インドネシアにおける移行期正義とその不満の軌跡

Ehito Kimura

スハルト体制崩壊から20年、この国はどのように権威主義的な新秩序の抑圧的な政策や行為の遺産と向き合ってきたのか?移行期正義の物語、あるいは過去の清算は無残な失敗の一つであり、過去の人権侵害に対して意義ある有罪判決も、十分なアカウンタビリティも一切存在しない。また同時に、それは断固たる忍耐の物語でもあり、正義に向かう公式手段が頓挫したことで、活動家や市民社会団体は国家よりも社会を当てにした新たな道を開く事となった。別の言い方をすれば、インドネシアの過去の政治は消えて無くなったわけではなく、その弧がトップダウンからボトムアップに、公式から非公式に、補償から承認へと切り替わったのだ。

公式的な進歩の欠如は、過去20年にわたって提示され、議論されてきた目覚ましい数字や、過去に向き合うために発案された様々な取り組み…刑事告発や実情調査、真実委員会、法改正、補償、ドキュメンテーション、記念化に矛盾する(ICTJ-Kontras 2011)。この多様性は幾分、インドネシアの権威主義時代に生じた人権侵害の数と種類が反映したものであるが、それには大量殺人や反乱鎮圧、大量投獄、強制労働、強制抑留、誘拐、街頭での暴力、拷問や処刑が含まれる。

同時にこの多様性には移行期正義の三大分野である応報の道、修復の道、賠償の道に沿った類型と軌道がある。これらの一つ一つにもまた、頓挫した公式の制度的構想や、これに続いたインフォーマルな非公式の道が含まれ、移行期正義の公的手段と社会的手段との間に再帰的な関係を生み出している。

軌道1:司法の道

移行期正義の活動家や推進者にとって、裁判所における加害者の起訴は通常、過去の人権侵害に取り組む上での至高目標と考えられる。ポスト・スハルト時代の応報的正義の公的措置は憲法その他の法制改革に始まった。具体的に言えば、新法は次のように規定している。「あらゆる重大な人権侵害は人権裁判所において審議される」(1999年法律39号/Law 39)。ところが同法はまた、次のようにも断言する。「遡及法の下で起訴されない権利」は「基本的人権であり、これはいかなる状況下でも損なわれる事があってはならない」(1999年法律39号/Law 39)。この不遡及の原則として知られた条項は移行期正義をその出端から挫き、加害者を過去の人権侵害によって裁く事に反論するために用いられてきた。

これに続く諸法は、特別人権法廷が遡及事例を審議する事を許可してはいるものの、その制限的記述のために実際に裁判にかけられた事例は少なく、あったとしても大した正義が実現されたためしは無い。例えば、東ティモール問題に関するジャカルタの特別人権法廷は、決定的な証拠があったにも関わらず、18人中6人の被告だけを有罪判決とし、さらに6人全員の有罪判決は後に控訴審で覆されてしまった(Cohen 2003)。タンジュンプリオク(Tanjung Priok)に関する特別人権法廷の事例では、検察官が1984年にジャカルタ北部でデモ参加者に発砲した軍と治安部隊を裁判にかけた。裁判所は14人中12人の被告を有罪判決としたが、その後、控訴裁判所はこの有罪判決を全て無効とした(New York Times 2005)。インドネシア国内の裁判所や審判機関に失望した活動家と推進者は、被疑者を審議するために海外の国際法廷や、いくつかの事例では外国の裁判所にも目を向ける事となった。

東ティモールの国連特別委員会が一つの代表例であるが、活動家は米国やオーストラリアの裁判所などへも出て行った(Center 1992; ABC News 2007)。これらの裁判は幾つかの事例を有罪に導いたものの、いずれも上層部の加害者をインドネシアで正式に起訴するための管轄権や実施機構を欠いていた。

