Issue 23 Mar. 2018

Islamic Authority and the State in Brunei Darussalam

To a regionally unparalleled extent, political Islamization in Brunei Darussalam is the exclusive domain of the state. Brunei’s religious bureaucracy maintains an absolute monopoly over Islam-related public communication. No organized secularist or Islamist opposition group […]

Bahasa Indonesia

Wewenang Islam dan Negara di Brunei Darussalam

Secara tak tertandingi di wilayah Asia Tenggara, Islamisasi politik di Brunei Darussalam adalah ranah khusus negara. Birokrasi keagamaan Brunei mempertahankan monopoli mutlak atas komunikasi-publik yang berkaitan dengan Islam. Tidak ada kelompok sekuler terorganisir atau kelompok […]

Issue 23 Mar. 2018

อำนาจอิสลามกับรัฐในประเทศบรูไนดารุสซาลาม

อิสลามานุวัตร (Islamization) ทางการเมือง ในประเทศบรูไนดารุสซาลามเป็นปรากฏการณ์ที่เกิดขึ้นเฉพาะในบริบทของรัฐในระดับที่ไม่สามารถเปรียบเทียบกับประเทศไหนในภูมิภาคนี้  ระบบราชการศาสนาของบรูไนมีอำนาจสมบูรณาญาสิทธิ์ในการผูกขาดการสื่อสารสาธารณะในประเด็นที่เกี่ยวข้องกับศาสนาอิสลาม  ไม่เคยมีกลุ่มองค์กรฝ่ายค้านไม่ว่าฆราวาสหรืออิสลามกลุ่มไหนกล้าท้าทายจุดยืนทางศาสนาของรัฐบาลอย่างเปิดเผยตั้งแต่ยุคหลังอาณานิคมเป็นต้นมา  การวางนโยบายอิสลามมาจากบุคลากรฝ่ายรัฐล้วนๆ และเกิดขึ้นโดยที่สาธารณชนไม่มีทางรู้เห็น  องค์กรอิสลามที่ไม่ได้เป็นของรัฐ ศาสนาจารย์อิสระ (อุลามะอ์) หรือสื่อสิ่งพิมพ์อิสลาม “ที่ไม่ถูกควบคุม” เป็นสิ่งที่สังคมบรูไนไม่มี  กล่าวอีกนัยหนึ่งคือ อุลามะอ์ชาวบรูไนก็คือข้าราชการนั่นเอง ในคำประกาศเอกราชเมื่อปี 1984 สุลต่านฮัสซานัล โบลเกียห์กล่าวว่า บรูไน “จะมีอธิปไตย ประชาธิปไตยและเอกราชภายใต้ระบอบราชาธิปไตยมลายูมุสลิมที่ตั้งอยู่บนคำสอนของศาสนาอิสลาม (สุหนี่) ตลอดไป”   สุลต่านมองว่าบรูไนไม่ใช่รัฐ “ฆราวาส”  ความหมายของการเป็น “ประชาธิปไตย” เป็นประเด็นที่ถกเถียงได้อีกมาก เนื่องจากบรูไนไม่เคยมีการเลือกตั้งทั่วไป ไม่มีรัฐสภา ไม่มีองค์กรฝ่ายค้าน และปกครองด้วยคณะรัฐมนตรีที่สุลต่านเป็นผู้แต่งตั้ง  สุลต่านครองอำนาจบริหารสูงสุดและ […]

