Issue 19

Rethinking “Religion” from the Margins

We have long been hearing about the degeneration of Buddhism in Thailand, most often accompanying scandals involving monks who deal with money, magic, or sex. Such realities are inevitably attributed to modernity or globalization. However, […]

Bahasa Indonesia

Menimbang-ulang “Agama” dari sudut pinggiran

Berita tentang kematian Buddhisme di Thailand telah lama terdengar, paling sering diikuti dengan skandal yang melibatkan sejumlah biksu yang berurusan dengan uang, sihir, atau seks. Beragam kenyataan tersebut pastinya terkait dengan modernitas atau globalisasi. Namun, […]

Issue 19

ทบทวน “ศาสนา” จากชายขอบ

เราได้ยินเรื่องความเสื่อมของพุทธศาสนาในประเทศไทยมานาน ส่วนใหญ่มักมาพร้อมกับข่าวอื้อฉาวของพระที่พัวพันกับเงิน ไสยศาสตร์หรือเพศสัมพันธ์ มันเรื่องหลีกเลี่ยงไม่ได้ที่ความเป็นจริงเหล่านี้มักถูกซัดทอดว่าเกิดจากความเป็นสมัยใหม่หรือโลกาภิวัตน์ อย่างไรก็ตาม ความเสื่อมของพระในฐานะคณะสงฆ์ที่รัฐรับรองอย่างเป็นทางการไม่จำเป็นต้องหมายถึงความเสื่อมของศาสนาโดยรวม อันที่จริงมันมีความหมายว่า ในส่วนของนักวิชาการมีความจำเป็นที่จะต้องทำความเข้าใจศาสนาต่างๆ ในเอเชียตะวันออกเฉียงใต้อย่างใส่ใจในรายละเอียดมากกว่าเดิม โดยย้อนกลับมาพิจารณาทบทวนการที่รัฐสร้างความเป็นสถาบันให้ศาสนาในช่วงกำลังเข้าสู่ความเป็นสมัยใหม่ ตลอดจนมโนทัศน์เกี่ยวกับศาสนาเอง ศาสนา รัฐและมุมมองแบบศูนย์กลาง  ความเข้าใจที่เรามีต่อพุทธศาสนานิกายเถรวาท รวมทั้งต่อศาสนาโดยทั่วไปในเอเชียตะวันออกเฉียงใต้ มักถูกจำกัดด้วยม่านบังตาสองชั้นด้วยกัน ชั้นแรกคือคำว่า “ศาสนา” ที่มาจากตะวันตก คำคำนี้มีปัญหาตั้งแต่เริ่มแรกแล้ว โดยเฉพาะในสังคมที่ไม่ใช่ตะวันตก การใช้คำคำนี้สร้างปัญหาขึ้นมาอย่างกว้างขวางเพราะการที่มีต้นกำเนิดจากตะวันตกและมาพร้อมกับอคติของศาสนาคริสต์ยุคใหม่ (cf. Asad 1993) เอเชียตะวันออกเฉียงใต้ก็มิใช่ข้อยกเว้น คำถามข้างต้นนำไปสู่การศึกษาเชิงวิพากษ์ทั้งในแง่ที่เอเชียนำมโนทัศน์ศาสนาของตะวันตกมาใช้และการเปลี่ยนแปลงของศาสนาในเอเชียภายใต้แรงกดดันจากตะวันตก ตรงกันข้ามกับการสร้างความมีเหตุมีผลและการเปลี่ยนไปสู่ฆราวาสนิยมในประวัติศาสตร์ของศาสนาคริสต์ อันเป็นกระบวนการที่เกิดขึ้นเองดังที่นักสังคมวิทยาศาสนาอย่างเวเบอร์และแบร์เกอร์อภิปรายถึงหลายครั้ง สังคมเอเชียมีลักษณะเฉพาะตรงที่ระบอบอาณานิคมหรืออำนาจรัฐที่กำลังก้าวสู่ความเป็นสมัยใหม่ในยุคหลังอาณานิคมเป็นฝ่ายบังคับให้ศาสนาต้องเปลี่ยนไปสู่ความมีเหตุมีผล ความมีมาตรฐานและความเป็นสถาบัน ด้วยเหตุนี้ อำนาจรัฐจึงเป็นปัจจัยที่หลีกเลี่ยงไม่ได้และมีความสำคัญอย่างยิ่งในการทำความเข้าใจศาสนาในภูมิภาคนี้ ม่านบังตาชั้นที่สองคือกรอบกระบวนทัศน์และมุมมองหลักในการเข้าใจพุทธศาสนานิกายเถรวาทมักได้มาจากประเทศไทยในระหว่างกระบวนการสร้างชาติ มันชี้นำวิธีการที่เราเข้าใจพุทธศาสนานิกายเถรวาทในหลายๆ […]

