Issue 4 Oct. 2003

東南アジアの人身取引に関する最近の研究

           The Migration of Thai Women to Germany: Causes, Living Conditions and Impacts for Thailand and Germany (タイ女性のドイツ移住:理由、生活条件、タイとドイツへの影響)Supang Chantavanich, Suteera Nittayananta, Prapairat Ratanaolan-Mix, Pataya Ruenkaew and Anchalee KhemkrutBangkok / Asian Research Center for Migration, Chulalongkorn […]

Issue 3: Nations and Stories Mar. 2003

国民主義者によるインドネシア史「改革」

         政治的操作からの相対的自由は多くの学問上のプロジェクトが健全に発展するための必要条件である。それはとりわけ、操作されることで多大の影響をうける歴史の記述に当てはまる。スハルト体制が崩壊しその下で行われていた多くの政治的制約が過去のものとなった今、インドネシアで現に行われているようなインドネシア史記述の発展に、スハルト体制の崩壊がどのような意義をもつのか、問うべき時だろう。 かつて植民地であった多くのところで発展した歴史記述と同様、インドネシアの歴史記述もきわめてはっきりと、かつ強烈に国民主義的なものであった。インドネシア中心主義(Indonesiasentris)として知られている、ナショナリストによる歴史編纂が主張するのは次のようなことである。それは、歴史を書くという行為全体の主要な目的と(もしくは)その最終的な成果は、意図したものであれそうでないものであれ、国民国家としてインドネシアが合法的に存在することを承認し、正当化するものであるということだ。このプロジェクトの中心にあるのは、そのような実在(インドネシア)に一致すると思われる国民的アイデンティティを創出し、維持し、促進しようとすることである。 この論文はインドネシアの国民主義者による歴史編纂の中で見られる明白な改革への兆候を確認し、そこに焦点を絞って記述しようとする。ポスト・スハルト時代のより自由な雰囲気のなかで、昔からのインドネシア史記述をみなおし、長い間、そういうものとして受け入れられてきた枠組み、そしてその中で歴史の書き直しが行われるであろう枠組みを再検証することができるようになっている。私のみるところ、そこでの要点は、改革の中でこれまで新秩序と密接な関係をもっていた歴史記述がパージされつつあることにある。改革主義者は従来の政治中心の叙述的歴史を捨て、サルトノ(Sartono)によって切り開かれた社会科学の手法の妥当性を支持し、いくぶんためらいながらも、歴史記述全般においてインドネシア中心主義が必要かどうかを問う段階へと移りつつある。改革主義者はインドネシア中心主義を、「国民的」なものを促進し定義するという従来の役割から解放し、そしてこのようにして歴史記述を、国家・国民のプロジェクトの重荷から解放しようとしている。改革は未だ初期段階にある。そのため、最近出版された論文、あるいはいまから出版される論文、ガジャマダ大学(UGM)で開かれた一連のワークショップ、そして改革主義を奉ずるインドネシアの歴史家数人へのインタビューをもとに、私はいまおこりつある改革の特徴を理解し、それが向かうであろう方向を推測しようとした。 Rommel Curaming (Translated by Onimaru Takeshi.) Read the full article (in English) HERE Kyoto Review of Southeast Asia. Issue 3:  Nations and Other Stories. March 2003