Issue 23 Mar. 2018

ブルネイ・ダルサラームにおけるイスラム教の権威と国家

東南アジアに類例が無いほどに、ブルネイ・ダルサラームにおける政治のイスラム化は国家の独擅場となっている。ブルネイの宗教官僚制度は、イスラム教関連の公共通信に対する絶対的な独占を保持している。かつて、世俗主義やイスラム主義の何らかの組織的な反対勢力が、独立後の政府の宗教的態勢に公然と挑んだ事は無かった。イスラム的な政策決定は、国家の当事者間だけで、しかも秘密裏に行われる。イスラム教の非国家組織や独立した立場の宗教学者(ウラマー/ulama)、あるいは「規制されない」イスラム教関連の出版物は、公には存在しない。ブルネイ人のウラマーは当然のことながら公務員である。 1984年の独立宣言で、スルタン・ハサナル・ボルキア(Sultan Hassanal Bolkiah)が、ブルネイは「永遠に(スンニ派)イスラム教の教えに基づいた、主権、民主・独立のマレー・ムスリム王国となろう」と宣言した。彼はブルネイを「非世俗」国家と見なしている。「民主的」という観念には議論の余地がある。なぜなら、これまでにブルネイで総選挙が行われた事は無く、国会も組織的な野党も存在せず、スルタンの任命した内閣によって国が治められているためだ。彼は完全な行政権を有し、憲法上「何をしても正しく」(第84B条)、首相で、防衛大臣、財政大臣、外務通商大臣であり、警察と軍の司令官で、「国教(イスラム教)の長」(第三条(2))であり、「地上におけるアッラーの代理人」(ハリーファ/khalifah)で「信徒の指導者」(ウリルアムリ/ulil amri)であると考えられている。 立法評議会(Legislative Council)は、その前身が1983年に解散された後、2004年に再開された。これを「見せかけ」とする見方もある。これは概ね任命制という評議会の性質と権力の欠如に鑑みた見解である。他の者たちは、これを国民参加型の新たな政治風土に向けた限定付きの一歩と見なしている。数十年に及ぶ非常事態宣言を招いた1962年の短命な反乱以降、そのような風土が存在した事はなかった。国民は今や、年一回召集される立法評議会の議員に懸念事項を持ちかける事ができる。この評議会は政府予算の「承認」も行う。 ブルネイの公式な国是、「マレー主義に立つ、イスラム的王政」(Melayu Islam Beraja, MIB)は、政治上、最も重要なものである。それは、マレー民族(M)、イスラム教(I)、そして王政(B)を国家のアイデンティティの中核として特権的に扱うものだ。MIBが「作られた伝統」であるとの批判に対し、ブルネイ人の(MIB推進の義務を負う)学者たちは、この頭字語が作られたものである事を認めつつも、これが数世紀に及ぶ「ブルネイ文化」の本質を反映していると主張する(Mohd Zain 1996:45; Müller 2015:315)。 MIBは益々制度化されつつある。MIB概念委員会(MIB Concept Committee)がその仕事に着手したのは1986年で、これは後にMIB最高議会(MIB Supreme Council)に形を変えた。1990年には政府がブルネイ研究アカデミー(the Academy of Brunei Studies/APB)を設立し、これはMIB最高議会の事務局を置くブルネイ・ダルサラーム大学を拠点とした。APBはMIBの知識生産の原動力である。APBはMIBを三つの段階で普及している。すなわち、学校、大学、そして国民である。学校や大学でMIBの授業は必須科目であり、いかなる国民もMIBの単位履修を経ずに卒業する事はできない。報道機関は絶えずMIBに言及しており、公共イベントは、通常、MIBに適うものとなるように考案される。