Issue 4 Oct. 2003

An Assessment of the Philippine Economy

This report discusses the cyclical and unsustainable pattern of Philippine economic growth, the factors precipitating the economy’s cyclical downswings, the contribution of the various sectors and implicit growth strategy, the effect on employment by gender, and the state of the country’s natural resources and environment. It argues that the cyclical pattern of growth and movement in income are related not only to the pattern of spending at the macro level, the nature of electoral politics, and developments at the sectoral and regional level. They are also affected by the unsustainability of the implicit growth strategy prior to the 1980s, limitations of the current liberalization strategy, and the state of the country’s natural resources and environment. […]

Issue 4 Oct. 2003

An Assessment of the Philippine Economy (October 2013 —Abstract)

This report discusses the cyclical and unsustainable pattern of Philippine economic growth, the factors precipitating the economy’s cyclical downswings, the contribution of the various sectors and implicit growth strategy, the effect on employment by gender, and the state of the country’s natural resources and environment. It argues that the cyclical pattern of growth and movement in income are related not only to the pattern of spending at the macro level, the nature of electoral politics, and developments at the sectoral and regional level. They are also affected by the unsustainability of the implicit growth strategy prior to the 1980s, limitations of the current liberalization strategy, and the state of the country’s natural resources and environment. […]

Issue 4 Oct. 2003

Penilaian Ekonomi Filipina

         Laporan ini mendiskusikan siklus dan pola tak berkelanjutan pertumbuhan ekonomi Filipina, faktor yang menjerumuskan siklus ekonomi ke bawah, kontribusi beberapa sektor dan strategi pertumbuhan tersirat, pengaruh lapangan pekerjaan berdasarkan jender, dan keadaan sumber daya […]

