Sheep (2017-2018) by Samak Kosem
Issue 28

มานุษยวิทยาของศิลปะและเรื่องเล่าเกี่ยวกับอมนุษย์/เควียร์ในพื้นที่ชายแดนภาคใต้

เมื่อต้นปี 2560 ผู้เขียนเริ่มทำงานด้านชาติพันธุ์วรรณาทัศนา (visual ethnography) เพื่อการศึกษาพื้นที่ชายแดนภาคใต้ในจังหวัดปัตตานีในโครงการเกี่ยวกับการเป็น “เควียร์มุสลิม”  นับตั้งแต่ผู้เขียนเขียนบทความไตร่ตรองสะท้อนคิดในชื่อ “ปอแนใต้ปอเนาะ” (Samak 2017a) เล่าถึงความทรงจำในวัยเด็กเกี่ยวกับความประพฤติแบบรักร่วมเพศในโรงเรียนสอนศาสนาอิสลาม ซึ่งผู้เขียนเองศึกษาศาสนาในโรงเรียนปอเนาะเป็นเวลาหกปี  ประสบการณ์ในช่วงเวลานั้นยังย้อนกลับมาทำให้ผู้เขียนตั้งคำถามเนืองๆ ว่า เรื่องแบบนี้เกิดขึ้นได้อย่างไรในสถานที่ที่ดูเหมือนต่อต้านการรักร่วมเพศอย่างรุนแรง? ในปีเดียวกันนั้นเอง มีการถกเถียงวิวาทะกันอย่างใหญ่โตในหมู่นักวิชาการและนักกิจกรรมทั้งภายในและภายนอกพื้นที่สามจังหวัด “ชายแดนภาคใต้” ของประเทศไทยเกี่ยวกับการนำประเด็นความรักเพศเดียวกันมาอภิปรายอย่างเปิดกว้างต่อสาธารณะ รวมทั้งการทำให้เควียร์และอัตลักษณ์ของเควียร์มีตัวตนในชุมชน (โปรดดู Anticha 2017)  ในตอนนั้น การพูดถึงการเป็นเควียร์ในอิสลามกลายเป็นหัวข้อที่อ่อนไหวมาก  ครั้นแล้วอยู่มาวันหนึ่ง อดีตเพื่อนนักเรียนจากโรงเรียนปอเนาะก็ตั้งคำถามกับผู้เขียนว่า เคยเห็นแกะจรจัดในปัตตานีหรือไม่?  ผู้เขียนนึกฉงนว่าทำไมไม่เคยสังเกตเห็นแกะเหล่านี้ทั้งที่มันดำรงชีวิตอยู่ท่ามกลางพวกเรา  ทันใดนั้น คำถามก็ผุดขึ้นมาในใจอีกครั้ง  ทำไมที่นี่ถึงมีแกะเยอะ แล้วทำไมมันถึงดูสกปรกมอมแมม เดินเร่ร่อนไปทั่วเหมือนหมาจรจัด […]