例えば、芸術や詩のコンテストはMIBの愛国的表現を模範としており、留学生たちは「MIBの価値観を守る」よう指示される良き市民にとってのMIBの重要性と公的表現の諸規範が社会に深く定着し、何であれ、MIBに対する個々の意見は「隠された記録(“hidden transcripts”)」(Scott 1990)に隠れたままとなっている。ところが、MIBの幹部でさえ、この頭字語をもじった日常的な冗談を交わしている。この概念に対するより真摯な問いはサイバー空間に生じているが(Müller 2010:157)、これは極めて稀な事である。 MIB・イスラム行政の法的、制度的手段 ブルネイのイスラム化政策の歴史は、イスラム教の教義および習慣の内容や、越えてはならない一線を定める際の、国家の独占性を強化する歴史である。組織的な「イスラム主義者の動員」は(この特別号のテーマであるが)、少なくとも、反抗的あるいは非国家的なコンテキストにおいては滅多に存在しない。だが、過去に、海外の民兵組織(例えばジェマ・イスラミア/Jamaah Islamiyah)や非暴力だが違法なムスリム集団(例えばマレーシアのアル・アルカム/al-Arqam)のメンバーを支持する人が逮捕された事はあった。もし「イスラム主義」の意味が、教育努力と並んで社会をトップ・ダウン式にイスラム化するべく、国家とその諸機関を利用する事を志向した政治的イデオロギーや社会計画であるとすれば、ブルネイ国家そのものが1980年以降熱心に「イスラム主義者」の動員に携わって来た事になる。 歴史的に見れば、イスラム教の影響を受けた法典は、慣習的規範と共に、植民地時代以前のブルネイに存在した。英国総督府時代(1906–1959。1888年以降は保護領だった)、植民地の役人たちはスルタンに宗教行政の「近代化」を提言した。これは、英国の国家形成や法律尊重主義的思考の認識を踏まえ、体系的な制度化と成文化を目指すものであった。この結果が1912年のイスラム法制定に始まる一連の法典や新機関の設立だった。この多様化にもかかわらずイスラム教の法的領域は家族法や身分関係法に限定されたが、宗教によって規定された犯罪の幾つかも処罰の対象であった。スルタンの権力は宗教的、慣習的な事柄に縮小されたが、彼らはこれらの領域を利用する事で自らの地位と象徴的権力を確立させた。ブルネイは1959年に内政をほぼ自治によって行うようになった。1959年憲法は国家の「イスラム的」、「マレー的」性質を強調したものである。この憲法は、個人の諸権利については、宗教的「平和と調和の…実践」(第3条)以外は触れていない。 植民地時代の宗教行政の基盤は、幾分逆説的ではあるが、解放的な植民地独立後のイスラム化政策に「制度的言語」をもたらした。これらには、新たなイスラム法や宗教官僚の影響力のさらなる拡大、そしてその職能分化が含まれていた。1990年には作業部会が現行法の見直しを始め、これを「イスラム教に準拠したもの」とした(Müller 2015:321)。この対象となったのが、二重体制の中でシャリーア法と併存する英国由来の諸法である。1991年と1992年にはアルコール飲料と豚肉の販売が禁止された。官僚たちは増々(特に国家ムフティ(Mufti/イスラム法官)によって)「真のイスラム」からの「逸脱」と見なされる事柄を非合法化する事に心を砕くようになり、バハーイー教の禁止を皮切りに(Müller 2015:328)、「逸脱した教義」のリストは増え続けた。非国家的なイスラム教の言説空間が確実に存在できないようにする事と平行し、官僚たちはムスリム・マレー文化からの「迷信的」要素(Müller 2015:327ff.)の浄化を志したのである。そのような、何らかの「逸脱」を定義し、これに異議を唱える事が、役所の重要な活動として、社会慈善活動や布教、モスクの建設および維持管理、金曜礼拝の説教の執筆や巡礼諸務などと並んでいる。有力機関としては、国家ムフティ省(the […]

