KRSEA-Dwyer-Laos-lands
Issue 25

ภูมิศาสตร์ของความมั่นคง: การบีบบังคับ ความได้เปรียบเชิงเปรียบเทียบและงานบริหารประชากรในประเทศลาวยุคปัจจุบัน

ในช่วงต้นปี 1988 สภารัฐมนตรีของลาวออกคำสั่งแก่กระทรวง คณะกรรมการรัฐ องค์กรมวลชน แขวงและเทศบาลทั่วประเทศ  คำสั่งนั้นมีชื่อว่า “การยกระดับงานบริหารประชากร” ในเอกสารกล่าวถึงวิสัยทัศน์เกี่ยวกับภาคชนบทของลาว เน้นความเชื่อมโยงแนบแน่นระหว่างการพัฒนาเศรษฐกิจกับความมั่นคงแห่งชาติ  เอกสารนี้อธิบายว่า งานบริหารประชากรกอปรด้วย “การรวบรวมสถิติประชากร บันทึกสถิติการเกิดและการตาย ออกบัตรประชาชน จัดการการย้ายถิ่นฐานของประชากร จัดทำแบบแผนภูมิลำเนา รวมทั้งค้นหาและสร้างนิคมใหม่ๆ ให้แก่พลเมืองหลากหลายชาติพันธุ์ที่ยังไร้ที่ดินเพื่อจะได้ทำกินเลี้ยงชีพ”  นอกจากนี้ เอกสารคำสั่งยังเอ่ยถึง “หลักการพื้นฐาน” ว่า “การเอื้อให้พลเมืองหลากหลายชาติพันธุ์ของลาวได้รับสิทธิเท่าเทียมตามกฎหมายในทุกแง่มุมของชีวิต ตลอดจนส่งเสริมสิทธิของพลเมืองในการมีอำนาจปกครองเป็นหมู่คณะและความคิดสร้างสรรค์เพื่อบรรลุภารกิจเชิงยุทธศาสตร์สองประการ กล่าวคือ การป้องกันประเทศและการสร้างสังคมนิยม” ในคำบรรยายว่าด้วยศิลปะของการปกครองสมัยใหม่ อรรถาธิบายของฟูโกต์มีหน้าตาคล้ายคลึงกับเทคนิคการบริหารประชากรที่แจกแจงไว้ข้างต้นอย่างน้อยก็ในบางข้อ รวมทั้งตรรกะใหญ่ของการปกครองก็มีความพ้องพานกันด้วย  ทั้งแนวคิดของรัฐบาลลาวและของฟูโกต์ต่างพยายามรู้จักประชากรผ่านสถิติเชิงประชากรศาสตร์ ภูมิศาสตร์และการดำรงชีพ ซึ่งจะนำไปแปรเป็นสมรรถภาพในการบริหารและการปกครองด้วยมาตรการทางเศรษฐกิจ-การเมือง  สำหรับทั้งสองแนวคิด คำว่า […]