Sheep (2017-2018) by Samak Kosem
Issue 28

南部国境におけるアートと人間以外の存在、あるいはクィアのナラティブの人類学

2017年の初頭に、私は「クィアのムスリム」のあり方に関するプロジェクトで、自分の新たなパッタニでの境界研究として、視覚民族誌(visual ethnography)に取り組むようになった。自分が6年間宗教を学んだイスラーム学校の、子供時代の同性愛者の姿の思い出について、「ポンドック(Pondok/イスラーム寄宿塾)のポンダン(Pondan/トランスジェンダー)」(Samak 2017a)という内省的な記事を書いて以来、これらの経験は、今でも私に疑問を抱かせ続けている。このように反同性愛の気風が極めて濃厚な場所で、このような事態が生じたのはなぜなのだろう? これと同じ年に、タイ「深南部」三県の内外の学者や活動家の間で大きな議論があり、同性愛をどのように公の場での議論とするか、クィアの人々やアイデンティティを、コミュニティの中でどのように可視化するかが論じられた(see Anticha 2017)。当時、イスラーム教徒のクィアの存在を口にする事は極めてデリケートな話題となった。ある日、イスラーム・カレッジ(Islamic college)の私の元学生から、パッタニで迷子の羊を見た事はあるか?と尋ねられた。私はなぜ、これまで一度も、自分たちの間で暮らす羊たちに気が付かなかったのか不思議に感じた。突然、あの疑問が再び生じてきた。なぜ、これほど多くの羊がここにいるのか、迷子の犬のように歩き回る羊が、あれほど汚れて見えたのはなぜなのか? 人間以外の主体 ハラウェイ(Haraway)(1991)を読めば、社会的主体や、日常生活における人間と人間以外の存在のハイブリディティに関する我々の思い込みを揺るがす、人間以外の主体というものが理解できる。タイ深南部のムスリム社会の、社会的、文化的背景を理解するのに、ポストヒューマニズムのオブジェクト志向存在論(object-oriented ontology)の枠組みを利用するという手段がある(Ming 2019)。自分のプロジェクトを練り直し、ムスリム社会のクィアのあり方を調査する上で、我々、人間と同じ環境に暮らす存在として、社会、文化生活を物語る社会的主体の一つである人間以外の主体にも目を向けてみる事にした。 羊たちの様子を3カ月間追った後、彼らが迷子ではなく、モスクの隣の共有の囲いの中で、コミュニティの人々が所有する他の羊や動物たちと共に暮らしている事に気が付いた。GPSを使って羊たちが近所で歩き回った地点に印を付けた。これは人類学者が村人の代表について行き、村の状況を把握するやり方と似ている。私の場合、羊たちは彼らが普段行く場所の全てに私を連れて行った。その中には墓地や、イスラーム教の学校、モスク、市場、商店や軍の検問所などがあった。羊の所有者によると、羊たちは自分たちがどこへ行けて、どこを渡れないのかを知っていると言う。つまり、動物たちには動物たちの場所感覚があり、時には、路傍のタイ人仏教徒やムラユ人(Melayu)ムスリムの居場所を見て、彼らの境界を察知する事もできるのだ。 羊たちは動物であり、人間以外の存在だが、後に、他にも考察するべき人間以外の主体の存在に気が付いた。喫茶店で夜を過ごすうちに、人々がしきりにジン(djinn/元々はアラビア語で、神によって創られた超自然的存在を指す言葉。彼らは人間界とはパラレルな世界に住むが、目には見えない。現地の人々は時々、これをピー“pi”と呼ぶが、これはタイ語で精霊を意味する)の物語を話している事に気が付いたのだ。 ファーマン(Fuhrmann)の “Ghostly Desire” (2016)を読んだ事で、クィアという個性について考えてみる気になり、これをイスラーム教信仰のジンと比較して、目に見えないクィアの人々とジンを比べてみた。鮮やかなほど対照的に、地元の人々が好んで語る話題があれば、他方の話題は全く論じられない。 私が三つ目に注目した人間以外の主体は「波」だ。私は南部の浜辺が地元の人々や、そこで食べ物を売って生活する多くのムスリム女性にとって、一種の「安全地帯」である事に気が付いた。私は浜辺でプラスチックごみを集め、自分の作品の中で「波」を表現した。これらの物体は、私にその場で営まれた暮らしの痕跡を語り聞かせる語り手にもなり、私にとっての波は、ジェンダーと生活の象徴となった。数名の美術学生に付いて、隣のソンクラー県テーパー(Thepha)村を訪ねた際、我々はタイ語とマレー語の両方で、地元の人々が様々な波の種類を表現するのに使う、それぞれの言葉を学び、それがいかに村人たちの暮らしの一部である環境とのかかわり方や、日々の自然とのかかわり方を表しているかを学んだ。だが、これらの村落は、新たな発電所の建設のため、政府から移転を命じられており、多くの人々がデモをしにバンコクへ行った。私はドキュメンタリー映画を作って、この状況と南部の波の持つ意味の両方を、アートという形で記録して伝える事にした。 実践としてのアートと人類学 アートは人類学者が物質文化に取り組むための題材であるだけでなく、変化のための能動的な基盤でもある。その変化とは、アートの概念の変化と、文化的意識に結びつく社会参画的なアートを定義する議論の変化だ(Morphy and Perkins 2006)。私のビデオ作品「羊(Sheep)」(2017-2018)は、ヒエラルキーと宗教的暴力を暗示した作品で、深南部の文化におけるムスリム社会のもう一つの顔を描き、人間がいかに人間以外の存在と人間目線で接しているかを示すとともに、タイ国家の中の深南部の人々と暴力の隠喩にもなっている(Thanavi 2018)。犠牲祭に捧げられない「穢れた羊」の通念を作り上げる事は、国家が深南部の人々の定義を試みる手法と何一つ変わらないのだ(Samak 2017b)。 この「人間以外の存在の民族誌(nonhuman ethnography)」プロジェクト(2017-2020)では、人類学と写真という芸術実践の横断的な作品として、学術研究の知識と方法論を現代アートと組み合わせた「フィールドノート」を作成した。フィールドノートは2018年の第一回バンコク・アート・ビエンナーレ(BAB/ Bangkok Art Biennale)で、学芸員のパトリック・D・フローレス(Patrick D. Flores)と「翻訳不可能性(untranslatability)」を論じた後に展示された。私は元々タイ語で書かれていた自分のノートを、ジャウィ文字を使ってムラユ語に翻訳する事に決めた。この私なりのやり方で、観客との対話を開始させ、ナラティブや知識が、いかに我々の理解にとって負担や限界となるかを示そうとした。また、無知や我々の文化的相違の複雑な感じも出したかった。たとえ同じ国の住民であっても、現地のムラユ語とジャウィ文字は、地域外から来る「普通の」タイ人にとっては、今も乗り越えられない溝なのだ。理解するための唯一の手段は、写真や映像の使用だ。この作品は、何とかしてこの関係の隔たりを伝え、タイ人観客にこれらの暮らしがいかに顧みられてこなかったかを示そうするものだ。 例えば、「波(waves)」プロジェクトでは、波が意味するものについて論じた。波は通常、声を意味するが、それは誰も聞きたがらないような雑音にも、ムラユ人ムスリムの地元の人々の声にもなる。「薄いベール(A Thin Veil)」(2018)は無言のビデオ作品で、人間以外の存在が「波」の環境や社会、文化、人々とのかかわりの物語を語る。このドキュメンタリーの無音の波は、ほとんど顧みられる事の無いマラユ文化の社会生活の波の隠喩である。テーパー村の人々は、国家を相手に石炭火力発電所による沖合の波の汚染を防止しようと闘っている。波が原理主義者をめぐる状況を指す事もある。南部では、人々が「ニュー・ウェーブ」について語れば、イスラーム教原理主義者の話をしているのだ(Willis […]