急速なデジタル化の進行で変わる参加のプラットフォーム
デジタル技術とインターネットは、我々の生活様式と、物理的な境界を越えた人と人との結びつきや交流の仕方を変えた。インドネシアは、列島という地理的条件にもかかわらず、国民同士が互いに結びついている。インドネシア国民の全インターネット利用者のうち、少なくとも78.5%は、最低でも、一つのソーシャルメディア・プラットフォームを利用している(Kemp, 2023)。また、デジタル技術とインターネットは、この国の政治参加にも変化をもたらした。勧められてはいないにしろ、国民は、これまで以上にソーシャルメディアを通じ、自らの意思を直接表明できるようになった。現に、ソーシャルメディア上では、常にニュースや意見、ストーリーが毎日シェアされ、議論されている。そのペースは、これらのデジタル・プラットフォーム上の言説が、果たして生産的と言えるのか、意義があるものなのか、疑問を感じるほどだ。
だが、デジタル技術による参加は、オンライン上の意見表明に国民が積極的に関与する大きな機械をもたらす。また、このような参加は、今後の民主主義の道筋さえも形成しつつあるが、これをアナログ領域で行うには無理があると思われる。一方で、地方自治体も、一連のデジタル・ブームに追いつこうと努力している。アジア太平洋諸国においても、インドネシアでは、「スマートシティ・ブーム」(Equinix, 2019)が生じており、市町村の公共サービス改善に向けた様々なデジタル化の導入にも、この様子が窺える。また、政府のソーシャルメディアチャンネルや、ウェブサイトは、より幅広い層に向けた情報発信と、事業や規制の公報にも利用される。だが、地方自治体がスマートシティ構築のために作成したデジタル・プラットフォームの数を見れば、政府のプラットフォームに市民の参加を促す効果がどれ程あるのかと思われるかもしれない。
ともかく、デジタル化と、インターネット利用の急速な進行が、国内の政治参加の変化に影響を与えた事は否定できない。現に、中央政府でさえ、情報技術とデジタルに関する国内初の法律、情報技術および電子商取引に関する2016年年度法律第19号(UU ITE /law 19/206 on information technology and electronic transactions)を制定したほどだ。だが、この法律は、政府や当局に対する抗議を沈黙させるために利用される事も多く、その施行は議論や対立を引き起こす。例えば、2023年の初頭には、Tiktokコンテンツ制作者の若者が、ランプン州の都市開発に対する批判を発表後、「ヘイトスピーチ」とUU ITE違反の罪で警察に通報された。結局、若者は有罪が認められず、今では潔白の身だが、これは、ソーシャルメディアで自分の考えを伝えようにも、言論の自由が認められるはずの空間に規制が残る状況を示した一例に過ぎない。
ここで、市民と政府が、デジタル化を関与のプラットフォームとして、どのように活用してきたかを振り返る。そして、全ての市民のための、より良い都市づくりに向けた市民と地方自治体とのやりとりを、これらの努力がどの程度、変えたのかを考察する。
「招集された機会」対「創出された機会」
まず、デジタル・プラットフォームの急成長に対する都市ガバナンスの対処法を検討すれば、対照的な参加のアプローチが明らかになり、「招集された機会」対「創出された機会」という概念が浮上する。
インドネシア政府は、ムスレンバン(musrenbang/ musyawarah perencanaan pembangunan)という、よりボトムアップ型のプロセスにより、ガバナンスや、計画策定、予算編成の地方分権化を導入してきた。この参加型の予算編成の取り組みでは、国家と地方の開発計画の策定に向け、下は地域レベルから、上は都市レベルまで、学者や、専門家、コミュニティ、市民が招かれる。これには、政府の計画と、市民のニーズを確実に結び付けようとする狙いがある。たとえ、都市各地での関与のレベルが異なっても、ムスレンバンは、都市ガバナンスのための「招集された機会」の推進に不可欠な役割を果たしている。
また、一部の都市では、明らかな選択的参加が行われている。選択プロセスの柔軟性は様々だが、最も一般的な理由が予算の都合だ。中には、スラカルタなど、地域の寄り合い文化が強い都市に、自主財源(voluntary budget)や、寄付金、企業の社会的責任(CSR)予算などを貯め、参加の手段を見出す都市もある。一方、バンドンやスラバヤなど、より良いインフラのある大都市は、このフォーラムにテクノロジーを導入し、オンラインのムスレンバンに移行した。これは、デジタル技術の活用により、さらなる市民関与と、透明性の向上を図るものだ。
だが、市民がムスレンバンを評価する一方で、懐疑論も見られるようになった。現に、このフォーラムは、今も、一般参加型の計画策定プロセスの象徴と見られている。また、コミュニティの関与は、限られているとは言わないが、形式的だ。つまり、これに関与するのは地域の一部の人々で、多くの場合が政府の方針に同調する一握りのエリートだ。このため、ムスレンバンがコミュニティの関与を妨げ、コミュニティの幅広い意見の代表性を制限する可能性もある。また、実際のところ、オンラインのムスレンバンは、市町村がスマートシティ・コンセプトを導入した証に過ぎないと見られている。今後、これが本来の目的に沿うように実施する必要があり、プラットフォームの持続可能性も検討される予定だ。
