2015年2月、タイ世界遺産国家委員会(the Thailand National Committee for World Heritage)は、チェンマイ市をUNESCO世界遺産リストに登録するための申請を行った。 1
まだ暫定リストに載った段階ではあるが、組織委員会は最終的な推薦書類を近々、おそらくは2019年末に提出する計画だ。東南アジア各地において、世界遺産リスト登録の魅力は、これが「国内外に対する威信や…資金援助、…国民意識の高揚による潜在的利益、ツーリズム、そして経済発展を約束する」事にある。 2スコータイやアユタヤなど、タイの世界遺産は、主に国家のアイデンティティや歴史に基づくものであるが、 3 最近のタイ北部の申請や、これに先行するその他の試みは、地方、あるいは地域のアイデンティティを国家のアイデンティティと同程度に反映している。
ここで問題となるのは、マーク・アスキュー(Marc Askew)が1990年代のバンコクに見出したmoradok(遺産)とyarn(コミュニティあるいは周辺住民)の間の緊張に対する、北部のある種の反応だ。 4 荒廃した遺跡を国家的、世界的なステータスへと格上げする事は比較的容易であるが、チェンマイの場合、世界遺産の候補地は政治的な力を備えた過去の物的遺構であると同時に、人々が暮らすコミュニティでもある。このプロジェクトは北部の人々のアイデンティティと、北部と中央政府との関係にとって何を意味するのだろうか?現在も続くこの町の遺産保存の取り組みは、より古くからの、現代タイにおける地方アイデンティティのあゆみと、どう折り合いをつけるのだろうか?
ラーンナー主義
チェンマイの申請には、この町の将来に様々な集団が利害関係を持つ結果を招く可能性がある。申請の背後にある集団には、熱心な若手建築家や都市計画担当者、学者らが含まれるが、彼らは大まかに言うと、ある種の「地方主義」を掲げる人々に相当する。チェンマイの場合、これは時にラーンナー主義(Lanna-ism)と呼ばれるが、この造語は16世紀までこの地方の大部分を支配した古代ラーンナー王国を引き合いに出し、「標準的な」バンコク、あるいは中部タイを基とするアイデンティティとは異なる地方アイデンティティに歴史的根拠を与えるものだ。 5
ラーンナー主義は、歴史上のラーンナー王国との実質的な関連性よりも、むしろ第二次世界大戦後のチェンマイやチェンライなどの都市における、地方の政治的、文化的アイデンティティ空間を要求する取り組みに由来する。北部での大学建設のための地域キャンペーン、ラーンナーの王たちのための記念像設置の要求、チェンマイ市全域でラーンナー文字が再び見られるようになった事、これらの全てがこの過程を示すものだ。チェンマイの都市遺産は、ラーンナー主義の形成と表現に常に重要な役割を果たしてきたが、これには市の中心部にある重要な空間がバンコク政府によって再構築、あるいは実質的には植民地化されたという事情もあり、また、ラーンナーの王たちと所縁のある寺院や宮殿(khum)の長い歴史もある。この町を世界遺産リストに加える事に成功すれば、ラーンナーのアイデンティティやラーンナー主義は、間違いなく国内外で存在感を高めるだろう。
ラーンナー主義のプロモーションは予想外の形をとった。キャンペーンの一端として、世界遺産作業部会はマスコット・デザインのコンテストを行ったが、結果はこの町の創設神話と深い関りを持つアルビノ鹿(fan phuak)を非常に可愛らしく表現したものとなった。このキャラクターはノンファン(Nong Fan)といって、チェンマイと世界遺産プロジェクト、そしておそらくは、ラーンナー主義そのものも象徴している。
候補地にはチェンマイ市内と周辺の歴史的に重要な遺跡が数多く含まれるが、重視されているものとしては、マンラーイ王朝の古代史や、チェンマイとシャムとの関りにおける「許容可能な」要素、特には寺院などがある。 6 だが、市の中心部には議論を呼び、プロジェクトの境界内に位置するのに、当初の候補には挙げられていなかった場所もある。市内中心部の二つの重要な博物館では、ラーンナー遺産の文化的アイデンティティの展示が行われているが、これらの博物館が入る歴史的建造物は、バンコク政府の国内植民地主義の中心的な建物であった政府庁舎(sala rathaban)と地方裁判所(san khwaeng)である。要するに、候補地の選定は、この町の植民地時代の中心部を再構築し、地方史をナショナリストの歴史叙述の許容枠に収まる限りにおいて紹介する場にしようと試みる、より大きなプロセスの一部なのだ。
タイ政府と歴史および遺産の限界
世界遺産のステータスは、地方のアイデンティティや文化、歴史に保存と推進の手段をもたらすものであるが、タイの場合、中央政府が支配する国家の制限内でこれに取り組む事を意味する。都市空間の中で地方史を記念しようとした過去の取り組みも、やはりタイ政府が構想したものである。例えば、有名な「三人の王(three kings)」のモニュメントは、チェンマイとラーンナーの建国王であるマンラーイの単独像から始められたものだが、中央政府が関与した途端、チェンマイとスコータイ両国の建国王を結びつけるモニュメントに変わり、それによって地方史を国史の範囲内にきっちりと収める事となった。 7
同様に、最近の世界遺産リストへの過程においても、中央と地方の間にひと悶着起きている。事の発端は2002年のチェンセーン(Chiang Saen)、ウィアン・クム・カーム(Wiang Kum Kam)、ランプーン(Lamphun)など、ラーンナー史と関りのある、より小規模な地域で、これらの全てには保存の必要と観光事業拡大の強い可能性があった。 8 2008年にはランプーンが世界遺産リスト登録の申請に乗り出した。 9 2010年には数名の学者たちが、チェンマイの最終申請のための準備を開始した。 10
