Issue 16 Sept. 2014

ASEAN Integration: Translating A Vision into Reality

As 2015, the date set for accomplishing an integrated regional community, looms near, for members of the Association of Southeast Asian Nations (ASEAN), there is much debate and discussion on how much has been accomplished. […]

Issue 16 Sept. 2014

Studying Comics From Southeast Asia

Since the turn of the millennium, comics have seen an unexpected increase in critical and scholarly attention. Apparently, this can be explained by three larger currents: first, the almost unrestrained expansion of the market economy, […]

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Pendahuluan: Mempelajari komik dari Asia Tenggara

Semenjak pergantian milenium, komik telah menarik perhatian yang lebih besar baik secara kritis maupun secara ilmu pengetahuan secara tidak terduga. Sangat jelas, hal ini dilatarbelakangi oleh tiga pergerakan yang lebih besar: yang pertama, ekspansi dari […]

Issue 16 Sept. 2014

序:東南アジア発の漫画研究

2000年に入ってから、漫画について批判的な視点や学問的観点から注目が予想以上に集まっている。明らかに、より大きな三つの流れがこの背景には存在している。一つ目は、ほぼ無制限な市場経済の拡大であり、消費主義や新たな類の「ポップカルチャー」もこれに含まれる。二つ目は、グローバル化の過程であり、これは例えば白石さやによると (2013: 236-237)、日本のマンガやアニメが特定の作品としてよりも、他の社会に応用可能な文化産業のモデルとして、世界的な規模で普及している事に現れている。三つ目が、情報社会の出現により、参加型で流動的な文化の形態が脚光を浴びるようになった事であり、これについてはファンアートやコスプレ、ソーシャルネットワーキングサービスなどを挙げておけば十分であろう。全く驚くべきことに、漫画が一般に認められたのは、基本的に従来の活字メディアによって形成された漫画のアイデンティティに崩壊が生じた、ちょうどその時であった。 こうした流れが、メディア研究や文化人類学、社会学、さらにその他の分野における、マンガ関連の研究を推し進めてきた。この点について、ある東アジアと東南アジアのポップカルチャーの編著本の序章には、次の事が誇らしげに述べられている。「学会であるテーマが妥当かどうかを示す基準の一つは、経済学者や政治学者たちが、これをいつ重視するようになるかである」(Otmazgin & Ben-Ari 2013: 3)。大抵、このような権威付けが意味するのは、マクロ分析の方が入念な個々の事例のクローズアップよりも好まれるということである。せいぜい、漫画はこれといったメディア特有の属性を持たぬ、単なる一次資料の役割を果たせば良いということになる。しかし、このような傾向は、政治学の分野それ自体よりも、過去十年間の学術研究の変化に負うところが大きいようだ。上記の本より40年前、Benedict Andersonは、インドネシアのアニメと漫画を用いて、インドネシアの政治的コミュニケーションの研究を行っていたが、これは今日でも驚くほどに洗練された手法であった。「形式は内容と同じ程度にものを言う」(1990: 156)などの基礎前提や、娯楽的な続き漫画は、一コマの政治漫画とは違い、研究者が「形式に目を向け、しかる後に内容を見る」事を要するという見解は、決して時代遅れなどではない。むしろ、特に現代の地域研究で漫画を使う有効性を示している。日本研究は、近年のマンガと関連メディアの有効性を示している点で先を行く。