Thai

เจ้ากับความเป็นเจ้า: ความจงรักภักดี การนับถือผีวิญญาณและภูมิกายา

ระหว่างนั่งกินหมูกระทะที่ริมฝั่งแม่น้ำโขง ไก่กับผู้เขียนคุยกันเรื่องพญานาคและพระภูมิเจ้าที่อื่นๆ ขณะที่เพื่อนร่วมโต๊ะลุกออกไปตักหมูเพิ่ม ไก่โน้มกายมาหาผู้เขียน ระหว่างเรามีเตาย่างควันฉุยคั่นกลางและเอ่ยว่า “มีจังหวัดหนึ่งที่พระเจ้าอยู่หัว [ภูมิพลอดุลยเดช] ไม่เคยเสด็จ เดาได้ไหมว่าจังหวัดไหน? และทำไมพระองค์ไม่เคยเสด็จ?” ผู้เขียนนิ่งนึกชั่วครู่หนึ่ง และข้องใจว่าเธอหมายถึงจังหวัดไหนแล้วทำไมจู่ๆจึงหยิบยกเรื่องนี้ขึ้นมา เธอหมายถึงสามจังหวัดชายแดนภาคใต้ที่มีปัญหาความไม่สงบมายาวนานและประชากรส่วนใหญ่เป็นชาวมุสลิมจนทำให้การเสด็จพระราชดำเนินมีอันตรายหรือเปล่า? หรือว่าจะเป็นจังหวัดชายแดนภาคอีสาน ซึ่งเคยก่อการจลาจลโดยพรรคคอมมิวนิสต์ในช่วงทศวรรษ 1970 อาจจะเป็นเหตุผลที่ทำให้ไม่เสด็จพระราชดำเนินไปเยือน? แล้วทำไมจึงเอ่ยถึงกษัตริย์ขึ้นมาในเมื่อกำลังคุยเรื่องพญานาคอยู่แท้ๆ? “จังหวัดยะลา” ผู้เขียนเดา เลือกเอาจากหนึ่งในสามจังหวัดชายแดนภาคใต้ ไก่ยิ้ม “จังหวัดมุกดาหาร” เธอเฉลย คำตอบของเธอกลายเป็นจังหวัดใกล้ๆ ซึ่งตั้งอยู่ริมแม่น้ำโขง “พระภูมิที่นั่นบอกว่าเจ้าแห่งมุกดาหารมีได้องค์เดียวและห้ามไม่ให้เจ้าองค์อื่นย่างกรายเข้าไป” ในที่นี้ไก่หมายถึงกษัตริย์มุงเมือง พระภูมิประจำเมืองมุกดาหาร (ซึ่งรวมถึงทั้งจังหวัด) และในที่นี้ ผู้เขียนแปลบรรดาศักดิ์ “เจ้าฟ้า” มุงเมืองว่า “กษัตริย์” […]

Issue 22

土地と王権:国王崇拝、精霊信仰と地理的身体

メコン川の河岸で、焼き豚をつまみながら、カイ(Kai)と私はナーガ(phaya nak…神話上の水龍)や、その他の守護精霊の話をしていた。夕食に同席していた数人が、おかわりの肉をよそおうと席を立つと、カイは熱を発するバーベキューの焼き網越しにこちらへ身を乗り出してきた。「一つ、(タイの)(プーミポン・アドゥンヤデート)国王が一度も訪れたことのない県があります。それがどこだか、なぜ彼がそこに一度も行った事がないのか、当ててみてください」。 私は一瞬考えた。彼女が何を言わんとしているのか、なぜまた急にそのような事を言い出したのか、不思議に思った。反体制的な南部諸県の事を言っているのだろうか?そこでの長期にわたる反乱や、反感を抱いたムスリムの多数派が、国王の訪問を危険にしているというのだろうか?あるいは、東北の国境県での1970年代の共産党の反乱が、国王の訪問を取りやめさせたのであろうか?だがそもそも、なぜナーガについて話していた時に、国王の話を持ち出してきたのだろう?「ヤラー(Yala)」、と私はあてずっぽうに一つの南部の県名を挙げた。 カイは微笑んだ。「ムックダーハーン(Mukdahan)」と彼女は言った。メコン川沿いの近隣県である。「彼は訪問できないのです。守護精霊がそれを許さないからです。精霊は、ただ一人の君主(chao)のみが、ムックダーハーンに存在できると言い、その他のどのような王であれ、その地に立ち入る事を禁じているのです。」 カイがここで言っているのは、Mungmeuang王という、ムックダーハーンの街(ひいては県)の守護精霊の事である。ここでは、Mungmeuangの称号の「chao fa」を「王」と訳しておくが、これはシャンやラーンナーの歴史上の指導者達によくみられる称号で、「王子」と訳される事もある。彼がその一部を成すこの県の守護精霊信仰には、高貴なニ姉妹(the Two Noble Sisters /chao mae song nang)も含まれ、メコン地域全域の中心都市には、これと同様の存在がある(このような守護精霊信仰について、より詳しくはHolt 2009, Rhum 1994, Tambiah 1975を参照)。 私はカイの「ただ一人の君主のみが存在できる」という発言に興味をそそられた。これは東北部のタイ王権に対する挑戦とも受け取れるが、ここではこれがそれ以外の事、すなわち、王と精霊の権限の捉え方の違いを示すものである事を論じる。カイの精霊信仰とタイ王室との関連付けを見てみれば、タイにおける王権が、王位にまつわる民間の宗教的実践の延長として、また政治的支配の一体制として見られている事に間違いはないだろう(cf. McCargo 2005)。私の主張は、守護精霊の崇拝が、君主主義の実践に影響を及ぼし、またこれが転じて、王室崇拝の新たな形が地域の精霊崇拝に影響を与えているという事だ。この議論はこの場で論じ尽くせるものではないが、ここで(当時の)現国王プミポンと守護精霊Mungmeuangとの対立による例を一つ挙げておこう。 どの程度の神話が、あるいは、どの程度の現実的政治が、タイの君主制度を動かしているのかという事は、長年、どっちつかずの議論となっている(McCargo 2005, Jackson 2010, Gray 1986)。カイの発言は決然と前者に落ち着くものであり、彼女が王室の権威をchaoであると難詰するのも、全く同じ理論による。タイの国王崇拝がラーマ9世を菩薩と掲げる(Gray 1992:452)のに対し、カイは国王を別の形で、アニミストの君主として示し、その権限を全宇宙には及ばぬものの、地理的境界で定められた領域には及ぶとした。 私とカイが論じていた意味での、chaoとは、秘められた力を示す言葉である。もし、私がある特定の物のchaoであると言うなら、それはその物が私の意思に従うという意味であり、それは私が車(chao khong rot)や、政体(chao meuang-守護精霊)、あるいは天のもの(chao fa-王子)と言おうが同じである。それは一度に超自然的な神々やブッダ、国王、あるいは、より日常的には所有権を示す言葉である。すなわちchaoは、主権を明確に述べるものなのだ。配下の人間や物の所有を通じ、彼らはそれを繁栄と幸運に導き、確実に行動や存在を発展させる(charoen)(Johnson 2014参照)。 この発展の呪法は、長らく東南アジア諸国の国家儀礼の一部となってきた。結局のところ、ここは「劇場国家」の地(Geertz […]