この時点で国政が干渉してきた。UNESCO関連の活動が同年暮れに停止されたのは、プレアヴィヒア(Preah Vihear)の状況を巡り、紛争が勃発したためである。プレアヴィヒアは11世紀のクメール寺院で、タイとカンボジアの国境間に位置し、2008年に世界遺産リストに登録されていた。今なお続く同寺院とその隣接区域の領有権を巡る争いは、過剰なナショナリストによる抗議デモが、ついに2011年に現実の紛争を引き起こし、6月にはタイの代表団がこれに抗議してUNESCOを脱退する事となった。 11北部では、UNESCOのあらゆる申請業務が停止された。同年に自身がチェンマイ出身のコン・ムアン(khon muang)であるインラック・チナワット(Yingluck Shinawatra)の選挙が行われ、プロジェクトは急加速した。 12
世界遺産委員会への申請は全て、タイ教育省内の国際協力局(the Bureau of International Cooperation)の認可を得る必要があるため、 13 北部の世界遺産の輪郭は、またしても中央政府によって形成される事となった。2013年には一部の関係者が、チェンマイとランプ―ンのプロジェクトを合わせて「双子都市」候補とする提案をした。ある学者によれば、チェンマイ、ウィアン・クム・カーム、ランプーン、ランパーン(Lampang)、チェンセーンを含むシリアル・ノミネーションは、「ラーンナー文化を代表し、その自然および潜在的資産を分かち合うものである。またこれによって、文化遺産地域に単独都市として推薦するよりも、リストへの登録が容易となる」とのことだ。 14ところが、ようやく国の認可が下りた後、チェンマイの申請だけがUNESCOに提出され、「ラーンナーの首都、チェンマイの文化遺産、遺跡および文化的景観」が、2015年2月9日に世界遺産暫定リストに加えられる事となった。
一体、何が起きたのか?チェンマイは当然、その都市遺産の保護と効果的な管理を活用できる事となるが、世界遺産のステータスは注目と観光事業の増大にまつわるリスクももたらすだろう。だが、ランプーンやチェンセーンなど、より小規模な都市は保護と観光収入の両方を活用する事ができるのだ。ここには明らかに別の経済的懸念が絡んでいる。ランプーンは、色々な意味で、国家にとって産業投資の中心としての重要性の方が高いのだ。そこでは、二つの巨大な工業団地が遺産保護区域となったはずの場所のすぐ傍に建設され、拡大されようとしている。 15だが、ラーンナーのアイデンティティをひときわ象徴するというチェンマイの根本的な役割には、その他の歴史的理由も存在する。
未発達の民主主義の中で過剰に開発された都市
チェンマイが直面する問題は、政府の中央集権化とお粗末な都市開発政策にその原因がある。北部の他の諸都市とは違い、チェンマイは中央政府と密接で、時には問題のある関係を維持してきた。19世紀後半以降、この町が遠方の辺境地で、危険だとさえ考えられていた頃、チェンマイは近隣東南アジアの植民地をいくらかモデルとして、近代シャム国家の拠点へと変貌した。 16地元の王室が傍流に追いやられると、地域のアイデンティティであったラーオは牽制され、チェンマイは新たな「タイ北部」のアイデンティティとシャム政権という二つの中心になった。 17 ある意味、この関係性が深められたのは、資本と人材がバンコクや海外からこの町に流入したタクシン時代以降のみの事である。これらの重圧の中で、世界遺産申請を未発達な民主主義の文脈において過剰に開発された都市の諸問題に対処する試みと捉える事が可能であると論じよう。
以下はチェンマイ市芸術文化センター(Chiang Mai City Arts and Cultural Centre)(上述の博物館の一つ)の所長に、チェンマイはなぜ今、世界遺産の申請を行うのかと尋ねた際の返答だが、これを検討してみたい。
A:チェンマイと作業部会の人々が共に感じている事の一つに、我々の町が物質的、社会的、経済的に急速に変化しているという事があると思います。これらの変化は有益であると同時に、時には不適切でもあります。個人的には、様々な理由から、この申請手続きを行うには良い時機だと感じています。
第一、チェンマイの人々は自分たちの町を保護する手立てを議論し、話し合う機会を得る事になります。第二に、これは一般の人々の認識を変化させます。つまり、自分たちが責任を持つ事ができる、という意識ですが、この意識は非常に重要だと思います。昔は何か事が起きると、地元の人々は省庁や諸機関に問題解決の責任を取るよう求めたものです。今では、多くの人々や様々なネットワークが問題解決のため、自ら進んで懸命に取り組もうとする姿が見かけられます。彼らは自分たちの時間を割いてアイデアを出し、様々な見方を支持し、他の集団との協力を呼び掛けています。このような理由から、私は今がこのプロジェクトを推進させる潮時だと思うのです。 18
効率的で人々の声に応じられるような政府が存在しないのであれば、地域自らが行動しなくてはならない。世界遺産のグローバルな言説は、チェンマイにその行動へとつながる可能性をもたらすものだ。
結論
タイ北部の世界遺産のあゆみは、2019年のタイにおいて、地域アイデンティティを形成する重要な疑問を反映している。一つ目の疑問は、今日の中央と地方の関係性がどういう様子であるか?ということだ。中央政府の承認は、なお必要とされ、今後もこれが北部らしさ、あるいはラーンナー主義の歴史的な表現を形成していく事になる。UNESCO世界遺産リストへの登録は、地方レベルでは政策変更を促すかもしれない。だが、政府関係者が地域社会の懸命な努力や、登録がもたらすであろう具体的な政策変更を無視し、むしろ世界遺産登録をもう一つの「国際的ステータス」の証に過ぎないと捉える事を選ぶ危険性もある。 19二つ目の疑問は、何が、あるいは何者が「北部」に入るのか、すなわち、なぜチェンマイであってチェンセーンやランプーンではないのか?という事だ。タイ国家はチェンマイをUNESCOの国際舞台に格上げする事を是認したが、注目と保存に値するその他のラーンナー遺跡は正当に評価されていないばかりか、無視されている。