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Issue 25

安全保障の地理学:現代ラオスにおける抑圧、比較優位と住民管理業務

1988年の初頭にラオス閣僚評議会は、各省庁や国家委員会、大衆組織、各県ならびに各市町村に向けて訓令を発した。「住民管理業務の強化(“stepping up population management work”)」と題されたこの文書は、経済発展と国家安全保障の密接なつながりを強調したラオス農村部のビジョンを明記したものだ。これによると、住民管理業務には「人口統計の把握、出産および死亡統計の記録、身分証明書の発行、人口移動の計画、居住パターンの分類、そして生計を立てる土地を持たない多民族の国民のために新たな職を探す、あるいは創出する事」が含まれていた。またその「基本原理」について、訓令には「ラオスの多民族の国民に正当かつ等しい権利を生活のあらゆる領域で享受させ、彼らの集団的主体性と独創心をより強化して、国家防衛と社会主義構築の達成という二つの戦略的課題に当たらせる」と記されていた。 この住民管理の手法の一部は、フーコー(Foucault)の近代政治の手法に関する講義の記述、またそのより大筋の支配理論にとても似ている。というのも,住民(the population)を把握する上で人口や地理、生計に関する統計を用い、政治・経済政策を通じてこれらを行政能力とガバナンスに昇華させようとしたものだからだ。いずれにおいても、「住民」は単に人々の集団を指すだけでなく、より大きな集団の必要に応じて行動しようとする集団、ジェレミー・ベンサム(Jeremy Bentham)の言う「為すべきことを為す(“do as they ought”)」人々を意味する。フーコーが主張したのは、ここでいう住民が,手に負えぬ群集、すなわち「人民(“the people”)」とは正反対のものとして理解すべきということである。人民とは、その権利や利益が満たされる事が社会的に不都合であると判明してもこれを要求し、住民の構成員となる事を拒むことでシステム全体の機能を妨害するものたちである。一方で住民の一部となれば一定の自己利益が得られるが、ただし,厳しい制約が伴う。すなわち、国家の利益のための犠牲も要求されるという事だ。 この20年越しの評議会の住民管理業務に関する訓令は、一見するよりも時代錯誤なものではない。1980年代後期はラオス人民共和国(Lao PDR)の歴史の変革期であり、一方では自由化と外国投資(いわゆる新経済メカニズム/ New Economic Mechanism)の名の下で経済に全面的な変化を引き起こそうとするポスト冷戦期の幕開けだった。他方で第二次インドシナ戦争終結後から遥かに長引いた戦後10年プラスアルファの時代でもあった。1988年の後半にタイの首相が「戦場を市場に変える」ために地域全体の協力を呼びかけると、ラオスの党首たちは「銃声のしない新たな戦場での…高度の警戒」の必要性を強め、幹部たちに「敵」(の過去、及び現在の試み)が他国でもそうしたように、相互疑惑や反目、上下階層間の不信感をもたらし、内紛を引き起こして暴動や反乱を生む」と喚起した。住民管理業務に関する訓令が発されたのはそのほんの数か月前の事だが、この訓令にもやはり、外国による密かな干渉が明白に述べられていた。訓令は住民管理業務について、「大がかりで包括的な作業」であり、「適切な態度、強い責任感と十分な能力を以て政治、社会、経済、国家防衛と公安上の任務を遂行し、住民の民主的権利を尊重しつつ、巧妙かつ慎重に備える事で、敵の策略を回避する」必要があると論じていた。 こうした安全保障論はやや時代錯誤と思われるかもしれないが、その基本的な論理は今も存在する。このエッセイは、開発と防衛についての国家によるあけすけな理論化の初期についての考察が、現代ラオスの土地と資源のガバナンスに対する我々の批判的分析の試みに有益な2つの方法を示すものである。この2つの方法は、いずれも安全保障の言説を真剣に受け止めながら、他方で、外国による介入という悪しき過去のイメージを維持することで批判をそらしたり、排除したりする試みとは根本的に距離をとるものでもある。第一に、筆者はラオス高地の現代の住民管理業務をアイワ・オン(Aihwa Ong)が段階的主権(graduated sovereignty)と呼んだものの一形態として理解するべきだと考える。段階的主権とは、強国とは言い難い国々が、その領土と国民をグローバル経済の制約と機会に適応させるために行う政治的作業のことである。ラオスの場合、規制への反発に対する一時しのぎの手段として国家による抑圧が採用されており、農村コミュニティと、コミュニティの人々と土地の両方を開発や保護政策に参加/登録させようと試みる様々なアクターとの緊張関係を管理するための手段になっている。第二に、この主権として行使される抑圧は、確かに道徳的に批判されるべきものではあるものの、歴史的に複数の要因が引き起こしたものであり、ラオス国家だけでなく,海外の公的アクター(政府と多国間アクターの両者)を視野に入れる必要性があることを示唆しておきたい。これらのアクターの決定が今日のグローバル経済のなかでラオスが生き延びていく手段に重大な影響を及ぼすからだ。この分析は土地や森林管理の様々な分野にまたがる問題に関連すると思われるが、簡潔を期すため、ここでの議論は一つの事例に限定する。 ラオス北西部における管理された囲い込みと政治的無力化 戦争の暴力と、抑圧手段の管理は今日、ポストコロニアル社会の組織では圧倒的に重要である。戦争が起こったところでは、領土と国民の統治される方法が再構成され、事実、全国民が政治的に無力化される。 – Achille Mbembe, On the Postcolony(アキーユ・ンベンベ『旧植民地について』) ラオスは2000年代の後半に国際土地取引のにわか景気の第一線に急浮上したが、振り返ってみれば、これは世界的なランド・ラッシュ(土地獲得競争)と呼ばれるものだった。東南アジアの学問とジャーナリズムが一体となって示したように、2008年後期から2009年に全世界の注目が急上昇したにもかかわらず、2000年代の大半を通じて、多国籍アグリビジネスのための様々なかたちでの土地の囲い込みが生じ、金利の安いクレジットや投機的な需要、新興経済国による積極的対外投資が重なり、これが西洋の開発支援を受けた「土地の豊かな」国々の不満の蓄積を招いた。ラオス北西部の新たな天然ゴム農園に対する中国の投資はこの隙間を突いた。大半が民間投資でありながら二国間開発協力の名の下で進行し、中国政府の対外投資奨励政策によって促進された。このような政策には、天然ゴム等の正当な換金作物がアヘン栽培の代替になるというレトリックでなされるアグリビジネスへの寛大な助成金も含まれていた。 「メゾ(中)」規模においては、雲南省南部とラオス北西部の間のアクセシビリティと連結性の向上にともなって新たな天然ゴム農場への投資が進んだ。中国企業はシン郡(Sing District)や県都ルアン・ナムター(Luang Namtha)などの国境地帯で成功をある程度収めていたが、この地域の農民の多くが既に中国と関係していた事から、新たな土地へのアクセス(また契約農家か契約労働者のいずれかの形によるラオス村民へのアクセス)の大半は「北部経済回廊(Northern Economic Corridor)」(西部ルアン・ナムターとボケオ県を通って北部タイと雲南省を結ぶもの道路の拡張で,2003年から2007年にかけて建設)周辺に新たに開かれた後背地で起きた。「大メコン圏(“Greater Mekong […]