これらの制約を受け、活動家たちはごく最近になって第三の道を探っている。それは象徴的な意味合いに過ぎないものの、法律尊重主義を掲げた道である。1965年の大量虐殺の50周年にあたる2015年に、インドネシアの活動家たちは国際民衆法廷(the International People’s Tribunal)IPTを立ち上げ、この手段によって1965年の生存者の実体験を浮き彫りにし、国際社会に示したのだ(Palatino 2015)。IPTの企画によって生存者や目撃者、専門家や歴史家が1965年の事件について証言する一方で、判事や弁護士も含む人権団体の国際的著名人らが裁判官を務めた。証言の数日後、法廷は大量殺人、奴隷化、拷問、強制的失踪、性的暴力、国外追放やプロパガンダなどを含む9つの公判で原告らに好意的な判決を下した(IPT 1965)。

軌道2:和解

インドネシアの移行期正義の枠組みの二つ目は、和解を重視する方式である。大まかに言うと、和解の概念は紛争での異なる立場の人間を引き合わせ、過去の不和を認め、これを解決するというものだ。

インドネシアで政府が公式的和解策の導入に最接近したのは2012年であった。当時、スシロ・バンバン・ユドヨノ(Susilo Bambang Yudhoyono)元大統領の政権が、新秩序時代に起きたこの国で最大の人権侵害に対する大統領の大々的な国家的謝罪表明の意思を示唆した(Jakarta Post 2012)。だがこれが報じられるや否や、反対派も動員を始め、謝罪に対する公式宣言や脅迫を行い、効果的にこの取り組みをくじいてしまった。ジョコウィ(Jokowi)大統領も公式謝罪の意図に手を伸ばしかけたが、後に反対に遭ってこれを断念してしまった。

再び、公式手順の失敗を不満に感じた諸団体は、独自の方法でも和解を模索した。この一例がインドネシア元PKI(共産党)のメンバーと1965年に殺害された陸軍大将の家族、その他の紛争被害者の組織であり、彼らが形成した組織の名は国民会合フォーラムの子供たち(であった。定期的な会合を通じて、この団体は1965年の出来事の異なる派閥間の対話と和解の促進に努めている(Lowry 2014)。

もう一つ、シャリカット(Syarikat)という組織にまつわる一連の取り組みでは、イスラム教団体NU(ナフダトゥル・ウラマー)の進歩主義的な若いメンバーが、1965年をめぐる和解の促進を図ろうと、対話のための会合を行ったり、元PKIメンバーとNUコミュニティのメンバーとの共同プロジェクトに携わったり、女性被害者のための支援団体や協会を創設したり、共同で議会にロビー活動を行う事で、元政治犯とその家族に対する差別を無くし、彼らの権利を回復させるための措置を進めたりしている(McGregor 2009)。その他の例としては「イスラ(“islah”)」の活用があるが、これはイスラム教式の調停で、タンジュンプリオクの虐殺の軍部と犠牲者、犠牲者の家族との間で用いられた。またアチェで用いられたディーヤ(diyat)というイスラム教の慣例は、紛争で殺害、あるいは行方不明となった者達の近親者に支払いをするものである(Kimura 2015)。これらの文化的、社会的アプローチは和解の機会をもたらしたものの、被害者たちの多くにとっては問題があり、不満なものであった事も判明した。

実の政治

法的応報の手段も和解のための取り組みも、移行期正義の手段としてあまり成果が無いものであったとすれば、真実の追求と真実の口承はどうであろう?真実追求の初期の形としては、特に1998年の事件やアチェでの暴力をめぐる実情調査の取り組みがあった。これら初期の仕事とその後の報告を活用して、人権団体や国際社会がこれらの出来事に関する総合的で十分な説明を行い、またインドネシアの保安機構を暴力の一元凶と名指しした。だが、この傾向は続かなかった。後に実情調査は信憑性の欠如、一時しのぎの傾向、そして最終的には行動力の欠如に悩まされる事となった。

