Issue 26 Sept. 2019

Review– Authoritarian Modernism in East Asia

Title: Authoritarian Modernism in East Asia Author: Mark Thompson   Publisher: Palgrave Pivot; 1st ed. 2019 edition (December 29, 2018) 130 pages Over the past decade, democracy has regressed in much of Asia, though there are […]

Issue 26 Sept. 2019

Review– Robert Kuok. A Memoir

Title: Robert Kuok. A Memoir with Andrew Tanzer Author: Andrew Tanzer  Publisher: John Beaufoy Pub  376 pages Moulded by Chaotic Times For his countrymen, the appearance of “Robert Kuok. A Memoir” on bookshelves in late […]

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Issue 25 Mar. 2019

ทัศนะต่อที่ดินที่เปลี่ยนไปในประเทศลาว: จากอำนาจอธิปไตยของรัฐกลายเป็นการระดมทุน

วันที่ 23 สิงหาคม 2013 ผู้เขียนได้พบนางคำตัน สุรีดาราย สยารัด (Khamtanh Souridaray Sayarath) ที่กรุงปารีส ประเทศฝรั่งเศส  นางคำตันเกิดที่เมืองจำปาศักดิ์ในภาคใต้ของประเทศลาว  เธอเป็นผู้หญิงลาวคนแรกๆ ที่จบการศึกษาจากโรงเรียนกฎหมายในเวียงจันทน์เมื่อช่วงทศวรรษ 1950  หลังจากจบการศึกษา เธอเคยดำรงตำแหน่งในกระทรวงอุตสาหกรรม กระทรวงวัฒนธรรมและกระทรวงการค้า  ในปี 1962 เธอรับตำแหน่งอธิบดีในกระทรวงเศรษฐกิจ รับผิดชอบการอนุมัติสัมปทานที่ดิน ป่าไม้และเหมืองในนามของราชอาณาจักรลาว  เธอดำรงตำแหน่งนี้จนถึงปี 1975 เมื่อพรรคคอมมิวนิสต์ปะเทดลาวเข้ายึดครองประเทศ  เช่นเดียวกับชาวลาวจำนวนมาก เธอหนีมาอยู่ค่ายผู้ลี้ภัยในประเทศไทยก่อนลงเอยด้วยการย้ายไปพำนักอาศัยในปารีส การสนทนาของผู้เขียนกับนางคำตันเกี่ยวโยงกับการพิจารณาว่ากรอบมโนทัศน์ของคนลาวที่มีต่อดินเปลี่ยนแปลงไปอย่างไรบ้าง ไม่เพียงแค่การเปลี่ยนแปลงที่เกิดขึ้นระหว่างช่วงเวลาก่อนระบอบคอมมิวนิสต์และในระบอบคอมมิวนิสต์เท่านั้น แต่ครอบคลุมตั้งแต่มีการผลักดันนโยบายปฏิรูปเศรษฐกิจในลาวเมื่อกลางทศวรรษ 1980 และโดยเฉพาะตั้งแต่มีการประกาศใช้กฎหมายที่ดินฉบับปี 2003 […]

