Issue 30 Mar. 2021

Irigasi di Isan: Identitas Timur Laut dan Politik Air

Tulisan ini membahas bagaimana kebijakan air di Thailand Timur Laut (Isan) menghubungkan geografi wilayah dengan warganya, menghasilkan, memperluas, dan terkadang, menantang identitas politik mereka yang selama ini direndahkan. Saya berpendapat bahwa irigasi dan bendungan sangat […]

Issue 30 Mar. 2021

ชลประทานอีสาน: อัตลักษณ์ภาคตะวันออกเฉียงเหนือกับการเมืองเรื่องของน้ำ

บทความนี้พิเคราะห์ว่า นโยบายน้ำในภาคตะวันออกเฉียงเหนือของประเทศไทย (อีสาน) เชื่อมโยงภูมิศาสตร์ของภูมิภาคนี้กับประชาชนในท้องถิ่นอย่างไร มันก่อให้เกิด ขยายและบางครั้งก็ท้าทายอัตลักษณ์ทางการเมืองที่เป็นพลเมืองชั้นสองของพวกเขา  ผู้เขียนชี้ให้เห็นว่า การชลประทานและการสร้างเขื่อนมีบทบาทอย่างยิ่งในการรักษาความสัมพันธ์ที่ไม่เท่าเทียมระหว่างภาคตะวันออกเฉียงเหนือของประเทศไทยกับรัฐไทยภาคกลาง  นโยบายน้ำไม่ได้มีความเป็นกลางทางสังคม ตรงกันข้าม มันเชื่อมโยงลักษณะเชิงภูมิศาสตร์ของอีสาน กล่าวคือ ความร้อนและแห้งแล้ง ผูกกับความสำนึกว่าชาวอีสานล้าหลัง ด้อยกว่าและมีความกระด้างกระเดื่องทางการเมือง (ดังนั้นจึงจำเป็นต้องอยู่ภายใต้การปกครองที่เข้มงวดกว่า) อีสานหรือภาคตะวันออกเฉียงเหนือของประเทศไทยมีทั้งหมด 20 จังหวัด  อีสานเป็นภาคที่ใหญ่ที่สุดของประเทศ มีผู้อยู่อาศัยประมาณ 22 ล้านคนหรือ 33% ของประชากรทั้งหมดในประเทศ  ประชาชนในภูมิภาคนี้ที่เรียกกันว่าคนอีสาน ส่วนใหญ่พูดภาษาลาว  ตลอดประวัติศาสตร์ไทย พวกเขาถูกตีตราว่าไร้การศึกษาและล้าหลังเนื่องจากการจัดลำดับชั้นทางสังคมแบบชาตินิยม  อีสานเป็นภาคที่ยากจนที่สุดในประเทศ  มีรายได้ต่อหัวต่ำที่สุด ที่ดินในภาคนี้ส่วนใหญ่มีลักษณะดินปนทราย เป็นกรดและไม่อุดมสมบูรณ์ ทำให้การเพาะปลูกไม่ค่อยได้ผล  ด้วยเหตุนี้ […]

