Issue 28

A new round of negotiations in Thailand’s far South

On 20 January 2020, Thai negotiators and members of the Barisan Revolusi Nasional (BRN), the separatist movement that controls virtually all of the combatants in Thailand’s Muslim-majority, Malay-speaking south, joined in Kuala Lumpur, Malaysia, to […]

Issue 28

Putaran Baru Perundingan di Ujung Selatan Thailand

Pada 20 Januari 2020, perunding Thailand dan anggota Barisan Revolusi Nasional (BRN), gerakan separatis yang mengendalikan hampir semua pejuang di wilayah mayoritas Muslim, wilayah selatan yang berbahasa Melayu, bertemu di Kuala Lumpur, Malaysia, untuk mengumumkan […]

Issue 28

การเจรจารอบใหม่ในประเด็นชายแดนภาคใต้ของประเทศไทย

เมื่อวันที่ 20 มกราคม 2563  คณะพูดคุยฝ่ายไทยกับสมาชิกของขบวนการแนวร่วมปฏิวัติแห่งชาติมลายูปาตานีหรือบีอาร์เอ็น (Barisan Revolusi Nasional—BRN) ซึ่งเป็นขบวนการแบ่งแยกดินแดนที่มีอำนาจควบคุมนักรบทั้งหมดในกลุ่มจังหวัดชายแดนภาคใต้ที่มีประชากรส่วนใหญ่เป็นชาวมุสลิมพูดภาษามลายู  ทั้งสองฝ่ายนัดพบกันในกรุงกัวลาลัมเปอร์ ประเทศมาเลเซีย เพื่อประกาศว่าจะเริ่มต้นการเจรจาสันติภาพ ซึ่งเป็นสิ่งที่หลายฝ่ายตั้งตารอกันมาเนิ่นนานแล้ว  ตามคำกล่าวของเจ้าหน้าที่ฝ่ายไทยและบีอาร์เอ็น การริเริ่มกระบวนการสันติภาพครั้งล่าสุดนี้เป็นครั้งแรกที่สภาองค์กรนำของบีอาร์เอ็น ซึ่งไม่เคยเปิดเผยตัวมาก่อน แต่เป็นที่รู้จักกันในชื่อ Dewan Pimpinan Parti (DPP) ให้การสนับสนุนอย่างเต็มที่ในการส่งคณะเจรจามาร่วมโต๊ะพูดคุย  เรื่องที่ยอมรับกันเป็นการเบื้องต้นก็คือ ทั้งสองฝ่ายไปพบปะกันเพื่อแสวงหาทางออกทางการเมืองให้แก่ความขัดแย้งยากคลี่คลายนี้  ความขัดแย้งในจังหวัดชายแดนภาคใต้ของประเทศไทยที่ประชากรพูดภาษามลายูปะทุขึ้นมาในปลายปี 2544  แต่ยังไม่มีการยอมรับอย่างเป็นทางการจนกระทั่งวันที่ 4 มกราคม 2547 เมื่อนักรบติดอาวุธกลุ่มใหญ่บุกค่ายทหารในจังหวัดนราธิวาสและปล้นอาวุธสงครามออกไปมากกว่า 350 ชิ้น  คลื่นความขัดแย้งก่อนหน้านี้เคยผุดให้เห็นเมื่อต้นทศวรรษ 1960 […]