ここでの主流は、漫画研究をポップカルチャーや社会科学の分野に割り当てる傾向で、テキスト分析やヴィジュアル吟味、その他の美学的考察は大抵が無視されたままである。アメリカやヨーロッパの漫画は、「グラフィック・ノベル」という名のもと、あちらの文学部で学術的に考察される一方、特に日本のマンガ、より一般的にはアジアのマンガは、このような学術的取り組みの価値が無いかのようにみなされている。 しかし、この特集号の諸論文は、必ずしも、ある地域研究の枠組みに依拠しているわけではない。ここに掲載された論文は、東南アジア研究を優先させるというより、漫画とその研究に関する論文である。これらが東南アジア研究に貢献できぬと言うのではなく、ただ、そのような貢献が漫画研究を介して行われるという事だ。その意味をここで手短に述べておいた方が良いであろう。 世界的な規模で、漫画研究は、英語、フランス語、日本語、あるいは、アメリカン・コミックス(アメコミ)、バンド・デシネ、マンガといった地政学的、言語学的に明確な文化に応じて枝分かれしており、興味の大半は英語、フランス語、日本語の漫画である。東南アジアの漫画に焦点をあてるという本号の試みは、まだ、かなり例外的なものである。通常、漫画文化の研究は、北アメリカ、西ヨーロッパと日本の比較が中心で、時折、特に日本のマンガについては、韓国や中国語の市場の比較もこれに含まれる。この偏重ぶりは、インドネシアと日本の漫画プロジェクトにもあらわれた。これは2008年に国際交流基金(ジャパン・ファウンデーション)が二カ国間の国交50周年を機に後援、実施したものである。この成果であるDarmawan とTakahashiの編集による短編集は、当初、両国の言語で出版される予定であったが、日本語版はついに実現せず、日本人のマンガ評論家や読者たちが、インドネシアと日本の両国に起源を持つ非マンガ形式の漫画について学ぶことができなかった。 本号では、東南アジアにおける「マンガ」の役割だけに着目しているわけでもない。焦点はむしろ、漫画の多様性にあり、その範囲は自伝的物語から、絵日記、エッセーのようなブログ上の書き込み、教育向けの作品(歴史教育や性教育に関するものも)、さらには娯楽的フィクションに及ぶ。興味深いことに、紹介された作品例の大半が、もはや「日本の」、「インドネシアの」、「ベトナムの」、といった文化によって分類できるような範疇には当てはまらぬものである。それどころか、さまざまな形でフュージョン・スタイルと呼ぶべきものに広がっていることが特徴的である。さらには、一方では商業的で、型通りで、ファン本位のものとしての「マンガ」があり、もう一方には個人的で、創造力に富んだグラフィック・ナラティブとしての「同人誌」があるという差別化が東南アジアの漫画には必ずしも当てはまらないということが示唆される。おおよその場合、西洋的、日本的観点からも相互に排他的であると見なされているこの二つの種類が、文化的、経済的状況に関する限り、多くの共通点をもつように見えるのである。マンガであれ同人誌であれ、作家達が、少なくとも、それだけで生計を立てることは不可能なのである。 近年では、東南アジアの若手研究者で、大抵が日本を拠点にマンガ研究に携わる者達が、自分達の地域の漫画に注目し、これらを日本語で批判的に紹介しようと懸命に努力している。すでに1990年代の後半には、アメリカで教育を受けた文化人類学者で、インドネシアの専門家である白石さやがこの分野に着目しており、初めは日本マンガの普及について、しかし程なくして、現地の漫画文化についても関心をもつようになった。2013年に彼女の論文集が日本語で出版されたことから、彼女の初期の取り組みを再発見し、今日の方法論的問題と関係付けて読みなおすことができるであろう。同様に、特筆しておくべきことは、ベテランの漫画歴史家John Lentが、1999年から、“The International Journal of Comic Art (IJOCA)”という雑誌を世界中のアニメやグラフィック・ナラティブに関する記事のために提供してきたことである。これらの筆者たちの中には、彼の最新巻“Southeast Asian Cartoon Art (2014)”に寄稿した者もいる。これらの評論的、学術的試みに加え、重要な漫画名作選についても、最後に触れておこう。“Liquid City”は、ちょうどその第3巻が出版されたところである(Liew 2008, Liew & Lim 2010, Liew & Sim […]

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คำนำ: การศึกษาการ์ตูนช่องจากเอเชียตะวันออกเฉียงใต้