さらに、ムスレンバンのような公的な議場が限られ、また、特に若者たちの間で、政治参加の性質に一段と大きな変化があったのを受け、計画策定に向けた反政府的アプローチも出現した(Holston, 2014)。通常、若者たちは、政府の主導で招集される、確立された参加の領域外で、都市政治に参加している。例えば、ジャワ島中部のスラカルタでは、市内で生じる問題や、政策などに対処するため、非公式の市民フォーラム(フォーラム・コタ/ Forum Kota)が開設された。また、ソーシャルメディアや、新聞、関心を高めるための特別なイベントを通じ、市民の意向が発信されている。また、大都市では、地域のコミュニティが、オンラインとオフラインで開催する年に一度の公開討論も、より多く見られ、住宅や、公共交通機関、政策に関する問題から、市に対する気候変動の影響まで、様々な議論が行われる。これらのフォーラムは市民に関心のある情報を提供し、市民が都市での言説に参加する能力を高め、共に議題作りを行うという大きな可能性を持っている。
年に一度、都市の議論を行う一般公開型のプラットフォームの一つが、アーバン・ソーシャル・フォーラム(USF/ the Urban Social Forum )だ。2013年以降、USFは、都市にある喫緊の課題に取り組む市民団体や、活動家、学者、学生たちの間で、知識が交換され、アイデアが議論され、ネットワーク作りが行われる、開かれた場を提供してきた。つまり、このフォーラムは、市民が新たな選択肢となるアイデアを提唱し、「これまでとは異なる都市もまた可能だ!(urbansocialforum.or.id)」という発想を与える、真に公的で民主的な機会だ。このオフラインのフォーラムは、興味のある都市の言説に誰もが参加できる、都市の「創出された機会」だ。
しかし、残念ながら、創出された参加の機会には欠点もある。例えば、今もオフラインを中心に行われる実際の政策決定と、オンラインの活動をいかにして結びつけるのかという懸念が高まっている(Zhang, 2013)。確かに、デジタル・プラットフォームでは、誰もが、都市の開発に関する懸念を表明できるが、それが、実社会の変化にどれ程の影響を与えるかは議論の余地がある。だが、2016年に、レンテラ・インドネシア(Lentera Indonesia)が、オンラインの嘆願書を投稿すると、一つの最良の展開が生じた。この嘆願書は、性暴力犯罪法(Sexual Violence Crime Law)のインドネシア国民議会による議論と批准を支持するものであった(Change.org, 2016)。6年以上の支持活動を経て、ついにこの嘆願書は目的を達成し、2022年にこの法律が国家によって批准された。
残念ながら、政府が作成したデジタル・プラットフォームでさえ、このような成功はまだ稀だ。実際、インドネシアの複数の都市には、市民の苦情を扱うウェブサイトがあるが、その全てが対応されているわけではない。無論、政府は特定年度内にこれらの苦情を都市計画に反映させるべきだが、この処理には長い時間と、現職市長の強い政治的意思が必要だ。ただ、このような状況は、政治不信(Kersting & Cronqvist, 2005)や、市民の政治離れさえ招きかねない。
では、これら全ての現象を観察した上で、我々は、この対立したサイバースペース内で、どのような立場を取るべきか?
意義ある行動を共同で起こす
デジタル化により、参加のための「招集された機会」と、「創出された機会」の対立が際立った結果、形だけの参加が生じた。インドネシア国民のスキルや、社会的アイデンティティは様々だが、彼らの大半は、インターネットを使える環境にある。だが、デジタル・プラットフォームが排除をもたらす可能性も認識しておかなければならない。このような排除は、プラットフォーム化された参加を見かけ以上に複雑にする。例えば、Lairana (未だに電気も来ず、通信塔もない、インドネシア東部の女性障害者)や、Kei (大都市に住むノンバイナリーで、今も、国家がそのアイデンティティを認めておらず、社会的スティグマを被っている)という人々が存在する。そのような人々が、自分たちの横断的なアイデンティティの代表性を考えながら、都市のガバナンスに参加するのは極めて複雑で、デジタル面については言うまでもない。
また、認識について言うと、情報は、ニュースサイトや、ソーシャルメディアで流れているが、市民が真実と、半面の真実、あるいは、虚偽の情報を見分けるのは一層困難となった。なぜなら、政府と手を組んだインフルエンサーが事実を見えにくくしているからだ(Nugroho & Wihardja, 2023)。だが、若者の主導で出現した、反政府的で、独立したプラットフォームもあり、これらは、一般的なナラティブに異を唱え、現場のニュースを明らかにしようとしている。さらに、アイデアや議論、市民ジャーナリズムの発信を目的としたメディア、Kolektif Agoraは、主流メディアが飽和し、厳しい規制を受ける中で、表現の自由に希望を与える一つの事例だ。また別のBijak Memilihというプラットフォームは、Think PolicyとWhat Is Up Indonesia (WIUI)によって設立され、一人の若い女性による主導の下で、大統領候補者と、その支持政党の方針や、政治的経歴に関する情報を市民に提供している。
確かに、参加という言葉には物事を解決に向かわせる響きがあるが、根本的な変化を起こすには、政府がこれを推進する必要がある。ここで、先に述べた法規(UU ITE)を思い出してみると、デジタル技術は中立的なツールではなく、設定と管理の仕方次第で、排他的なパターンを増殖させる可能性があると分かるだろう(Polgar, 2010)。また、このような法律は、インドネシア市民が自らの意見を発表する前に、自己検閲を行わせる。なぜなら、市民は、元Tik Tokコンテンツ制作者に起きた事が、自分自身にも降りかかるのではないかと恐れているからだ。だが、多くの場合、抑圧は都市開発に対する不満をもたらす。そもそも、市民を黙らせたまま、市が市民のニーズに応えられるわけもないだろう。