Issue 4 Oct. 2003

フィリピン経済に対する評価

         この報告で論ずるのは、フィリピン経済が持続的に成長するのではなく、周期的に成長と停滞を繰り返すのはなぜなのか、そして停滞を招く要因は何なのか、また多様な経済部門とあまり考え抜かれてはいない成長戦略が経済成長にどのような効果を与えているのか、雇用におけるジェンダーの影響、そしてフィリピンの天然資源と環境の状態である。経済成長に周期性がみられることと、収入が上下することは、マクロ経済レベルでの支出傾向や、選挙政治の性質、地方の発展にだけ関係があるのではなく、1980年代以前の大して考え抜かれていない成長戦略が長続きしないことや、現在の自由化戦略に限界があること、そして国の天然資源と環境の状態にも影響をうけているのである。 経済成長の周期性 一人当たりのGDP成長率で測ってみると、60年代以降、経済は75年から82年までの7年間をのぞいて、4年から5年ほどの短い成長サイクルを6回繰り返してきた。経済が停滞することで、財政面では負債が増大し、収支バランスと国際通貨準備上の地位が悪化し、民間投資の低下を招いた。投資が落ち込むことについては、前年度のGNPと通貨価値、国内の信用が低下していること、利子率が高いことなどが密接に関係している。投資は大統領選の前年にも落ち込んだが、これはGDPがより低くなることが予想されたからである。政府の支出が増大することと民間の投資が低下することは、経済の停滞を解決するとも考えられてきたし、引き起こす原因であるとも考えられてきた。 83年から85年にかけての政治経済上の危機は、それ以前と以降の経済成長を分ける分水嶺となっている。成長率がマイナスであった時期を除けば、82年までは一人当たりの実質所得が絶えず上昇してきた。しかし、86年以降は成長率が頻繁にマイナスになるため、所得の上昇は遅々として進まなかった。結果として一人当たりの実質的なGDPが、82年のピーク時の状態に戻るのに20年もかかってしまった。85年以降の経済回復が遅々として進まず、経済状態自体もよりいっそう不安定になったのは、政治体制が変わるごとに経済成長戦略が政治上の争いを伴って変更されたことと、自然環境と天然資源に限界が訪れたことを反映している。 80年代以前、経済成長に刺激を与えてきたのは、通貨価値を過剰に高く維持し、関税保護をかけ、政府の援助を与えることで輸入代替産業を補助してきたことと、天然資源と農産物の輸出であった。しかしながら、80年代までにこの成長戦略は機能停止に陥った。鉱業を除く天然資源部門と農業部門が産業発展の源を提供することを困難にしたのは、森林と漁業資源が枯渇し、比較的低開発であった農業部門が安い食料と新しい輸出品を提供できなかったためである。さらには、政府がインフラ投資と成長を維持するために海外から借り入れと赤字の財政支出をおこなったことが、通貨価値が過大に評価されていたこととあいまって、徐々にインフレを引き起こし、社会コストがかさむ状況を生み出した。このような中で80年代初期までには、新しい成長戦略が絶対的に必要となっていた。 83年から85年の政治経済危機と国内の天然資源の枯渇は、経済政策のフレームワークとして世界的に自由化が重要性をましてきていたことと一致した。外資を導入して輸出志向型産業の設立促進のためにフィリピン政府が自由化を採用したことが、80年代以前の保護主義的な経済政策からの主要な転換であった。しかしながら、これは上手く機能するために必要な制度的な調整を欠いた危険な転換であった。  環境悪化の中でのサービス業部門主導の経済成長そしてさえない農業 近隣諸国と異なり、フィリピンは70年代以来安定した高度成長期を持ったことがない。成長が周期的で不安定であったのは、先に述べたようにマクロ経済と政治が不安定であったことに加えて、特定部門の成長パターンが低く不規則であったこと、80年代までの戦後の成長戦略が無思慮かつ不安定であったこと、そして現在の輸出志向型の産業化戦略に限界があることなどに起因する。 サービス業部門はもっとも安定した成長の源泉であった。しかし、穀物部門の成長率が低かったことと、林業、漁業、工業部門の成長が不安定で凋落傾向を示していたことが、経済の潜在的な成長を妨げてきた。農業がふるわないのは、不効率であるというばかりではなく、森林を非生産的な森や薮、農地に転換してきたことも原因である。移住が急速かつ無制限に行われ、それに付随して道路建設や採鉱、高地栽培が進み、そして木が伐採されて裸になった川の流域を修復し損ねたことにより森林は荒れていった。そして森林の荒廃により、気候状態や降水量、川の流量が変化し、森林が持つ水を蓄え、土が流れ出さないようにする力と、堆積作用が減退し、結果として灌漑や水力発電機能が低下し、収穫と収入も減少することとなった。 環境破壊は貧困と移住に密接な関係がある。森林面積が急激に減少し、農地が占める割合が増加したにもかかわらず、灌漑された農地が少ない地方は、貧困状態にある家庭の割合が非常に大きい。こういった地方では、貧困や農業部門・林業部門以外に雇用機会がないことが外への移住を引き起こしてきた。地方からの移住者は好んで高地や海岸地方、都市の中心部へと移っていった。しかしながら、こういった場所への急速でむやみな移住は環境に破滅的な効果を及ぼした。 典型的な例として、魚に対する需要が急激に伸びたので漁師や町で漁業を営む人の数が増え、魚が乱獲された結果、70年代後半から80年代の初めにかけて漁業資源が枯渇してしまったことがある。そして漁業資源の枯渇は、一回の漁での漁獲高が減少し、儀装を転換できなかった漁師の貧困化を導くこととなった。養殖は90年代に新たな成長の源泉を提供したが、マングローブの減少や沿岸部に土砂が沈殿したこと、湖や川が汚染されたことにより、その持続的な成長は脅かされている。漁業資源が枯渇し、漁師の貧困化が加速しているだけでなく、移住してきた人がスラムを形成するために、沿岸地域はいまや貧しい地方からの移民に対するセーフティーネットとしての機能を低下させている。  90年代、農業、産業部門に対してサービス業部門は比較的安定した成長を続け、比較的大きな雇用機会を生み出した。しかしながら、そのような機会を活かせるのは主に首都圏やコルディレラ自治区、南部タガログ、ヴィサヤ中央部に限られたものであった。