Issue 30 Mar. 2021

イサーンにおける灌漑——東北部のアイデンティティと水政策

本論では、タイ東北部(イサーン)の水政策が、この地域の地理条件や人々をどのように結び付け、イサーン人の従属的政治アイデンティティを生み出し、助長し、時には、挑戦しているのかを考察する。灌漑とダム建設は、タイ東北部とタイ中央政府との不均等な関係を維持する上で、絶対不可欠な存在だ。そもそも、水政策は社会的に中立的な政策ではない。むしろ、これは暑くて乾燥したイサーンの地理的特性を、イサーン人が後進的で劣った反体制派だ(ゆえに、より厳しく統治する必要がある)とするイメージに結び付ける政策なのだ。 タイ東北地方のイサーンには、20の県が存在する。この地方は、タイ最大の地域であり、その約2,200万人の住民は全国の総人口の33%を占める。この地域の人々、コーン・イサーン(khon Isan/イサーン人)は、主にラオ語の話者である。だが、タイ史のどの時代にも、イサーン人は無教養で後進的な人々との烙印を押されてきた。その原因は、民族主義的な社会のヒエラルキー構造にある。また、イサーンはタイで最も貧しい地域であり、1人当たりの国民所得は最低レベルだ。それにイサーンの大地は、砂で覆われ、酸性、不毛を特徴とし、これが農業経営を困難にしている。このため、同地域からバンコクに送られる出稼ぎ労働者は、タイの他の地域よりも多い。 大規模な水インフラは、干ばつに強いという口実でこの地域に売却され、二毛作を促進してきた。これらの政策は、100年近くの間、イサーンにおける政府の重要政策となっている。東北地方の政治家は、しばしば、このような政策がコーン・イサーンに水を供給し、生活と収入を向上させると言っている。だが大抵、中央政府と全国の政治家は、水政策を貧困からコーン・イサーンを「救う」手段であり、イサーン政治を支配する方法と位置付けている。とはいえ、後述するように、コーン・イサーンは受け身のアクターではない。むしろ、彼らは常に水管理をめぐって政府と闘ってきたし、そのような闘いを通じて、しばしば、自分たちの従属性に異議を申し立ててきた。この地域の水にまつわる歴史を分析する事で、どのように水政策が、コーン・イサーンを後進的とするイメージを生み出しているかが分かる。さらには、この分析によって、水政策がコーン・イサーンの新たな政治的実践を生み出す場となった事も明らかになるだろう。   水とイサーン支配 過去70年のうちに、イサーン地方は森林地帯から水田地帯へと、急速な環境の変化を経験してきた。また、これとほぼ同時期に、中央政府は様々な種類と規模の灌漑事業、6,000件以上に出資してきた。これらの事業は、この地域の約120万ヘクタールの土地に水を供給するために計画されたものだ。これらの事業では、同地域を乾燥した不毛の土地であり、これを開発し、住み良くするには、インフラが必要だとされている。 だが、これらの地理的特性にも、政策が関係している。というのも、タイで共産主義の反乱が起きた時代に、イサーンは、その地理条件や貧困、そしてラオスやカンボジアに国境を接する立地から、特に共産主義の影響を受けやすい地域と認識されていたのだ。これらの不安材料の重なりは、一連の政治的で開発主義的な傾向のある国家主導型の開発事業を開始させる動機を政府に与えた。そのようなわけで、米国の支援もあり、イサーンが経済・インフラ開発の優先対象とされた事で、近隣諸国の「共産主義の脅威」を抑制する緩衝地帯が生じる事が望まれていた。 1958年にサリット・タナラット(Sarit Dhanarajata)陸軍元帥がタイの主導権を握ると、彼はイサーンにおける幾つかの事業に着手した。この地域の出身者であるサリットは、米国から資金援助を受け、5年間の開発計画(1961年に発表)を推進した。この計画の一部であった緊急農村開発計画(Accelerated Rural Development Programs)は、県知事の管掌の下で反乱対策を講じ、経済改革を促進させる一つの手段であった。 当時、政府はコーン・イサーンの生業として、大規模な工業型農業を奨励していた。これに伴い、イサーン農民は、コメの生産高を上げるため、「緑の改革(Green Revolution)」の一環として導入されたハイブリッド種や、化学肥料、殺虫剤の使用を勧められた。このように、農業が変わってゆく状況の中で、新たな農法はコメの生産高向上に役立ち、農民は需要の増加に応じるべく、新たな土地区画を開墾した。この新たな手法は、土着農法よりも多くの水を必要とするものであった。 現在、イサーンには17基の水力発電ダムがあるが、最新のものは、ウボン・ラチャタニ(Ubon Ratchathani)県のパクムン(Pak Mun)・ダムだ。イサーンにおける農業の重要性を考えると、バンコクで権力を握った全ての政権が、この地域の開発ニーズに対する解決策の第一として、水資源を大いに重視してきたのは当然の事だと言える。だが、たとえ政府が、この地域の経済成長の促進のために巨大ダムの提案をしたのだとしても、これらは、バンコク向けに電力を発電するダムとされたのだ。このようにして、ダム建設はバンコクとイサーンの非対称的な関係性を助長する事になった。それに、コーン・イサーンは、ダムがもたらした結果に苦しみはしたが、これらの事業から、ほとんど何の恩恵も受けなかったのである。 また、論争の的となったパクムン・ダムの状況も、これと似たようなものだった。このダムが1994年に完成した後、多くの急流は水底に沈み、ムン川とその支流からは、150種類以上の魚種が姿を消した。これに対し、パクムン・ダムがもたらす灌漑と電力の恩恵には限りがあった。このため、貧民連合(Assembly of the Poor, 以下AoP)と世界ダム委員会(The World Commission on Dams , WCD)は、この事業を大いに批判した。また、このダムが建設される前には、適切な環境アセスメントが行われていなかった。しかも、商業と自給自足の両方の目的で、小規模な漁業活動を営む地域の村人は、川や河川資源に対するダムの悪影響に比べると、灌漑用水にどのような利点があるのか分からないと述べた。地元住民は漁業収入を失い、多くの者がAoPに代わってデモに参加した。これらの運動には、イサーン各地から人々が集まり、中にはシリントン・ダムなど、過去の事業の影響を受けた人々もいた。このようにして、人々は新たな方法で運動に加わる事となった。これらの運動は「タイ・バーン(Thai Baan)研究」を通じて、新たな知識を生産し、反覇権主義的な政策決定の可能性を提示した。そうする事により、彼らはイサーンの環境政策と政治的アクターの改革を行ったのである。 また同時に、政府は水力発電事業にも着手し、経済発展を促そうとした。この水関連のインフラ計画は、貧困を撲滅し、食糧の安全保障をもたらし、アグリビジネスに水を供給する手段として、具体的レベルで様々に正当化された。また、これらの計画には、重要な政治的意義もあった。というのも、これらは共産主義の反乱と闘い、政治的支援を得るために計画されていたからだ。この地域で最初の水力発電事業は、1971年に完成したラムドムノイ(シリントン・ダムLam Dom Noi/ Sirinthorn Dam)で、このダムの建設により、2,526世帯が強制的に彼らの土地を追われる事となった。その後、不毛な土地に再定住させられた彼らには、なけなしの補償が与えられたばかりである。 […]