Issue 3: Nations and Stories Mar. 2003

「マレーシア」とは何か

         Cheah Boon KhengMalaysia: The Making of a Nation[マレーシア: 国民の形成]Singapore / ISEAS / 2002 Farish A. NoorThe Other Malaysia: Writings on Malaysia’s Subaltern History[もうひとつのマレーシア:マレーシア・サバルタンの歴史]Kuala Lumpur / Silverfishbooks / 2002  改革運動(reformasi movement)とアンワル・イブラヒム裁判、政権政党UMNOの正統性喪失、イスラム主義者の世俗的開発主義国家に対する異議申し立ての拡大など、近年、マレーシアで起こっている事件が国民の物語に重要な「配置転換」をもたらし、国民国家の基礎と定義に再考を促している。ここでとりあげる2冊は、そのスタイル、目的、対象とする読者においては非常に異なるとしても、上に述べたことを主題とするものとして、これまで国家、あるいは学問上の実践を通じて作り上げられてきた強力な政治・社会上の言説に大いに関わりを持つものとなっている。 Cheah Boon Khengは選挙の政治、首相、国家政策に焦点を絞ることによって、実のところどのようにして国民が進化してきたのかを明らかにする。Cheahはマレーシアを「ギブ・アンド・テイク」のプリズムを通して分析し、マレー・ナショナリズムとより広い意味でのマレーシア・ナショナリズムとの間に存在する緊張について考察する。彼の議論の要点は、マレーシアの4人の首相はそれぞれ「最初は排他的なマレー・ナショナリストとして出発したものの、結局は包括的なマレーシア・ナショナリストとなった」というものである。(マレーシア)国民の歴史の中でこのことが4回おきたということ、これは国民国家がそれ自身の論理を発達させてきたことを示している。Ketuanan Melayu (マレー人の政治的優位)は定着しているが、この論理によって抑制されている。Cheahの本は、多文化的で寛容なマレーシア、という一つの現実を主張するものである。 […]

Issue 3: Nations and Stories Mar. 2003

Pantayong Pananawとは ~解説、批判、新傾向~

         Pantayong Pananaw(「我々から我々のために」というパースペクティブ、以下PP)についてのこの小論は、フィリピン社会科学の歴史に大きな影響を及ぼし、論争を呼んだ知的傾向を、予備的に俯瞰することを目的としている。PPは1970年代後半、フィリピン大学においてZeus A. Salazarを中心とするフィリピン人歴史家の「国粋化」運動として始まった。この運動は本来の1950年代から70年代にかけてフィリピン史記述における主要なパラダイムであった初期の親米的伝統と、それに反対する国民主権的伝統、その双方か決別するかたちで形成された。それ以来、PPはしだいに社会科学と人文科学の他の分野においても哲学的、方法論的に影響を及ぼした。PPの実践者は、その文化中心的国粋化運動には当り前のこととして、国語であるフィリピン語をその言語として使用する この小論はPPを分かりやすく説明することを目的とするものではない。この小論はその代わりPPに関わるいくつかの主要な方法論上の論争を概説し、同時にフィリピンの社会科学における他の「国粋化」傾向に対するその理論的、実践的優位について示したいと思う。その主要な論点の一つは、PPの代表的作品の特徴である圧倒的に文化的(もしくは内向きの)解釈学的方法と他の社会科学方法との位置関係に関わる。「土着主義者」、「本質還元主義者」といったPPへの批判もまた簡潔に考察される。この小論の主要な目的の一つは、いまフィリピンの社会科学の中でおこっている最も重要な「国粋化」傾向のひとつについて、近年どのような議論が行われているか、そしてその水準と複雑さについて、たとえ不完全にではあっても読者に伝えようとすることにある。フィリピンの社会科学とフィリピン「人民」の間にあるラディカルな断絶を国語を使用することによって克服し、対話による相互作用が出来るような別の場を創り出そうとするPPの試みもまた特筆すべきであろう。最後にこの小論は、筆者がフィリピンの文脈の中での社会科学上の実践として、PPのより生き生きとしたより広範な定義を作り出すための提言を示すものである。 Ramon Guillermo(Translated by Onimaru Takeshi.) Ramon Guillermo is assistant professor in the Department of Filipino and Philippine Literature, University of the Philippines, Diliman. Read the full unabridged article in […]