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Issue 25 Mar. 2019

ラオスでの土地認識の変化 国家主権から資本動員へ

2013年8月23日、フランスのパリでKhamtanh Souridaray Sayarath夫人と面会した。ラオス南部の町、チャンパサック(Champassak)生まれの彼女は、1950年代にビエンチャンにある法科大学院を卒業した最初のラオス女性の一人だった。卒業後は工業省(Ministry of Industry)や文化省(Ministry of Culture)、貿易局(the Department of Trade)で様々な地位に就いた。1962年には経済省(the Ministry of Economics)局長となり、ラオス王国政府(the Royal Lao Government (RLG))の土地コンセッション(利用許可)や伐採権、鉱業権を認可する責任を負った。彼女がこの地位にあったのは、1975年に共産党のパテート・ラーオ(Pathet Lao)が国を掌握するまでの事だった。他の多くの人々と同様に、彼女はタイの難民キャンプに逃れた後、最終的にはパリに腰を据えた。 筆者のKhamtanh夫人との議論は、国民の土地の概念化がラオスでどのように変化したかという考察に関するもので、その対象は非共産主義時代から共産主義時代の間だけでなく、ラオスで経済改革が施行された1980年代半ば以降、特に2003年の土地法(Land Law)可決以降の変化だ。土地法可決は海外の投資家たちが広大な農園コンセッションを受ける事を認める法的枠組みをもたらしたが、このような事はKhamtanh夫人の時代には起こり得ぬものだった。本論ではラオスでの土地と国家主権に関する認識に過去数十年間で重大な変化があったことについて論じる。今や、土地は増々金融化され、むしろ海外の民間投資を呼び込む資源と見られるようになり、外国人に管理される事が認められない主権領土とは見なされなくなってきた。 Khamtanh夫人へのインタビュー Khamthanh夫人との議論で筆者が特に興味深く感じたのは、ラオス王国政府時代の彼女の土地コンセッションに対する認識の知る事だった。彼女が言うには、1962年から1975年の間の土地コンセッションは5ヘクタール丁度までで、それ以上はありえなかった。確かに、1958年5月の土地法を改正した、1959年12月21日付けの法律第59/10号は、外国人による財産取得を1975年のラオス人民民主共和国(Lao PDR)設立に至るまで規制していた。 2000年代になり、これとは全く異なる事態が生じ始め、外国企業は農業用地のコンセッションを1万ヘクタールまで獲得ができるようになった。 Khamtanh夫人によると、企業がさらに土地を必要とした場合は、村人かその他の土地所有者から土地を買う必要があったが、重要な点は、外国人が工場展開のための投資を奨励されていたとしても、ラオス市民だけが土地を所有できたということだ。王国政府の政策はその他の多くの初期ポスト・コロニアル政府の政策と同様に、国家主権の概念を天然資源と密接に結び付け、土地その他の資源の利権を外国企業に供与することには慎重であった。例えば、1961年にタンザニアがヨーロッパ列強からの独立を獲得した際には、初代大統領のムワリム・ジュリウス・ニエレレ(Mwalimu Julius Nyerere)が、「タンザニア人が自分たちで資源を開発するための地質学及び工学の優れた技術を手にするまでは、鉱物資源を未開発で放置する事を提唱した」。この時代とラオスにおける状況をよく示した1971年の論文で、Khamchong Luangpraseutは次のように述べている。「(ラオスには)グレーンジ型の大規模農場は存在しない」。彼はまた次のように記す。「ラオス王国では、国家が土地の名義上の所有者である。ラオスの法律によると、耕作者はその利用者であって所有者ではない。」 王国政府内の多くの者たちが特に関心を寄せていたことが国土の保護であったのは、国土と国家主権との関連性が認識されていたためだ。とはいえ、Khamtanh夫人が認めたように、王国政府内には腐敗して国家資源を犠牲にして私利を得ようとする者達もいた。当時、物事がどう認識されていたかを示すべく、Khamtanh夫人は1960年代と1970年代の初頭にラオスで稼働していた鉱山がわずかであったこと、鉱業権供与の要求が何件かあったにせよ、政府がこれに慎重であったことを説明した。例えば、カムアン(Khammouane)県ヒンブン(Hinboun)郡のPhon Tiou地域の錫鉱業には二、三の企業が関与していた。ところがKhamtanh夫人の話では、その地域の全ての鉱業権は表向きにはチャンパサック王家(Champassak Royal House)の当主、Chao Boun Oumの所有となっていた。ただし、彼は明らかに鉱業権をフランス企業にリースしていたという。Khamtanh夫人は口を極めて、王国政府が将来の世代や国家のために自然を保護し、資源を手つかずのままで置いておくことを望み、そのためにあまり多くの鉱業権を供与したがらなかったと強調した。彼らは基本的に農村部の土地を商品や資本の一形態とは考えていなかったのだ。 Khamtanh夫人はまた、国内の全ての製材所の監視を行っていた。多少の木材輸出は認可されていたが、相対的には少量の木材のみ輸出可能であったのは、政府が森林資源の枯渇を懸念していたためだと彼女は説明した。林業局(The […]