Book Reviews

Review— Maen Pukulan: Pencak Silat Khas Betawi

Gusmanuddin Natawijaya, Maen Pukulan: Pencak Silat Khas Betawi (Fist-play: the pencak silat of Betawi) Jakarta: Yayasan Pustaka Obor Indonesia, 2016, 342 p. Few books are dedicated to the phenomenon of martial initiations in the Malay […]

Issue 23 Mar. 2018

Islamism in Southeast Asia

Muslim political activism and engagement is increasing across Southeast Asia. Underpinning this is a belief, held in many quarters of the region’s vast and diverse Muslim populations, that Islam is not just a religion, but […]

Issue 23 Mar. 2018

Cambodia-Thailand relations in the post Cold-War Era

As fellow ASEAN member states, Cambodia and Thailand were the only two neighboring countries that were embroiled in military clashes over border disputes in recent times. The Preah Vihear dispute between 2008 and 2011 revived […]

Issue 21 Mar. 2017

Political Economy of Affordable Housing in Malaysia

The fourteenth Malaysian General Election is scheduled to be called on or before 24 August 2018. The election campaigns from both the ruling and opposition parties have virtually started. The clear election agendas so far […]

Thai

ในนามของประชาชน: ไสยศาสตร์กับปริศนาของการปกครองแนวสุขภาวะในประเทศไทย

ในเดือนกันยายน 2557 พลเอกประยุทธ์ จันทร์โอชา หัวหน้าคณะรัฐประหารครั้งล่าสุด กล่าวในการประชุมเจ้าหน้าที่รัฐบาลระดับสูงว่า เขาถูกฝ่ายต่อต้านรัฐบาลทหารทำคุณไสย หนังสือพิมพ์ในประเทศฉบับหนึ่งรายงานว่า เขาโทษว่าอาการเจ็บคอ ปวดคอ เกิดจาก “มนตร์ดำ” หรือ ไสยศาสตร์ แต่ผู้เข้าร่วมประชุมไม่ต้องเป็นห่วง เพราะเขาทำพิธีแก้และสาปแช่งกลับไปที่ฝ่ายตรงข้ามซึ่งมีอกุศลจิตคิดทำพิธีให้รัฐบาลของเขาเจ็บป่วยแล้ว ผู้เชี่ยวชาญด้านสุขภาพในหน่วยงานรัฐที่ผู้เขียนเก็บข้อมูลภาคสนามด้านชาติพันธุ์มาตั้งแต่ปี 2554 กล่าวว่า อย่าเชื่อข่าวพาดหัวของสื่อเกี่ยวกับพิธีสาปแช่งและพิธีแก้ที่พลเอกประยุทธ์พูด ถึงแม้สื่อไทยมักกล่าวอ้างถึงความเชื่อเรื่องไสยศาสตร์ในการเมืองบ่อยๆ แต่ไสยศาสตร์ไม่มีบทบาทจริงๆ ในวงการการเมืองหรอก แต่นี่ไม่ได้หมายความว่าพลังวิเศษทุกชนิดจะไม่ได้รับการยอมรับไปเสียหมด คิม ผู้เชี่ยวชาญคนหนึ่งในหน่วยงานรัฐดังกล่าว บอกว่า “ไสยศาสตร์เกี่ยวข้องกับความรุนแรงและความโลภ มีแต่คนงมงายและไร้การศึกษาที่หลงเชื่อ” กระนั้นในเวลาเดียวกัน เธอก็ยอมรับว่า แท้ที่จริงแล้ว “คนบางคนก็มีพลังวิเศษ” คิมอ้างถึงคำอีกคำหนึ่ง นั่นคือคำว่า […]