Issue 3: Nations and Stories Mar. 2003

現代タイ国民主権的歴史記述の諸問題

           歴史の言論とそれをめぐる政治―――誰がそれを支配するのか、いかにしてそれは広められるのか、それと競合する歴史はいかにして抑圧されるのか―――そうしたことが知的、公的な論争において中心的テーマとなる時期がある。タイで歴史がそういった関心を引き起こしてすでにかなりの時間が経過した。そしてこの間、タイでは国民主権的歴史記述がヘゲモニーを手に入れたように見える。これはそれに対する反対がみたところほとんどなかったという事実がなかったとすれば、大いに注目に値するものだったであろう。さてそれではこの政治的、学問的事業は、それがはじまって100年、どれぐらい安定したものとなっているのか?  この論文において、私は現代のタイの国民主権的歴史記述が抱えるいくつかの問題を考えたい。その第一は語りの主体、つまりタイ国民の問題である。タイ国民の歴史記述は、アンダーソンの『想像の共同体』、あるいはホブズボームとレンジャーによる『創られた伝統』といった作品にみるように、1980年代、「国民」という概念が批判されるようになって以来、どうなってきたのか? 第2はこの語りの中で王制がどのような役割を果たしているかである。王制は現在、政治、文化的にタイ史記述の可能性をどのように制約しているのか? 第3の問題は民族的、地域的少数派、統一され文化的に均質な国民というかつては何の問題もなかった理解に挑戦する少数派をどう表象するのかというものである。 1990年代の地域化以来生じてきた新しい問題は、学校の教科書の中で、あるいはまたテレビドラマ、映画の中で、タイの国民主権的歴史記述が、隣国との関係に及ぼす影響である。これは時として外交的緊張を生じさせるものである。次の問題は主に学会の専門的歴史家に係わるものである。それは1990年代の「ポストモダン」理論と、それが歴史の真実を掘り崩していることを主張していることの影響である。かりにタイの歴史が数え切れないほど多くの物語の中の一つに過ぎず、過去に対するなんの権威を主張できないとすれば、それは今のような特権的な地位を享受するに値するのだろうか? さらにまたもう一つの問題として、今日では専門家の歴史が一般の人々のもつ歴史とほとんどなんの関連も持たなくなっていることである。大学をはじめとする教育機関で「専門」としての歴史学が衰退していること、これはその100年来の成果、国民の物語にどのような影響を及ぼすだろうか? Patrick Jory(Translated by Onimaru Takeshi.) Read the full unabridged version of this article in English HERE Kyoto Review of Southeast Asia. Issue 3:  Nations and Other Stories. March 2003

Issue 2: Disaster and Rehabilitation Oct. 2002

アジアの熱帯雨林におけるコミュニティ林業と管理者

         Mark Poffenberger, 編rKeepers of the Forest: Land Management Alternatives in Southeast Asia森林の保有者:東南アジアの土地管理方法West Hartford, Connecticut, U.S.A. / Kumarian Press / 1990 M. Victor, C. Lang, and Jeff Bornemeier, 編 Community Forestry at a Crossroads: Reflections […]

Issue 2: Disaster and Rehabilitation Oct. 2002

共同体林とタイの地方社会

         Anan GanjanapanLocal Control of Land and Forest: Cultural Dimensions of Resource Management in Northern Thailand土地と森林の地方管理:北部タイにおける文化的資源管理Chiang Mai / Regional Center for Social Science and Sustainable Development, Faculty of Social Sciences, Chiang Mai University / 2000 […]

Issue 2: Disaster and Rehabilitation Oct. 2002

西マレシア熱帯雨林の生態研究の動向

        西マレシアの熱帯雨林は東南アジアの陸上生態系において生物多様性の中心にあたる。アメリカ大陸における生物多様性の中心に比べ、西マレシアの熱帯雨林はアクセスがしやすいため、多様性の創出、維持機構や、その生態系機能とのかかわりについて興味を持つ研究者にとって、好適な研究対象である。熱帯雨林の生態研究は、時代とともに移り変わってきた生態学の枠組みと深い関係をもっている。そのような枠組みとしては次のようなものがあげられる。環境と植生タイプおよび遷移過程の関係、種構成が維持される機構、生態系生態学(物質とエネルギーの流れ)、個体群生態学(各種の個体数の変動を決める要因)、進化生態学(生物がある行動様式や形態のセットをもっている歴史的理由)がそれらである。近年ではこれらを総合して生物多様性の創出、維持機構、および生物多様性と生態系機能とのかかわりについての研究が行われている。生物学の一分野としての生態学は、以上のような枠組みのもとで、理論の構築とその検証を繰り返してきた。同時にフィールド科学である生態学は、研究の対象となる地域を理解し、さらに可能なら地域を豊かに創造することにも貢献しなければならない。その貢献のあり方としては、例えば生態系生態学や、生物多様性と生態系機能の関係についての最近の研究のように、環境がどのような仕組みで維持されているかを理解するというものがまず考えられる。一方、我々の多くは伝統的社会が持つ生物との深い関係に基づいた豊かな文化を失ってしまったが、例えば進化生態学が与えてくれる興味深い生物に関する洞察は、新たな文化を創造する原動力でもある。このように文化を創造しながら生物との豊かな関係を再構築することも、生態学が地域に対して行うべき貢献のひとつである。 百瀬邦泰Momose Kuniyasu Read the full unabridged article (in English) HERE Kyoto Review of Southeast Asia. Issue 2 (October 2002). Disaster and Rehabilitation