Issue 25 Mar. 2019

แปลงที่ดินเป็นทุนเพื่อใคร? วิกฤตการณ์และทางเลือกของการทำให้ที่ดินเป็นสินค้าในประเทศลาว

เมื่อวันที่ 3 สิงหาคม 2017 กรรมการศูนย์กลางพรรคประชาชนปฏิวัติลาว (ต่อไปนี้จะเรียกย่อๆ ว่าพรรค) ซึ่งเป็นพรรคการเมืองที่ถูกต้องตามกฎหมายเพียงพรรคเดียวและเป็นสถาบันการเมืองที่มีอำนาจนำในประเทศลาว ได้ลงมติเกี่ยวกับการปรับปรุงการบริหารจัดการและการพัฒนาที่ดิน  มติครั้งนี้เปรียบเสมือนการวิพากษ์นโยบายการจัดการที่ดินของรัฐบาลสมัยก่อนอย่างน่าประหลาดใจ โดยเฉพาะในส่วนที่เกี่ยวข้องกับโครงการลงทุนในที่ดินและการทำให้ที่ดินกลายเป็นสินค้า หรือตามที่รัฐบาลนิยามมาตั้งแต่ปี 2006 ว่า “การแปลงที่ดินเป็นทุน” (การหันที่ดินเป็นทุน ในภาษาลาว)   กรรมการศูนย์กลางยอมรับว่ามีปัญหาจำนวนมากที่เกี่ยวข้องกับการแปลงที่ดินเป็นทุน โดยเฉพาะประเด็นที่ “ยังไม่มีกรอบการใช้กฎหมายที่ครอบคลุม สืบเนื่องจากรัฐบาลกับประชาชนยังไม่ได้รับผลประโยชน์เต็มเม็ดเต็มหน่วย” และ “การเวนคืนที่ดินเพื่อนำไปใช้ในโครงการพัฒนาไม่เพียงเป็นภาระหนัก แต่ยังเป็นประเด็นอ่อนไหวที่กระทบความมีระเบียบเรียบร้อยของสังคมส่วนร่วมด้วย” มตินี้สะท้อนความกังวลของพรรคและรัฐ (มักเรียกรวมกันว่า “พรรค-รัฐ” หรือ พัก-ลัด ในภาษาลาว เพราะในทางปฏิบัติ พรรคกับรัฐเหลื่อมซ้อนกันเกือบสนิท) เกี่ยวกับความเป็นไปได้ที่จะเกิดความขัดแย้งในเรื่องที่ดิน ซึ่งอาจคุกคามความชอบธรรมของตนในสายตาประชาชน  […]