チェンマイの登録申請は当然、非自由主義的で非民主的な時代に行われており、北部の人々には国家と新たな王への忠誠を示すよう、圧力がかけられている。タイでは2019年5月に、曲りなりにも選挙が復活したが、選任された知事などの有力な地方代表が不在である中 20、地方が地方のアイデンティティを管理するという望みは遥か彼方にかすんでいる。それでも、世界遺産のグローバルな言説に訴える事は、一部の人々にとって、わずかながらも、超中央集権化されたタイ国家の過去と現在に異議を申し立てる好機なのかもしれない。
Talor Easum
インディアナ州立大学
Read “タイ北部都市で記憶と歴史を彫り、鋳造する” in Kyoto Review of Southeast Asia, Issue 20, September 2016
Banner Image: Aerial view of sunset landscape ring road and traffic, Chiang Mai City,
Notes:
- “Monuments, Sites and Cultural Landscape of Chiang Mai, Capital of Lanna,” UNESCO World Heritage Centre, https://whc.unesco.org/en/tentativelists/6003/; Tus Werayutwattana, “Our Journey to Becoming a UNESCO World Heritage City,” Chiang Mai Citylife, March 1, 2019, https://www.chiangmaicitylife.com/citylife-articles/journey-becoming-unesco-world-heritage-city/. ↩
- Lynn Meskell, “UNESCO’s World Heritage Convention at 40: Challenging the Economic and Political Order of International Heritage Conservation,” Current Anthropology 54, no. 4 (August 1, 2013): 483, https://doi.org/10.1086/671136. ↩
- Victor T. King and Michael J.G. Parnwell, “World Heritage Sites and Domestic Tourism in Thailand: Social Change and Management Implications,” South East Asia Research 19, no. 3 (September 1, 2011): 381–420, https://doi.org/10.5367/sear.2011.0055; Maurizio Peleggi, The Politics of Ruins and the Business of Nostalgia (Chiang Mai, Thailand: White Lotus Press, 2002). ↩
- Marc Askew, “The Rise of ‘Moradok’ and the Decline of the ‘Yarn’: Heritage and Cultural Construction in Urban Thailand,” Sojourn: Journal of Social Issues in Southeast Asia 11, no. 2 (1996): 183–210. ↩
- 以下、参照例 Anek Laothamatas and อัครเดช สุภัคกุล, ล้านนานิยม: เค้าโครงประวัติศาสตร์เพื่อความรักและภูมิใจในท้องถิ่น (สภาบันคลังปัญญาค้นหายุทธศาสตร์เพื่ออนาคตไทย มหาวิทยาลัยรังสิต, 2014); สุนทร คำยอด and สมพงศ์ วิทยศักดิ์พันธุ์, “‘อุดมการณ์ล้านนานิยม’ ในวรรณกรรมของนักเขียนภาคเหนือ (Lannaism Ideology in Literature of Northern Thai Writers),” Journal of Liberal Arts, Maejo University 4, no. 2 (2016): 52–61. ↩
- “Monuments, Sites and Cultural Landscape of Chiang Mai, Capital of Lanna,” UNESCO World Heritage Centre, https://whc.unesco.org/en/tentativelists/6003/. ↩
- For more information on the role of statues in this history, see my “Sculpting and Casting Memory and History in a Northern Thai City,” Kyoto Review of Southeast Asia, no. 20 (September 2016), https://kyotoreview.org/issue-20/casting-memory-northern-thai-city/. ↩
