Pantayong Pananaw(「我々から我々のために」というパースペクティブ、以下PP)についてのこの小論は、フィリピン社会科学の歴史に大きな影響を及ぼし、論争を呼んだ知的傾向を、予備的に俯瞰することを目的としている。PPは1970年代後半、フィリピン大学においてZeus A. Salazarを中心とするフィリピン人歴史家の「国粋化」運動として始まった。この運動は本来の1950年代から70年代にかけてフィリピン史記述における主要なパラダイムであった初期の親米的伝統と、それに反対する国民主権的伝統、その双方か決別するかたちで形成された。それ以来、PPはしだいに社会科学と人文科学の他の分野においても哲学的、方法論的に影響を及ぼした。PPの実践者は、その文化中心的国粋化運動には当り前のこととして、国語であるフィリピン語をその言語として使用する
この小論はPPを分かりやすく説明することを目的とするものではない。この小論はその代わりPPに関わるいくつかの主要な方法論上の論争を概説し、同時にフィリピンの社会科学における他の「国粋化」傾向に対するその理論的、実践的優位について示したいと思う。その主要な論点の一つは、PPの代表的作品の特徴である圧倒的に文化的(もしくは内向きの)解釈学的方法と他の社会科学方法との位置関係に関わる。「土着主義者」、「本質還元主義者」といったPPへの批判もまた簡潔に考察される。この小論の主要な目的の一つは、いまフィリピンの社会科学の中でおこっている最も重要な「国粋化」傾向のひとつについて、近年どのような議論が行われているか、そしてその水準と複雑さについて、たとえ不完全にではあっても読者に伝えようとすることにある。フィリピンの社会科学とフィリピン「人民」の間にあるラディカルな断絶を国語を使用することによって克服し、対話による相互作用が出来るような別の場を創り出そうとするPPの試みもまた特筆すべきであろう。最後にこの小論は、筆者がフィリピンの文脈の中での社会科学上の実践として、PPのより生き生きとしたより広範な定義を作り出すための提言を示すものである。
Ramon Guillermo
(Translated by Onimaru Takeshi.)
Ramon Guillermo is assistant professor in the Department of Filipino and Philippine Literature, University of the Philippines, Diliman.
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Kyoto Review of Southeast Asia. Issue 3: Nations and Other Stories. March 2003