Issue 22 Sept. 2017

国民の名において:タイにおけるヘルス・ガバナンスの魔術と謎

2014年の9月、近年の軍事クーデターの頭首であるプラユット(Prayuth)司令官は、政府のハイレベル会合において、彼が軍事支配の反対勢力による呪術攻撃の犠牲者であった事を公表した。地元紙の報道によると、彼は喉と首の痛みを「黒魔術」、sayasaatのせいにしたものの、会合の出席者たちは心配無用、彼の政権を呪った者達には呪いのお返しをしてあるのだという。 著者はタイの国家機関で、2011年から民族学のフィールドワークを行ってきたが、これらの機関の保険専門家達が示唆したところによると、メディアが取り上げるプラユット司令官の呪いと呪い返しは疑わしいものであり、政治における呪詛がタイのメディアで頻繁に取り沙汰されようとも、政治的領域内にsayasaatが実際に存在する場はないという事だ。だが、これは全ての呪術が一様に否定された事を意味するのではなかった。この機関の専門家の一人、キム(Kim)は、次のように述べた。「sayasaatとは、暴力や貪欲の事です。騙されやすい者(ngom-ngai)と無学な者だけが、これによって惑わされるのです」。だが、また同時に彼女は、本当に「超常的な力を備えた者たちも中にはいる」と打ち明けた。もう一つのバーラミー(barami)という言葉に言及し、キムは王族や神々、僧侶やブッダは皆、あらゆる知の源泉にある者たちの力、バーラミーの宝庫なのだと主張した。 タイ学の研究者たちは大抵、バーラミーを名声、カリスマ、あるいは宇宙的力と翻訳する(Gray 1986, Johnson 2013, Jory 2002,参照)が、キムは単にこれを英語で「偉大さ」と表現した。それは超人的な力であり、宇宙の法たるダルマ(dharma)に適った行為を行う者、あるいは、これを制定する者たちが備えた力である。上座部仏教の伝統では、相当な量のバーラミーを持ち合わせた国王は、人民のみならず、病気や降雨、農業生産にまで影響を及ぼすのであるが、これは彼から放たれた神授の力が、その周囲の存在へと降り注ぐためである(Gray 1986:236)。偉大さとはすなわち、人間たちの作った法律とダルマとの間を縫合する神聖王たちの能力を指すのである。彼らは政治的に考案された善と、絶対的な「天来の」善とを、正当な統治という世俗の為政権の下で結びつけるのだ。 ここでは、タイ政治における魔術的思考の局面に目を向ける事で、これをオカルト染みたものとして非難するのではなく、超越的真理の源に立脚したタイ国家機関の政治否定が、タイを越えた諸状況といかに関連しているかを示す事にする。 キムはしばしば、日常生活の中にいかに国王の偉大さが窺われるかという事を説明してくれた。彼女は西洋諸国、特にアメリカにおける進行した資本主義の破壊的影響を指摘しつつ、タイが比較的健闘している事を、国王が介在しているためであると主張した。 「我が王は、知足の観念を我々に与えて下さった。陛下の足るを知るという哲学は、西洋人の尻を追う事を(tam kon farang)やめるよう教えて下さった。それは私たちに、自らの仏教的伝統を敬う事、そして、新しいiPhoneを欲しがる事、都会の人々の暮らしを、隣人の持ち物を欲しがる事が、苦しみしかもたらさぬ事を覚えておくよう教えています。彼は西洋社会を侵す社会悪の苦しみから我々を救って下さったのです。ファランたち(Farangs)は、物事を経済的な合理性の観点からしか考えておらず、何が道徳や自然、精神的な理に適うかという事は気にかけていないのです」と彼女は言った。 西洋人の事をファランと呼ぶキムが繰り返す、王政主義者に共通の見解は、しばしば単に「父」と呼ばれるプミポン国王が、国内外の諸勢力と闘い、この国を破壊的な資本主義の行き過ぎから遠ざけるべく、マインドフルな消費主義の価値観を教えてくれたというものだ。彼女が誇らしげに支持したタイ保健当局高官達の主張は、国王の「足るを知る経済哲学(Sufficiency Economy Philosophy:SEP)」を、WHOの健康志向ガバナンスのモデルに着想を与えたオリジナル概念と位置付けるものだ。 WHOのヘルス・ガバナンスの認識が、同概念に対するタイ人の認識の仏教的枠組みから袂を分かつ一方、両者はいずれも、経済的・政治的利益を、根本的には環境や生物学上のプロセスによって制限されるものとして考え直すことを促している。この二つのモデルは、経済的・政治的権力をめぐる国際競争にけん引される諸政府が、幸福や福利に立ちはだかる諸状況に、遅かれ早かれ、答えを出さねばならぬ事を論じている。