- 例えば、ナコーン・シー・タマラート(Nakhorn Sri Thammarat)にあるプラ・マハタート・ウォラマハーウィハーン寺院(Wat Phra Mahathat Woramahawihan)は、インラック(Yingluck)就任から一年後に暫定リストに載った。“Wat Phra Mahathat Woramahawihan, Nakhon Si Thammarat,” UNESCO World Heritage Centre, accessed November 15, 2019, https://whc.unesco.org/en/tentativelists/5752/. “Monuments, Sites and Cultural Landscape of Chiang Mai, Capital of Lanna,” UNESCO World Heritage Centre, https://whc.unesco.org/en/tentativelists/6003/. ↩
- Pensupa Sukkata, 2019年7月12日のインタビュー ↩
- สมโชติ อ๋องสกุล and สำนักงานพัฒนาพิงคนคร (องค์การมหาชน), เชียงใหม่ 60 รอบนักษัตร: อดีต ปัจจุบัน และอนาคต (Chiang Mai at the 60th anniversary of the zodiac cycle : its past, present and future), (Chiang Mai, สำนักงานพัฒนาพิงคนคร, 2016, 333–41. ↩
- “Thailand Withdraws From World Heritage Convention Over Temple Dispute,” VOA, https://www.voacambodia.com/a/thailand-withdraws-from-world-heritage-convention-in-temple-dispute-with-cambodia-124589479/1358343.html. ↩
- 例えば、ナコーン・シー・タマラート(Nakhorn Sri Thammarat)にあるプラ・マハタート・ウォラマハーウィハーン寺院(Wat Phra Mahathat Woramahawihan)は、インラック(Yingluck)就任から一年後に暫定リストに載った。“Wat Phra Mahathat Woramahawihan, Nakhon Si Thammarat.” UNESCO World Heritage Centre. https://whc.unesco.org/en/tentativelists/5752/. ↩
- “Bureau of International Cooperation, Ministry of Education, Thailand,” สำนักความสัมพันธ์ต่างประเทศ สำนักงานปลัดกระทรวงศึกษาธิการ, https://www.bic.moe.go.th/index.php. ↩
- シルパコーン大学(Silpakorn University)建築学部企画調査部(planning and research affairs at the Faculty of Architecture)副学部長Kreangkrai Kirdsiri、Jintana Panyaarvudh, “Chiang Mai Will Get Unesco World Heritage Listing ‘Only If Thailand Pushes for It,’” The Nation Tha ↩
- Chatrudee Theparat, “Lamphun Asks Ministry for More Land to Expand Industrial Zone,” Bangkok Post, https://www.bangkokpost.com/business/1567622/lamphun-asks-ministry-for-more-land-to-expand-industrial-zone. ↩
- Ronald Renard, “The Image of Chiang Mai: The Making of a Beautiful City,” Journal of the Siam Society 87, no. 1 (1999): 87–98. ↩
- Taylor M. Easum, “Imagining the ‘Laos Mission’: On the Usage of ‘Lao’ in Northern Siam and Beyond,” The Journal of Lao Studies, Special Issue (2015): 6–23. ↩
- 強調は筆者による。“Chiang Mai’s Best Opportunity to Become a World Heritage City,” Chiang Mai World Heritage Initiative ProjectのMrs. Suwaree Wongkongkaewへのインタビューhttp://www.chiangmaiworldheritage.net/detail_show.php?id=69&lang=en. ↩
- Marc Askew, “The Magic List of Global Status: UNESCO, World Heritage and the Agendas of States,” in Heritage and Globalisation, by Sophia Labadi and Colin Long (New York, NY: Routledge, 2010). ↩
- “Why Can’t Thailand’s Provinces Elect Their Own Governors?,” The Isaan Record, May 1, 2018, https://isaanrecord.com/2018/05/01/why-cant-thailands-provinces-elect-their-own-governors/. ↩