また雇用機会は男性に比べて女性のほうがより高いように思われる。女性はコミュニティーや社会、そして個人に対するサービス、卸売りや小売に主要な役割を果たしており、女性労働力の約50パーセントはこういった業種で占められている。以前は地方の非賃金家族労働者であった女性が、いまや移民として都市サービス産業の余剰労働力のとりわけ重要な源泉となっているのである。 サービス業部門の成長は銀行や金融機関への外資の流入、海外からの送金、そして都市の人口とマーケットが拡大した結果である。地方の農業と製造業がふるわないために、下層中流階級に属する人と貧しい地方からの移民が都市の中心部で増加した。その数はあまりに膨大であり、とても公的なサービス業部門で吸収することが出来なかった。その結果、インフォーマル部門市場が拡大し、スラム人口が増大することになった。 サービス業部門への雇用の増加は、小数従業員にごくわずかな給料を支払って運営される企業が増えていることに対応している。これは規模が小さいほどサービス業部門に比較的参入しやすいこと、インフォーマル部門が成長していること、そして労働者が90年から92年にかけて失業と不完全雇用を経験したことを反映している。活動の幅を広げ規模を小さくすることで、インフォーマル部門が失業者と不完全雇用者を吸収し、他の部門や地方での限られた雇用機会を補完するという姿は、ギアツが述べたインボリューション・プロセスが進行しているように見える。 サービス業部門が先導する成長にはいくつかの限界がある。ひとつには他の経済部門を成長させることができないということである。また都市に集中するサービス業部門の孤立性は都市環境の悪化を促進した。都市が経済的に繁栄し、より多くの人を惹きつけるため、莫大なエネルギーと水資源が消費され、ごみが発生し蓄積されることとなった。このような事態を予想し適切な保護を打ち出すことが全くなかったため、都心はいまや地下水が枯渇し、沿岸部では地盤が沈下し、ごみが散乱して、大気汚染と水質汚染が進み、人々の健康が蝕まれていくという問題に直面している。 製造業と外資、自由化の限界 外資導入と同時進行した、産業保護から自由化政策への転換は残念なことに期待されたような恩恵を製造業部門にもたらさなかった。外資の大部分が90年代前半は化学や化学製品、食品に、96年には機械、器具、電化製品、生活必需品、非金属鉱物製品に流入したにもかかわらず、雇用機会や輸出能力はたいして増大しなかった。 82年から98年にかけて、特定の産業では雇用が純増した。これは、これまで大規模産業であった繊維、ゴム、ガラス、木材製品、製陶業の規模が縮小したために雇用が減少したのに対して、電子工学や科学的・専門的な器具製造産業の規模が拡大し、雇用が増大したためである。また皮革、プラスティック、非金、合金、機械といったいくつかの小規模産業でも雇用は増大した。食品加工やアパレル産業でも比較的雇用機会は大きくなった。こういった増加にもかかわらず、過去16年間の雇用の純増量は大したものではなかった。平均して、毎年新しく生まれる就職口はたかだか30,511であった。これは98年の新規労働人口1,013,000人のたかだか3パーセントに過ぎない数である。それゆえ、部門毎の雇用割り当てを改善し損ねたといえる。 外資は食品加工産業の輸出向け製品にもたいした貢献をしなかった。むしろ外資は国内都市市場向け製品により集中した。輸出向け製品への投資は主に電子光学産業に集中した。機械部品といった関連商品の生産と共に、電子工学製品は90年代の商品貿易全体の拡張に貢献した。実際、商品輸出のほぼ70パーセントを電子工学製品が占めていたのである。残念なことに、製造や貿易のなかで電子工学製品の輸出が主要な役割を果たしたことのよってもたらされた経済効果は限られたものであった。重要な部品を輸入する必要があるので、電子工学製品は付加価値産業や純貿易余剰に対して実質的な貢献をなさなかった。また、他の産業から孤立した生産形態をとっているために、フィリピン経済全体にほとんど結びつくことがなく、成長にも微々たる貢献しかなさなかった。さらには、仕入れという名目で部品を輸出入することにより、資本の逃避が生じていた可能性もある。 貿易自由化による恩恵は農業部門でも限られた物であった。農作物輸入の増加はGNPに対する輸入の割合が高くなるということと、価格の低下を招いた。消費者には恩恵があったわけだが、安い農作物の輸入は国内の農業生産者に有害であった。安い外米も国内のコメ生産の比較優位をなくしてしまった。 失業を別として、貿易自由化は農業部門の不公平を際立たせてしまったかもしれない。大規模生産者のように規模の経済を達成することも出来ず、公的な資金貸付にも市場にも接触機会が限られている小規模生産者は、金融業者に依存せざるを得ず、作物を廉価で売らざるを得なかった。そのほか、所有権を確実に主張できるのかどうか、灌漑、肥料にたいする助成金やインフラ投資、そして近年はMAV (the Minimum Access Volume) 輸入から生み出された基金などにアクセスできるのかどうかについての差が不平等を生み出している。小規模生産者に対するセーフティーネットという意味があるにもかかわらず、MAV輸入から集められた歳入にアクセスしやすいのは大商人の方で小規模生産者の要求に対しては厳しすぎるという批判がある。 貧困と貧困緩和対策の限界 経済部門や産業に歴史的に栄枯盛衰があるため、解雇されたりはじき出されたりして有給雇用につくことが出来ない家族や集団があり、その中から国の貧困層の中枢をなす集団が生まれてきた。それは次のように分類することが出来る。  木こりや抗夫、低地からの移住者によって内陸へと押しやられた、高地にもともと住んでいた人々のコミュニティー。 食糧生産者として高地に再入植したもとの伐木搬出労働者。 漁獲高が減少した、もしくは昔からの漁場を商業漁業によって荒らされ、よりよい漁場を見つけ出したり移住していくことが出来ない町の漁師。 砂糖や材木といった経済的に凋落した部門や産業から解職され高地や沿岸部に移住した農業や非農業労働者。 カガヤン峡谷やビコル(Bicol)、ヴィサヤ東部、ミンダナオといった農業が立ち遅れ、干ばつや自然の大災害、気候状態の変化などにさらされている地域の農家。 十分な水がないか適切な灌漑システムがない、もしくは農業生産そのものが凋落している地方の農民や農業労働者。 […]

