Issue 14 Sept. 2014

A “Three Insecurities Perspective” for the Changing Myanmar

Maung Zarni, a research fellow at the London School of Economics, argues that the best way to look at the current changes in Myanmar is through his “Three Insecurity Paradigms”, namely, national security, global security and human security. Zarni denounces the Thein Sein reforms as crude responses to the regime’s own needs and to the expectation of the world, with little account for the security of ordinary Myanmar people. […]

Issue 14 Sept. 2014

変貌するミャンマーの「三つの不安に関する展望」

変貌するミャンマーの「三つの不安に関する展望」  ミャンマーの過去三年間の変化は、実に目のくらむようなものであった。この三年間の事態の展開をざっと見れば、この国の変遷の真偽に疑念を抱く者を、誰でも説得する事ができるだろう。しかし問題は、この変遷がどこへ向かっているのか、そしてこの変遷をどのように理解する事が最良であるかという点だ。 ミャンマーへの訪問後、二人の世界のトップレベルの民主化研究者であるThomas CarothersとLarry Diamondは、似たような結論に至った。すなわち、ネピドーの「民主主義」の目標、定義と手段は、代議政治の本質と相容れぬものであるという事だ。Carothersはミャンマーの諸改革を、暴力に満ちたアラブの春の十年前に、アラブ指導部が行ったトップダウン式の諸改革に喩えている。彼自身の言葉によると、「アラブ諸政府が講じた手段は、民主化のための改革ではなく、むしろ慎重に制限された取り組みであり、国民の政権に対する不満を緩和させる事で、真の民主化の可能性を確実に阻止するために考え出されたものであった」。 Diamondはさらに率直であった。「思うに、この推移はまだ極めて初期の段階にあり、現時点で何をしても選挙制民主主義がこの結果として生じるのか、故意の結果なのかは判然としない」。 しかしなぜ国際社会は、退役・現役の将校たちに寄り添い、国民や改革、民主主義への移行という名目で、ネピドーに何億ドルにも相当する「包括的援助」を惜しみなく与えるのか。これら世界からの改革主義者たちへの称賛の言葉や支援が、同時にロヒンギャ族の民族浄化や人道犯罪、「ネオ・ナチ仏教運動」による反ムスリムの集団暴行、カチン紛争の難民急増、そして広く報じられるネピドーの共謀と罪を大きくしているのではないのだろうか。 率直な答えは「グローバル資本主義」である。ミャンマーの将校たちは、外部の援助で、国家の不振にあえぐ政治経済を自由市場路線に沿って変革する事を、新興の利潤性の高いフロンティア経済へのアクセスと引き換えに合意したのである。しかし特筆すべき事実は、自由主義西洋的ミャンマーの全面再起は、所々にわずかな譲歩がある事よりも、ネピドーの存続期間に大きく依存しているという事である。  事実、典型的なグローバル資本家たちの目から見たミャンマーは、何よりも「資源の売春宿」であり、最も活気ある「フロンティア市場」であり、興亡する大国の永遠に続くかのようなゲームにおける、銘々の「大戦略」の戦略基軸なのである。「市場」及び「資源と労働力の源」としての人間社会という見方は、地球上の土地と資源と労働力を有する全ての国にとって、何百年も前に科学技術によって大規模な資本主義的変革が引き起こされて以来、むしろ根強い見方となっている。 ネピドーでの2013年6月の世界経済フォーラムにまで話を進めよう。これはエリート主導の「民主主義」、巧みな「市民社会」、社会的責任のある企業が支える「自由市場」についてのものであった。だが基本的に、ミャンマーに対する国際政策は、世界にほとんど残されていない最後のフロンティア市場の一つから、最大の利益を引き出すために考えられたものである。ちなみに、もう一つのフロンティア市場は北朝鮮である。 今年6月には、マデレーン・オルブライト元米国務長官が、ヤンゴンの式典でコーラを直接大きなペットボトルから飲む姿が見られた。ヤンゴンは彼女のコンサルタント会社、オルブライト・ストーンブリッジの法人顧客の一つであるコカ・コーラが、ミャンマーで最初にボトリング工場を創業した場所である。全米民主研究所の議長であるオルブライトがミャンマーにいた事については、民主主義や異なる宗教の並立を推進し、さらには「これまで一口も飲んだことのない人」にコーラの正しい飲み方を伝えるためであったと報じられた。しかし、これはアメリカ人に限られた事ではない。 ロヒンギャ族やその他ムスリムたちに対するポグロムが展開され、さらには当局の上層部がこれに連座していた事が確認される中、イスラム国家のカタールは一切ためらいもせず、数十億ドル規模のミャンマーにおける電気通信契約をノルウェーと共同で獲得し、これに応じたのである。実にオスロの公式和平調停の関係者たちが、2012年ノーベル平和賞候補であったテイン・セイン大統領から、国営テレノールにかなり利潤の高い電話契約を取り付けたその一方では、カチン族、カレン族、シャン族、カレンニ族とモン族が、なおもオスロの和平調停の良き結果を待っていたのである。 平和の前に電話を!