タイ最南部での新たな交渉

2020年1月20日、タイの交渉人とパッタニ・マレー民族革命戦線(BRN/the Barisan Revolusi Nasional)のメンバーが、マレーシアのクアラルンプールで接触し、待ち望まれた和平交渉を開始したと発表した。BRNはムスリムが大多数を占めるマレー語圏のタイ南部で、事実上、全戦闘員を指揮する分離独立運動だ。タイとBRNの関係筋によると、今回の最新の和平イニシアチブは、DPP(the Dewan Pimpinan Parti)の名で知られたBRNの秘密主義的な評議会が、彼らの交渉人が対話のテーブルにつく事を初めて賛意をもって承認したものであった。双方はこの場に臨み、解決困難な紛争の政治的解決策を探るものと見られた。マレー語圏のタイ南部で紛争が再浮上したのは2001年の後半だが、これが公式に認められるようになったのは、2004年1月4日に大勢の武装勢力がナラティワート県の陸軍砲兵大隊本部を急襲し、350点以上もの武器を略奪した後の事だ。それ以前では、1960年代初頭にパッタニ・マレー系住民の民族的・宗教的アイデンティティを顧みないタイの同化政策への反応として、紛争の波が生じた事がある。武力抗争が徐々に下火となったのは、1980年代後半だが、パッタニは史実に基づくマレー人の故郷で、タイ軍とタイ政府当局は外国の占領軍だというナラティブが消える事は無かった。

だが、2020年1月20日は、タイがBRNとの交渉の場に赴き、交渉による紛争解決を公式に発表した最初の日ではなかった。元首相のインラック・シナワトラの政権も、2013年2月28日に、やはりクアラルンプールで、同様のイニシアチブを開始させている。この発表は、主要な利害関係者全員の不意を突いたものだった。その利害関係者にはBRNとタイ軍も含まれていた。BRNは最終的には代表団を交渉の場に送り、元外交長官のムハンマド・アダム・ヌール(Muhammed Adam Nur)と、BRNの青年組織メンバーのアブドゥルカリーム・カリード(Abdulkarim Khalid)がこの代表を務めた。だが、彼らの任務はプロセスの阻止であり、彼らがこれを成し遂げた2013年最終四半期には、インラックが、いわゆるバンコク・シャットダウンの街頭デモをうけ、自身の政治生命をかけて議会を解散する事態となった。このデモが、彼女を失脚させた2014年5月の軍事クーデターに道筋をつけたのだ。たとえ、インラックのイニシアチブが欺瞞と賭けの中間にあったとしても、これは最南部の地元住民を大いに刺激し、期待させた。何と言っても、タイ政府が紛争を政治的に解決する決意を初めて公に示した機会だったのだ。残念な事に、昔から係争が続くこの地域の平和は、この動きの主な動機ではなかった。インラックと元マレーシア首相のナジブ・ラザクが、より関心を寄せていたのは和平イニシアチブによる政治的利益をかき集める事だったのだ。

2014年5月のクーデター後に、インラックが始めた取り組みを続けるかどうかが、何度か真剣に議論された。クーデターの背後に存在するタイ上層部の国家平和秩序評議会(NCPO/The National Council for Peace and Order )は、この会談にも、そもそもの始めからも関与していなかった。だが、軍政は会談の続行を決定し、その条件に、この会談が公平な参画の下で行われる事を挙げた。つまり、BRNやパッタニ統一開放機構(PULO/all Patani United Liberation Organisation)の全派閥、それにパッタニ・イスラム・ムジャヒディン運動(GMIP/ Gerakan Mujahidine Islam Patani)、パッタニ・イスラム解放戦線(BIPP/ Barisan Islam Pembebasan Pattani)など、パッタニ・マレー分離独立主義の全グループが一同に会し、各々の紛争をタイ国家と交渉する必要があるというわけだ。プラユット政権とタイ上層部の人間は、パッタニ・マレー反政府勢力との対話のために「自らを彼らと対等な立場におとしめる」、という考えそのものに苛立ち、公平な参画を要求したのである。会談にけりをつけて、これで最後にしたい、というのが彼らの姿勢だった。クーデターから7カ月後の2014年12月、プラユット・チャンオチャ首相はクアラルンプールへ行って、新たに交渉責任者として指名されたアクサラ・ケルドフォル司令官(Gen. Aksara Kherdphol)を紹介した。彼は、マレーシアの元国家情報部顧問で、和平プロセスのファシリテーターに指名されたダト・スリ・アフマッド・ザムザミン・ビン・ハシム(Dato Sri Ahmad Zamzamin bin Hashim)と手を組んで働くことになっていた。