Issue 2: Disaster and Rehabilitation Oct. 2002

違法伐採-インドネシアからの歴史と教訓

          本稿は、インドネシアにおける近年の違法伐採に関する歴史を概観することで、いくつかの教訓を提示する。1999年から2000年にかけ、さまざまな報告の中で、インドネシアにおける違法伐採の重要性と、そういった活動による自然環境や天然資源管理、社会、経済への甚大な影響力が指摘されてきた。EIA-TELAPAKの報告とビデオ、「最後の伐採」とその補足報告は、2002年のインドネシア政府による木材輸出禁止の再履行や、絶滅危惧野生動植物・国際売買協定にある熱帯樹木のリスト化といった重要な諸成果を引き起こしつつ、インドネシアにおける違法伐採に対する国際的なキャンペーンを促した。スコットランドら(1999)は、1999年の違法伐採量を5700万平方メートルだと見積もり、前年度と比べ1600万平方メートル増加しているとした。ウォルトン(2000)は、森林伐採率(270万ヘクタール/年)を見積もり、10年以内にスラウェシ、スマトラ、カリマンタンの低地林が消失すると予測した。社会・経済への影響では、政府が違法伐採量を引き下げようとすると、木材産業の多額の負債、外国援助と同等の機会費用の喪失(約60億ドル)、失業問題(2千万人に直接・間接的な影響を与えた)などが浮上し、その結果として社会不安が生じるだろう。 インドネシア林業省での著者の経験から得られた教訓は以下のようなものである。違法伐採は民主化や地方分権化への急激な変化の間に増加してきており、現在の法整備や、人的資源、中央と地方との交信などについても疑問が残る。インドネシアの問題は、特殊なものではない。そうした教訓は中国、ブラジル、ロシア、アフリカ諸国でも共有している。違法伐採は単純な問題ではない。これは森林の統合と木材産業政策から生じた利益をめぐる問題なのである。最後に、対案としては、利益受給者間の協力や政策立案の中で科学的知見を効果的に用いて、すばやく現地から中央や国際レベルにまで展開することである。 佐藤雄一 Read the full unabridged article by Yuichi Sato (in English) HERE Kyoto Review of Southeast Asia. Issue 2 (October 2002). Disaster and Rehabilitation

Issue 2: Disaster and Rehabilitation Oct. 2002

ベトナムの自然保護区における管理とジェンダー

         ベトナム政府は、自然保護区の設置や地域住民の利益を配慮することで、環境劣化や地方の貧困問題に取り組んでいる。しかし、こうした政策はしばし紛争を引き起こし、性差による不平等を生み出してきた。ビン・チャウ・フック・ブー保護区のキン族部落と、コン・カー・キン保護区のバナー族部落という、二つの自然保護区に位置する地方自治体の事例から、土地や技術訓練、借入金、天然資源への男女間のアクセスの差異、性差が地域や家族内の意思決定に及ぼす役割などを紹介したい。 1993年土地法は、土地配分において差別が生じないよう規定している。しかし、先のキン族部落では、土地所有者名義の80%が男性であった。バナー族部落では、土地証書自体がなく、自発的な国内移住の増加にともない、違法な土地売買が生じている。両部落では、夫が妻の同意なく家族の土地を売りにだしてしまっていた。 伝統的な自給作物から商品作物栽培への移行や、水稲耕作の導入により、訓練や資本を必要とする新しい栽培技術が必要となった。技術指導プログラムは、男性に対して行われており、女性は情報や制度的なネットワークの欠如、低識字率、男性優位の意識によって脇へと追いやられてきた。バナー族の事例では、言葉の障壁が大きな問題であった。女性が借入金を得ることも難しかった。銀行による小規模借入金プログラムは、縁者がいることや、ある程度の教育を受けていることが前提となっている。また、女性同盟の小規模借入金プログラムは硬直状態にある。 米の生産性は貧弱な土地のため低く、男性はわずかな賃金を求めて出稼ぎに出ることになる。労働機会のない女性は、環境劣化や保護政策の推進により減少してしまった森林資源の採集に労働を集中させることになる。家計維持の分野で周辺化されてしまった貧しい女性は、天然資源の減少に対して有効な対応策をもっていない。こうしたさまざまな要因が、家族や地域での意思決定における女性の立場に制限を与えてしまっている。 政策決定者は、自然保護区の保護には性差に対する認識が不可避であることを自認し、土地や資源に対する男女間の不平等を是正しなければならない。土地法は、共同所有者としての女性を登記するよう改正されねばならない。また、女性に対する借入金や、技術訓練プログラムも必要となる。さらに地方行政は、女性住民の知識や能力を生かした組織改革を行う必要がある。 Tuong Vi Pham Read the full unabridged article (in English) HERE Kyoto Review of Southeast Asia. Issue 2 (October 2002). Disaster and Rehabilitation  

