Issue 12 Sept. 2012

アスワンを探して―フィリピン社会の怪談・化け物・妖術師 東 賢

はじめに―1枚の絵画    数年前、福岡に行った際に、かねてより気になっていた福岡アジア美術館へと足をのばしてみた。充実したアジア各国の絵画・美術作品の展示の中で、フィリピン人画家カルロス・フランシスコの「教育による進歩」の前で、私は立ちすくんだ。フィリピンの教育と発展という啓蒙的なイメージが描かれる中で、切り離された上半身から内臓を垂らしながら、作品上部をノイズのように漂う異形の姿は、まぎれもなくアスワンだった。教育と発展の中で消え去るべき「迷信」のイメージが、そこには集約されていた。まさか、こんなところでまたアスワンに再会することになるとは。どうやらアスワンを探す私の旅は、まだ終わってはいないらしい。  アスワンの過去と現在   アスワンとは、フィリピンのとくに低地キリスト教社会において、民間信仰や口頭伝承の中に頻繁に現れる超自然的な存在である。多様に語られるアスワンの姿は、大きくまとめれば(a)吸血鬼、(b)内臓吸い、(c)獣人、(d)人喰い鬼(e)妖術師の5つに分類できるという[Ramos 1990]。私がカルロス・フランシスコの絵画の中にみたのは、「内臓吸い」の姿で漂うアスワンであった。さらに近年、メディアや都市伝説の中で、その姿はさらに多様さを増しているようである。    私がアスワンと出会ったのは、マニラのある大学で留学生活をしていたころだった。男子学生寮は4人ずつの相部屋で、各地からマニラへとやってきたフィリピン人学生たちは、忙しい勉学の時間の合間にも語り合ったり遊んだりすることを忘れず、賑やかな日々が続いていた。そんな中、深夜にベッドで眠りにつく前に、ルームメイトたちが静かに語る怪談話に耳を傾けるのも楽しみの1つだった。そして、そんな他愛もない怪談話の中で、アスワンはよく語られていた。地域差はあれど、アスワンについてはある程度定型化された語りのフォーマットがあるようで、異なった地域出身のルームメイトたちもその面白さと怖さを共有しているようだった。私は次第に、フィリピンの怪談という二重の異世界の魅力に引き込まれ、アスワンについてもっと知りたいと欲するようになっていった。    調べてみると、さかのぼればアスワンは、フィリピンへの植民者であるスペイン人の記した15世紀や16世紀の歴史資料にすでに登場していた。そこでは、カトリックを布教しようとするスペイン人宣教師の目から見た「原住民の迷信」として、またカトリックの神に反する「悪魔」として、アスワンは描かれていた[Plasencia 1903-9; Ortiz 1903-9]。それが、スペインとアメリカによる統治期、そして第2次世界大戦の日本による軍政期を経て独立の後、マルコスの独裁政権におけるナショナリズムの流れの中、アスワンはフィリピンの国民的な民間信仰や口頭伝承としての地位を獲得していく。中 でも、上述のラモスによる研究は、ほぼフィリピン全土にわたるアスワンの口頭伝承の収集、記録作業を行ったものであり、農村や漁村から都市部まで国家レベルでの信仰と伝承の流通と、その共通性と多様性がともに示されている。そのように、「国民的な化け物」としての地位を確立したアスワンは、さらにその語られるコンテクストを広げていくのである。  メディアの中のアスワン  「国民的な化け物」としてのアスワンは、地方の農漁村や山奥に身を隠しているだけではない。その姿は都市伝説の中で語られる、マニラのハイウェイを疾走する老婆の姿であったり、また出稼ぎ先の国外で邪悪な力に感染し、帰国後自分の子を殺し食べてしまう母親の姿であったりする。地域共同体の中で育まれてきたであろうアスワンについての想像力は、一地域を超えたナショナルなレベルで、またときに国境を超えたグローバルなレベルに展開しているのである。  またさらに、様々なメディアの中にもアスワンは頻繁に登場する。驚くべきは、タブロイド紙を中心に一般紙でもアスワンの出現が報道されることである(もちろんその「事実」が最終的に検証されることは稀であるが)。また、フィクションとしては、アスワンを取り上げたりモチーフにした小説やコミックなど数多く、さらに近年の特徴としてはテレビ番組や映画など、映像メディアの中でも扱われることが挙げられる。  国語であり共通語であるフィリピノ語で制作されたいわゆる「タガログ映画」の中に、アスワンを題材にしたヒット作がいくつかある。人気ホラー映画シリーズShake Rattle & Roll II (1990)に収録された”Aswang”や、2011年にもリメイク作品が制作されたAswang(1992)などが代表的なものであるが、近年はアスワンをモチーフにラブコメディ風に仕上げたAng Darling Kong Aswang(2009)やラブロマンスの要素を強くしたCorazon: Ang Unang Aswang(2012)などジャンルも横断的になっている。  アスワンの故郷?   日常生活の中で、また現代的なコンテクストにおいても、アスワンが頻繁に語られ描かれる中で、その表象がある特定の一地域と関連付けられる傾向がある。それは、西ビサヤ地方のパナイ島にあるカピス州を「アスワンの故郷」だとする語りである。    私がカピス州の州都ロハス市で、2000年ごろから長期滞在調査をすることになったのも、「カピスがアスワンの故郷だ」という語りを多く、マニラの友人たちから聞いたのが理由である。日本人の大学院生がなぜかアスワンに興味を持ち、それを研究の対象にしようとしていることを聞くと、皆口をそろえて「カピスがアスワンの故郷だ」と、私に意味ありげに告げるのである。そのようにいわれる何かがカピス州にあるのか、という関心から、私はカピス州ロハス市での長期滞在調査を実施することを決定した。    ところが、いざロハスに到着して、アスワンについて聞きまわっていると、人々の反応は好ましくなく、非協力的で、ときに暴力的なまでの反感を抱かれることもあった。アスワンについては語りたくないという態度から、カピスにはアスワンなどいないという反応まで、とにかく私の聞き取り調査はことごとくうまくいかなかった。その調査の不調の理由を知ったのは、しばらく経った後、ロハス市内にあるカピス州の地方新聞社を訪れたときである。週刊の新聞のバックナンバーを調べていると、そこには90年代の半ばごろから数カ月に1度のペースで、アスワンに関する記事が掲載されていた。それら記事の主題は、「アスワンの故郷」という外部からの表象に対して、それを受け入れるのか、否定するのかというものだった。とくに、1999年に全国公開された映画Sa […]