Issue 19

周縁からの「宗教」再考

随分と前からタイでの仏教の衰退を嘆く言説を耳にしてきたが、そのほとんどは金銭や呪術、セックスなどに関与した僧侶たちの醜聞を伴ったものだった。このような現実は必ず、近代やグローバル化のせいにされてきた。しかし、国家に認可された僧侶組織としてのサンガ(僧伽)の相対的な衰退が、必ずしも宗教全般の衰退を意味するわけではない。そこで求められているのはむしろ、研究者が近代国民国家の形成過程で促された宗教の制度化や、宗教自体の概念を再考する事で、東南アジアの諸宗教に対する、より細やかな理解を提供することである。 宗教、国家、中心からの視点 我々の上座部仏教や、より広い東南アジアの宗教全般に対する理解は、二重の目隠しによって視野を狭められてきた。一つは、西洋に由来する「宗教(religion)」という言葉そのものである。非西洋社会でこの言葉の用法が広く問題とされてきたのは、それが西洋を起源とするものである事と、近代キリスト教徒的バイアスがかかっているためである(Asad 1993参照)。東南アジアも例外ではない。これらの問題は、アジアにおける西洋的宗教概念の適用や、西洋の圧力下でのアジア諸宗教の変遷の双方に対する批判的なアプローチに道を開いてきた。キリスト教の歴史の過程で発生した合理化や、それに続く世俗化が、ウェーバー(Weber)やバーガー(Berger)といった宗教社会学者たちによって繰り返し論じられてきたのとは対照的に、この地域では、植民地国家、あるいは植民地独立後の近代化途上の国家権力によって、合理化や標準化、制度化が進められてきた。したがって、この地域の宗教を理解する上で国家権力は不可避の重要な要素となっている。 今一つは、上座部仏教を理解するための主要なパラダイムや観点の多くが、国民国家形成時のタイに由来しているということである。このことは我々の上座部仏教や、おそらくはこの地域の他の諸宗教に対する理解の仕方を様々に形作り、また我々の知識形成の方向性をも定めてきた。村落仏教にしても、仏教と精霊崇拝、森林の僧たちと僧院組織との関係、あるいは王権と国家にしても、これらの研究主題は主にタイから発せられたものであり、そこでの理解のパラダイムは、仏教と国民統合に焦点を置いたものとなっている。このことはまた、少数民族を仏教研究の考慮外に置いてきたことにも影響している。このように、この地域の仏教研究の焦点は、僧院組織と国家との関係、そして国民国家建設における仏教の役割の考察に当てられてきたのである(Ishii 1986; Tambiah 1976)。 これらの理由から、タイ仏教研究はエリートの僧院仏教を優先してきたのだが、実際にはそうしたエリート仏教は、McDaniel (2008)の指摘どおり、過去一世紀の仏教実践を標準化する上では、ごく限られた効果しかもたらしていない。一方、仏教は国民国家建設の営みにおいて一つの重要な「タイ人たる」指標となってきた。少数民族が仏教以外の宗教を選択すれば、それは彼らが自分達を非タイ人としてのアイデンティティを明示するための選択と見なされる。あるいは逆に、少数民族が仏教を実践すれば、それは何がしかの意味で異端の仏教と見なされてきた。 これまで仏教は、二重の意味で中心からの視点で論じられてきたといえる。第一に、仏教はその組織と国家の関係を理解する上で僧院の中心、またしばしば国家、王室の中心からの視点で、考察されて来たのである。また第二に、仏教は、「仏教的」、あるいは「非仏教的」と分類される多様な要素によって構成される、習合的な複合全体の階層の中心点とも目されてきた。 