Issue 4 Oct. 2003

การประเมินภาวะเศรษฐกิจฟิลิปปินส์

         รายงานฉบับนี้กล่าวถึงรูปแบบความเป็นวัฏจักรและความไม่ยั่งยืนของการเจริญเติบโตของเศรษฐกิจฟิลิปปินส์ ปัจจัยที่ซ้ำเติมภาวะเศรษฐกิจในรอบวัฏจักรขาลง ผลจากภาคธุรกิจต่าง ๆ และกลยุทธ์การเจริญเติบโตทางเศรษฐกิจโดยนัย ผลกระทบต่อการจ้างงานตามเพศของแรงงาน และสถานะของทรัพยากรธรรมชาติและสิ่งแวดล้อมในประเทศ รายงานฉบับนี้เสนอความคิดว่ารูปแบบความเป็นวัฏจักรและความไม่ยั่งยืนของการเจริญเติบโตทางเศรษฐกิจ และการเปลี่ยนแปลงของระดับรายได้ไม่เพียงสัมพันธ์กับรูปแบบการใช้จ่ายในระดับมหภาค ลักษณะของการเมืองที่อิงการเลือกตั้ง และการพัฒนาในระดับภาคธุรกิจและระดับภูมิภาคเท่านั้น แต่ยังได้รับผลกระทบจากกลยุทธ์การเจริญเติบโตทางเศรษฐกิจที่ไม่ยั่งยืนที่ใช้ก่อนช่วงเวลาระหว่าง พ.ศ. 2523-2532 ข้อจำกัดของกลยุทธ์การเปิดเสรีในปัจจุบัน และสถานะของทรัพยากรธรรมชาติและสิ่งแวดล้อมในประเทศด้วย  ต่อไปนี้เป็นรายงานฉบับสังเขป สำหรับเนื้อหา ข้อมูล และบรรณานุกรมที่ครบถ้วน สามารถดูได้จากรายงานฉบับสมบูรณ์  รูปแบบการเจริญเติบโตทางเศรษฐกิจที่เป็นวัฏจักร ตั้งแต่ช่วงเวลาระหว่าง พ.ศ. 2503-2512 ภาวะเศรษฐกิจที่วัดจากการขยายตัวของผลิตภัณฑ์มวลรวมในประเทศ (จีดีพี) ต่อประชากร ประกอบด้วย 6 รอบวัฏจักรสั้น ๆ โดยแต่ละรอบมีระยะเวลา 4-5 […]