นับแต่เปลี่ยนสหัสวรรษใหม่ การ์ตูนช่องได้รับความสนใจในเชิงวิพากษ์และวิชาการเพิ่มขึ้นอย่างคาดไม่ถึง เห็นได้ชัดว่าปรากฏการณ์นี้มีภูมิหลังจากกระแสที่ใหญ่กว่าสามประการคือ ประการแรก การขยายตัวของระบบเศรษฐกิจตลาดอย่างแทบไร้การควบคุม รวมทั้งลัทธิบริโภคนิยมและ “วัฒนธรรมป๊อบ” ที่เกี่ยวเนื่องกัน ประการที่สอง กระบวนการโลกาภิวัตน์ทำให้ผลงานบางอย่าง อาทิเช่น มังงะและอนิเมะของญี่ปุ่นที่แพร่หลายไปทั่วโลกมีลักษณะเป็นผลงานเฉพาะกลุ่มน้อยลง แต่กลายเป็นแบบจำลองของวัฒนธรรมอุตสาหกรรมที่สังคมอื่นรับมาเป็นของตัวเองได้ ดังที่มีอธิบายไว้ในงานเขียนของ Shiraishi Saya (2013: 236-237) และประการที่สาม ความเฟื่องฟูของสังคมสารสนเทศ ซึ่งทำให้รูปแบบวัฒนธรรมแบบมีส่วนร่วมและปรับเปลี่ยนได้ก้าวขึ้นมาอยู่แถวหน้าสุด ยกตัวอย่างง่ายๆ เช่น แฟนอาร์ต คอสเพลย์ และบริการเครือข่ายสังคมเฉพาะกลุ่ม เป็นต้น เรื่องที่น่าสังเกตอย่างยิ่งอีกประการหนึ่งก็คือ การ์ตูนช่องได้รับการยอมรับจากสาธารณชนในช่วงเวลาเดียวกับที่อัตลักษณ์ของการ์ตูนช่องที่เคยถูกกำหนดรูปลักษณ์พื้นฐานจากความเป็นสื่อสิ่งพิมพ์กำลังจะสิ้นสุดลงพอดี กระแสทั้งสามข้างต้นช่วยเอื้ออำนวยให้เกิดงานวิจัยที่เกี่ยวข้องกับการ์ตูนช่องในภาควิชานิเทศศาสตร์ มานุษยวิทยาวัฒนธรรม สังคมวิทยา รวมถึงภาควิชาอื่นๆนอกเหนือจากนี้ คำนำของหนังสือรวมบทความเกี่ยวกับวัฒนธรรมป๊อบในเอเชียตะวันออกและเอเชียตะวันออกเฉียงใต้ตั้งข้อสังเกตอย่างภาคภูมิใจในประเด็นนี้ว่า “บรรทัดฐานหนึ่งที่บ่งบอกความชอบธรรมของหัวข้อศึกษาในโลกวิชาการก็คือเมื่อนักเศรษฐศาสตร์กับนักรัฐศาสตร์เริ่มสนใจหัวข้อนั้นอย่างจริงจัง” […]

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Educational Komiks: Shifting Perspectives

Komiks has been with part of Philippine culture for quite some time. Ambeth Ocampo and Dennis Villegas would  offer Jose Rizal as one of the earliest to illustrate komiks (Villegas, 2011 and Ocampo, 1990). Yet […]

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Komik Edukasi: Pergeseran Perspektif

Komik telah menjadi bagian dari budaya Filipina untuk waktu yang cukup lama. Ambeth Ocampo dan Dennis Villegas telah memperkenalkan Jose Rizal sebagai satu dari orang Filipina pertama yang menggambar komik. (Villegas, 2011;)(Ocampo, 1990) John A. […]