両者が提示する「正しい」ガバナンスの形は、政策決定のプロセスにおいて、自然や生物学上の結果をも考慮する事のできるテクノクラートたちを中心としたものである。 実に、WHOの言う「健全な政策(healthy policy)」を策定するというSEPとWHOの観念の類似性は、先の2006年のタイにおけるクーデターの礎となっていた。当時のタイ暫定軍事政権の首相、スラユット・チュラーノン(Surayud Chulanot)は、キムのような保健専門家たちをその政治改革の最前線、あるいは中心に配し、WHOのヘルス・ガバナンス構想を国王のSEPと共に新憲法の中に記すまでとなった。 キムの機関のような国家機関の台頭は、スラユット軍事政府が導入した、いわゆる「モラル転換(moral turn)」に伴って生じたものである。選出され、自身を国家のCEOと称したタクシン・チナワット首相に対し、スラユット暫定軍事政権は、環境や社会、健康に対するタクシン統治の負の成果を強調し、これを利益第一の統治が人間の貪欲のあるべき限界を踏み超えた証とした。国王の承認を以て、自らを国家の健康の守護者に任じた後、暫定軍事政権はクーデターをこの貪欲に対する「必要悪」として正当化した。彼らは、タクシンが経済を優先させ、物事の本質や真理であるダルマを無視したために、宇宙の法や秩序の礎となるこの真理に対する彼の無知のために、国家を環境悪化や病気、社会的不和から守る事ができなかったと論じている。 国家保健当局のもう一人の専門家であるトム(Tom)は、スラユットの見解の支持と、2011年に国が民政回帰した後のタイ民主主義に対する疑念を表明した。彼は「タイはまだ準備ができていない」と言い、民主主義は西洋では機能しても、タイの現状においては幻想でしかなかったと述べた。トムによると、民衆は「知」を欠き、利己的な政治家達が人々を騙し、自分たちに投票させる事に無防備なのであった。唯一「真っ当な人々」、ここでは知を備えた人と解釈される健全な人々、宇宙の法に適う「真っ当で」、健全な結果を導く決断を下せる人々だけが、タイ国家の自信を回復させられるのだ。「真っ当な人々」とは、つまり、彼らのような保健専門家たちの事である。 WHOが「権能や権限がもはや政府内に集中する事のない知識社会」を標榜したことを受け(Kickbusch and Gleicher 2012: vi)、ここに紹介したトムやキムのような国家の保健職員達は、政治的利益の獲得に直接関与せぬ者達だけが、公益のための政策作りを行うことができると主張している。国王のSEPとWHOのヘルス・ガバナンスの両概念が、保健専門家達に自らが中立的で客観的な個人であり、国民の名において介入する能力を持つ者との幻想を抱かせているのだ。 ここで、我々が手にしている、初めはテクノクラシーの典型的なモデルとも思えたポスト政治的な環境は、ふさわしい政治空間を、健康測定基準や健康管理に置きかえるものである。だが、冒頭で示唆したように、キムの統治概念にはもう一つの側面、バーラミーの神秘的な力に依存した側面が存在する。バーラミーは専門知識とは違って、習得したり、学習したりする事のできぬものである。それは特定の人々が生まれつき備えたダルマを定める能力の事である。いわば、専門家達とは、バーラミーを識別できると主張する者達、あるいは、バーラミーによって識別された者達という事になる。すなわち、これらの専門家達によって想定されたテクノクラシーとは、それぞれの様々なレベルの専門家たちが、前国王の宇宙的な力と交信するというものであり、その国王自身は、最高位の専門家の頭首と位置づけられる。教養あるタイ人たちとって、彼らの知識とバーラミーとの最も顕著な結びつきの縮図は、彼らの壁にかけられた写真である。 国王が全ての高等学位の授与を行っていた事から(この任務は後に王族メンバーに委譲された)、学位授与式は、専門分野課程の修了証明と、関係者達から非常に由々しく受け止められる各学位取得者への王命授与という、二重の機能を果たしている。この写真の中に永劫に記録されているのは、手を伸ばし、高座の人物から学位を受ける彼ら自身の姿である。この臣下と高壇上の君主との間に興味深い絆が生じる。卒業証書が両者をつなぐこの瞬間、知識を求める者と真理の源にある者との隔たりを縫合する絆が生じるのだ。 バーラミーの神秘的な力が、政治をタイに適応させるメカニズムの潤滑剤となっている点について、ポスト政治思想家たちに倣い(cf. Badiou 2008; Rancière […]