Issue 4 Oct. 2003

Isang Pagtatasa sa Ekonomyang Pilipino

         Tinatalakay sa ulat na ito ang paikot-ikot at di-makayanang padron ng pag-unlad ng ekonomyang Pilipino, ang mga salik na tumutulak sa paikot-ikot na pagbulusok ng ekonomya, ang ambag ng iba’t ibang sektor at di […]

Issue 4 Oct. 2003

Malaysian Chinese Business: Who Survived the Crisis?

         In the not so distant past, as economic growth was gathering pace in East Asia, Chinese enterprise was widely considered a significant factor in the process described as the Asian economic miracle (World Bank […]

Issue 4 Oct. 2003

Malaysian Chinese Business: Who Survived the Crisis? (Abstract)

         The authors examine how the 1997 Asian financial crisis affected Chinese-owned businesses in Malaysia. They suggest that size, sector, debt, and diversification were important factors in determining which businesses succeeded and which failed. Large […]

Issue 4 Oct. 2003

Pengusaha Cina Malaysia: Siapa Bertahan dalam Krisis?

         Kedua penulis menguji bagaimana krisis keuangan 1997 mempengaruhi bisnis yang dimiliki oleh pengusaha Cina-Malaysia. Mereka mengatakan bahwa faktor yang menentukan suatu usaha dapat bertahan atau gagal dalam krisis adalah ukuran, sektor, hutang, diversifikasi bisnis. […]

Issue 4 Oct. 2003

マレーシアの華人企業: 危機を生きのびたのは誰だ?

         1997年のアジア通貨危機がマレーシアの華人企業にどのような影響を与えたのか? 生き残れたかどうかを決定する重要な要因は規模や業種、負債をかかえているのか、そして多角化の形態であった。建設業、不動産業、製造業部門に主に携わっていた大企業は莫大な負債を抱え、その多角化プログラムは投機的でローンによって賄われており、そのほとんどは危機によって深刻な打撃をうけた。上場株を手に入れたり、金融部門に進出したりした企業も深刻な影響を受けた。このなかには株価を上昇させ、売却する際に莫大な利益を得る目的で狙いをつけた企業の株を大量に買うことで知られていた「荒らしや集団」も含まれている。 危機を乗り越えることが出来たのは慎重で、運営と拡張の際は入念に選択して決めるような企業であった。このような「弾力のある」企業は4つの特徴を持っている。1つめは製品を製造したりサービスを提供したりする「実際の」業務に携わっていること。2つめは通貨危機にあまり左右されない経済分野に関わっていたこと。3つめは大半が手を広げすぎず自分の主要なビジネスに集中していたこと。そして最後に多くの企業が、十分な資産の後ろ盾と貸付にまわせるほどの収入を持ち、利益を蓄えとして保持することで、手足を縛るような負債を避けていたことである。弾力ある企業の中にはマレーシアの外に重要な投資先を持つものもあり、通貨の切り下げから守られていた。しかし香港やヴェトナム、カンボジアに保有していた重要な資産を失ったものもいた。 華人の小・中規模企業(SMEs)はかなり生き残った。彼らが負債問題を回避できたのは皮肉なことに、かなり早い段階で銀行の融資を受けにくくなっていたからである。ある種の小規模企業は通貨危機によって生じた2つの要因によって実際に恩恵を受けた。1つめの要因は、原料や機械、部品を輸入に依存している企業の中には辛酸をなめたものもいたが、マレーシアのリンギットの切り下げにより国際市場の中でマレーシア製品が競争力を得たことである。2つめは、インドネシアの政治経済が不安定であり続けたことにより、多くの多国籍企業が運営先をマレーシアに振り替えたことである。SMEsが重要なのは、製造業がいまだマレーシア経済の最も重要な部門であり、多くのSMEsが地元の華人企業を含む大規模産業と製造面でつながりを持っているからである。 アジア危機は東南アジアの華人企業の強さだけではなく、その失敗も分析すべきであることを認識させた。失敗の多くは経営のミスや製品の質の低さ、技術の低さ、技術革新の欠如、過度の借り入れ、そして様々なビジネスに手を広げすぎたことに起因している。通貨危機は華人が自らの企業を発展させる上で利用するビジネス形態の多様さを明らかにし、東南アジアの華人企業の強さと弱さは本質的に構造的なものであることを示したのである。  Lee Kam Hing and Lee Poh Ping Translated by Onimaru Takeshi.Kyoto Review of Southeast Asia. Issue 4 (October 2003). Regional Economic Integration