公平な参画を求めるタイの要望に従い、マレーシアのファシリテーターの協力もあって、マラ・パッタニ(MARA Patani)が統一組織となり、その傘下に昔からの全てのパッタニ・マレー分離独立運動が収まる事となった。この体制の問題は、現地で戦闘を指揮するグループの一つ、BRNが参加を拒否した事だ。それでも、このプロセスは足を引きずりながらも強引に進められ、イニシアチブがBRNの参加を促すけん引力をもたらす事が期待された。そこで、三年間、タイの交渉人、マラ・パッタニとマレーシアのファシリテーターは、いわゆるセーフティーゾーンの検討に取り組んだ。この試験的プロジェクトは、最南部の県区域を開発計画によって停戦地帯に変えるもので、暴力を伴わずに平和と発展が達成できる事を示す模範となりうるものだった。だが実際には、現地で戦闘を指揮する一グループがプロセスに関与しなかったため、このプロジェクトは空騒ぎに終わった。

Prayuth Chan-ocha (crop) pictured in Bangkok in 2012. Wikipedia Commons

2018年10月、プラユット・チャンオチャ将軍の政権は、アクサラ司令官を、最南部で長年の戦闘経験を持つウドムチャイ・サムサロラート司令官(Gen. Udomchai Thamsarorat)に置き換えた。ウドムチャイは素早くセーフティーゾーン計画と距離を置く動きに出たが、彼はBRNが参加しなければ計画が失敗する事を知っていたのだ。ウドムチャイが指名される二か月前には、新たに選出されたマハティール・モハマド政権が、ファシリテーターをダト・ザムザミンから元警察署長のタン・スリ・アブドゥル・ラヒーム・ヌール(Tan Sri Abdul Rahim Noor)に置き換えている。ウドムチャイは、この新たなマレーシアのファシリテーターが、DPPに交渉の場に赴くよう、圧力をかける事に期待できると考えていた。だが、この当ては外れ、2019年1月には現地の武装勢力が、勢いを増した暴力によって報復し、ナラティワートで二人の仏教僧が殺害された。同じ月には武装勢力が民間自警団員四名(内務省が現地で雇う警護特務部隊)を銃撃する事件も見られた。退職した公立学校の教師も射殺され、吊るされ、彼の車は盗まれて、同日遅くに自動車爆弾として利用された。

ザ・パッタニ(The Patani)やパッタニ学生青年連盟(PerMAS/The Federation of Patani Students and Youth)など、地元の政治活動家は、現地での活動を強化させ、BRN戦闘員に国際人道法とその規範を尊重するよう呼びかけ、彼らが通常戦力の限られた非国家主体であり、BRNの最終目的は政治的性格のものであるはずだと念押しした。武装勢力はタイ国家との戦闘で、道徳的に高い規準を持つという考えに前向きな反応を示し、ソフトターゲットからは手を引いた。約六か月後、タイとマレーシアはBRNの指導部に交渉のテーブルに赴くよう、さらなる圧力をかけた。BRNは応報として、今度はバンコク全域に何度も小型爆弾を仕掛け、アメリカ、日本、中国も含めた会談相手国との一連の二国間、多国間協議のために首都に来ていたASEAN外相らをもてなすタイ政府に恥をかかせた。

再び、マレーシアのファシリテーターとタイの交渉人は身を引いた。この時点で、タイ政府はラヒーム・ヌールと彼のファシリテーター・チームが、BRN指導部をタイ側に歩み寄らせる事は出来ないと確信した。そこで、タイの交渉人は、マレーシアがこのプロセスに部外者を巻き込む考え自体に反対する事は承知の上で、過去にBRNと連携した事のある海外のINGO(非政府間国際機構)と接触を取るようになった。驚いた事に、BRN指導部はアナス・アブドゥルラーマン(Anas Abdulrahman)(別名はヒプ二・マレー/Hipni Mareh)の率いるBRN外交委員会とタイとの会談を許可した。双方はインドネシアで対面した後、2019年11月初頭にはドイツのベルリンで会合し、そこでは海外のINGOが起草した7ページのTOR(検討事項/Terms of reference)が、タイとBRNの交渉人に提示された。言うまでもなく、マレーシア政府は終始蚊帳の外に置かれて不機嫌であった。インドネシアとドイツでの会合を実現させたINGOにしてみれば、これは2013年にタイ政府がマレーシア政府に会談促進の権限を与えて以来、関与するなと言われていたゲームに再び加わるための良い機会だった。