Issue 2: Disaster and Rehabilitation Oct. 2002

持続可能なマングローブ林管理は可能なのか?

         本論は、ベトナムのマングローブ林を対象に実施されている地域主導型資源管理の制度的潜在性に関する論考である。地域主導型資源管理は、国際的な注目を集め盛んに議論が行われているが、ベトナムで広範に実施されているわけではない。このシステムの目的は、国家組織や合作社、1980年以降は世帯レベルの集中的資源管理にある。本論では、国有化や私有化という観点からではなく、資源枯渇や乱獲という面から議論を進めたい。 ここでは事例として、ナムディン省ザオトゥイ県ザオラック村でのマングローブ林管理をとりあげる。植民地期を通じて、地域住民による資源利用は公的な規制がなかったにも関わらず持続性をもっていた。集団化が進んだ時代(1956-1975年)、県の行政府は堤防の保護という目的でマングローブ林を管理していた。地域住民はマングローブ林の使用を禁止されたため、資源へのアクセスは不正利用になってしまった。1980年代のドイモイ政策は経済機会を広げ、それがマングローブの破壊を引き起こした。資本や管理技術、政治力をもつ者は、マングローブ林から生み出される資源(特に養殖によるエビやカニ)から利益を得るようになった。貧困層の人々は、稲作以外の副業として重要な様々な資源を失い、ほとんど利益を得ることができなかった。ドイモイ政策の結果として、低収入層や寡婦世帯は特に村の中で取り残されることになった。 環境保護や生活向上に向けた外国のNGOによるプロジェクトですら、上述のような状況を生み出した。このプロジェクトは、村を囲むマングローブ林の再生を目的としていた。村では2005年のプロジェクト終了を控え、社会的平等や生産性、持続性を考慮した管理システムを考えねばならない状態にある。こうした問題への対案の一つとしては、資金不足にある既存の社会組織や貯蓄組合への資金供出を募ることである。もう少し大きな全体案としては、国家と個人、共同体がそれぞれ協調すること、すなわちザオラック村の場合だと、国家機関が堤防を、各世帯がエビ池を、共同体がエビ池の内側や周辺にあるマングローブ林を管理することである。 Le Thi Van Hue Read the full unabridged article (in English) HERE  Kyoto Review of Southeast Asia. Issue 2 (October 2002). Disaster and Rehabilitation  