以上のようなサンガ中心のエリート主義的観点を相対化する試みは、これまでも繰り返されてきたのだが、この中心-周縁の構図が前提とされる限り、周縁の宗教要素は中心に対する抵抗と見られる傾向にあり、結局は中心‐周縁の理解モデルを強化してきたのである。少数民族の仏教実践を、多数派の仏教に対する何らかの抵抗として、あるいはアンチテーゼとして見なす限り、我々は国家を中心とする制度仏教とその他の少数民族の宗教という二分論、対立という従来の見方を上書きする事になる。 宗教と三つの境界 以上の見方では、民族カテゴリーを、宗教実践理解のための自明で自己完結した単位とみなすことになり、仏教徒・非仏教徒、多数派・少数派、中心・周縁などの二分化を前提としこれらの明確な区分とされるものを横断するような、それ以外の視点を排除してきた。このようなアプローチは、宗教実践と伝統が混ざり合い、複雑な重層を成す東南アジアの諸宗教の現実を、見えなくしてしまい、説明不可能にしてしまう。むしろ、少数民族の仏教を考察するのであれば、仏教への中心主義的な視点を根本から問い、民族と国家の区分を当然のものとする事に疑問を投じることから始めるべきである。 近年、日本の我々のグループは、境界や周縁で実践される宗教に目を向けてきたが、我々の確信は、周縁に生じる宗教動態を考察する事で、国家中心の制度宗教のパラダイムを問う事ができるだろうというところにある。ここで言う「境界」には、三重の意味あいがある。第一に、地政学的な国家間の国境、第二に、エスニシティ(あるいは山地と低地の間)の境界、そして第三に、出家と在家の境界である。さらに、隠された局面として、これらの周縁を深く探究する事によって「宗教」自体の縁辺や輪郭を問うに至ることが期待される。 エスニシティと宗教実践 この地域では少数民族が国境域に居住しているため、地政学的、民族的境界は多くの場合交差しあっている。従って、このような少数民族を理解することは、彼らが境界を跨ぐ存在であるがゆえに、国家中心の視点を問う出発点となり得る。この点から実感される事は、少数民族と宗教、多数派国家との間には複雑な関係のパターンがあり、それらをいかなる単純な公式に還元するのも不可能だという事である。 フィールドワークに基づく議論が提示する複雑な現実は、周縁の中心に対する抵抗、国家の認めた民族区分、制度宗教などを想定した既存の見解を問い直すものである。上ミャンマーのパラウン(Palaung)とパオ(Pao)の両者の間では、これまで多民族が共有する複合的宗教空間であったものが、民族別に、それぞれに独自の言語に音訳、翻訳された経典を備えた小規模僧院組織に分割され始めている(小島 2015; Murakami 2012; 村上2015)。これらはパラウン語を仏典に用いる試みを通じ、あるいは、パオの僧院組織の設立を通じて実現されてきた。皮肉なことに、このような動きを引き起こしたものは、少数民族の地域外を旅する機会を得た彼らの宗教的指導者や知識人たちの移動性の向上であった。別言すれば、境界を超え、自分達の民族の区域外の地域に行く経験が、逆説的に、民族的境界の確立を促したわけであるが、これは宗教実践における自身のエスニシティや言語の画一化という、多数派仏教徒たちの間で行われる制度化と並行した現象といえるだろう。 過去には、少数民族と低地国家との関係は「模倣か抵抗」のいずれかとされてきた。しかし、これらのパラウンとパオの事例が示しているのは、多数派、あるいは国家を中心とする低地社会の経験が、少数民族自身の仏教実践にフィードバックされ得るという事である。