土地と王権:国王崇拝、精霊信仰と地理的身体

Andrew Alan Johnson

メコン川の河岸で、焼き豚をつまみながら、カイ(Kai)と私はナーガ(phaya nak…神話上の水龍)や、その他の守護精霊の話をしていた。夕食に同席していた数人が、おかわりの肉をよそおうと席を立つと、カイは熱を発するバーベキューの焼き網越しにこちらへ身を乗り出してきた。「一つ、(タイの)(プーミポン・アドゥンヤデート)国王が一度も訪れたことのない県があります。それがどこだか、なぜ彼がそこに一度も行った事がないのか、当ててみてください」。

私は一瞬考えた。彼女が何を言わんとしているのか、なぜまた急にそのような事を言い出したのか、不思議に思った。反体制的な南部諸県の事を言っているのだろうか?そこでの長期にわたる反乱や、反感を抱いたムスリムの多数派が、国王の訪問を危険にしているというのだろうか?あるいは、東北の国境県での1970年代の共産党の反乱が、国王の訪問を取りやめさせたのであろうか?だがそもそも、なぜナーガについて話していた時に、国王の話を持ち出してきたのだろう?「ヤラー(Yala)」、と私はあてずっぽうに一つの南部の県名を挙げた。

カイは微笑んだ。「ムックダーハーン(Mukdahan)」と彼女は言った。メコン川沿いの近隣県である。「彼は訪問できないのです。守護精霊がそれを許さないからです。精霊は、ただ一人の君主(chao)のみが、ムックダーハーンに存在できると言い、その他のどのような王であれ、その地に立ち入る事を禁じているのです。」

カイがここで言っているのは、Mungmeuang王という、ムックダーハーンの街(ひいては県)の守護精霊の事である。ここでは、Mungmeuangの称号の「chao fa」を「王」と訳しておくが、これはシャンやラーンナーの歴史上の指導者達によくみられる称号で、「王子」と訳される事もある。彼がその一部を成すこの県の守護精霊信仰には、高貴なニ姉妹(the Two Noble Sisters /chao mae song nang)も含まれ、メコン地域全域の中心都市には、これと同様の存在がある(このような守護精霊信仰について、より詳しくはHolt 2009, Rhum 1994, Tambiah 1975を参照)。

私はカイの「ただ一人の君主のみが存在できる」という発言に興味をそそられた。これは東北部のタイ王権に対する挑戦とも受け取れるが、ここではこれがそれ以外の事、すなわち、王と精霊の権限の捉え方の違いを示すものである事を論じる。カイの精霊信仰とタイ王室との関連付けを見てみれば、タイにおける王権が、王位にまつわる民間の宗教的実践の延長として、また政治的支配の一体制として見られている事に間違いはないだろう(cf. McCargo 2005)。私の主張は、守護精霊の崇拝が、君主主義の実践に影響を及ぼし、またこれが転じて、王室崇拝の新たな形が地域の精霊崇拝に影響を与えているという事だ。この議論はこの場で論じ尽くせるものではないが、ここで(当時の)現国王プミポンと守護精霊Mungmeuangとの対立による例を一つ挙げておこう。

どの程度の神話が、あるいは、どの程度の現実的政治が、タイの君主制度を動かしているのかという事は、長年、どっちつかずの議論となっている(McCargo 2005, Jackson 2010, Gray 1986)。カイの発言は決然と前者に落ち着くものであり、彼女が王室の権威をchaoであると難詰するのも、全く同じ理論による。タイの国王崇拝がラーマ9世を菩薩と掲げる(Gray 1992:452)のに対し、カイは国王を別の形で、アニミストの君主として示し、その権限を全宇宙には及ばぬものの、地理的境界で定められた領域には及ぶとした。

写真:メコン川の小さな町のchaoを祀ったリンガ(หลักเมือง)
提供:著者

私とカイが論じていた意味での、chaoとは、秘められた力を示す言葉である。もし、私がある特定の物のchaoであると言うなら、それはその物が私の意思に従うという意味であり、それは私が車(chao khong rot)や、政体(chao meuang-守護精霊)、あるいは天のもの(chao fa王子)と言おうが同じである。それは一度に超自然的な神々やブッダ、国王、あるいは、より日常的には所有権を示す言葉である。すなわちchaoは、主権を明確に述べるものなのだ。配下の人間や物の所有を通じ、彼らはそれを繁栄と幸運に導き、確実に行動や存在を発展させる(charoen)(Johnson 2014参照)。