Issue 25 Mar. 2019

誰のための土地資本化か? ラオスにおける土地商品化の問題と代替案

2017年8月3日、ラオスで唯一法的に認められた政党で、支配的な政治制度でもあるラオス人民革命党(the Lao People’s Revolutionary Party以降は党)の中央委員会は、土地管理と開発の強化に関する決議を発表した。この決議(ラオス語でmati)が驚くほど批判的であったのは、政府の過去の土地管理政策、とりわけ、土地の投資や商品化の計画に関する政策で、政府が2006年以降「土地資本化(“Turning Land Into Capital” (kan han thi din pen theun,以降はTLIC)」と名付けて来た政策だ。TLICに関しては多くの問題が認められたが、特に、TLICに「まだ包括的な法的枠組みが無いため、政府と国民がしかるべき利益を得られずにいる」事、また、「開発計画のための土地収用が重荷であるだけでなく、センシティブな問題でもあり、社会秩序に影響を及ぼしている」事がある。 この決議は党と国家の懸念を反映したものであり(しばしば、これがラオスで「党国家(“Party-State”)」、phak-latと呼ばれるのは、両者の活動が密接に重複するためだ)、というのも、彼らの国民に対する正統性を脅かす可能性を土地紛争が持っているからだ。そこで党はトーンルン・シースリット(Thongloun Sisoulith)首相を筆頭に、新たな指導者たちを選出し、政府を2016年時点とは異なる方法で運営しようとした。彼らにはラオス国民最大の懸念と認識された問題に対して、より厳格な政府の統制を主張する権限が与えられた。それらの問題とは、まん延する腐敗や麻薬取引、不法伐採の横行、そして土地問題である。ラオスは度々、党国家が実質上、国内の政治生活のあらゆる側面を支配する手法から、その反民主的慣行を批判されている。だが、ラオスがレーニン主義的な民主集中制(democratic centralism)の原理を公式的に守ろうとする態度は、時として、市民の懸念を(特に国民議会(NA)に提出される苦情という形で)不規則的に上層部に吸い上げ、トップダウン式の政策決定に影響を及ぼす事を可能としている。 この決議はまた、内外の投資家への国有地のリースやコンセッションの供与(TLICの中心的構成要素で、1992年以降承認され、2000年度の初頭から激化した(Bairdの本号参照)が限界に達した事を実証している。土地コンセッションが社会環境に壊滅的な影響をもたらす割には、わずかな公益しか生み出さない事が認識され、政府は2007年以降、ある種のコンセッションに猶予を設けてきたが、この付随条件は時と共に弱まって来た。影響を被ったコミュニティは増々、土地の収用に不満を募らせることになったし、農地や林地の大部分の土地の譲渡を拒むようにもなった。郡や県の高官たちは、中央政府から企業に供与された土地の大部分が利用不可能である事に気が付き、これを上に報告した。その結果、投資家たちは特に農業部門において土地を入手するために、コミュニティや各世帯から土地を借り入れる、契約農業を行うなどといった、その他の手段を模索しはじめた。 こうして、TLIC政策は岐路にあり、政府はこれがどう改定されるべきかを検討している。殊に草案が修正された土地法については、作成時に国民議会による再検討のため、2018年10月にいったん保留となった程である。TLICが土地に関する党決議に卓越した役割を果たしている事を考えれば、これが定着する事は明らかだ。しかし、党国家とラオス社会全体が取り組むべき懸案がある。誰のために土地が資本化されるのか?そして誰が土地資本化の方法を決めるのか?あるいは、どの土地区画が転用対象となるのか?といった事だ。現在まで、TLICの利益は土地投資家と国家が享受してきたが、その外部性の大半はラオス人の土地利用者や国民全般が負担してきた。本論では、党国家がTLICの「善」と「悪」をより公平にいかに分配するかという問題を深刻に受け止めつつも、同時にそのような目的の達成に必要となる実質的な政策や政治・経済改革に取り組む準備ができていないと主張する。かくして、ラオスのTLICを背景とする土地のガバナンス問題は、「古きものは死し、新しきものは生まれ得ぬ(“the old is dying and the new cannot be born”)」というように、今後も続いて行くと思われる。 土地資本化の曖昧な誓約 2017年8月に、著者はTLICが過去10年の間にいかに運営されてきたかを評価する研究プロジェクトに参加した。行われた33件のインタビュー(これが本論の基本的な証拠となっている)は、国際非政府組織(INGOs)や国内非営利団体(NPAs)、ラオスのコンサルタント会社など、政府の外部で働く人々も含むラオス国民が、全体としてTLIC政策に対して広く似たような感情を抱いている事を示した。一人の回答者の答えはこの展望を明確に反映していた。「この政策は原則的には良いが、実施上には多くの問題がある。その実施方法には透明性や説明責任も無く、良いガバナンスも無い。全てがトップダウン方式で行われている。」政策内容よりも実施に焦点を当てる事は、ラオス国民が政府の政策に軽い批判を表現する際に用いる典型的な策だ。それでも回答者たちは、この政策の意図については、特にラオス人の発展願望に重なる点を考慮して、これを純粋に評価すると表明した。 TLICが理論上はラオス国民の心に訴えるものである理由の一つが、具体的な適用形態が無数にある事に比べ、その定義が曖昧な事だ。多くのラオス人回答者が、この政策の意図を最大限に拡大解釈していた。例えば、様々な形の投資によって国土の経済的な生産性を高め、国家と国民のために幅広い利益を生み出す、という具合だ。TLICに具体的な定義が欠如している理由は、これが実際に公的政策として明文化された事も、公表された事も無かったためであり、伝えられるところによると、その正確な意義をめぐって起草委員会の意見が割れていたためだという!回答者たちはこの政策の意図について様々な解釈を口にした。(1)幅広い経済価値を生み出すため、(2)政府のプロジェクトに資金を調達するため、(3)国土の私有化および商品化のため、(4)国家資産あるいは公共資産としての土地に対するラオスの管理権を維持するため。さらに、彼らは様々なプロジェクトをTLICの枠組みに当てはまるものと見なしたが、どのタイプのものが「真の」TLICの例であるかについては、時に意見が分かれた。それらには(1)インフラ、特に政府庁舎のために民間投資家と国土の取引をする事、(2)国土を売り、450年道路(the 450 Year Road)の事例のような道路施設の資金を調達する 、(3)国土を投資家にリースやコンセッションとして供与する事、(4)土地市場の創出と発展を目的に土地を登録する事が含まれていた。 […]