Thai

เจ้ากับความเป็นเจ้า: ความจงรักภักดี การนับถือผีวิญญาณและภูมิกายา

ระหว่างนั่งกินหมูกระทะที่ริมฝั่งแม่น้ำโขง ไก่กับผู้เขียนคุยกันเรื่องพญานาคและพระภูมิเจ้าที่อื่นๆ ขณะที่เพื่อนร่วมโต๊ะลุกออกไปตักหมูเพิ่ม ไก่โน้มกายมาหาผู้เขียน ระหว่างเรามีเตาย่างควันฉุยคั่นกลางและเอ่ยว่า “มีจังหวัดหนึ่งที่พระเจ้าอยู่หัว [ภูมิพลอดุลยเดช] ไม่เคยเสด็จ เดาได้ไหมว่าจังหวัดไหน? และทำไมพระองค์ไม่เคยเสด็จ?” ผู้เขียนนิ่งนึกชั่วครู่หนึ่ง และข้องใจว่าเธอหมายถึงจังหวัดไหนแล้วทำไมจู่ๆจึงหยิบยกเรื่องนี้ขึ้นมา เธอหมายถึงสามจังหวัดชายแดนภาคใต้ที่มีปัญหาความไม่สงบมายาวนานและประชากรส่วนใหญ่เป็นชาวมุสลิมจนทำให้การเสด็จพระราชดำเนินมีอันตรายหรือเปล่า? หรือว่าจะเป็นจังหวัดชายแดนภาคอีสาน ซึ่งเคยก่อการจลาจลโดยพรรคคอมมิวนิสต์ในช่วงทศวรรษ 1970 อาจจะเป็นเหตุผลที่ทำให้ไม่เสด็จพระราชดำเนินไปเยือน? แล้วทำไมจึงเอ่ยถึงกษัตริย์ขึ้นมาในเมื่อกำลังคุยเรื่องพญานาคอยู่แท้ๆ? “จังหวัดยะลา” ผู้เขียนเดา เลือกเอาจากหนึ่งในสามจังหวัดชายแดนภาคใต้ ไก่ยิ้ม “จังหวัดมุกดาหาร” เธอเฉลย คำตอบของเธอกลายเป็นจังหวัดใกล้ๆ ซึ่งตั้งอยู่ริมแม่น้ำโขง “พระภูมิที่นั่นบอกว่าเจ้าแห่งมุกดาหารมีได้องค์เดียวและห้ามไม่ให้เจ้าองค์อื่นย่างกรายเข้าไป” ในที่นี้ไก่หมายถึงกษัตริย์มุงเมือง พระภูมิประจำเมืองมุกดาหาร (ซึ่งรวมถึงทั้งจังหวัด) และในที่นี้ ผู้เขียนแปลบรรดาศักดิ์ “เจ้าฟ้า” มุงเมืองว่า “กษัตริย์” […]