Issue 4 Oct. 2003

ธุรกิจของชาวจีนในมาเลเซีย: ใครรอดพ้นจากวิกฤต

         ผู้เขียนศึกษาว่าวิกฤตทางการเงินในเอเชียที่เกิดขึ้นใน พ.ศ.2540 ส่งผลกระทบต่อธุรกิจของชาวจีนในประเทศมาเลเซียอย่างไร โดยเสนอแนะว่า ขนาด ภาคธุรกิจ หนี้สิน และการกระจายการลงทุนเป็นปัจจัยสำคัญที่กำหนดว่าธุรกิจใดประสบความสำเร็จหรือล้มเหลว วิสาหกิจขนาดใหญ่ในภาคธุรกิจการก่อสร้าง อสังหาริมทรัพย์ และการผลิต ซึ่งมีหนี้สินจำนวนมาก และมีการกระจายการลงทุนเพื่อการเก็งกำไรโดยอาศัยเงินกู้ เป็นกลุ่มที่ได้รับผลกระทบอย่างรุนแรงจากวิกฤต นอกจากนี้ วิสาหกิจที่ หาเงินทุนมาได้ หรือขยายธุรกิจไปยังภาคการเงินก็ได้รับผลกระทบอย่างรุนแรงเช่นเดียวกัน ทั้งนี้ รวมถึงผู้จู่โจมกิจการซึ่งซื้อหุ้นจำนวนมากของบริษัทเป้าหมาย โดยมีจุดมุ่งหมายเพื่อสร้างราคาหุ้นก่อนที่จะขายหุ้นเหล่านั้นออกไป และได้รับกำไรมหาศาล กลุ่มธุรกิจที่รอดพ้นจากวิกฤตคือวิสาหกิจซึ่งดำเนินกิจการและขยายกิจการอย่างรอบคอบและเลือกสรร  ธุรกิจที่สามารถฟื้นตัวได้อย่างรวดเร็วนี้มีลักษณะ 4 ประการ ได้แก่ ธุรกิจที่เกี่ยวข้องกับภาคธุรกิจที่แท้จริงซึ่งมีการผลิตสินค้าและให้บริการ ธุรกิจที่เกี่ยวข้องกับภาคธุรกิจที่อ่อนไหวต่อวิกฤตทางการเงินน้อย ธุรกิจที่มุ่งเน้นในธุรกิจหลักของตน และธุรกิจที่หลีกเลี่ยงการก่อหนี้จนเกินตัว  มีสินทรัพย์รองรับ และมีกระแสเงินสดรับเพื่อชำระหนี้อย่างเพียงพอ ตลอดจนมีการจัดสรรกำไรไว้เป็นเงินสำรอง […]

Issue 4 Oct. 2003

フィリピン人移民労働者、東南アジア域内の労働循環、そして海外移民プログラムの運営(とその失敗)