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Issue 25 Mar. 2019

ภูมิศาสตร์ของความมั่นคง: การบีบบังคับ ความได้เปรียบเชิงเปรียบเทียบและงานบริหารประชากรในประเทศลาวยุคปัจจุบัน

ในช่วงต้นปี 1988 สภารัฐมนตรีของลาวออกคำสั่งแก่กระทรวง คณะกรรมการรัฐ องค์กรมวลชน แขวงและเทศบาลทั่วประเทศ  คำสั่งนั้นมีชื่อว่า “การยกระดับงานบริหารประชากร” ในเอกสารกล่าวถึงวิสัยทัศน์เกี่ยวกับภาคชนบทของลาว เน้นความเชื่อมโยงแนบแน่นระหว่างการพัฒนาเศรษฐกิจกับความมั่นคงแห่งชาติ  เอกสารนี้อธิบายว่า งานบริหารประชากรกอปรด้วย “การรวบรวมสถิติประชากร บันทึกสถิติการเกิดและการตาย ออกบัตรประชาชน จัดการการย้ายถิ่นฐานของประชากร จัดทำแบบแผนภูมิลำเนา รวมทั้งค้นหาและสร้างนิคมใหม่ๆ ให้แก่พลเมืองหลากหลายชาติพันธุ์ที่ยังไร้ที่ดินเพื่อจะได้ทำกินเลี้ยงชีพ”  นอกจากนี้ เอกสารคำสั่งยังเอ่ยถึง “หลักการพื้นฐาน” ว่า “การเอื้อให้พลเมืองหลากหลายชาติพันธุ์ของลาวได้รับสิทธิเท่าเทียมตามกฎหมายในทุกแง่มุมของชีวิต ตลอดจนส่งเสริมสิทธิของพลเมืองในการมีอำนาจปกครองเป็นหมู่คณะและความคิดสร้างสรรค์เพื่อบรรลุภารกิจเชิงยุทธศาสตร์สองประการ กล่าวคือ การป้องกันประเทศและการสร้างสังคมนิยม” ในคำบรรยายว่าด้วยศิลปะของการปกครองสมัยใหม่ อรรถาธิบายของฟูโกต์มีหน้าตาคล้ายคลึงกับเทคนิคการบริหารประชากรที่แจกแจงไว้ข้างต้นอย่างน้อยก็ในบางข้อ รวมทั้งตรรกะใหญ่ของการปกครองก็มีความพ้องพานกันด้วย  ทั้งแนวคิดของรัฐบาลลาวและของฟูโกต์ต่างพยายามรู้จักประชากรผ่านสถิติเชิงประชากรศาสตร์ ภูมิศาสตร์และการดำรงชีพ ซึ่งจะนำไปแปรเป็นสมรรถภาพในการบริหารและการปกครองด้วยมาตรการทางเศรษฐกิจ-การเมือง  สำหรับทั้งสองแนวคิด คำว่า […]