真実と和解

真実追求のためのもう一つの公式手順が真実和解委員会(the Truth and Reconciliation Commission /TRC)という手段であるが、これは政府が2000年に法令を定め、2004年に設立された。NGOや市民社会団体はこの法律を強く推進していたし、当初はこれに重大な人権侵害を調査する力があるとして力づけられていた。ところが、やがて彼らはこの法律がTRCに加害者へ恩赦を与える権限も付与するものである事、TRCで取り上げられた事例の提訴を妨げる事、そして被害者が恩赦と引き換えによってのみ賠償を受け取れる事を認めていると知り、幻滅する事となった。この法律の弱点を是正しようとして活動家は憲法裁判所に告訴したが、これが予想に反して法律そのものを無効としてしまったため、人権団体は法的には正当なままであったが、TRC法が一切存在しない状況に取り残される事となった(Kimura 2015)。

真実の一年

政府に対する、そして公式の実情調査と真実和解委員会の失敗に対する不満から、市民社会団体は独自の方法で真実の推進を図ってきた。正義と真実のための連合(のようなNGOや市民社会団体は、「証言を聞く会(“hearing testimonial events”)」と呼ばれる市民の証言を通じ、「スハルト新秩序体制の被害者の声を増幅させる」ために資源を共有して連携を図り、過去の人権侵害の歴史的記憶や苦しみを浮き彫りにしてきた(Ajar 2012)。

真実の口承もまた大衆文化から現れたが、中でも注目すべきは『アクト・オブ・キリング(“The Act of Killing”)』や『ルック・オブ・サイレンス(“The Look of Silence”)』などの挑発的な映画だ。より一般的には多数の書籍が、多くの女性も含む1965年の生存者によって出版されている。同時に1965年にまつわる学術文献もブームになっており、インドネシア人学者も海外の学者も、1965年の出来事における軍の役割や国際社会の役割に関する新出文書の解明を行っている。

国内シンポジウム

真実追求の領域におけるごく最近の意外な例は、政府が企画した1965年の異なる観点についてのシンポジウムで、「国内シンポジウム:」と呼ばれるものだ(Jakarta Post 2016)。この会議はこの種のものとしては初めて政府が認可した1965年の公開討論であり、注目に値すべきものであった。またこの会議以来、フォローアップは限られてはいたが、この会議はこれを企画した政府の人間が国家の殺人における役割を認めた点においても重要であった。また、このシンポジウムは反PKIの対抗シンポジウムを企画した軍事関連団体や保守派イスラム教団体から、特有の反発を招く事となった(Kompas 2016)。

Truth Telling: “The Act of Killing” 2012, and “The Look of Silence” 2014

結論

インドネシアにおける公式的な移行期正義の展望は、今日、スハルト体制崩壊以来、かつてない程までに不鮮明である。この極めて限定的で制約的な環境を背景に、市民社会団体はその焦点を切り替え、大規模な公式の国家的アプローチにはほぼ見切りをつけ、自らの手で問題に対処しようとしている。公的機関の活動は左程当てにせず、推進者は真実の追求、真実の口承、象徴的な正義の形態に関する独自の取り組みに従事しようと努めて来た。ここで重視されているのは賠償よりも承認であり、公的手段よりも社会的支援に対する呼びかけである。

国家は移行期正義のいかなる有意義なプロセスにも取り組む事ができなかった、あるいは取り組もうとしてこなかった。この拒絶は法的・司法的アプローチ、和解のアプローチ、真実追求のアプローチを含む様々な種類の正義にまたがって概ね一貫している。それでもなお、過去の政治はインドネシアの社会的、政治的ディスコースから消える事を拒む。かつてない程までに、過去に関する議論や論争が行われており、より多くの証拠が活動家や学者、被害者や被害者の家族、著述家、ドキュメンタリー作家たちによって収集されている。移行期正義の三つの形態の中では、真実の追求と真実の口承が最も成功した形であるが、これはそれ以上の種類の正義が可能となるまでの「一時しのぎ」の目的に適っているというだけの話である。

Ehito Kimura
Associate Professor
ハワイ大学マノア校
政治学部准教授 木村恵人

 

文献リスト

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