近年、インドネシアにおいて子供や若者の自殺が増加しているといわれる。この現象は1998年に初めて注目を浴びた。国家子供保護委員会(Komisi Nasional Perlindungan Anak, Komnas Anak )は、2012年上半期の報告書において、2012年1月から7月までに子供の自殺が20件あったと報告している。アリスト・ムルデカ・シレイト(Arist Merdeka Sirait)同委員会会長は、この20件の自殺について、その主な原因が、失恋(8件)、経済的問題(7件)、家庭内不和(4件)、学校での問題(1件)であったと述べた。また、20件のうち最も若い自殺者の年齢は13才であった。
自殺に関する全国的な統計はないが、2012年前半までの傾向をみると、子供や若者の自殺は、2012年末までに全国的にさらに増えるかもしれない。こうした多くの子供や若者たちの自殺は、実に痛ましい問題である。インドネシアの子供や若者の世界では一体何が起きているのだろうか。インドネシアで子供や若者の自殺が増えている原因は何であろうか。なぜ彼・彼女らは自殺を決意したのだろうか。これらの問いに答えるためには、より深い考察が必要であるが、本稿ではインドネシアの地方文化に焦点を当て、ジョグジャカルタ州グヌンキドゥル県にみられる文化的背景から子供や若者の自殺という現象について考えてみたい。
プルンガントン
ジョグジャカルタ州グヌンキドゥル県は、インドネシアにおいて子供や若者の自殺が最も多い地域として知られている。過去5年間の統計をみると、確かに自殺件数はかなり多い。地元の警察によれば、2011年における子供や若者による自殺の件数は28件であった。また、専門家間対話フォーラム(Wahana Komunikasi Lintas Spesialis)によると、グヌンキドゥル県における自殺の割合は10万人に9人である。ちなみに首都ジャカルタにおける自殺の割合は10万人に1.2人である。
グヌンキドゥル県には、「プルンガントン」とよばれる、この地方特有の概念がある。この概念は、人が自殺をする理由に関する民間信仰に由来している。この信仰によると、人は夜、空から「pulung」あるいは「wahyu」とよばれる星がふってきたと感じて自殺をするのである。「pulung」は彗星のような尾を持つ丸い光のかたまりであり、黄みを帯びた赤色で、青い光を放っている。この星は、とてつもない速さで自殺をする人の家あるいは家の近くに落ちていく。自殺をする人は首をつって(gantung)自殺することから、この伝承は「pulung gantung(プルンガントン)」と呼ばれるようになった。
「プルンガントゥン」は、誰かが自殺をすると口伝えで広まり、その自殺は自然なものであり、なんら疑う余地がないとして正当化される。しかし、住民たちは、その人が自殺に至る前には大抵何か解決のできない個人的な悩みや問題があったのだという事実を否定することはない。そうした問題は、大抵は住民たちの間で周知されている。個人的な問題には、例えば、不治の病、借金苦、進路問題、失恋などがある。
この信仰は、例えば、次の事例にもみることができる。2011年12月24日、シシリア・プトリ(Cicilia Putri)という15才の女子中学生が首をつって自殺をした。住民たちは、彼女が自殺をする数日前に、彼女の家の周辺に丸い光が尾を引いて空から落ちてきたと信じていた。しかし、西ジャワ州バンドンに住む彼女の両親は、彼女が彼氏にふられたために自殺をしたのではないかと考えている。
グヌンキドゥル県の「プルンガントン」信仰は、運命を自然に起きたこととして受け入れる文化が形成される過程の一部を示したものといえる。こうした自殺は周辺住民の間で、すでに再生産された知識となっており、理性や感情を抑えることぐらいでは解決できなくなった日々の問題をどうやって解決するかを教えてくれる「教材」になっている。
人生の意味をめぐる危機と国家政治
すでに多くのメディアで語られているように、インドネシアにおいて自殺は単に経済的な問題を理由に起きるわけではない。また自殺者の家族的背景が、経済的に困窮した家庭や教育レベルの低い家庭、または農村家庭であるとは限らない。子供や若者の自殺は大都市でも起きており、また、比較的裕福な家庭や教育レベルの高い家庭の子供たちにも見られる。経済的状況や教育レベルによって、人がストレスから解放されたり、人生における問題を理性的に解決することができるという保証はない。
グヌンキドゥル県の例は、自殺の動機に経済的問題があると読み取ることもできるが、上述したように経済的問題がない子供や若者の自殺の場合は異なる意味合いをもっている。つまり、子供や若者は何か問題に直面したときに、理性や感情のコントロールでは越えられない複雑な現実を目の当たりにし、問題の解決法として近道を選んでしまうのである。
こうした自殺の意味合いは、インドネシアにおける1998年以降の社会・政治的変化の文脈の中で、より一層大きくなっている。権力闘争に明け暮れる地方行政官は、子供や若者の問題に注意を払わなくなっていた。また、本来子供の成長と想像力を養う重要な役割をもつ家族は、今日さまざまな問題に直面している。父親や母親は、政治闘争や人間関係の希薄化など社会生活における複雑な問題に対処するのに忙しく、子供と一緒にいる機会をもてないでいる。21世紀におけるインドネシアの課題は、子供たちの理性や感情の成長発育にとって最適な状態と空間をどう提供していくかにある。
Abdur Rozaki
Kyoto Review of Southeast Asia. Issue 12 (September 2012). The Living and the Dead