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教育用漫画:変化する認識

漫画は長らく、フィリピン文化の一部となってきた。例えば、Ambeth OcampoとDennis Villegasは、フィリピンの英雄であるホセ・リサール(Jose Rizal)を漫画で描いた最初期の人物の一人だ (Villegas, 2011) (Ocampo, 1990)。John A. Lentは、フィリピン人がはじめて漫画に魅了されたのは風刺画を発表していたスペイン占領時代であるとしている (Lent, 2004) 。1930年代はフィリピン漫画の創成期と見なされており、Tony Velasquezの“Mga Kabalbalan ni Kenkoy”が出版された時期であった。そのため、Velasquezは「フィリピン漫画の父」と認識されていた(Roxas & Arevalo, 1985)。しかし、その出版よりも先に、フィリピン人は1900年代にはすでに風刺画を制作し、消費していた(McCoy & Roces, 1985)。 風刺画が社会問題をそれとなく批判する手段であるとすると、漫画は手頃な娯楽の一形態と見なされ、フィリピンの人々はこれを消費することで、日々の現実から逃れようとしていた。しかしReyesは漫画の主要なテーマが、単にファンタジーに関連したものだけでなく、現実的側面も含むものだと考えていた。そして、作家たちは漫画というメディアを、笑いの提供から洗練されたストーリーテリングのジャンルへと変化させる。1930年代から1980年代にかけて、漫画のレパートリーに含まれるようになったロマンスやSF、成人向けなどの様々なジャンルは、実質的にフィリピン文学の神話や叙事詩、小説や短編作、awitやcorridoにとって代わる事となった。漫画の魅力は、単に手頃であるというだけでなく、その言葉づかいや、絵が文を補う点にもあったのだ(Reyes, 1985)。 このメディアが成熟すると、漫画は教育的用途を含むようになった。日本占領期の後、漫画家たちは戦争に関する物語を制作するようになった。その最初期の作品の一つには、Antonioの“Lakan Dupil: Ang Kahanga-hangang Gerilya”がある。これは1947年3月にLiwaywayマガジンから出版されたものである。この連載は、想像上の登場人物を中心とし、日本占領期を舞台にゲリラ活動やカリバピの裏切り、憲兵隊の拷問などを描くものであった。フィリピン最大の漫画出版社、Ace Publications, Inc.は、教育的古典(Educational Klasiks)の第六巻を刊行した。これは1960年1月11日に始まったもので、その意図は、これを私公立の学校の補助的読書教材にする事であった(Komiklopedia, 2007)。 このような歴史ものの漫画が存在しても、読者たちがこれを教育的目的で使い始めるには、時間がかかるだろう。最も初期の作品は、Balagtasの“Florante at Laura”で、これはPed […]

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การ์ตูนช่องเพื่อการศึกษา: มุมมองที่เปลี่ยนไป

การ์ตูนช่อง (Komiks) เป็นส่วนหนึ่งของวัฒนธรรมฟิลิปปินส์มายาวนานทีเดียว อัมเบธ โอคัมโปและเดนนิส วีเญกาสเคยชี้ว่าโฮเซ่ ริซัลคือหนึ่งในคนฟิลิปปินส์รุ่นแรกสุดที่วาดการ์ตูนช่อง(Villegas, 2011) (Ocampo, 1990) จอห์น เอ. เลนท์เชื่อว่า ชาวฟิลิปปินส์ชื่นชอบภาพวาดการ์ตูนช่องมานมนาน ตั้งแต่สมัยที่นิตยสารตีพิมพ์ภาพการ์ตูนในยุคอาณานิคมสเปน (Lent, 2004)ผู้สันทัดกรณีระบุว่า ทศวรรษ 1930 เป็นจุดเริ่มต้นของการ์ตูนช่องในฟิลิปปินส์เมื่อมีการตีพิมพ์การ์ตูนช่องเรื่อง “Mga Kabalbalan ni Kenkoy” ของโทนี เวลาสเกซ ด้วยเหตุนี้ เวลาสเกซจึงได้รับการยกย่องเป็น “บิดาแห่งการ์ตูนช่องฟิลิปปินส์” (Roxas & Arevalo, 1985) อย่างไรก็ตาม ก่อนหน้าการตีพิมพ์หนังสือของเวลาสเกซ […]

