イスラーム教とヤーウィ語 ―タイ深南部におけるマレー系アイデンティティの表現と推進のための領域

Ajirapa Pienkhuntod

Krabi-Thailand-Muslim-Boys-KRSEA

ファンク(Funk)(2013, p.15)によると、「アイデンティティとは、自己、あるいは集団、それ自身のあり方にまつわる概念だ」。アイデンティティはタイ深南部(パッタニ(Pattani)、ヤラー(Yala)、ナラティワート(Narathiwat)とソンクラー(Songkhla)の一部)において、タイ政府とマレー系武装勢力との長引く紛争の核心に横たわる。これは主要民族のタイ人とマイノリティであるマレー系住民との関係性も形成している。中央政府は長い間、主要民族であるタイ人の国民アイデンティティを推進し、タイ人の典型的な特質として、タイ人のエスニシティやタイ語、タイの歴史や仏教などを強調し、国民統合と強力な国造りを目指してきた(Abuza, 2009; Aphornsuvan, 2006; Chalk, 2008; McCargo, 2008, 2009; Melvin, 2007; NRC, 2006; Pitsuwan, 1982; Storey, 2007, 2008; Yusuf, 2006)。ところが、このようなタイ人的特質の強調は、非タイ人マイノリティ、とりわけタイ南部のマレー系マイノリティの周辺化をもたらした(Kelman, 2004)。この関係性の負の性質が、分離主義を目標としたマレー系武装勢力の活動を育んだと言う事もできる。

本論で焦点を当てるマレー系アイデンティティの肯定的な側面は、日常生活における宗教や文化の領域で実用的な役割を果たすもので、政治的独立を求める闘争とは距離を置いている。事実、この実用的な役割は、現在の政治情勢の中でマレー系アイデンティティの表現と推進を可能とする安全空間を代表するものだ。深南部におけるアイデンティティ表現のための二つの現代的な領域について論じる。それらは青少年活動、とりわけ、アイデンティティ推進に増々重要な役割を担うようになったオンライン空間での活動と、伝統的なタディカー(Tadika)というイスラーム教就学前教育施設である。

マレー系アイデンティティの表現と推進

マレー系アイデンティティの要となる構成要素は、主要民族タイ人のアイデンティティが、タイ民族の国家や仏教、王室を中心に形成されたのとは異なる(McCargo, 2012)。近年の実地調査から気付いた事は、マレー系住民が彼らのアイデンティティを定義する際に大抵、宗教と言語の二つの要素を根拠にしている事だ。まず、マレー系の情報提供者は、自分たちのアイデンティティの主な要素としてイスラーム教を挙げる事が最も一般的だ。イスラーム教の装いや身なりは特に強調される。 1これは深南部のマレー系住民の大半が、スンニ派イスラーム教徒である事を考えれば当然の事だ。 2 情報提供者の一人で、地元ジャーナリストのムハンマド(Muhammad)が言うように、他の二つの紛争要件である「土地とマレー人のエスニシティ」に比べれば、「宗教は紛争要件として最も脅威が少なく、国家から最も容認されている」。 3 事実、「エスニシティ」に対する明確な言及は、どの情報提供者の自己定義にも欠けていた。むしろ彼らは、現地語であるヤーウィ語が深南部のマレー系である事を示す重要な指標だと繰り返し述べた。

マレー系の人々が自らのアイデンティティを隠そうとする度合いは、国レベルでプラユット・チャンオーチャー将軍率いる軍部に支配された政権が続き、深南部では政策に対する軍部の統帥権と支配が続くにも関わらず、この数年の間に驚くほど低下した。だが、マレー系のアイデンティティが軍事政権下で興隆したからといって、驚くような事だろうか?第一、宗教の自由は最新の憲法で保証されており、その憲法の策定にはプラユットが力を貸したのである。第二に、プラユット将軍は「文化的多元主義」を宣言し、これを深南部での紛争解決の政策ガイドラインとしている(NSC, 2016)。この宗教の自由が改善された状況を称え、情報提供者の一人は「国家がさらなる空間を開放する(なら)」地域の人々は自分たちのマレー系アイデンティティを「自由に表現する」事ができると言った。 4 ヤーウィ語の使用とイスラーム教の服装は「もはや政府によって禁じられていない」どころか、 5一層推進され、「この4、5年のうちに、マレー系アイデンティティを特色付け、より強化する」事となった。 6

Malay Muslim provinces in Southern Thailand with northern Malaysia.