Issue 22 Sept. 2017

土地と王権:国王崇拝、精霊信仰と地理的身体

メコン川の河岸で、焼き豚をつまみながら、カイ(Kai)と私はナーガ(phaya nak…神話上の水龍)や、その他の守護精霊の話をしていた。夕食に同席していた数人が、おかわりの肉をよそおうと席を立つと、カイは熱を発するバーベキューの焼き網越しにこちらへ身を乗り出してきた。「一つ、(タイの)(プーミポン・アドゥンヤデート)国王が一度も訪れたことのない県があります。それがどこだか、なぜ彼がそこに一度も行った事がないのか、当ててみてください」。 私は一瞬考えた。彼女が何を言わんとしているのか、なぜまた急にそのような事を言い出したのか、不思議に思った。反体制的な南部諸県の事を言っているのだろうか?そこでの長期にわたる反乱や、反感を抱いたムスリムの多数派が、国王の訪問を危険にしているというのだろうか?あるいは、東北の国境県での1970年代の共産党の反乱が、国王の訪問を取りやめさせたのであろうか?だがそもそも、なぜナーガについて話していた時に、国王の話を持ち出してきたのだろう?「ヤラー(Yala)」、と私はあてずっぽうに一つの南部の県名を挙げた。 カイは微笑んだ。「ムックダーハーン(Mukdahan)」と彼女は言った。メコン川沿いの近隣県である。「彼は訪問できないのです。守護精霊がそれを許さないからです。精霊は、ただ一人の君主(chao)のみが、ムックダーハーンに存在できると言い、その他のどのような王であれ、その地に立ち入る事を禁じているのです。」 カイがここで言っているのは、Mungmeuang王という、ムックダーハーンの街(ひいては県)の守護精霊の事である。ここでは、Mungmeuangの称号の「chao fa」を「王」と訳しておくが、これはシャンやラーンナーの歴史上の指導者達によくみられる称号で、「王子」と訳される事もある。彼がその一部を成すこの県の守護精霊信仰には、高貴なニ姉妹(the Two Noble Sisters /chao mae song nang)も含まれ、メコン地域全域の中心都市には、これと同様の存在がある(このような守護精霊信仰について、より詳しくはHolt 2009, Rhum 1994, Tambiah 1975を参照)。 私はカイの「ただ一人の君主のみが存在できる」という発言に興味をそそられた。これは東北部のタイ王権に対する挑戦とも受け取れるが、ここではこれがそれ以外の事、すなわち、王と精霊の権限の捉え方の違いを示すものである事を論じる。カイの精霊信仰とタイ王室との関連付けを見てみれば、タイにおける王権が、王位にまつわる民間の宗教的実践の延長として、また政治的支配の一体制として見られている事に間違いはないだろう(cf. McCargo 2005)。私の主張は、守護精霊の崇拝が、君主主義の実践に影響を及ぼし、またこれが転じて、王室崇拝の新たな形が地域の精霊崇拝に影響を与えているという事だ。この議論はこの場で論じ尽くせるものではないが、ここで(当時の)現国王プミポンと守護精霊Mungmeuangとの対立による例を一つ挙げておこう。 どの程度の神話が、あるいは、どの程度の現実的政治が、タイの君主制度を動かしているのかという事は、長年、どっちつかずの議論となっている(McCargo 2005, Jackson 2010, Gray 1986)。カイの発言は決然と前者に落ち着くものであり、彼女が王室の権威をchaoであると難詰するのも、全く同じ理論による。タイの国王崇拝がラーマ9世を菩薩と掲げる(Gray 1992:452)のに対し、カイは国王を別の形で、アニミストの君主として示し、その権限を全宇宙には及ばぬものの、地理的境界で定められた領域には及ぶとした。 私とカイが論じていた意味での、chaoとは、秘められた力を示す言葉である。もし、私がある特定の物のchaoであると言うなら、それはその物が私の意思に従うという意味であり、それは私が車(chao khong rot)や、政体(chao meuang-守護精霊)、あるいは天のもの(chao fa-王子)と言おうが同じである。それは一度に超自然的な神々やブッダ、国王、あるいは、より日常的には所有権を示す言葉である。すなわちchaoは、主権を明確に述べるものなのだ。配下の人間や物の所有を通じ、彼らはそれを繁栄と幸運に導き、確実に行動や存在を発展させる(charoen)(Johnson 2014参照)。 この発展の呪法は、長らく東南アジア諸国の国家儀礼の一部となってきた。結局のところ、ここは「劇場国家」の地(Geertz […]