The Muslim provinces in Thailand’s Deep South

タイのマレーシアとの関係改善努力は、公式発表という形の現状打開を開始するためのイベントとなり、マレーシアの懸命な努力が評価される事となった。このいわゆる現状打開策は、2020年1月20日にクアラルンプールで開始された。その折に、多くの賛辞がマレーシア政府に送られた。だが、関係者達は誰もが心の奥底で、インドネシアとベルリンでのタイとの直接会談や、1月20日のクアラルンプールでの取り組みが、大いなる賭けである事を理解していた。過去17年間、タイ治安部隊を敵に回してきた秘密主義者の活動は、未知の領域に向かって漂い始めている。現地の軍事組織や戦闘員たちが、このようなアイデアに強い違和感を覚えた理由のひとつには、最初から彼らの意見が全く求められなかった事であり、また単に、自分たちの要望が応えられないうちに正式な和平プロセスの場を設けるという考えに彼らが断固反対している事もある。さらに、現地の戦闘員たちは司令官から、パッタニというマレー人の故郷を解放する彼らの闘いがワジーブ(wajib)、道義的責任だと教えられていた。これは今もワジーブなのか、そんな事は誰も存ぜぬ様子だ。

この紛争に関する最新の報告書、2020年1月25日付の「タイ南部の和平交渉…形式の実体化に向けて(“Southern Thailand’s Peace Dialogue: Giving Substance to Form”)」の中で、国際危機グループ((ICG /the International Crisis Group)は、和平プロセスを成功させるには、BRNがこの地域にどのような未来像を抱いているかを明瞭に述べ、タイ政府が国際的なオブザーバーをプロセスに関与させない政策を再検討する必要があると指摘した。タイとマレーシアの両政府は、中立的な第三者による調停に同意するべきだ。要するに、ICGいわく、このプロセスには仕切り直しが必要なのだ。

過去17年間にも多くの問題が生じては消えて行ったが、外国人ファシリテーターや調停者の問題は、彼らがマレーシアを紛争の利害関係者ではなく、自分たちの競争相手と捉える点にある。マレーシアは単なる「ファシリテーター」や「調停者」ではなく、現実的な安全保障上、外交上、政治上の懸念を抱えた一利害関係者である。実際、2004年以降のタイ最南部の和平イニシアチブで、公正な調停者が立ち会ったものは一つもない。今でも多くの者達は、なぜBRN評議会が現地の武装勢力や、その他の部門の指導者に相談せずに、BRN外交委員会にタイとの交渉のテーブルにつく事を許可したのかと訝しがっている。一部のメンバーは、秘密主義の指導者たちが鷹揚に構えていたのは、交渉人たちの行動が非常に厳しく制限されており、いつでも彼らを呼び戻せる事が分かっていたからだという。

タイ治安当局の高官は、BRNの政治部門は、強大な軍事部門がタイとの正式な和平プロセスの開始に断固反対する事を知っていたからこそ、彼らに相談せずにインドネシアやドイツに行く必要があったのだと考える。その他の革命運動や独立運動とは異なり、BRNの政治部門という存在は今でも非常に力が弱く、経験も浅い。タイの政治家たちはこれまで、BRNの交渉人を対話の場へ追い立てる事の重要性を考える時間を割いて来なかった。BRNと同様に、タイ側も自分たちの間で協議をしなかったし、ましてや、実現可能な和平プロセスのための戦略を練ろうと協力した事など無かったのだ。事実、現地タイ陸軍の戦闘と活動は、敵対者の政治面での展開には無頓着となりがちだった。

現地のBRN下部組織に対する長距離偵察や掃討作戦は、2020年1月以来、BRNがジュネーブ・コールの誓約書に同意するなど、前向きな姿勢を示していた時にも実行されていた。ジュネーブ・コールは世界中の武装非国家主体に働きかけ、交戦規定や人権原則を推進している国際NGOだ。BRNは2020年4月3日にも、人道的努力の一環として、コロナウイルス感染症を封じ込める努力に資するため、全戦闘を停止すると発表した。BRNは市民に対しても、公衆衛生当局の指示に従うよう要請した。4月30日にタイ治安部隊は、BRN戦闘員三名をパッタニで殺害した。現地の下部組織による報復を懸念したBRNは、即座に先に示した見解を繰り返し、戦闘員と一般市民に指示を出し、一方的な停戦の継続が必要だと述べた。三日後の2020年5月3日、パッタニ県のサオブリ(Sao Buri)郡で二人の自警団隊員が、背後からバイクで接近してきたテロリストによる至近距離の発砲を受けて射殺された。

誰もがBRNを非難したが、この行動の指導者は沈黙を守った。BRNが、戦闘員三名が射殺されたという認識に基づき、二人の隊員の殺害を許可したと言うなら、それは停戦状態―政治部門が強大な軍事部門に対して、彼らの活動に正統性と賛辞をもたらすことができることを示すためのイニシアチブ―の集結を意味するだろう。この銃撃犯が司令官の指示を受けずに行動したBRNの戦闘員だと言うなら、その活動は現地での適切な指揮系統を欠いていた事になる。また、BRNが公の場に姿を現してタイの交渉人と共同声明を出した後に、この重大事に際して何の声明も発しないのであれば、それは彼らの信頼性や誠実さにも傷をつけるだろう。

Don Pathan
Don Pathan is a Thailand-based security analyst