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Issue 25 Mar. 2019

安全保障の地理学:現代ラオスにおける抑圧、比較優位と住民管理業務

1988年の初頭にラオス閣僚評議会は、各省庁や国家委員会、大衆組織、各県ならびに各市町村に向けて訓令を発した。「住民管理業務の強化(“stepping up population management work”)」と題されたこの文書は、経済発展と国家安全保障の密接なつながりを強調したラオス農村部のビジョンを明記したものだ。これによると、住民管理業務には「人口統計の把握、出産および死亡統計の記録、身分証明書の発行、人口移動の計画、居住パターンの分類、そして生計を立てる土地を持たない多民族の国民のために新たな職を探す、あるいは創出する事」が含まれていた。またその「基本原理」について、訓令には「ラオスの多民族の国民に正当かつ等しい権利を生活のあらゆる領域で享受させ、彼らの集団的主体性と独創心をより強化して、国家防衛と社会主義構築の達成という二つの戦略的課題に当たらせる」と記されていた。 この住民管理の手法の一部は、フーコー(Foucault)の近代政治の手法に関する講義の記述、またそのより大筋の支配理論にとても似ている。というのも,住民(the population)を把握する上で人口や地理、生計に関する統計を用い、政治・経済政策を通じてこれらを行政能力とガバナンスに昇華させようとしたものだからだ。いずれにおいても、「住民」は単に人々の集団を指すだけでなく、より大きな集団の必要に応じて行動しようとする集団、ジェレミー・ベンサム(Jeremy Bentham)の言う「為すべきことを為す(“do as they ought”)」人々を意味する。フーコーが主張したのは、ここでいう住民が,手に負えぬ群集、すなわち「人民(“the people”)」とは正反対のものとして理解すべきということである。人民とは、その権利や利益が満たされる事が社会的に不都合であると判明してもこれを要求し、住民の構成員となる事を拒むことでシステム全体の機能を妨害するものたちである。一方で住民の一部となれば一定の自己利益が得られるが、ただし,厳しい制約が伴う。すなわち、国家の利益のための犠牲も要求されるという事だ。 この20年越しの評議会の住民管理業務に関する訓令は、一見するよりも時代錯誤なものではない。1980年代後期はラオス人民共和国(Lao PDR)の歴史の変革期であり、一方では自由化と外国投資(いわゆる新経済メカニズム/ New Economic Mechanism)の名の下で経済に全面的な変化を引き起こそうとするポスト冷戦期の幕開けだった。他方で第二次インドシナ戦争終結後から遥かに長引いた戦後10年プラスアルファの時代でもあった。1988年の後半にタイの首相が「戦場を市場に変える」ために地域全体の協力を呼びかけると、ラオスの党首たちは「銃声のしない新たな戦場での…高度の警戒」の必要性を強め、幹部たちに「敵」(の過去、及び現在の試み)が他国でもそうしたように、相互疑惑や反目、上下階層間の不信感をもたらし、内紛を引き起こして暴動や反乱を生む」と喚起した。住民管理業務に関する訓令が発されたのはそのほんの数か月前の事だが、この訓令にもやはり、外国による密かな干渉が明白に述べられていた。訓令は住民管理業務について、「大がかりで包括的な作業」であり、「適切な態度、強い責任感と十分な能力を以て政治、社会、経済、国家防衛と公安上の任務を遂行し、住民の民主的権利を尊重しつつ、巧妙かつ慎重に備える事で、敵の策略を回避する」必要があると論じていた。 こうした安全保障論はやや時代錯誤と思われるかもしれないが、その基本的な論理は今も存在する。