平和のためにテレノールを! もしカール・マルクスが生きていれば、彼はミャンマーが経験している一連の変化、即ち、蔓延する土地の争奪、その結果としての経済転換、ワーキングプア、ひどい労働条件、強制移住、暴力的対立、技術輸入、新様式や新たなラインの製品づくり、資本注入、巨大開発計画などについて、彼が「本源的蓄積」と呼んだ非情なプロセスを通じた収益性の低い現金主義経済と定義した事であろう。 ここで提案するのは、ミャンマーに対する新たな解釈の方法であり、ミャンマー研究が東洋学者たちになおざりにされてきた理由を批判的に考察するものである。また、東南アジア研究のためにVictor Liebermanが論じてきたブローデル的アプローチの再検討と更新を行う。 我々は唯一最も重大で進行中の世界的なプロセス、つまりはフロンティア市場としてのミャンマーの資本主義的変遷に焦点を絞る必要がある。なぜなら、このプロセスこそは、他のどの要素よりも、我々の研究対象となる国民や我々の研究そのものの両方に影響を及ぼすものであるからだ。この目のくらむような変化の数々を、最も経験的に検証、説明するのに相応しいと思われる展望は、ここで「三つの不安に関する展望」と名付けられた安全に関する展望であり、つまりは(従来的な)国家的不安、世界的不安、そして人間的不安の事である。 第一に国家的不安とは、単刀直入に言うと、国民国家に対する恒久的な危機感を指す。最もあからさまには「政権の存続」ついての不安である。第二に世界的不安とは、世界の経済や政治の秩序に対する一般的な不安感や無防備感と定義される。したがって、これは世界の政治経済を構成する国民国家の安全の上に成り立つものである。最後に第三の人間的不安とは、「国家や国境の安全とは対照的な、個人や人々の暮らす社会の安全」の欠如を指す。 一言で言うと、提案した「三つの不安に関する展望」は、冷戦終結以来、一般にグローバル化と呼ばれるプロセスの中で、グローバル資本主義が共同体や自然環境、国家政治経済を一つの全体的な総体と成した事について論じるものである。ここで、この安全に関する三つのディスコースが、政策の決定やその実践における優位をめぐって競合する。規定に基づく予測可能な国際秩序を語る一方で、全ての国民国家が戦争のような不測の事態に備えている。内外の大きな危機感に駆られ、アメリカまでもが同盟国や市民、ライバルたちを等しくスパイしている事が、最近のPRISMスキャンダルにも示されている。 これら三つの全てが必ずしも相互排他的であるとは限らないが、難民、国内避難民や失業者などの脆弱性問題は、概して政策の後回しとなる。人々やコミュニティの安全と福利は文字通り、そして比喩的にも、ないがしろにされている。特に、他の二つの国家と世界の不安政体が一丸となって戦略的打算や政治的便宜のために排他的共生関係を形成する場合はそうなる。国家、企業、多国籍機関や国際金融機関の政策や実践が、周辺社会や不特定個人および、その自然居住環境や生計手段へのアクセス、安全、移転や結社の自由などに対し、集合的に損害を与える一因となっているという話をしばしば目にする理由はこれである。 私は提案した「三つの不安に関する展望」が、ミャンマーの国務(やその他の類似した「国家」の事例)を最も良く説明し、この国の客観的に立証し得る現実を反映するものである事を確信している。これはまた、ミャンマーの研究とその内政の両方を、この国が「フロンティア市場」として経験している唯一最も重大なプロセスである資本主義的変遷のコンテキストの中に位置づけるものである。 この不安のプリズムを通して見ると、この国のトップダウン式の民主主義改革は、ミャンマーの民主化というよりも、主として、ミャンマーの国家支配層であるエリートが、グローバリストの資本家勢力とエリート協定を結ぶためのものであり、同時に彼らは独自の社会階級、つまりは軍部の縁故資本主義者へと変貌してゆく。この協定では、国民たちが熱望されたフロンティア市場を開放する事と引き換えに、資本や世界市場、技術に対するノーマライゼーションや受容、適法性やこれらへのアクセスが与えられる。ネピドーはこの国で最も有力な利害関係者である軍部や国家の不安政体にとって望ましく、有利な条件で国を開放している。このプロセスの中では、この国で最も有力な政治家であり、世界的象徴でもあるアウンサンスーチーでさえ、もはやその台本や背景、歌の旋律を操る事もできないグローバル資本主義の舞台に立たされている事に気が付くのである。 今なお進行中であるロヒンギャ族のムスリムに対する民族浄化の事例は、それ自体が三つの不安に関する展望の経験的テスト・ケースとして現れた。悲惨な貧困が広がるにもかかわらず、ラカイン州ではロヒンギャ族が仏教徒のラカイン族と共に暮らしていた。しかし最近では、相次ぐ集団暴行によってこの州が知られるようになった。この地域はミャンマーの新興資本主義経済にとって、戦略的で利潤性の高い地域となったのだ。ここには戦略上重要な深い湾港や農産業の可能性がある肥沃な農地、漁業、数十億ドル規模の経済特区や中国のガスと石油の二重パイプラインの起点がある。 1971年の東西パキスタンの内戦では、西パキスタンの将軍であるTikkaが、軍隊に冷淡な命令を下した。「私の狙いは土地であり、国民ではない」 。やはり冷淡な話で、今度はミャンマー西部であるが、ミャンマーの国家安全政体は、単に土地を再獲得しただけで、そこに(ロヒンギャ族の)国民は含まれていなかったのかもしれない。 ミャンマーの変遷を、この三つの不安に関する展望のもつれた網の中に正しく位置付けない限り、この改革や変化、そして民主化に対する我々の理解は、ネピドーの国家的不安政体や世界的不安政体の資本主義者たちに幇助された民主化に劣らず、生半可なままとなるだろう。 Maung Zarni博士 マラヤ大学 準研究員 ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス 客員研究員 翻訳 吉田千春 Kyoto Review of Southeast Asia. Issue 14 (September […]