これらの問題を振り返ると、参加のプラットフォームの設計には、より共同的なアプローチの構想が必要だ。このためには、まず、市民・政府間に共通の理解を育むところから始めなければならない。例えば、現在、両者が都市形成のプロセスにどう取り組んでいるのか、今後、これにどう取り組もうとしているのか、その動機や、障壁、実現の手段について、共通の理解を育む必要がある。また、市に対する市民の権利と責任に関する知識が市民に与えられなければならない。例えば、2015年以降、コタキタ財団(Kota Kita Foundation)は、アーバン・シティズンシップ・アカデミー(Urban Citizenship Academy)というプログラムを立ち上げた。これは、実際にある都市の問題に対する有意義な解決策を編み出す能力を若者に与える実践的な教育プログラム(kotakita.org)であり、同プログラムは、アクティヴィズムや、シティズンシップ、発言の手段について、若者を啓発すると共に、彼らが地域や都市規模での運動を開始する支援も行ってきた。同時に、地方自治体も、市民のニーズに応えるプラットフォームを作成するなど、市民のニーズへの対応力を改善するべきだ。
さらに、政府と市民が、デジタル・プラットフォームの制作を共同で行えば、信頼が生じ、参加も促進されるだろう。これによって、従来の代議型の参加に、直接審議型の参加手法を組み合わせた、より民主的な改革が生じるだろう。この参加はオフラインとオンラインの手法を融合したものとなる(Kersting, 2013)。また、参加は包括性を前提としなければならない。つまり、単なる象徴的参加でも、一部の限られた者のためだけの参加でもなく、市民の交差性(年齢、ジェンダー、能力、移住のステータスなど)を考慮した参加でなければならない。たとえ、政策によって正式化されなくても、そのような参加が、政府のコミットメントに支えられ、揺るぎない強制力と共に、適切に実施されるべきだ。
全ての市民には、自分たちの都市を形づくる権利がある。そして、都市において意図のある議論や主張を生み出すためには、集団空間としての都市を取り戻す権利を認識することが不可欠である。市民に情報と権利を与えることによって、全ての市民のためのモデル都市の構想が共有されることが可能となる。
Asri Septarizky & Hasanatun Nisa Thamrin
Kota Kita Foundation, https://kotakita.org/
Banner: Jakarta, Indonesia – May, 2023: A number of people are using their smartphones on the streets of Jakarta. Abdlh Syamil, Shutterstock
References:
Change.org. (2016, May 3). Sahkan UU Penghapusan kekerasan Seksual. #MulaiBicara #GerakBersama. Retrieved from Change.org: https://www.change.org/p/dpr-ri-sahkan-uu-penghapusan-kekerasan-seksual-mulaibicara
Equinix Editor. (2019, May 6). Why Are Smart Cities Booming in Asia Pacific? Retrieved from Equinix Interconnections: https://blog.equinix.com/blog/2019/05/06/why-are-smart-cities-booming-in-asia-pacific
Holston, J. (2014). ‘Come to the Street! Urban Protest, Brazil 2013’, Anthropological Quarterly, Vol. 87, No. 3, pp. 887-900.
Kemp, S. (2023, February 9). Digital 2023: Indonesia. Retrieved from Data Reportal: https://datareportal.com/reports/digital-2023-indonesia
Kersting, N. (2013) ‘Online participation: from ‘invited’ to ‘invented’ spaces’, Int. J. Electronic Governance, Vol. 6, No. 4, pp.270–280
Nugroho, Y., & Wihardja, M. M. (2023, October 9). Preventing Indonesia’s “Digitalised” Democracy from Backsliding. Retrieved from Fulcrum: Analysis on Souteast Asia: https://fulcrum.sg/preventing-indonesias-digitalised-democracy-from-backsliding/
Zhang, W. (2013). Redefining youth activism through digital technology in Singapore. In Digital Activism in Asia Reader edited by Nishant Shah, Puthiya Purayil Sneha, and Sumandro Chattapadhyay, Meon Press, Luneberg, 235 – 256