ベトナム人は、不動産と生活水準に関して市場志向になりつつある。空き農地に開発されたフーミーフン(Phu My Hung)とタオディエン(Thao Dien)は、ホーチミン市の外国人に人気の地区だ。これらの2地区の開発を見れば、ベトナム人の都市生活を外国人がいかに変えたかが分かる。特に、多国籍学校や、欧米風の飲食店など、社会インフラは、このような変化の主な原因だ。外国人の出現によって、現地の風景や生活水準が改善されてきた。 はじめに ベトナムが国際投資に門戸を開いた1993年以来、ホーチミン市(HCMC)は、法人・個人を問わず、外国の企業活動と社会活動の重要な中心地になった。この街では、経済開放により、外国人の存在により、あるいは、その両方によって、インフラや不動産、地元経済を中心に顕著な変化が生じている。例えば、外国人住民と国際企業の増加は、郊外での不動産開発の急増をもたらした。特に、7区や2区など、外国人住民が集中する地区では、高級アパートや商業用ビル、商業地区の開発が進んだ(Harms, 2016)。これらの地区は、多国籍な住民の要求を満たすべく改造され、ドイモイ前や、その初期の1987年のベトナムでは一般的に見られなかった基準に従った設備が備わっている。 フーミーフン(PMH, 7区)や、タオディエン(TD, 2区)などの新地区は、ホーチミンの外国人住民を対象に、1997年から現在にかけて開発された(図1)。この記事では、フィールド観察とマッピングを使い、フーミーフンとタオディエンの両居住区の開発を再検討し、ホーチミン市の代表するベトナムが、どのように外国人を受け入れてきたかを理解する。 表1. フーミーフン(PMH)とタオディエン(TD)の比較 ケース・スタディ1:フーミーフン(PMH) 1975年のベトナム再統一後、ホーチミン市は南部の地区、サイゴン南部の開発を計画したが、これには次の三大計画があった。それらは、タントゥアン輸出加工区(Tan Thuan Export Processing Zone : EPZ)、フーミーフン地区、そして、より大規模な計画の一環であるヒェップフォック工業団地(Hiep Phuoc Industrial Park)だ(World Bank, 2017)。 フン・ヴォン(Hưng Vượng/図3)は、フーミーフン地区の中心に位置する高級宅地開発の一例だ。この地区は、2015年には、354世帯、1300人の住民が暮らす9つの共同住宅で構成されていた(Le & Le, 2018)。また、フン・ヴォン地区には、壁や防犯ゲートで人の出入りを制限するゲーテッド・コミュニティの特徴があった。この集合住宅の計画は、屋外庭園や、共同駐車場、運動場、内部道路を特色としていた。また、管理者側は、路上ゴミをなくす、適切な廃棄物処理、ゴミ回収、舗装された駐車場など、秩序正しい都会生活の原則を徹底させた。さらに、これらの原則は建物の形状や、マンションの配置デザイン・モデル、街の住民の行動にも及んだ。このように、フーミーフンは、入り組んだ区画や市街地を徹底して管理する法的枠組みを提供している。 図3フーミーフンの典型的なゲーテッド・コミュニティ さて、フーミーフンに韓国人が移住する主な理由の一つは、インターナショナルスクールの存在だ。この地区内には、ホーチミン市コリアン・インターナショナルスクール(KIS)、カナダ・インターナショナルスクール(CIS)、ABCインターナショナルスクール、ベトナム・オーストラリア(VAS)、ベトナム・フィンランドインターナショナルスクール(VFIS)、サイゴンサウスインターナショナルスクール(SSIS)がある。また、ベトナムにある海外教育機関から韓国への単位移行が認められているため、親のベトナム赴任に伴い、学生もベトナムでの進学がしやすい(Huynh, 2015)。 さらに、世界の他の場所のコリアンタウンと比べると、フーミーフンには、韓国と最もよく似た社会制度がある(Kim, 2016)。さらに、管理委員会は、この地区に約300人の民間警備員から成るセキュリティシステムを構築した。おかげで、同地区は外から来た人にとっても安全で、暴力事件や犯罪の発生率も低い(Douglass & […]