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Comics in Vietnam: A Newly Emerging Form of Storytelling

The Concepts of Comic in Vietnam Comics in Vietnam have suffered criticism from the general public because of the widely felt overtones surrounding the word “comic”.  “Comic” in Vietnamese is “truyen tranh” — whereby  “truyen” means […]

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Komik di Vietnam: Satu Bentuk Bercerita Yang Baru Muncul

Konsep tentang komik di Vietnam Komik di Vietnam telah menderita akibat kritik oleh masyarakat umum yang disebabkan karena pemahaman mereka tentang kata ‘comic’. ‘Comic’ di dalam bahasa Vietnam adalah ‘truyen tranh’ – yaitu ‘truyen’ berarti […]

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ベトナムの漫画、新たに出現するストーリーテリングのかたち

 ベトナムにおける漫画の概念  ベトナムにおける漫画が、一般の人々から批判を受けてきたのは、彼らの「漫画」という言葉に対する解釈のためである。ベトナム語の「漫画」は “truyen tranh” で、“truyen” が「物語」を、“tranh” が「絵」を意味する。年配世代はこの言葉を子供用の絵入りの物語と認識している。その一方で、若い世代は「漫画」を日本のマンガと同一視している。   「絵入りの物語」としての漫画が、社会で高く評価されていないのは、長年にわたる中国儒教からの影響がある。「物語(truyen)」の内容に教育的、道徳的価値観が無くてはならないと考える人が少なくない。1990年代までの漫画は、知恵や理想についての代わり映えのしないストーリーばかりだった。しかし、漫画にはいろんなジャンルがあり、あらゆる年齢層を対象としている。性的なシーンや暴力、大人の言葉づかいや大人向けの題材で書かれた漫画を見れば、年配世代はこれらが子供達に有害なものだと考えるかもしれない。  つまり、漫画が若者たちに大変人気で、ベトナムの若者文化に欠かせぬものの一部になっているという事実にもかかわらず、漫画は文学あるいは国の「精華(tinh hoa)」であるとは見なされていない。 ベトナムの漫画  漫画は新聞に発表されるだけではなく、作品集のかたちでも出版されてきた。ベトナム漫画には様々なテーマがあり、娯楽や教育、さらにはプロパガンダにも用いられてきた。1960年代後期から1975年まで、漫画はサイゴンで全盛を極めていた。この時代がベトナムで漫画家を増やすきっかけとなった。当時、最も有名な漫画家はVo Hung Kietで、彼は切手を手掛けるイラストレーターでもあった。彼の漫画は子供達に大変な人気があった(図2、3)。1970年代には、ベトナム漫画の外に、中国の连环画(Lianhuanhua: 手のひらサイズの絵本で、連続的な絵が描かれている)やバンド・デシネ(フランスとベルギーの漫画)、アメリカン・コミックス(アメコミ)などが存在した。しかしこれらの漫画は、粗末な印刷の海賊版がベトナム語に翻訳されたものでしかなかった。 ベトナム漫画の発展に大きな変化があったのは1987年以降である。この時代の漫画はアメコミに似せて作られたが、1987年から1990年にかけて着実に発展し、漫画家の人数も、漫画のジャンルも増加した。さらに子供達の需要に答え、政府は漫画制作の促進をとりわけ重視した。最も有名であった漫画家はHung Lanで、その漫画(“Vietnamese fairy tales”, “Toet and Xe”, “Co Tien Xanh”など)は広く読まれていた。ただしその内容というと、教育や道徳哲学などに関するものであった。  1992年には、『ドラえもん』がKim Dong 出版社によって輸入され、ベトナムで初めて出版された日本の漫画(マンガ)となった。『ドラえもん』はすぐに大流行し、4万部以上が販売された。その成功の後、他の出版社もマンガの出版を手掛けるようになる。1995年には、『美少女戦士セーラームーン』と『ドラゴンボール』が出版され、マンガ旋風を巻き起こした。教育的で道徳的な物語のベトナム漫画を圧倒したマンガには、若い読者たちの需要を満たす物語があったし、非常に安い価格で売られていた。マンガは、ほとんどが海賊版であったにもかかわらず、漫画市場全体を支配していた。これに変化が起きたのが2004年で、ベトナムはこの年、文学的および芸術的著作物の保護に関するベルヌ条約の拡大版に署名して、著作権を重んじるようになった。結果、マンガの販売と内容の管理は、以降、厳しい規制を受ける事になった。 新しいベトナム漫画のかたち 日本マンガの他には、韓国と中国の漫画が漫画市場を占めてきた。漫画は子供向けのものであるという偏見が根強いため、ベトナム独自スタイルで漫画を制作する事は困難である。外国漫画の大流入に直面し、ベトナム人漫画家たちも漫画を描くように努めてきた。2002年には、Phan Thi社が、“Than dong Dat Viet(ベトナム神童)”というタイトルの連載漫画を刊行し、これがベトナム漫画に変化をもたらす事となった(図4、5)。“Than dong Dat […]