青少年活動は、このアイデンティティ空間の開放に特に良く反応し、イスラーム教とヤーウィ語の実践を推進する重要な機構となりつつある。マレー系の青少年(15歳から30歳)は、増々自分たちのアイデンティティを意識し、これを守る上で積極的な役割を果たすようになった。青少年団体はオンラインの文化的キャンペーンに携わり、何百人もの人々を動員し、彼らに特別な機会や宗教的祭事、例えばハリ・ラヤ(Hari Raya)祭という、アラビア語で「イード(Eid)」とも呼ばれるラマダーン明けの祭事などで、イスラーム教的な服を着用させた。 7 青少年の活動家たちは、ヤーウィ語のレベルや質が低い事にも懸念を示し、ヤーウィ語を使用できる地元民の数を増やそうとした。マレー系の人々のヤーウィ語使用能力には、大きく分けて三つの集団がある。一つ目のマレー系の大半の人々は、簡単な、あるいは「口語体」レベルのヤーウィ語が使用できると考えられる。つまり、彼らが話したり聞いたりする事のできるヤーウィ語の単語数は限られたものでしかない。二つ目の比較的少数集団であるマレー語の学者や研究者たちは、ローマ字綴りを書く事ができる。これは彼らがマレーシアかインドネシアのいずれかでマレー語を勉強し、正式な教育を受けたためだ。三つ目の最少集団は、大半が年配のマレー系有識者であり、(バハサ・マレーシアに対して)ヤーウィ語を話し、聞く能力に加え、ヤーウィ文字を書く能力がある。

青少年活動のダイナミクスは、デジタル・ネットワークやオンラインのプラットフォームに現れる。ヤーウィ語の独自性を守ろうと志すフリーランスのアーティスト、ディン(Ding)は、ヤーウィ語のコンピューター用無料フォントを作成したが、これは現時点では唯一入手可能なヤーウィ語フォントだ。彼のヤーウィ語フォントは大いにダウンロードされ、青少年や政府関係者、民間企業などによって使用されている。それはFacebookのページ、広告用のラベルや掲示板、看板などに見られる。また、ディンは友人たちと協力し、ヤーウィ語の辞書を作る取り組みの一環として、徐々にヤーウィ語の単語を収集している。さらに、ニュースや漫画のストーリーなど、ヤーウィ語のメディア素材の数も、オンラインサイト上で増加している。ムハンマドはこの理由について、「若者たちには異なるコミュニケーション手段があり、それらがより『オンライン』である一方、旧世代の活動家は『オン・グラウンドな手段』を発動させる事が多い」ためと説明した。 8

増々デジタル世界で活動するようになったといても、マレー系の若者たちは、今でもタディカーというイスラーム教の就学前教育施設を活用する。これはマレー系社会における最も基礎的な教育基盤で、平和的なイスラーム教アイデンティティの心を強化するものであり、ヤーウィ語教育もこれに含まれる。教師であり、ブンガラヤ(Bungaraya)という青少年集団のリーダーでもあるハサン(Hasan)は、地域社会や政府と緊密に協力し、若い世代にイスラーム教の平和的解釈を教育するため、タディカー各校で教えられるカリキュラムに平和についての科目を取り入れた。ハサンは「タディカーは文化的多元主義の起動装置であり」、これがタディカー各校で指導言語として用いられる「ヤーウィ語」の大いなる推進に役立つのではないかと言った。 9 教室でのヤーウィ語の使用は、地域の文化やアイデンティティの維持に役立つだけでなく、学業成績の改善ももたらしている(World Bank, 2015)。

Photos from the Facebook page of the youth group called Bungaraya, it’s an NGO that works closely with the local community and government to educate younger generations.