この発展の呪法は、長らく東南アジア諸国の国家儀礼の一部となってきた。結局のところ、ここは「劇場国家」の地(Geertz 1981)なのであり、Benedict Anderson (2006)やClifford Geertz (1981)、Margaret Weiner (1994)などの著者たちは皆、東南アジアの指導者達が、その正統性を政治だけでなく、(大抵は秘められた)力の神秘的起源に関連付けて導き出す方法について詳述している。これはタイについても全く同じであり、「実質的な神」と言われる(Jackson 2010)タイ国王は、呪術と政治、メディアを結びつける点などにおいてその典型である。20世紀末に、プミポンは教皇にも匹敵した人物として出現し、多くの者達によって神、あるいは少なくとも菩薩として位置付けられた。国家機関はこの認識を不朽のものとしたのであるが(Gray 1992)、それは公式プロパガンダ紙の枠をはるかに超えて行った。大衆紙が大々的に取り上げたのは、例えば、家屋が全焼しても、国王の肖像だけは無傷で残っていた、などという話である。その実際の効果は議論中であるが(Walker 2008)、ロイヤル・プロジェクトは多くの農村家庭から、地方に繁栄をもたらすものであると認められている。

また最後に、Daena Funahashi (2016)が保健専門家たちの事例で示すように、国王は半神的な「専門家の頭首」の役割を果たし、一般の専門家たちからは絶対的な(そして手の届かぬ)知と正当性の源を象徴した人物と見られている。例えば、近年発売された本の中で、タイ気候研究センター(Thai climate studies center)は、国王が以前、ある会合の時にした落書きを、その本の全冊の表紙裏に再現する事で、科学的な出版物に神々しいオーラを添えたのであった。

従って、この事例におけるchao性の帰結するところは、知、健康、愛国心や進歩性である。だが、誰がchaoとなるのに相応しい者なのか?畏敬の念と共に、誰が、あるいは何がchaoに相応しいのかを取り締まり、これを知らせる必要が生じて来る。またそのchaoが、本当に王侯貴族の道徳的な正義の力であるバーラミー(barami)を備えている事を確証する手段が講じられるようになる。一人の王党派のタイ人教授は、私が霊媒師に取り組んでいると言うと、それを嘲笑って次のように言った。「君は本当に彼らを信じているのか?何故、本当のchaoが好き好んで村の老女の体に乗り移らなきゃならないんだ?そういう憑依霊をただの幽霊だとは思わないのか?」

この言葉が示すように、君主主義はバーラミーの力にまつわる(例えば、王の精霊が存在するかもしれぬという)信仰を生み出すと同時に、またその存在に対する主張の正当性の(例えば、そのような王の精霊が下層の霊媒師の中に示現するのは疑わしいといった)究明をも促すのである。1990年代から2000年代の神聖・王室・テクノロジーの(一言でいうとdhammalogical:仏法学的な)力の最盛期には、タイのメディアもまた、他のchaoの話題、特に「偽」chaoの評判を貶める事で「本物」を見極める、という話題でもちきりであった。“In the Place of Origins”の中でRosalind Morris (2000)が典型的な例として挙げたテレビ番組は、「偽」霊媒師たちを暴き出す事を主眼とし、そのために舌を切断した後に再びくっつけるというような、これ見よがしの奇術の巧妙な手の内を明かすものであった。これに加え、Alan Klima (2006)が最近調査した金融規制機関の「暴露」は、村落レベルでの精霊の慣行に関するもので、霊媒師たちを農村の純朴さを食い物にする者として捉えている。目下、反精霊談話の中心はソーシャル・メディア上にあり、“Fuck Ghost”のようなウェブサイトでは、地域の霊媒師や聖地、幽霊の目撃情報などの信憑性を貶める事を目的に、心霊現象のビデオを投稿して、信じやすい様子を示す者達を嘲りつつ、同時に王家のバーラミーの正当性を実証している。

政治的にも、このchaoが実際に利益をもたらす精霊だと確証する必要性が、しばしば中心的話題となってきた。例えば、失脚したタクシン・チナワット首相は、タイ国軍の人間たちから、ビルマ国王の密かなる生まれ変わりで、タイ国家滅亡の消えやらぬ望みを抱えていると詰られていたのである(Wassana 2009参照)。彼がこれを遂行せんとしているという誹りを受ける元になった一つの方便は、バンコクの商業的中心地にある巨大なショッピングセンターの外にあるブラフマー神殿の破壊を、彼が「首謀者となり目論んだ」というものだ(Keyes 2009)。その後、彼が追放された2006年、そして彼の支持者である「赤シャツ隊」が虐殺された2010年以降は特に、彼の支持者たちが多くの呪いの儀式を執り行い、唐辛子や塩を燃やしては、クーデターを企てた軍部や、殺害命令を下した者たちを呪ったのである。中央での統治権を巡る政治紛争は、精霊間の紛争をもたらしたのであった。