          ここ数十年、海外で働くフィリピン人労働者 (overseas Filipino workers:以下OFWs) はフィリピン社会と経済の中で重要な部門となった。彼らからの送金が歳入の重要な源泉となっているため、政府は以前はOCWs (overseas contract workers) と呼んでいたOFWsを国の新しいヒーロー (mga bagong bayani) と認定した。OFWという言葉には海外で働いているフィリピン人の様々な集団が含まれている。移民や、文書で契約を結んだ労働者もいればそうでない者もいる。統計上、彼らは移民でOFWsであると分類される。1999年の統計によれば移民は280万人でOFWsは420万人いることになっている。そして420万人の内、240万人が文書で契約されており、180万人がそうではない。そして、大半が男性である海で働く労働者と、女性の比率がますます高まっている陸で働く労働者というように、OFWsは統計上さらに細かく分類されている。進行しつつあるフィリピン人労働力の拡散の中で女性の比率がますます高まっていることと、政府が積極的に海外への労働力移動を促進していることに本稿は焦点を当てる。 海外に移住した労働者の運命はフィリピン人の国際移動の性質が変化しつつあることを示しているとメディアは報じている。統計から確実にいえるのは、ますます女性が移動の主流となり、志向する業種もサービス業が増加してきているということだ。フィリピン人の労働力移動も、ASEANというより大きな文脈の中で起きている労働循環の枠の中で生じている事象である。ASEANの中で職を求める人々は、ますます国境を越えて移民を受け入れかつ送り出している特定の国々へと渡っていく。注目すべきことは比較的発展が遅れている国から来たアジアの女性が、地域の中でより発展が進んでいる国のなかでみじめな家事活動をますます引き受けつつあるという傾向である。例えばフィリピン人やインドネシア人の女性労働者はより繁栄しているマレーシアの中で家事労働部門に携わっているのである。サービス産業の中での彼女たちの「価値」は平等でないにもかかわらず、搾取の経験は似たようなものである。中東諸国で働くフィリピン人とインドネシア人の女性家事労働者に、広範に見られるような虐待経験は同じように比較することが出来る。労働力輸出プログラムの様々な時点で、どちらの政府も虐待癖のある雇用者から彼女たちを守るべく、労働者の配置にモラトリアムを設定しようとしてきた。 移民虐待問題の衝撃と女性の移動が増加し続けているということが国際社会の注意をひきつけることとなった。女性移民問題に対する国際的な関心は次の二つの形態をとった。1つは国際的な保護を促進することであり、もう1つは西洋諸国で女性移民の様々な側面についての研究がなされたことである。 国連加盟国の中で関係のある国は、国際レベルで移民の権利を保護する保証を作り出すべく抜け目なくロビー活動を行ってきた。国際労働移民に関する数少ない法的に拘束力を持つ文書の1つに、全移住労働者とその家族の権利保護に関する国際条約があるが、この条約が国連で1990年に採択されるまでに10年以上におよぶロビー活動が必要であった。学問の世界では、西洋に拠点をおく学者たちがフィリピン人移民がいかにして異境の生活で生じる感情的な負担を克服するのか、またどのような仕組みで彼らが毎日の「抵抗」を実践しているのかを研究している。たとえ散漫なものであろうとも、この研究はグローバル化が実生活に及ぼしている影響を分析するのに貢献するものである。  Odine de Guzman Translated by Onimaru Takeshi.Kyoto Review of Southeast Asia. Issue 4 (October 2003). Regional Economic Integration

Issue 4 Oct. 2003

คนงานชาวฟิลิปปินส์โพ้นทะเล การหมุนเวียนแรงงานในภูมิภาคเอเชียตะวันออกเฉียงใต้ และ การบริหารโครงการอพยพไปต่างประเทศ

          ในช่วงหลายสิบปีที่ผ่านมา คนงานชาวฟิลิปปินส์โพ้นทะเล หรือที่เรียกกันว่า OFW (overseas Filipino workers) ได้กลายเป็นภาคที่มีความสำคัญต่อเศรษฐกิจและสังคมของประเทศฟิลิปปินส์ รัฐบาลฟิลิปปินส์ถือว่า พวก OFW ซึ่งก่อนหน้านี้เรียกกันว่า คนงานสัญญาจ้างโพ้นทะเลหรือ OCW (overseas  contract workers) เป็นวีรบุรุษยุคใหม่ของประเทศ ด้วยเหตุผลหลักเพราะว่าเงินที่คนเหล่านี้ส่งกลับประเทศนั้นเป็นแหล่งรายได้สำคัญของประเทศ   คำว่า OFW มีความหมายครอบคลุมคนงานชาวฟิลิปปินส์โพ้นทะเลหลายๆ กลุ่มด้วยกัน ซึ่งได้แก่ ผู้ย้ายถิ่นฐานหรือคนงานที่มีสัญญาจ้าง ทั้งที่ขึ้นทะเบียนและไม่ได้ขึ้นทะเบียน  จากหลักฐานทางสถิติที่รวบรวมไว้ พวกนี้จะถูกจัดประเภทเป็นผู้ย้ายถิ่นฐานและ OFW  ในปี 2542 มีชาวฟิลิปปินส์ที่เป็นผู้ย้ายถิ่นฐานเป็นจำนวน 2.8 ล้านคน […]