Issue 28

タイ最南部での新たな交渉

2020年1月20日、タイの交渉人とパッタニ・マレー民族革命戦線(BRN/the Barisan Revolusi Nasional)のメンバーが、マレーシアのクアラルンプールで接触し、待ち望まれた和平交渉を開始したと発表した。BRNはムスリムが大多数を占めるマレー語圏のタイ南部で、事実上、全戦闘員を指揮する分離独立運動だ。タイとBRNの関係筋によると、今回の最新の和平イニシアチブは、DPP(the Dewan Pimpinan Parti)の名で知られたBRNの秘密主義的な評議会が、彼らの交渉人が対話のテーブルにつく事を初めて賛意をもって承認したものであった。双方はこの場に臨み、解決困難な紛争の政治的解決策を探るものと見られた。マレー語圏のタイ南部で紛争が再浮上したのは2001年の後半だが、これが公式に認められるようになったのは、2004年1月4日に大勢の武装勢力がナラティワート県の陸軍砲兵大隊本部を急襲し、350点以上もの武器を略奪した後の事だ。それ以前では、1960年代初頭にパッタニ・マレー系住民の民族的・宗教的アイデンティティを顧みないタイの同化政策への反応として、紛争の波が生じた事がある。武力抗争が徐々に下火となったのは、1980年代後半だが、パッタニは史実に基づくマレー人の故郷で、タイ軍とタイ政府当局は外国の占領軍だというナラティブが消える事は無かった。 だが、2020年1月20日は、タイがBRNとの交渉の場に赴き、交渉による紛争解決を公式に発表した最初の日ではなかった。元首相のインラック・シナワトラの政権も、2013年2月28日に、やはりクアラルンプールで、同様のイニシアチブを開始させている。この発表は、主要な利害関係者全員の不意を突いたものだった。その利害関係者にはBRNとタイ軍も含まれていた。BRNは最終的には代表団を交渉の場に送り、元外交長官のムハンマド・アダム・ヌール(Muhammed Adam Nur)と、BRNの青年組織メンバーのアブドゥルカリーム・カリード(Abdulkarim Khalid)がこの代表を務めた。だが、彼らの任務はプロセスの阻止であり、彼らがこれを成し遂げた2013年最終四半期には、インラックが、いわゆるバンコク・シャットダウンの街頭デモをうけ、自身の政治生命をかけて議会を解散する事態となった。このデモが、彼女を失脚させた2014年5月の軍事クーデターに道筋をつけたのだ。たとえ、インラックのイニシアチブが欺瞞と賭けの中間にあったとしても、これは最南部の地元住民を大いに刺激し、期待させた。何と言っても、タイ政府が紛争を政治的に解決する決意を初めて公に示した機会だったのだ。残念な事に、昔から係争が続くこの地域の平和は、この動きの主な動機ではなかった。インラックと元マレーシア首相のナジブ・ラザクが、より関心を寄せていたのは和平イニシアチブによる政治的利益をかき集める事だったのだ。 2014年5月のクーデター後に、インラックが始めた取り組みを続けるかどうかが、何度か真剣に議論された。クーデターの背後に存在するタイ上層部の国家平和秩序評議会(NCPO/The National Council for Peace and Order )は、この会談にも、そもそもの始めからも関与していなかった。だが、軍政は会談の続行を決定し、その条件に、この会談が公平な参画の下で行われる事を挙げた。つまり、BRNやパッタニ統一開放機構(PULO/all Patani United Liberation Organisation)の全派閥、それにパッタニ・イスラム・ムジャヒディン運動(GMIP/ Gerakan Mujahidine Islam Patani)、パッタニ・イスラム解放戦線(BIPP/ Barisan Islam Pembebasan Pattani)など、パッタニ・マレー分離独立主義の全グループが一同に会し、各々の紛争をタイ国家と交渉する必要があるというわけだ。プラユット政権とタイ上層部の人間は、パッタニ・マレー反政府勢力との対話のために「自らを彼らと対等な立場におとしめる」、という考えそのものに苛立ち、公平な参画を要求したのである。会談にけりをつけて、これで最後にしたい、というのが彼らの姿勢だった。クーデターから7カ月後の2014年12月、プラユット・チャンオチャ首相はクアラルンプールへ行って、新たに交渉責任者として指名されたアクサラ・ケルドフォル司令官(Gen. Aksara Kherdphol)を紹介した。彼は、マレーシアの元国家情報部顧問で、和平プロセスのファシリテーターに指名されたダト・スリ・アフマッド・ザムザミン・ビン・ハシム(Dato Sri Ahmad […]