Issue 28 Sept. 2020

รายการสุดท้ายในบัญชีหางว่าวของการเริ่มต้นผิดพลาด? ความริเริ่มมาราปาตานีเพื่อแก้ปัญหาชายแดนภาคใต้ของประเทศไทย (2558-2562)

ในบทความนี้ ผู้เขียนต้องการเสนอข้อคิดเห็นว่า ถึงแม้มีความแตกต่างในบางแง่มุม แต่การเจรจาสันติภาพระหว่างคณะตัวแทนผู้ก่อความไม่สงบกับรัฐไทยระหว่างปี 2558-2562 มีจุดอ่อนข้อผิดพลาดซ้ำรอยเดิมกับความพยายามผลักดันการเจรจาสันติภาพครั้งผ่านๆ มาในปัญหาสามจังหวัดชายแดนภาคใต้ (2549-2557)  ผู้เขียนต้องการชี้ให้เห็นด้วยว่า ความริเริ่มมาราปาตานีคือครั้งล่าสุดของการเริ่มต้นผิดพลาดซึ่งมีบัญชียาวเหยียดเป็นหางว่าวในการสร้างกระบวนการสันติภาพที่น่าเชื่อถือเพื่อแก้ปัญหาภาคใต้นับตั้งแต่ความขัดแย้งปะทุขึ้นในปี 2547 การรัฐประหารของกองทัพในปี 2557 คือการเปิดฉากยุคสมัยการปกครองแบบอำนาจนิยมครั้งใหม่สำหรับประเทศไทย  ถึงแม้การเลือกตั้งปี 2562 เราจะได้เห็นการเกิดขึ้นของพรรคอนาคตใหม่ ซึ่งกลายเป็นศูนย์กลางใหม่ในการต่อสู้คัดง้างกับอำนาจกองทัพ แต่พรรคก็ถูกยุบไปแล้ว  ภาพโดยรวมนับตั้งแต่ปี 2557 เป็นต้นมา ดูเหมือนประเทศไทยตกอยู่ในวงโคจรของการค้ำจุนอำนาจทหารไว้หรือกระทั่งเพิ่มบทบาทของกองทัพในการบริหารประเทศ  นับตั้งแต่ปี 2557 ระดับความรุนแรงในกลุ่มจังหวัดชายแดนภาคใต้ก็ลดลงอย่างต่อเนื่อง  จำนวนผู้บาดเจ็บล้มตายและเหตุรุนแรงลดลงอย่างต่อเนื่องในทุกปีที่ผ่านไป  นักวิเคราะห์หลายคน ทั้งนักวิชาการที่คร่ำหวอดและนักวิชาการรุ่นใหม่ พยายามอธิบายปรากฏการณ์ที่ความรุนแรงลดลง  กระนั้นก็ตาม โดยรวมแล้วยังไม่มีคำอธิบายที่น่าพอใจหรือสมบูรณ์เนื่องจากเหตุผลหลายประการที่จะลำดับให้เห็นในอีกบทความหนึ่ง  ในปี 2556 ความขัดแย้งในภาคใต้มีผู้บาดเจ็บล้มตาย […]

Issue 28 Sept. 2020

開始時点で失敗した最後の事例?タイ南部のMARAイニシアチブ(2015-2019)

