Georg Stauth
Politics and Cultures of Islamization in Southeast Asia: Indonesia and Malaysia in the Nineteen-nineties
『東南アジアにおけるイスラム化政策と文化: 1990年代のインドネシアとマレーシア』
Bielefeld / Transcript Verlag / 2002
Mona Abaza
Debates on Islam and Knowledge in Malaysia and Egypt: Shifting Worlds
『マレーシアとエジプトにおけるイスラム教と知識に関する議論: 移りゆく世界』
London / Routledge Curzon / 2002
Syed Hussein Alatas
Ke Mana dengan Islam
『イスラム社会はどこへ向かうのか』
Kuala Lumpur / Utusan Publications & Distributors / 2002
Farish A. Noor
Terrorising the Truth: The Shaping of Contemporary Images of Islam and Muslims in Media, Politics and Culture
『真実のテロ化: メディア、政治、文化におけるイスラム教とイスラム教徒に関する現代イメージの形成』
Kuala Lumpur / JUST / 1995
Farish A. Noor
“The Localisation of Islamist Discourse in the Tafsir of Tuan Guru Nik Aziz Nik Mat, Murshid’ul Am of PAS”
「汎マレーシア・イスラム党(PAS)指導者、ニック・アジズ・ニック・マット師のコーランの解釈に見る、イスラム言説の地域化」
In Malaysia: Islam, Society and Politics 『マレーシア: イスラム教、社会、政治』, ed. Virginia Hooker and Norani Othman
Singapore / ISEAS / 2003
Farish A. Noor
The Other Malaysia: Writings on Malaysia’s Subaltern History
『もう一つのマレーシア:マレーシアの従属の歴史について』
Kuala Lumpur / Silverfishbooks / 2002
Chandra Muzaffar
Muslims, Dialogue, Terror
『イスラム教徒、対話、テロ』
Kuala Lumpur / JUST / 2003
東南アジアにおけるイスラム教は、常に「遅れて来た者」というコンプレックスを持ち続けてきた。しかし、イスラム教は、マレーシアとインドネシアにおいて、少なくとも16世紀以降人々の心に深く根付いており、イスラム教の中心地である中東と東南アジアの間には、思想やネットワークの上で着実な移動があった。クリフォード・ギアツ(Clifford Geertz)やスヌック・フルフローニェ(Snouck Hurgronye)といった学者たちは、地域的なアダト adat (慣習)に対してイスラム教中心地の影響を深くもたらし、経典に基づくシャリーア(Shariah)志向のイスラム教とアダトとの二分化に貢献した、とゲオルグ・スタウス(Georg Stauth)は主張する。しかし、イスラム教の概念を単に吸収するだけでなく、周辺部のイスラム教は非宗教的な近代化においてさえもイスラム的概念を用いている、と彼は主張する。
スタウスは、前首相マハティール・モハマド(Mahathir Mohamad)によって企てられた新しいシンクタンクによる、上からのイスラム化への操作、知識人の採用、地域的なイスラム伝統の再構築を分析している。これらの高級機関は、UMNOのイスラム政策を象徴しており、また、現代化とブミプトラ(bumiputra; マレーシア人)の解放という国家プロジェクトにとって重要不可欠なものである。このプロジェクトにおける卓越した知識人の一人がサィエド・ナギーブ アルアッタス(Syed Naguib al-Attas)である。彼は高名な西洋の東洋学者の弟子であり、アンワル・イブラヒム(Anwar Ibrahim)の師であり友人である。アル・アッタスal-Attasの目指すところは、土着の知識とマレーシアの政治を非西洋化することである。
モナ・アバザ(Mona Abaza)は、知識のイスラム化プロジェクトをポスト植民地論議のコンテクストの中に位置付ける。すなわち、西洋の支配と軍事的主導、危機と依存というイスラム精神である。この二つの論文は共に、西洋、および文化に対する西洋的批判と密接に結びついた議論を明らかにしながら、イスラム知識人たちの位置付けを試みるものである。イスラム知識人たちに関する魅力的な洞察を通じて、西洋に対する、また世俗に対するイスラム教社会の再組織化のヴィジョンを明らかにしている。
イスラム教の政治的インストルメンタリズムに対する批判の裏付けに貢献したのは、次に挙げる三人のマレーシア人学者である: サィエド・フセイン・アラタス(Syed Hussein Alatas)、ファリッシュ・A.ノール(Farish A. Noor)、 チャンドラ・ムザファール(Chandra Muzaffar)。サィエド・フセイン・アラタス (S. N. アル・アッタスの兄) は、エドワード・サイード(Edward Said)の『オリエンタリズム』からアジア社会について研究し、そこに見られる西洋的偏見を分析した。アラタスは新著の中で、イスラム教は政治的意図のために人質にとられた、と論じている。アラタスはムザファールの師であるが、そのムザファールはイスラム文明、倫理、正義観について独自の観点を展開している。両者とも、イスラム化を推進する人々はあらゆる形の政治的自由を抑圧するだろうという点において、知識のイスラム化プロジェクトには懐疑的である。
S. N. アル・アッタス(S. N. al-Attas)はイスラム教を、西洋の俗化政策に脅かされてきた、文化的に特異で、懐古的な過去として位置付けている、とノールは主張する。イスラム化プロジェクトの手段のためには、イスラム教は救済という使命を持ち、普遍的主張を有する唯一の宗教である。ノールが指摘するように、こうした考え方は、西洋に幻滅させられ、自国の歴史においても居心地の悪い思いをしていた、海外留学から帰国したマレーシア学生たちの世代にとって、非常に大きなアピールとなったのである。
アレキサンダー ホーストマン(Alexander Horstmann)
Kyoto Review of Southeast Asia. Issue 5 (March 2004). Islam in Southeast Asia