Issue 30 Mar. 2021

การเปลี่ยนแปลงสภาพภูมิอากาศในประเทศไทย: ว่าด้วยการเมืองของความรู้และระบบการจัดการ

การเปลี่ยนแปลงสภาพภูมิอากาศเป็นความเสี่ยงด้านสังคม-สิ่งแวดล้อมระดับโลกที่ร้ายแรงที่สุดประการหนึ่งในศตวรรษที่ 21  งานเขียนหลายชิ้นที่ได้รับการรับรองจากผู้เชี่ยวชาญล้วนยืนยันว่า เหตุการณ์สภาพภูมิอากาศสุดขั้ว (extreme weather event) การสูญเสียถิ่นที่อาศัย ภัยพิบัติต่อพืชผลทางการเกษตร ชายฝั่งและเกาะที่จมลงใต้ระดับน้ำทะเลที่สูงขึ้น ทั้งหมดนี้เกิดขึ้นถี่กว่าเดิมและมีขนาดใหญ่กว่าเดิม  ภายใต้การแนะแนวทางของกรอบอนุสัญญาสหประชาชาติว่าด้วยการเปลี่ยนแปลงสภาพภูมิอากาศ (United Nations Framework Convention on Climate Change–UNFCCC) เพื่อรักษาความเข้มข้นของก๊าซเรือนกระจกที่ถูกปล่อยออกสู่ชั้นบรรยากาศให้มีค่าคงที่และรักษาความสามารถในการฟื้นคืนสู่สภาพปรกติจากผลกระทบที่จะเกิดขึ้นในอนาคต  ประเทศไทยตอบรับแนวทางนี้เป็นอย่างดีด้วยการจัดทำแผนแม่บทรองรับการเปลี่ยนแปลงสภาพภูมิอากาศ พ.ศ.2558-2593 (Thailand Climate Change Master Plan 2015–2050—TCCMP) แผนแม่บทนี้น่าชื่นชมในระดับนโยบายระหว่างประเทศ แต่การที่อุณหภูมิเพิ่มขึ้น 2 องศาเซลเซียสและโอกาสเสี่ยงที่จะเกิดอุทกภัยและภัยแล้งขั้นร้ายแรงมีเพิ่มขึ้น 15% สภาพเช่นนี้ส่งผลกระทบจริงๆ ต่อคนไทยอย่างไรกันแน่? […]