ただし、マレー系アイデンティティを表現、推進する自由が「宗教と文化」の領域、あるいは、マッタニー(Mattanee)が「冷めた問題(cold issues)」と呼んだものにのみ限定されている事は注目に値する。 10この自由はマレー系アイデンティティの表現と推進が、人権や正義、政治的独立などの微妙な問題と結びつくと、途端に不足する事となる。「パタニ(Patani)」という特定の語の使用が、そのいい例だ。ムハンマドが言うように、「『パタニ』は慎重を要する語であり、その理由は、これがかつてのパタニ王国の名に由来し、政治的独立を求める闘いに用いられるからだ」。 11 とは言うものの、彼は「国家がこの語の使用を禁じられるのは公的な場での事だけで、一般人がこれを使うのを実際に止める事はできない」と考える。彼はまた、「誰かが自分のことをパタニ人(Khon Patani)だと名乗っても、それが政府によって認められる事は無いだろう」と言った。むしろ、政府はそうとは呼ばず、「南部国境地帯の出身者」と言うだろう。この一見、無害とも思われる自己表現をめぐる対立の最たる例が、ヤラー・ラチャパット(Yala Ratjabhat)大学の学生たちによるスポーツ・パレードに登場する看板であり、それには「自分の事を『パタニ人』と呼ばせてもらえないでしょうか?」と書かれている。

「パタニ」という語の使用制限に加え、コミュニティの一部の活動に対する政府の監視と干渉の動きも報告されている。ハサンは政府の干渉が「タディカーの教育カリキュラムに対して行われ、授業内容を変更し、軍事力でもってタディカー教員にワークショップへの参加を強い、(タディカー教員に)何をするべきかを指図している」と言った。 12 タディカー各校の大半が軍部の指示に従って、逮捕を回避している。ハサンは政府の文化的多元主義政策の潜在的な不備の可能性についても懸念を表明し、これが政府主導の取り組みとマレー系住民主導の活動との間に協力ではなく、むしろ「競争」意識を生み出すのでは、と恐れていた。過去にもみ消されたそのような意識が、最近また生じているのだ。

さらに重要な事に、マレー文化のイベントを企画する政府系機関は、しばしば広告掲示板や文書の中で「間違ったヤーウィ語を使用し」、「ヤーウィ語の単語のスペルミスをして」いる。これは彼らが地元の人々、特に「ヤーウィ語の専門家」に相談しなかったためであり、「真の国民参加」を無視したためである。この点において、政府の取り組みは、地域社会のマレー文化を政府が支持する事を表そうとする善意にもかかわらず、有害無益なものとなるだろう。

結論

マレー系アイデンティティの表現と推進は、軍部主導の政府の下で、実用的な手法で行われている。現地のマレー系住民は、マレー系アイデンティティの要素として、イスラーム教とヤーウィ語という二つの要素を強調する。この二つの構成要素は、政府の承認を得て興隆している。マレー系の青少年活動は、マレー系のアイデンティティを様々な機会を通じて主張する強力な力として浮上して来た。一方では、タディカー各校における伝統的な教育が、今後も不可欠な基盤として、イスラーム教の信念やヤーウィ語を含むイスラーム文化を強化して行く事となる。他方では、オンライン・プラットフォームやソーシャル・メディアが効果的なコミュニケーション手段となり、マレー系の若者が、これを通じてイスラーム教やヤーウィ語の実践を促進している。だが、政府が「パタニ人」という語の使用など、アイデンティティの表現を規制、監視している事を示す証拠も存在する。また時折、政府が現地の文化や言語に対するミスや誤解を露呈する事が、実に政府と現地のマレー系住民との関係性を損ねる一因となっている。

Ajirapa Pienkhuntod
タイ、コーンケーン(Khon Kaen)大学 地域行政学部(College of Local Administration)地方行政とスマートシティ開発研究グループ(Research Group on Local Affairs Administration and Smart City Development)教職員・研究者

Banner image: A small group of Muslim boys attend religious school at Krabi, Thailand. Photo: Decha Kiatlatchanon / 123rf.com