現実は単純な服従か抵抗かという二者択一よりも、遥かにダイナミックなものである。一見すると宗教的な境界の横断、あるいは少数民族の民族区分への囲い込みに見える現象は、実践者の観点からすれば、単なる宗教環境の改善方法なのである。この事例は、当事者自身の宗教実践がもつ意味に顧慮することなく、国境を行き来する移動性によって民族の区分が解き放たれるかのように無批判に想定することへの警鐘となっている。 民族カテゴリーの確立を分析する上で、宗教は重要な問題となり得る。20世紀ビルマのカレン族の民族意識が、宗教と仏教の再定義の過程から生じて来たものである事が解明された(Ikeda 2012)。「カレン族らしさ」の出現をめぐる仏教徒の語りは、少数民族とキリスト教その他の非仏教宗教との一般的な関連付けを改めるものであった。一方で、タイにおける中国寺廟の調査は、国家の宗教に対する規制の縁辺を解明するものであった(Kataoka 2012)。中国寺廟の信者たちは、公式の統計において自分達を仏教徒だと主張するが、習合的な神仏を祀る彼らの寺は、公式には「非宗教」と位置付けられている。国家の宗教行政から無視されてきた中国寺廟は、仏教の公式的定義と宗教自体とのギャップを提示するものである。 ここで明らかな事は、第一に、公式に定義された宗教や公認されたエスニシティの関係は、決して予想可能でもなければ、厳密に対応するものでもないという事だ。民族・宗教の関係は、一つの民族が一つの信仰を奉じているような場合でも、特に宗教と近代国家建設の再定義のプロセスの中では、決して単純なものではない。さらに、少数民族の宗教の研究は、「宗教」自体の境界の再検討につながり得るものである。 宗教的境界 宗教実践を周縁から検討する事は、制度に基づく諸制約から距離を置き、より現地や個々の実践者たちの視点から、仏教を理解する事につながってゆく。クルーバー・ブンチュム(Khruba Bunchum)や、ウ・トゥザナ(U Thuzana)など、カリスマ僧侶の国境の少数民族地域での足跡をたどる上で、我々は、少数民族の宗教運動にすぐに抵抗を読み取る既存の見解を疑問視する事から始めた(Hayami 2011; 速水2015; 片岡2015)。結局、これらの探求が明らかにするのは、現場の実践者たちにとっては、国家支持か反国家かという争点は、えてして二義的な価値しかもたないという点である。むしろ、実践者たちにとってより重要なのは、彼らの帰依するカリスマ的な力が、実際に彼らを守護し、彼らが自分達の生活状況の中で求める力を与えてくれるかどうかということなのである。 タイ・ミャンマー国境沿いでは、多くのカリスマ僧侶たちが少数民族から熱烈に崇拝されている。これらの僧侶たちは国家権力の狭間で活動し、これらの少数民族の者達にオルタナティブを提供している。だが大抵同時に、この同じ僧侶たちは、国境のいずれかの側で権力の座にあるエリートとも接触している。このように様々な帰依者たちを無差別に受け入れる事によって、彼らは境域での自由な往来を認められているのである。このような事例をもって、彼らカリスマ僧侶たちが国家を相対化しているのか、それとも国家の辺境統治に奉仕しているのか、と問うことは、そもそも的外れであるか、あるいは誤解を招くものでさえある。少数民族の多数派支配に対する、服従か抵抗か、という単純な二者択一自体が問われなくてはならないだろう。帰依者達自身にしてみれば、このような疑問はおそらく全くどうでもよいことである。したがって、周縁における宗教実践は、単なる「弱者の武器」なのではなく、完全に異なった筋から検討されるべきものである。 […]