Issue 30 Mar. 2021

タイにおける気候変動——知識の政策と支配への影響

気候変動は、社会と環境に対する21世紀最大の世界的危機の一つだ。それに、異常気象現象や動植物の生息地の喪失、作物の不作、それに沿岸部や島しょ部の水没が生じる頻度や規模が増大している事は、査読を受けた出版物が裏付けている。そこで、温室効果ガス排出量の安定化と将来の影響に対するレジリエンスの構築を目指す国連気候変動枠組み条約(United Nations Framework Convention on Climate Change, 以下UNFCCC)に従って、タイは十分な対応を講じるべく、タイ王国バンコク都気候変動マスタープラン2015–2050(Thailand climate change master plan 2015–2050, 以下TCCMP)を策定した。確かに、この対応は、国際政策のレベルでは申し分のないものだ。だが、タイ人にとって気温が2℃上昇し、異常な洪水や干ばつが発生する可能性が15%高まるという事は、具体的に何を意味するのか? タイ語では“karn plien plang sapab puumi aagad”という気候変動には、様々な理解の仕方がある。例えば、科学者のように炭素濃度を計測する代わりに、おそらく農民は、季節的な悪条件による不作を通して気候変動を認識している。これに対して、宗教儀礼によって神々を鎮めるなり、さらに農薬を買うなりする必要も出てくるだろう。また、仏教僧侶の場合は、こころを正す事が悪天候の解消法につながる。つまり、道徳の重要性を回復する事で、これを自然に還元するという事だ。彼らにとっては、気候変動の問題は地域的、個人的に解決する事が可能な問題であり、これを解決するのに、いかなる国際機関に頼る必要もなければ、低炭素政策の策定も関係ないと思われている(Vaddhanaphuti 2020)。だが問題は、これらの宗教的発想に基づく行為が、気候変動問題の削減に有効と言えるのか?という点だ。 本論は、タイにおける気候関連知識と政策決定の展望を主題とし、気候関連知識の歴史的展開を検討し、気候変動に対する認識や対応の様々なあり方を探るものだ。気候変動については、種々の団体が主張する多様な現実がある。ところが、国内外のテクノクラート的な気候管理体制の下で、タイ人の気候関連知識は、温室効果ガス削減ばかりに限られているように思われる。つまり、その他の気候関連の知識形態が軽視されているのだ。そこで、気候政策における気候関連知識の多元性と公正を実現するため、この構造の道徳的、政治的影響を検討して、この分析を締めくくる。だが、誌面に限りもあるため、本論では主に、気候適応のコンテキストに焦点を絞りたい。 タイにおける気候関連知識と気候政策の形成 タイにおける気候変動の問題は、森林の生物多様性や、農作物の生産性に対する物理的、経済的影響を研究する学者たちの間で、1990年代の後半に持ち上がった。この学者たちは“predict-then-adapt(予測後適応)”という研究に携わっていた。この研究では、脆弱性に対する潜在的な社会的、政治的な原因の調査よりも、むしろ精確な予測(prediction)に必要な、気候の将来予測(climate projection)を微調整する事に主眼が置かれていた(Chinvanno and Kersuk 2012)。気候変動の社会面の研究は、特に都市や農村、沿岸などの領域で次第に増加していった(ここを参照)。2011年にタイ研究基金(Thailand Research Fund)は、タイにおける気候関連知識の状況を概観するため、タイ気候変動に関する第一次評価報告書 (Thailand’s First Assessment Report on […]

Issue 30 Mar. 2021

Review– Studying Singapore Before 1800

Studying Singapore Before 1800 Kwa Chong Guan & Peter Borschberg (Eds.) NUS Press, 2018 In 2019, Singapore celebrated the 200th anniversary of Sir Stamford Raffles’ arrival in Singapore. Launched as the “SG Bicentennial”, there was […]

Issue 30 Mar. 2021

Review– Overflow: A Future History of Manufacturing in China

Overflow: A Future History of Manufacturing in China Zhan Shi Citic Press, 2020, 333 pages 施展《溢出:中国制造未来史》出版社: 中信出版集团 The recent and ongoing China-United States trade war is unprecedented in scale. All sorts of knock-on effects have since […]