Issue 4 Oct. 2003

Penelitian Mengenai Trafficking Manusia di Daratan Asia Tenggara

           The Migration of Thai Women to Germany: Causes, Living Conditions and Impacts for Thailand and GermanySupang Chantavanich, Suteera Nittayananta, Prapairat Ratanaolan-Mix, Pataya Ruenkaew and Anchalee KhemkrutBangkok / Asian Research Center for Migration, Chulalongkorn University […]

Issue 4 Oct. 2003

東南アジアの人身取引に関する最近の研究

           The Migration of Thai Women to Germany: Causes, Living Conditions and Impacts for Thailand and Germany (タイ女性のドイツ移住:理由、生活条件、タイとドイツへの影響)Supang Chantavanich, Suteera Nittayananta, Prapairat Ratanaolan-Mix, Pataya Ruenkaew and Anchalee KhemkrutBangkok / Asian Research Center for Migration, Chulalongkorn […]

Issue 4 Oct. 2003

งานวิจัยใหม่ ๆ เรื่องการค้ามนุษย์ในเอเชียตะวันออกเฉียงใต้

           การย้ายถิ่นของผู้หญิงไทยไปเยอรมนี: สาเหตุ ชีวิตความเป็นอยู่และผลกระทบในประเทศไทยและเยอรมนี (The Migration of Thai Women to Germany: Causes, Living Conditions and Impacts for Thailand and Germany)สุภางค์ จันทวาณิช สุธีรา นิตยนันท์  ประไพรัตน์ รัตนโอฬาร-มิกซ์พัทยา เรือนแก้ว  และอัญชลี เขมครุฑกรุงเทพ ศูนย์วิจัยการย้ายถิ่นแห่งเอเชีย จุฬาลงกรณ์มหาวิทยาลัย 2544 การค้าประเวณีหญิงจีนในไทย (Chinese Women in the […]

Issue 4 Oct. 2003

Mahathir’s Economic Legacy

Jomo K.S. is a professor in the Faculty of Economics and Administration, University of Malaya. This essay appeared in Aliran Monthly (vol. 28, no. 8), along with other articles on the theme of “De-Mahathirizing Malaysia.” It is an edited version of his new introduction to M-Way: Mahathir’s Economic Policies, a collection of essays available from Gerakbudaya (gerakbudaya@pd.jaring.my). Aliran can be read online at www.aliran.com. […]

Issue 4 Oct. 2003

Economic Partnerships with ASEAN Members are Necessary

Economic partnerships between Japan and the member countries of the Association of Southeast Asian Nations are of strategic importance to Japan’s Asia policy. However, the Liberal Democratic Party and the Agriculture, Forestry and Fisheries Ministry […]

Issue 4 Oct. 2003

Sumatran Villagers Sue Japan over ODA Dam

Before Tanjung Pau village disappeared under the reservoir of Kotopanjang Dam, the ethnic Minangkabau who lived in that remote corner of central Sumatra, Indonesia, once held an elaborate ceremony for 2-month-old babies. “It was called […]

Issue 4 Oct. 2003

Public Perceptions of Indonesia’s Crisis

This is an abridged version of “The Indonesian Crisis from ‘Krismon’ to ‘Kristal’: Perceptions of Social and Cultural Impacts in Jakarta and Semarang,” published in The Indonesian Quarterly, October 2002. The survey from which this […]