Issue 2: Disaster and Rehabilitation Oct. 2002

ベトナムのエコツーリズム:その潜在性と現実

         ベトナムは、世界第16位の生物多様性をほこる国であり、植物種は13000種、動物種は15000種を数え、これは全世界に分布する生物種の6.3%に及んでいる。生態系の広がりや、市場経済の導入などによって、ベトナムがエコツーリズムに最適な場所であることは間違いない。政府はエコツーリズムを経済発展の先鋒だと位置づけており、実際にここ10年でベトナムに訪れた観光客は7倍に増加している。エコツアーの参加者は、外国観光客の30%、国内観光客の50%にまで達している。エコツーリズムは環境への負荷やインフラへの投資も低くすみ、自然環境や文化に対する教育的役割ももっている。 エコツーリズムの潜在的な対象地域としては海岸生態系、石灰岩質の山々、国立公園、自然保護区や果樹園などがある。そうした地域のほとんどが、景観のみならず、ベトナムの多様な文化をみせてくれる場所である。少数民族は潜在的なエコツーリズム対象地に居住しており、そこは伝統的祝祭、土地利用慣習、食慣行、伝統的生活様式、手工業、史跡の宝庫である。 こうした潜在性にも関わらず、本論では、ベトナムにおけるエコツーリズムの理念性の欠如をいくつかの事例から明らかにする。国家による自然保護区への投資と外国投資家によるホテルやレストランへの投資は順調に進んでいるにも関わらず、環境についての専門的知識をもつツアーガイドやスタッフの育成、つまり人的資源の開発は遅れている。観光はいまだ自由・無規制に行われ環境の悪化を招いている。地域住民やかれらの文化的アイデンティティ、伝統的慣習はエコツーリズムから排除され、経済的な利益も地域には還元されていない。結局、観光マネイジメントや政策は、国家的な戦略の欠如によって政府諸機関の中で分散化されてしまっている。 壊れやすい環境や固有文化の保護、環境アセスメント、運送能力の調査、エコツーリズムの知識をもったスタッフの育成、地域住民の雇用をかんがみながら、地域住民の収入につながる活動と保護活動の双方を視野にいれた関係諸機関の協調がエコツーリズムの発展につながるのである。 Phan Nguyen Hong, Quan Thi Quynh Dao, Le Kim Thoa Phan Nguyen Hong, Quan Thi Quynh Dao and Le Kim Thoa work at the Mangrove Ecosystem Research Division, Centre for […]

Issue 2: Disaster and Rehabilitation Oct. 2002

タイにおける自然保護の政治学

         本論は「自然保護」というものがタイにおいて自然景観に対する国家介在の産物であること、森林が国家の近代化にとって重要であることについて議論したものである。タイは近代化の渦中で、北アメリカの自然に対する概念を受け入れたが、結果として「自然保護」と「経済発展」という背反する概念が存在することになった。人間介在のない自然という意味での「保護区」は、「発展」パラダイムの中で資本化が可能な天然資源として組み込まれてゆくようになる。 ビルマから19世紀の英国植民地式の木材伐採が導入され、神秘的で無秩序な領域であり、都市(ムアン)という文明化された領域から隔離されたものとしてあった前近代の森林(パー)に対する認識の組み換えが生じた。すなわち、森林は林業地となり、「自然」は商品価値をもつ「天然資源」へと変わったのである。外国人技師によって導入された森林科学は、無秩序な森林を合理的に整理・配置された木々へと変えた。こうして、タイ国家、特に王立森林局は新しい管理テクノロジー(国家管理によるチーク伐採や空間管理)や鉄道路線の発達を通した中央集権化を推し進めた。 植民地木材伐採がタイの自然を資本として見る視点を形作ったように、植民地後の国際的な諸機関は、先進国から途上国へ発展モデルや国立公園モデルを移転させようとした。民間産業や観光客の求める国立公園は、近代的市民国家・タイのシンボルともなった。行政官や森林専門家、環境保護グループは、国立公園や自然保護区を設立してこれらを保護しようとしてきた。しかしそれは都市に住み、教育を受けた中産階級の人々が求めた美しさや教育、娯楽といったニーズを満たすためであった。 自然を正当に評価するのに必要な公教育は、地方住民や高地部族を国立公園の管理によって排除したり、地域住民の生活と森林の関係を侵害するのに用いられた。「手つかずの自然」という関心の中で、地域住民は保護区から締め出され、共同体としての権利を失った人々は周辺の森林に追い立てられた。こうした地域では、住民が自然林に対する「脅威」であると述べられがちであるが、実は国家と民間産業が自らの関心に従って自由に利用したため生じたのであり、国家自体がその破壊者であったのだ。 Pinkaew Laungaramsri Read the full unabridged article (in English) HERE Kyoto Review of Southeast Asia. Issue 2 (October 2002). Disaster and Rehabilitation

