映えしない門番に阻まれている事の隠しきれない兆だった。野党第一党のタイ貢献党(The Pheu Thai Party)は議会の過半数を獲得したが、政権樹立には至らなかった。これらの選挙結果は(イサーンとも呼ばれる)東北地方の有権者たちにとって何を意味しているのか?軍事政権の指導者、プラユット・チャンオーチャー将軍(General Prayuth Chan-ocha)が権力の座に居座るつもりだという明確なメッセージは、長年、イサーンで政治的不満の表れであった強力な赤シャツ運動を復活させる事となるのだろうか?本論では後者の疑問について、この政治運動に携わる一般活動家の視点からの回答を試みる。赤シャツ派のアイデンティティと、イサーンにおけるより一般的な政治的アイデンティティが、2019年になって一層複雑化している事、しかし、これが民族的な政治運動には発展していない事を論じる。 タイの政治情勢における赤シャツ派の歴史 政治的対立は2006年のクーデターをもたらし、渦中のタクシン・チナワット(Thaksin Shinawatra)首相を失脚させて国を二分化した。一方の黄シャツ運動(以前は民主市民連合、PAD/the People’s Alliance for Democracyと呼ばれていた)は、タクシンとその政治的協力者に激しい反感を抱き、その理由として汚職や縁故主義、権力乱用、反王政主義を挙げた。黄シャツ派の大半は中産階級の都市住民で、汚職政治家に対する嫌悪を公然と口にし、「タイらしさ」と関連した保守的価値観を支持していた。2005年から2006年にかけ、彼らは一連の抗議活動を行ってタクシン失脚を目論んだが、これが奏功して2006年のクーデターが実現した。対する赤シャツ運動(以前は反独裁民主同盟、UDD/ the United Front for Democracy Against Dictatorshipと呼ばれた)は、2007年頃にクーデターと黄シャツ運動に対抗して形成された。赤シャツ派デモ参加者の社会経済的背景は様々であったが、大多数は北部各県や貧困に苦しむ東北(イサーンとも呼ばれる)地方の出身者であった(Naruemon and McCargo 2011)。 2014年には、プラユット・チャンオーチャー将軍率いる軍事政権がタクシンの妹のインラック・チナワット(Yingluck Shinawatra)前首相と縁のある政権を排除した。タイの「色分けされた」街頭運動が、再び政治の中心に登場する事となった。このクーデターは元黄シャツ派デモの参加者やエリート支持者、反チナワット組織の同盟である民主主義改革協議会(the People’s Democratic Reform Committee /PDRC)の街頭デモに乗じ、赤シャツ派による対抗デモを口実に起こされた。ところが、PDRCの指導者たちが2014年のクーデター後に軍部の制裁対象とならなかった一方で、赤シャツ派は国中で厳しい取り締まりを受けた(Saowanee and McCargo 2019)。軍政の暴力的で抑圧的な手段のため、赤シャツ運動は実質上、無力化されてしまった。クーデター直後の抗議デモは小規模で散発的であり、そのほとんどが大学生や学者、あるいは自分は赤でも黄でもないという者達によって組織されていた。 クーデターから数年後、ようやく赤シャツ派は再び姿を現し、全国各地の様々な政治イベントに参加してその支持を表明するようになった。2016年7月24日にクーデター後最大の集会が憲法草案を検討するためにタマサート(Thammasat)大学で実施されると、大勢の赤シャツ派が集い、これ見よがしと赤い服装や装備一式を身に着けた。赤シャツ派は国民投票の監視など、個別の活動を実施しようと試みるが、これらが許可されることはなかった(Saowanee and […]