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การ์ตูนช่องในเวียดนาม: การเล่าเรื่องรูปแบบใหม่

มโนทัศน์เกี่ยวกับการ์ตูนช่องในเวียดนาม การ์ตูนช่องในเวียดนามถูกวิพากษ์วิจารณ์จากสาธารณชนสืบเนื่องจากความเข้าใจที่มีต่อคำว่า “การ์ตูนช่อง” (comics)  คำว่า “การ์ตูนช่อง” ในภาษาเวียดนามคือ “truyen tranh”  คำว่า “truyen” แปลว่า “เรื่องราว” ส่วน “tranh” แปลว่า “ภาพ”  คนรุ่นเก่าจึงเข้าใจว่าหมายถึงเรื่องราวที่มีภาพประกอบสำหรับเด็ก  อย่างไรก็ตาม คนรุ่นใหม่จะเข้าใจคำว่า “การ์ตูนช่อง” ในความหมายเดียวกับมังงะของญี่ปุ่น ในฐานะ “เรื่องราวที่มีภาพประกอบ” การ์ตูนช่องไม่ได้รับการยอมรับมากนักในสังคม สืบเนื่องจากอิทธิพลยาวนานของลัทธิขงจื๊อจากประเทศจีน ซึ่ง “เรื่องราว (truyen)” ต้องมีคุณค่าด้านการศึกษาและคติศีลธรรมในเนื้อหา  จนกระทั่งทศวรรษ 1990 การ์ตูนช่องก็ยังมีโครงเรื่องเดิม ๆ เกี่ยวกับภูมิปัญญาและอุดมคติ  […]

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Tren Terkini dalam Komik Singapura: otobiografi populer

Seandainya penghargaan merupakan indikasi dari hal apapun, maka komik Singapura kelihatannya sudah mencapai sukses. Di bulan Februari 2014, Ten Sticks and One Rice (Sepuluh Tusuk dan Satu Nasi), dikarang oleh Oh Yong Hwee dan digambar […]

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シンガポール・コミックスの現在のトレンド:自伝が主流となる時

