Paige-Johnson-Tan-Suharto-20-years
Issue 24

Normal Baru: Demokrasi Indonesia Duapuluh Tahun setelah Suharto

Ketika Suharto mengundurkan diri dari kepresidenan pada Mei 1998, jalan di depan masih tidak pasti. Akankah demokratisasi dibiarkan berlanjut? Akankah kekerasan digunakan untuk menyelesaikan pertentangan-pertentangan yang pernah terjadi dalam sejarah bangsa, dengan efek gelimang darah? […]

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Issue 24

ภาวะปกติใหม่: ยี่สิบปีของระบอบประชาธิปไตยในอินโดนีเซียยุคหลังซูฮาร์โต

เมื่อซูฮาร์โตลาออกจากตำแหน่งประธานาธิบดีของอินโดนีเซียในเดือนพฤษภาคม 1998 เส้นทางของประเทศยังไม่มีความแน่นอน  การเปลี่ยนระบอบสู่ประชาธิปไตยจะเดินหน้าได้หรือไม่?  จะมีการใช้ความรุนแรงเพื่อแก้ปัญหาความแตกต่างจนกลายเป็นการนองเลือดดังที่เคยเกิดขึ้นในประวัติศาสตร์ของอินโดนีเซียหรือไม่?  ยี่สิบปีให้หลัง อินโดนีเซียยังอยู่ในระบอบประชาธิปไตยที่ผันผวนและรอดจากภาวะหน้าสิ่วหน้าขวานอย่างหวุดหวิดหลายครั้ง  บทความนี้จะใช้มรรควิธีศึกษาของ Juan Linz และ Alfred Stepan ในการทำความเข้าใจการเสริมสร้างความแข็งแกร่งให้ระบอบประชาธิปไตย (Democratic Consolidation) เพื่อประเมินระบอบประชาธิปไตยของอินโดนีเซียในช่วงยี่สิบปีหลังการโค่นล้มระบอบซูฮาร์โต  บทความนี้ชี้ให้เห็นว่า ถึงแม้อินโดนีเซียก้าวไปในทิศทางของการเสริมสร้างความแข็งแกร่งให้ระบอบประชาธิปไตยในหลายๆ ด้าน กระทั่งระบอบประชาธิปไตยกลายเป็นภาวะปกติใหม่ไปแล้ว แต่ก็ยังมีปัญหาท้าทายสาหัสสากรรจ์อีกหลายประการ เช่น องค์กรภาคประชาสังคมที่ไม่สนับสนุนประชาธิปไตย สื่อมวลชนที่ทำตัวเป็นภัยคุกคามและขาดความเป็นมืออาชีพ พรรคการเมืองที่ใส่ร้ายป้ายสีกัน ความอ่อนแอในหลักนิติธรรม การคอร์รัปชั่นในระบบราชการและความไม่เท่าเทียมทางเศรษฐกิจ เงื่อนไขเบื้องต้น: ความเป็นรัฐ สำหรับ Linz และ Stepan การเสริมสร้างความแข็งแกร่งให้ระบอบประชาธิปไตยมีเงื่อนไขเบื้องต้นประการหนึ่ง […]