Issue 29 Pandemic Pedagogy Jan. 2021

パンデミック下の教授法 —世界の混乱期における教育継続

  新型コロナ感染症の大流行による世界的な危機が、公衆衛生や経済界の基盤となる機関を未曾有の混乱に追い込んでいる。190の国々では、全面的、あるいは部分的な学校閉鎖が命じられ、この措置が全世界の17億以上の学生たちに影響を与えている(World Bank 2020)。この状況を踏まえ、今回のパンデミックが世界的な教育危機であるとも考えられる事を強調しておく必要がある。国連教育科学文化機関(UNESCO、以下ユネスコ)のオードレ・アズレ(Audrey Azouley)事務局長は、新型コロナが「教育史上、例を見ぬ最大の混乱」をもたらしたと発言した(UNESCO 2020: iii)。これに応じて世界中の教育機関は、教育プログラムの継続性と包摂性を保ちつつ、公衆衛生にも配慮する形で措置を講じてきた。 この特別号は、東アジアや東南アジアの教育者たちが実践し、導入する、パンデミック下の教育実践に伴う、複雑さや可能性についての個人的な論考を集めたものだ。今回、寄稿者には、以下の四つのテーマについて回答を求めた。 突然の遠隔学習への切り替えは、カリキュラムの作成や教育コンテンツの配信、学生たちの福利厚生の確保などに関する各自の教育実践力にどのような影響を与えたか? 遠隔学習の導入によって、学生や教職員の間で、例えばカリキュラム・コンテンツの発信や利用に伴うオンライン・プラットフォームの利用機会や、相対的なデジタル・フルーエンシー(デジタル機器を使いこなす能力)などにおいて、どのような格差が見つかった、あるいは深刻化したか? 各自の教室内で「学究環境に身を置く事が認められない状況(immersion denial)」は、学生と教職員の間に活気あるキャンパス・コミュニティを築く上で、どのような影響を与えたか? 今回のパンデミックは大学の運営方針、例えば、入学や学生サービス、学部のプロモーションや、ファカルティ・ディベロップメント(FD、教職員の教育、運営能力開発)、職員研修や学科改組にまつわる方針に、どのような影響を与えたか? パンデミックさえ無ければ、この世界は資本と人材の活発な循環を特徴としていたはずだ。「パンデミック下の教授法」とは、そのような世界の時空的局面に生じた急激な変化に、教育者たちが適応する際の心得を指す。隔離やソーシャル・ディスタンスの確保といった措置は、我々の地理感覚の構造を変化させ、我々の存在論上の定義を改めて、我々が社会的存在であると現実に即して再定義した(Leader 2020)。また同時に、我々の多くは今回の危機を乗り越える際に時間感覚の変容を経験している。これはつまり、以前、自分たちが慣れ親しんでいた仕事のルーティーンを、いつになったら何らかの形で再開する事ができるのか分からない、そのような不確かな感覚だと言える。この新たな空間的、時間的条件が「ニュー・ノーマル(新常態)」を形成すると言われる中で、我々の苦境を上手く言い当てた言葉がある。それは人類学者、ガッサン・ハージ(Ghassan Hage)の言う、出口の見えない「行き詰まり(“stuckedness”)」だ。彼はこれについて次のように述べた。「それは何が何でも抜け出さなければならない状況というよりも、今、人々によって漠然と、耐えなくてはならない、避ける事のできない病的な状態として認識されているものである」(Hage 2009: 90)。 実務レベルにおいて、パンデミック下の教授法とは、カリキュラムを新たな形式や時間枠に合わせて(再)設計し、導入する際に必要となる、不測の事態に対する問題解決やトラブルシューティングの心得を言う。この心得には、教育者たちが学生や教職員の孤立感や疲労感、不安感を緩和するための措置を講じる義務も含まれる。つまり、パンデミック下の教授法は、単に授業形式の変更のみを指すのではないという事だ。要するに、これは教育に対する姿勢であって、それには従来の業績評価指標の修正が伴う。すなわち、我々がテクノロジーを用いた学習用プラットフォームを教育継続と包摂的な学習(learning inclusion)という二つの目標に向けて活用する能力が、いわゆる「効果的な教授法」の評価基準となるのだ。これらの論考は、アジアにおける教育の現在と未来について、また、アジアの教育機関がどのように世界の知識経済の一端を担い続ける事ができるかについて、改めて考える機会を与えてくれるだろう。 開放型遠隔学習 —心の健康の問題 一連の考察から浮上した重要なテーマの一つが、やむを得ず行われる開放型遠隔学習(Open and  Distance Learning、以下ODL)への切り替えに対する適応の問題だ。このODLは、パンデミックの状況下で緊急遠隔     授業(Emergency Remote Teaching、以下ERT)という形で導入された(Hodges et.al. 2020)。この授業形式の移行には、本来必要な事前準備、例えば有効なオンライン・プラットフォームの分析や、以前に学生から寄せられたフィードバックに対する評価や対応、関連する教授法研究の分析など、するべき事をせずに実施されるという特徴がある。これに加え、危機的な状況の中で、多くの学生や教職員が適切な指導やトラブルシューティングを行う際に、技術サポート要員に頼れない現実がある。そのような事情から、パンデミック中の教育機関によるODLの導入は、これが最適な状態で導入できないリスクが高いにもかかわらず、一般的となった。 技術的な問題はさておき、寄稿者が指摘した問題の中で、最も早急な対応を要するのが、自宅で引きこもる事になった学生たちの抱える心の健康の問題だ。既に様々な研究から、「学究環境に身を置く事が認められない状況」が、学生たちの健康全般に極めて悪い影響を及ぼす可能性のある事が示されている(Cacciopo and Cacciopo 2018; Westrup […]