本論で提示する議論は、武装勢力代表とタイ国家の2015年から2019年にかけての和平交渉が、いくつかの点で異なるにせよ、南部各県のそれ以前の和平交渉の試み(2006-2014)と同じ欠点のために難航したというものだ。2004年に紛争が始まって以来、南部の確かな和平プロセスの構築において、MARAイニシアチブが出だしの失敗を伴った最後の事例である事も論じよう。 2014年の軍事クーデターは、タイに独裁的統治という新時代の到来を告げた。 2019年選挙では、新未来党(The Future Forward Party)という、軍部優位に対する新たな反対拠点の台頭も見られたが、その後、同党は活動を禁止されている。概して2014年以降、タイは軍部優位を維持する、あるいは、国家運営における陸軍の役割を拡大させる方向にすら向かっている様子だ。2014年以来、南部各県での暴力事件の発生率は着実に減少しつつあり、死者数や暴力事件数は、年々低下し続けている。古参の学者も若い学者も、アナリストたちは、この減少について幾らか説明を試みているが、概して、納得のいく完璧な説明はまだ出て来ていない。その理由については、また別の文献で概要を述べる。2013年には南部紛争で574名の死者が観測されたが、2019年に同紛争で生じた死者は174名だ。 2015年から2019年にかけて、タイ国家が数多くの会談を行ったMARA(Majlis Syura Patani)は、かつての紛争(1960-1990)のメンバーが高齢化した元武装勢力の連合体で、その会談には現地で活動する武装勢力を統制する効果がほとんど、あるいは全く無い事が広く知られている。現地で活動する武装勢力は(現)パッタニ・マレー民族革命戦線(BRN/Barisan Revolusi Nasional)によって召集され、洗脳され、訓練された者達である。BRNは急進的な分離独立主義組織で、2000年代初期から残忍な暴力的作戦を実行している。 現BRNは事実上、ヤラー旧市場地区の組織として、1990年代半ばに始まった。 結局、MARAは数々の失敗したイニシアチブの最新事例となった。この失敗事例の第一番はランカウイ会談だ。2005年後半から2006年初頭にかけ、タイ官僚と以前の紛争の武装勢力のメンバーとの会談が、マレーシアの物議を醸すマハティール・モハマド首相によって召集され、ランカウイ島で開かれた。以前の紛争の武装勢力が出した提案は無難なものだったが、当時のタクシン政権は反政府街頭デモに気を取られ、これに取り合わなかった。タクシンを失脚させた2006年クーデターの3日前、武装勢力はハジャイ(Hat Yai)にある多数のデパートを爆破して、和平イニシアチブに対する反意を表明したが、これは同じ日に和平集会が予定されていた場所だった。 2008年にはインドネシアのボゴールで、ソムチャーイ政権の代表と、様々な武装勢力グループの代表の間で秘密裏の会談が開かれた。だが、この会談は間もなくタイ軍部の有力者による激しい批判を受け、断念された。2010年には、イスラム協力機構(OIC/the Organisation for Islamic Cooperation)が南部のムスリムに自分たち自身の政治運動を組織するよう提案し、分離独立派とタイ国家との会談を設ける手助けを申し出た。この提案を批判し、拒否したのは、アピシット政権とタイ軍で、彼らはタイの政治と保安の両機構が内政問題と見なす事柄に、部外者が関与する事を一切許さなかったのだ。 ヨーロッパのNGOの調停により、2006年から2011年にかけて、国家安全保障会議(NSC/the National Security Council)と武装勢力との間で断続的な会談が行われた。これらは「ジュネーブ・プロセス(‘Geneva process’)」と呼ばれるもので、会談はタイ貢献党(Pheu Thai)政権が権力を握る2011年まで続いた。結局、これらの会談には成果がない事が判明した。武装勢力代表団のスポークスマンで、現地戦闘員の70%以上を指揮すると豪語したカストゥリ・マフコタ(Kasturi Mahkota)は、2010年の夏にナラティワートの3地区の停戦合意を取りつけた。この停戦合意の発表後も攻撃は続き、間もなく、カストゥリが自身の影響力の度合いを完全に誇張していた事が明らかとなった。 同様の「停戦」は、2008年7月にも軍部から発表されている。 2013年2月、クアラルンプールで「和平対話プロセスに関する合意書(General Consensus on Peace Dialogue Process)」が、BRN下級メンバーのハサン・タイブ(Hassan Taib)とタイ国軍代表のパラドン・パッタナターブット(Paradorn Pattanatabut)中将によって署名された。これに続く半年間には、クアラルンプールで数多くの会合が開かれた。このクアラルンプール会談は、以前のイニシアチブとは幾らか異なり、タイ首相の支持の下、公共の場で開催されたし、BRNもこのプロセスの期間中は絶えずYouTubeを通じて、数々の公式声明を発表していた。これらの会談は、2013年のラマダーン中に両者の間で停戦の試みが失敗した後に決裂した。 […]