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新たな常態:スハルトから20年後のインドネシア民主主義

スハルトが1998年5月にインドネシア大統領を辞任した時、道のりは定まっていなかった。民主化を進める事はできるのか?相違を解消するために、以前のインドネシア史のような血みどろの暴力が用いられるのか?20年後、インドネシアは幾度か危うい瀬戸際をさまよった後、騒々しい民主主義に戻って来た。この論文ではジュアン・リンス(Juan Linz)とアルフレッド・ステパン(Alfred Stepan)の手法を用いて民主主義の定着を理解し、スハルト転覆から20年後のインドネシア民主主義を検討する。本論はインドネシアが多くの分野において民主主義の定着に向かって進んできた事、つまりは民主主義が新たな常態となった事、しかし、それでもなお深刻な問題、例えば非民主的な市民社会団体や、脅かされた、あるいは一部のプロ意識に欠けた報道機関、非難を浴びる政党、法の支配の脆弱性、官僚汚職や経済的不平等などが存在する事を示す。 前提条件:国家性 リンスとステパンの民主化定着のための前提条件に国家性(stateness)がある。国家が民主主義を経験するのであるから、国家でないなら民主主義はそもそも成立しない。そのような事から、著しい分離主義問題に苦しむ国々は民主化定着のために苦闘する。インドネシアが1998年に民主化されると、多くの者達は地方をけん制する権威主義的独裁者も無しに、この国がまとまるのだろうかと訝った。アンボン(Ambon)とポソ(Poso)では、キリスト教徒とムスリムとの間のコミュニティ間の暴力が権威主義的統治からの移行期の初めに、より広範囲に及ぶ混乱の可能性を強めた。長年に及ぶアチェ(Aceh)の分離独立を求める争いにしても同様であった。民主化は東ティモールに国連監視下での独立をめぐる国民投票の機会をもたらした。だが結局、おぞましい暴力にも関わらず、これらはインドネシアの国家性に対するさらなる試練の到来を告げるものではなかった。東ティモールは分離したが、この地域の独特な政治史のため(東ティモールが侵攻されたのは1975年の事に過ぎない)、これがインドネシアの実存を脅かす事は無かった。アンボンとポソ、そしてアチェでさえ、和平協定がこれらの地域の紛争を鎮静化した。領土の一体性に対する深刻な試練にもかかわらず、インドネシアはその国家性を維持してきたのだ。 市民社会 市民社会は国家から独立したアリーナで、その中で人々は団体や組合を組織する。インドネシアの市民社会、特に大学生は数か月間の抗議を通じて1998年のスハルト大統領失脚に一役買っていた。この独裁者が失脚した後、インドネシア市民はこの国の若い民主主義を支えるために組織を作って関与を続けて来た。新たな集団が出現し、古くからの組織は新たな空間を獲得した。インドネシア人は団結して投票者教育を実施し、選挙を監視し、人権を推進し、汚職と闘った。これらの集団が新たな民主主義の規範を支えていたのだ。 他にも集団が形成されたが、それらは発展するインドネシアの民主主義を支持せずに、新たな団結の自由にだけ便乗した。イスラム防衛戦線(The Islamic Defenders’ Front /Front Pembela Islam, FPI)はイスラム教の取締り強化役を自任して、武力や脅迫によってクリスマスの祝祭や飲酒、LGBT市民、逸脱者とみなされるムスリムを標的とした。自国民から成るテロリスト集団で、アルカイダやISISと関わりのある集団もまた、ホテルや証券取引所、聖地や夜市などを標的に攻撃を実行してきた。イスラム防衛戦線が政治進出への成功を経験した事は、華人でキリスト教徒のジャカルタ知事、バスキ・チャハヤ・プルナマ(Basuki Tjahaja Purnama/通称アホック/ Ahok)の2017年の再選阻止に役立った。FPIやその他の団体はソーシャルメディア・キャンペーンや抗議を指揮したが、その意図は先住民でない非ムスリムがインドネシアの多数派であるムスリムを率いるような事が許されてはならないというメッセージを拡散する事であった。FPIはさらに冒涜罪によるアホックの起訴を要求し、彼はこれによってついには禁固2年の判決を言い渡される事となった。多くの者達がアホックの歯に衣を着せぬやり方や、新自由主義的な政策には反対だったかもしれないが、FPIが民族性と宗教だけを理由にインドネシア市民の被選挙権を攻撃した事は、インドネシアの民主主義を損ねたのである。 インドネシアの報道機関が改革時代に激増した事で、新たな意見が大いに聞かれるようになった。しかし、この国では報道の自由が今なお脅かされている。インドネシアは2018年の国境なき記者団の報道の自由度ランキング(the Reporters without Borders Press Freedom Index)で180ヵ国中124位であった。ジャーナリストはこの国のいくつかの地域、特にパプア(Papua)、西パプア(West Papua)、アチェでの報道に骨を折って来た。また記者たちは自らの報道、特に紛争地域や宗教的過激派、汚職に関わる報道の結果としての暴力を経験し、これを危惧している。報道陣の中にはこの問題の一端となっている者もあるが、これは彼らが話題を肯定的に報じるために代価を請求したり、事実検証を怠ったり、あるいは党派性を示したりする(多くのインドネシアの政治家が独自の報道機関を持っている)事が理由である。「フェイク・ニュース」が次期地方選挙と国政選挙で重要な役割を果たすと見られている。 政治社会 市民社会の他に、民主主義の定着は政治社会のアリーナでも生じる。これは市民が組織化して国家権力を争う場である。スハルト体制崩壊後、何百という新政党が形成された。政党法や選挙法は徐々に改善され、一定の国民参加と支持率を要求する事で政党数が絞られてきた。2019年選挙への参戦を認められているのは16党のみで、アチェだけはこれに併せて4党が認められている。有効政党数(The effective number of parties)は政治機構内での政党の重要性を測る指標だが、これは1999年には5.1、2014年には8.9だった。つまり、全体的な党数は減少していても、重要な数は実際のところ増加しているという事だ。各党の支持率は選挙毎に異なる。闘争民主党(Partai Demokrasi Indonesia-Perjuangan)、ゴルカル党(Golkar)、民主党(Partai Demokrat)の三つの政党がスハルト体制崩壊後の4度の選挙で議会の得票数首位を占めてきた。インドネシアの強権を備えた大統領の地位は、今や直接選挙によって選出されるものであり、一定の支持率を持った連立のみが候補者を指名できる。2004年からの大統領直接選挙は、組織や政党を基準とするよりも、むしろ人格主義的であるかどうかを基準に候補者を権力の座に就けるようになった。 […]