参考文献

Abuza, Z. (2009). Conspiracy of Silence Washington DC: United States Institute of Peace Press.
Aphornsuvan, T. (2006). Nation-state and the Muslim identity in the southern unrest and violence. In I. Yusuf & L. P. Schmidt (Eds.), Understanding conflict and approaching peace in Southern Thailand (pp. 92-127). Bangkok: Konrad Adenauer Stiftung.
Chalk, P. (2008). The Malay-Muslim Insurgency in Southern Thailand. Santa Monica, CA: RAND National Defense Research Institute.
Che Man, W. K. (1990). Muslim Separatism: The Moros of Southern Philippines and the Malays of Southern Thailand. Singapore: Oxford University Press.
Croissant, A. (2005). Unrest in South Thailand: Contours, Causes, and Consequences Since 2001. Comtemporary Southeast Asia, 27(1), 21-43.
Funk, J. (2013). Towards an Identity Theory of Peacebuilding Centre for Research on Peace and Development (CRPD) Working Paper No.15.
McCargo, D. (2008). Tearing apart the land: Islam and legitimacy in Southern Thailand. Ithaca, New York: Cornell University Press.
McCargo, D. (2009). The politics of Buddhist identity in Thailand’s Deep South: The demise of civil religion? Journal of Southeast Asian Studies, 40, 11-32.
McCargo, D. (2012). Mapping national anxieties: Thailand’s southern conflict: NIAS Press.
Melvin, N. J. (2007). Conflict in Southern Thailand: Islamism, Violence and the State in the Patani Insurgency Stockholm International Peace Research Institute. 
National Reconciliation Commission (NRC). (2006). Overcoming Violence Through the Power of Reconciliation. Retrieved from http://thailand.ahrchk.net/docs/nrc_ report_en.pdf.
Office of the National Security Council (NSC). (2016). Southern Border Provinces Administration and Development Policy 2017-2019. Retrieved from http://www.nsc.go.th/นโยบายการบริหารและการพัฒนาจ.ชายแดนภาคใต้พ.ศ.2560-2562(5ภาษา).pdf.
Pitsuwan, S. (1982). Islam and Malay Nationalism: A Case Study of the Malay-Muslims of Southern Thailand. (PhD), Harvard University, Massachusettes. 
Storey, I. (2007). Ethnic Separatism in Southern Thailand: Kingdom Fraying at the Edge?. Retrieved from http://apcss.org/ethnic-separatism-in-southern-thailand/.
Storey, I. (2008). Southern Discomfort: Separatist Conflict in the Kingdom of Thailand Asian Affairs, an American Review, 35(1), 31-51.
World Bank. (2015). Youth Group Builds Peace through Education in Southern Thailand. Retrieved from https://www.worldbank.org/en/news/feature/2015/12/21/youth-group-builds-peace-through-education-in-southern-thailand.
Yusuf, I. (2006). The ethno-religious dimension of the conflict in Southern Thailand In I. Yusuf & L. P. Schmidt (Eds.), Understanding conflict and approaching peace in southern Thailand (pp. 169-190). Bangkok: Konrad Adenauer Stiftung.
Yusuf, I. (2007a). Faces of Islam in Southern Thailand. Washington: East-West Center.

Notes:

  1. 2019年10月に行われたインタビュー。主な情報提供者はタイ深南部の市民社会や教育、ジャーナリズム、青少年活動など様々な分野に従事する人々だ。
  2. イスラーム教の新旧の伝統の細分化について、より詳しくは以下を参照。McCargo, D. (2008). Tearing apart the land: Islam and legitimacy in Southern Thailand. Ithaca, New York: Cornell University Press., and Yusuf, I. (2007a). Faces of Islam in Southern Thailand. Washington: East-West Center.
  3. 2019年10月20日のMuhammadへのインタビュー
  4. 2019年10月20日のMuhammadへのインタビュー
  5. 2019年10月24日のDingへのインタビュー
  6. 2019年10月22日のHasanへのインタビュー
  7. 2019年10月18日のMattaneeへのインタビュー
  8. 2019年10月20日のMuhammadへのインタビュー
  9. 2019年10月22日のHasanへのインタビュー
  10. 2019年10月18日のMattaneeへのインタビュー
  11.   2019年10月20日のMuhammadへのインタビュー
  12. 2019年10月22日のHasanへのインタビュー

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