劇場国家の論理に従い、chaoは完全性のモデルとなり、またそのようにする事により、これをさらに広い領域にもたらそうとするのである。それは同化作用のある枠組みであり、吸引力を持つ魅力的な枠組みである。ではしかし、なぜこのように対立に終始するのか?なぜMungmeuang王は、空間の共有を拒むのか?Thongchai Winichakulがその画期的な著書、『地図がつくったタイ』(Siam Mapped (1994))で指摘しているのは、タイの劇場国家から国民国家への変容が、君主の変容を引き起こしたという事である。宇宙の中心に存在する(他のそのような中心が、螺旋状にフラクタルに広がってゆく中での)一人の神聖な支配者に代わり、王室の概念はタイの「地理的身体」と融合する事となったのである。今や、君主達は国民国家の、しかし国民国家のみの、物理的領域と同一視され、今なお、近代性やテクノロジー、知恵などの架け橋の役を担いつつも、世界の中の一人の王となって他の者達と対等の立場に置かれている。このような認識は、プミポンの肖像の描かれ方に明らかであった。例えば、一枚のよく複製された写真は、彼の戴冠60周年の折に撮影されたものであったが、そこに映っていたのは、中央に座ったプミポンを世界中の王族が銘々の王権の象徴を手に囲む姿であった。

要は、君主制が国民国家の理論、すなわち、一つの国民国家がその他の主権を持つ国家の一存在であるという論理に負い目を感じるようになる、という事だ。Geertzのヌガラ(negara)の論理では、対立する君主らが、より模範的な中心になろうと争っていた一方で、Thongchaiの国家の「地理的身体」では、国王は世界を他者、主権を有する君主たちとも共有するが、国境内では絶対的な存在であり続ける。事実、タイで「地理的身体」が1800年代末に採り入れられた事に一致して、地方の君主国は廃絶する事となった。チェンマイの王政は、インタウィチャヤーノン(Inthawichayanon)王の死と共に1897年に終わりを迎えたのだ(Sarasawadee 2006参照)。プミポンの時代(r. 1946 – 2016)になると、地方には一つの君主国も残っておらず、プミポンの権威はタイ国家の権威も同然であり、当然、タイ国境に(至れば即座に停止するが)まで及ぶものと考えられていた。もちろん、ムックダーハーンは別である。

地域の精霊であるchaoには通常、国王達が地理的身体に対して有するような作用は無い。チェンマイでの地域のchao信仰について、筆者は2006年から2008年にかけてフィールドワークを行ったが、その中でmaa kii(霊媒師たち)が作り出した混交的なヒエラルキーは、インドの神々とアニミストの精霊、それに亡くなった王達の御霊を組み合わせたものであった。例えばチェンマイの街では、急速に変化する霊媒師のコミュニティに、分類の試みを無視した主権やヒエラルキーの重複があった(Johnson 2014:そのような分類の試みの例だけであればShalardchai 1984, Suriya et al 1999, Rhum 1994を参照)。精霊chaoには、王子や副王などがあり、彼らがチャクリー王達に対して唯一了承した事は、プミポンのロイヤル・カラーに(「兵士」や「天使」の精霊に対する)「王」の御霊の必要条件の色である黄色を採用するという事のみであった。実際、著者が出席した憑依の儀式は、いずれも国王賛歌が流れると、厳かに敬意を表して終わるのであったが、この事はこれらの精霊chaoの現人間国王に対する従属を示すものである。

だがMungmeuang王は、このような事を一切行わない。むしろ、彼はちょうど後のチャクリー王達がしたように、この地理的身体の論理を持ち出し、統治の宇宙的概念を拒絶する事によって、それぞれの神聖王を国家(あるいは県)の模範的中心に等しき存在としているのであり(cf. Geertz)、上位の君主国を崇める事などは問題外なのである。彼はナショナリストとなり、ムックダーハーンをその地理的身体としたのだ。

ここに至って、君主主義の劇場国家から国民国家への変化が、いかに精霊信仰に影響を及しているかが分かる。精霊chaoと国王のchaoはいずれも、権力や専門技術、ヒエラルキーや正当性の捉え方であり、そのような事から至極当然、一方のゆるやかな変化(例えば、「地理的身体」に向かう動き)は、もう一方にも変化を引き起こす。Mungmeuangのプミポンに対する不服は、この二者の関連性を示すものであり、またとりわけ現在、この新国王の時代において、タイ君主制のさらなる研究に道を示すものである。

プリンストン大学
人類学科
准教授

Andrew Alan Johnson

Issue 22, Kyoto Review of Southeast Asia, September 2017

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