もし、受賞することが何らかの指標であるなら、シンガポール漫画は良い方向に進んでいるようだ。2014年2月、Oh Yong Hwee原作、Koh Hong Teng作画の〝Ten Sticks and One Rice″が、国際漫画賞(International Manga Award)の銅賞を受賞した。日本の外務省が主催するこの国際漫画賞は、海外で漫画の振興に寄与した漫画家を讃えるために創設された。第七回国際漫画賞には、53カ国から256名の参加登録があり、〝Ten Sticks and One Rice″は、シンガポール唯一の受賞作品だ。この漫画を出版したエピグラム・コミックス社は急成長していて、2013年にこの出版社が刊行したもう一冊の漫画、Andrew Tan (drewscape)による短編、〝Monsters, Miracle and Mayonnaise″はアイズナー賞の最優秀短編にノミネートされた。受賞はしていないけど。 シンガポールの漫画出版の現実は、残念だけど、賞を受賞したり、ノミネートされたりしても、漫画で食べていけるほどの販売部数と結びつかない。評論家たちからは称賛を受けたけど、〝Ten Sticks and One Rice″は1000部出版されて、実際売れたのは約650部だけだった(Nanda, 2014)。Kohは漫画で食べていこうとしたんだけど、売り上げが少なく、結局、収入を補うべくフリーランスの仕事をしたり、美術学校で非常勤講師を務めたりしなくてはならなかった。一方、Ohはウェブ・デザインの会社を所有しているので、執筆を趣味として行うことができた。〝Monsters, Miracle and Mayonnaise″に関しては、初版の1000部が売り切れ、増刷される事となった。〝Monsters, Miracle and Mayonnaise″のTanもフリーランスの売れっ子アーティストで、漫画は副業にすぎない。 シンガポールの漫画史に特徴的なのは、作家たちが生活を漫画の執筆に頼っていないというところだ。この最たる例がEric Khooの〝Unfortunate Lives: […]

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แนวโน้มของการ์ตูนช่องในสิงคโปร์ยุคปัจจุบัน: เมื่ออัตชีวประวัติกลายเป็นกระแสหลัก

ถ้าใช้รางวัลเป็นเครื่องบ่งชี้ ก็ดูเหมือนการ์ตูนช่อง (comics) ของสิงคโปร์กำลังประสบความสำเร็จมากขึ้นเรื่อยๆ ในเดือนกุมภาพันธ์ ค.ศ. 2014 การ์ตูนช่องเรื่อง Ten Sticks and One Rice ที่เขียนเนื้อเรื่องโดยโอยงฮวีและวาดภาพโดยโก๊ะฮงเติงเพิ่งได้รับรางวัลเหรียญทองแดงจาก International Manga Awardรางวัล International Manga Awardเป็นการแจกรางวัลที่กระทรวงการต่างประเทศญี่ปุ่นริเริ่มขึ้นเพื่อเป็นเกียรติแก่ศิลปินมังงะที่มีคุณูปการส่งเสริมมังงะในต่างประเทศ การแจกรางวัลของ International Manga Award ครั้งที่ 7 มีผู้เข้าร่วมประกวด 256 รายจาก 53 ประเทศ การ์ตูนช่องเรื่อง Ten Sticks and […]

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インドネシアの漫画Wanaraを通じたインドネシア漫画の分類区分の曖昧化