このエッセイは、開発と防衛についての国家によるあけすけな理論化の初期についての考察が、現代ラオスの土地と資源のガバナンスに対する我々の批判的分析の試みに有益な2つの方法を示すものである。この2つの方法は、いずれも安全保障の言説を真剣に受け止めながら、他方で、外国による介入という悪しき過去のイメージを維持することで批判をそらしたり、排除したりする試みとは根本的に距離をとるものでもある。第一に、筆者はラオス高地の現代の住民管理業務をアイワ・オン(Aihwa Ong)が段階的主権(graduated sovereignty)と呼んだものの一形態として理解するべきだと考える。段階的主権とは、強国とは言い難い国々が、その領土と国民をグローバル経済の制約と機会に適応させるために行う政治的作業のことである。ラオスの場合、規制への反発に対する一時しのぎの手段として国家による抑圧が採用されており、農村コミュニティと、コミュニティの人々と土地の両方を開発や保護政策に参加/登録させようと試みる様々なアクターとの緊張関係を管理するための手段になっている。第二に、この主権として行使される抑圧は、確かに道徳的に批判されるべきものではあるものの、歴史的に複数の要因が引き起こしたものであり、ラオス国家だけでなく,海外の公的アクター(政府と多国間アクターの両者)を視野に入れる必要性があることを示唆しておきたい。これらのアクターの決定が今日のグローバル経済のなかでラオスが生き延びていく手段に重大な影響を及ぼすからだ。この分析は土地や森林管理の様々な分野にまたがる問題に関連すると思われるが、簡潔を期すため、ここでの議論は一つの事例に限定する。 ラオス北西部における管理された囲い込みと政治的無力化 戦争の暴力と、抑圧手段の管理は今日、ポストコロニアル社会の組織では圧倒的に重要である。戦争が起こったところでは、領土と国民の統治される方法が再構成され、事実、全国民が政治的に無力化される。 – Achille Mbembe, On the Postcolony(アキーユ・ンベンベ『旧植民地について』) ラオスは2000年代の後半に国際土地取引のにわか景気の第一線に急浮上したが、振り返ってみれば、これは世界的なランド・ラッシュ(土地獲得競争)と呼ばれるものだった。東南アジアの学問とジャーナリズムが一体となって示したように、2008年後期から2009年に全世界の注目が急上昇したにもかかわらず、2000年代の大半を通じて、多国籍アグリビジネスのための様々なかたちでの土地の囲い込みが生じ、金利の安いクレジットや投機的な需要、新興経済国による積極的対外投資が重なり、これが西洋の開発支援を受けた「土地の豊かな」国々の不満の蓄積を招いた。ラオス北西部の新たな天然ゴム農園に対する中国の投資はこの隙間を突いた。大半が民間投資でありながら二国間開発協力の名の下で進行し、中国政府の対外投資奨励政策によって促進された。このような政策には、天然ゴム等の正当な換金作物がアヘン栽培の代替になるというレトリックでなされるアグリビジネスへの寛大な助成金も含まれていた。 「メゾ(中)」規模においては、雲南省南部とラオス北西部の間のアクセシビリティと連結性の向上にともなって新たな天然ゴム農場への投資が進んだ。中国企業はシン郡(Sing District)や県都ルアン・ナムター(Luang Namtha)などの国境地帯で成功をある程度収めていたが、この地域の農民の多くが既に中国と関係していた事から、新たな土地へのアクセス(また契約農家か契約労働者のいずれかの形によるラオス村民へのアクセス)の大半は「北部経済回廊(Northern Economic Corridor)」(西部ルアン・ナムターとボケオ県を通って北部タイと雲南省を結ぶもの道路の拡張で,2003年から2007年にかけて建設)周辺に新たに開かれた後背地で起きた。「大メコン圏(“Greater Mekong […]