Issue 2: Disaster and Rehabilitation Oct. 2002

混迷するタイでの住民参加型森林管理

         森林は地域社会が生活の糧として長く管理・利用してきた。しかし、中央政府が人々から森林管理を引き取ったことで、地域社会は住民参加の欠如によって苦難をしいられ、森林管理も成功することはなかった。本論では、森林管理への住民参加をめぐる混迷について分析する。 国家政策によって、長く木材コンセッション制と換金可能作物の大規模モノカルチャーが奨励されてきた。上から下への森林管理は国中で深刻な経済・環境荒廃を促した。1990年代まで、東北地域は過剰伐採やゴム、コーヒー、果樹プランテーションへの森林の改変を通して最もひどい荒廃にさらされた。これらのプログラムはまた、地方の少数民族の強制移住や他地域からの不法移住を引き起こした。 1997年に住民参加の重要性が認識されたが、森林政策は政府や私企業だけのものであり、住民参加の広がりはわずかでしかなかった。こうした失敗にはいくつかの理由がある。国家機構は森林管理を、影響力のあるビジネスマン向けの政策(厳格なルールとその履行)、および外交だとみなし、地域の現実を省みることなく中央集権的な政策決定を行った。さらに行政官たちは森林に依存する人々に否定的な態度をとってきた。すなわち、地域住民による森林利用が森林破壊の原因で、彼らは森林の運営方法を理解できないと考えた。政府の理解や委託者の信任が増したことでようやく、行政官たちは共同社会活動に参加したり参加型の政策やプログラム、住民への委託を検討し始めた。 森林経営者たちもまた、森林管理に関する枠組みや戦略、住民参加による方法論に対して無知であった。政府役人や地域住民が共に働く参加型学習が奨励されなければならない。最後に、住民が森林運営に参加する誘因が殆どなく、彼らがそれを行っても、適切な利益がないことを指摘しておきたい。実際、上院採択前のコミュニティ林法案ですら、貧しい高地住民を森林の敵だとみなしている。 コミュニティ林業は、森林管理だけではなく広範な変化や地方活性化の手段であり、収入の増加と地方の天然資源管理能力を強化するものである。さらに、意識改革や権利の促進、知識、技術を活用した人的資源の開発に寄与する。そうすることで、中央政府と地域社会との間で意思決定のバランスをはかることができるだろう。 Pearmsak Makarabhirom Read the full unabridged version of the article (in English) HERE Kyoto Review of Southeast Asia. Issue 2 (October 2002). Disaster and Rehabilitation

Issue 1 Mar. 2002

タイ政治の地方化

Pasuk Pongpaichi and Sungsidh Piriyarangsan Corruption and Democracy in Thailand (タイにおける腐敗と民主主義) Chiang Mai / Silkworm Books / 1994 Ruth McVey, editor Money and Power in Provincial Thailand (タイの地方における金と権力) Honolulu / University of Hawaii Press / […]

Issue 1 Mar. 2002

「改革」を書く

Amir Muhammad “Perforated Sheets,” (穴あけ式投票用紙) 新聞コラム  Kuala Lumpur / New Straits Times / 2 September 1998 – 3 February 1999 Sabri Zain Face Off: A Malaysian Reformasi Diary (1998–99) (対決―あるマレーシア人の改革日記―) Singapore / Options Publications / 2000 Shahnon Ahmad […]

Issue 1 Mar. 2002

実力者と国家について

John T. Sidel Capital, Coercion and Crime: Bossism in the Philippines (資本・強制・犯罪―フィリピンのボッシズム) Stanford, U.S.A. / Stanford University Press/ 1999 Patricio N. Abinales Making Mindanao: Cotabato and Davao in the Formation of the Philippine Nation-State (ミンダナオ創出―フィリピン国民国家形成におけるコタバトとダバオ)  […]

Issue 1 Mar. 2002

スハルト新秩序体制下のインドネシアに関する政治経済学研究

Farchan Bulkin  “State and Society: Indonesian Politics Under the New Order, 1966-1978”  (国家と社会:新秩序体制下のインドネシア政治1966-1978) PhD dissertation / University of Washington / 1983  Mochtar Mas’Oed  Ekonomi dan Struktur Politik Orde Baru 1966-71  (新秩序体制の経済と政治構造1966‐71)  Jakarta / LP3ES / […]