漫画はインドネシアにおける最も重要な出版形式の一つである。翻訳された漫画出版物の初版は、その他全ての出版物よりも五倍(一作品につき15,000部)多い (Kuslum, 2007; Indonesia Today, 2012) 。日本の漫画の翻訳版がインドネシアで最もよく売れている本であり(Kuslum, 2007)、インドネシアで書かれて出版された漫画の数は、輸入された漫画の数に比べると少ない。  漫画出版社大手のElex Media Komputindo (EMK)は、毎月、日本漫画の翻訳本52冊に対し、現地の漫画1冊の割合で発刊している。もう一つの漫画出版社大手のM&Cによれば、彼らの出版物の70%が日本漫画の翻訳本である(Kuslum, 2007)。翻訳された日本の漫画の人気が高いのは、そのクロスメディア戦略にも依拠している。日本の漫画の人気が高すぎるので、インドネシア人たちの間では、現地の漫画を重視しようという動きも生まれている(Ahmad他、2005: 1, 2006: 5, 44–45; Darmawan, 2005)。全国紙Kompasの記事を見ても、或いは、DI:Y (Special Region: Yourself) 漫画展(2007)や、インドネシア漫画の歴史展(Indonesian Comics History Exhibition)(2011)といった展示会が開催されることからも、インドネシアの漫画を盛り上げようとする動きがあることが分かる。   インドネシアの読者たちは現地の漫画が持つニュアンスや、外国の漫画がそれぞれどう違うのか、という事がわかるようになってきている。読者たちがニュアンスの違いを理解できる理由の一つは、外国の漫画出版物が異なる時代に紹介されたからである。スーパーヒーローの漫画がアメリカから輸入されたのは1950年代であり、『タンタン』や『アストリックス』などの冒険漫画がヨーロッパから入ってきたのは1970年代であった。日本の漫画が市場に参入したのは、1980年代の終わりである。もう一つの理由は、それぞれの外国の漫画が特有の画風を持つことである。いくつかの出版物を見れば、また、漫画出版の慣例を見てみると、こうした二つの要因が組み合わさって、漫画の分類が行われていることが分かる(Ahmad他、2005, 2006; Giftanina, 2012; Darmawan, 2005)。そして、読者や出版社、漫画家たちは、現地のある漫画を取り上げて、これはある外国のスタイル(gaya)で描かれていると述べたりするのである。  このスタイル(インドネシア語でgaya)とは、画風のことである。インドネシアの漫画論で、gayaと言えば、登場人物の描写や、コマ割、テーマなど、視覚的なステレオタイプに関する要素を指す。分かりやすい例としては、日本漫画(マンガ)の大きな瞳をした登場人物、写実的な筆致のアメリカのスーパーヒーロー漫画、ヨーロッパ漫画に用いられるリーニュ・クレール(ligne Claire/明晰な線)などである(Giftanina, 2012; […]

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Wanara กับการพร่าเลือนเส้นแบ่งกลุ่มของการ์ตูนช่องในอินโดนีเซีย

จำนวนพิมพ์ครั้งแรกสำหรับการ์ตูนช่องที่แปลมาสูงกว่าหนังสืออื่นถึงห้าเท่า (15,000 ฉบับต่อเรื่อง) (Kuslum, 2007; Indonesia Today, 2012) การ์ตูนช่องที่แปลจากญี่ปุ่นยึดครองตำแหน่งหนังสือขายดีในอินโดนีเซีย (Kuslum, 2007) อย่างไรก็ตาม จำนวนการ์ตูนช่องที่เขียนและตีพิมพ์ในอินโดนีเซียกลับมีน้อยกว่าเมื่อเปรียบเทียบกับการ์ตูนช่องที่นำเข้าจากต่างประเทศ Elex Media Komputindo (EMK) เป็นสำนักพิมพ์การ์ตูนช่องรายใหญ่ ในหนึ่งเดือนสำนักพิมพ์นี้ตีพิมพ์การ์ตูนช่องที่แปลจากญี่ปุ่น 52 เล่มต่อการ์ตูนช่องท้องถิ่น 1 เล่ม M&C สำนักพิมพ์การ์ตูนช่องรายใหญ่อีกบริษัทหนึ่งยอมรับว่า ร้อยละ 70 ของหนังสือที่ตีพิมพ์เป็นการแปลจากภาษาญี่ปุ่น (Kuslum, 2007) ความนิยมในการ์ตูนช่องที่แปลจากญี่ปุ่นได้รับการส่งเสริมจากยุทธศาสตร์สื่อผสมผสานด้วย สภาพการณ์นี้ก่อให้เกิดความวิตกเกี่ยวกับการ์ตูนช่องท้องถิ่นขึ้นมาในหมู่ชาวอินโดนีเซีย (Ahmad.et.al, 2005: 1, […]

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Did Goethe read comics?

Comics were not around during the life-time of Johann Wolfgang von Goethe, but as a prolific writer who sketched all his life, he would have loved them. The Goethe-Institut with its idea of discovering cultural […]

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Review: Kid Stuff

Titi Larasati, Kid Stuff  Bandung: Curhat Anak Bangsa, 2010Reviewed by Elbert Or Tita Larasati, a comics artist based in Bandung, Indonesia, carries her black hardbound notebooks wherever she goes, and takes every opportunity to record her experiences […]