アイデンティティと社会的包摂

Htet Paing Oo

Shan State, Myanmar. Local village woman with son pose for a photo. Natalia Davidovich / Shutterstock.com

アイデンティティと社会的包摂をめぐる問題は、ミャンマー社会における長年の争点だ。ミャンマーは民族言語学的に世界で最も多様な国の一つで、公式に認められた少数民族は135、その言語は約107種ある。それに、ミャンマー国境内では数多くの宗教団体が共存し、仏教徒(87.9%)や、キリスト教徒(6.2%)、イスラーム教徒(4.3%)、ヒンドゥ教徒(0.5%)、および精霊崇拝者(0.8%)などがいる。このような状況の中、対立をもたらす植民地支配の遺産と、多数派ビルマ族優位の歴史が民族や宗教の断層線(fault lines)を形成し、今日も社会を分断し続けている

この記事では、準民主主義的統治の行われた2011年から2021年までの10年間に、アイデンティと社会的包摂がどのように展開したかについての概要を述べる。まずは、軍寄りの連邦団結発展党(Union Solidarity and Development Party: USDP)下での状況を述べ、次に、国民に選挙で選ばれた2016年以降の国民民主連盟(National League for Democracy: NLD)政権下での状況を述べる。ここでは、エスニシティ、宗教、ジェンダーおよび性的志向という三つの面に沿って社会的包摂性の概念を構築する。また、慎重な楽観論では、準民主政権がミャンマーに一段と高い社会的包摂性をもたらすとしているが、そのような進展はまだ限られたままだ。だが、2021年2月1日の軍事クーデターには、新たな転換点となる可能性がある。というのは、このクーデターによって、以前なら乗り越えられなかった分裂を超え、新たな連帯が構築されたからだ。だとしても、複数のステークホルダーが次第に緊迫感を増す状況の舵取りをする上は、当初の連帯が持続するものとなるかどうか、今はまだ分からない。

ミャンマーの歴史背景におけるアイデンティティと社会的包摂

植民地支配(1824-1948)の下では、英国による分割統治政策が、多数派のビルマ族と少数民族を対立させた。それに、独立後の激動の時代には、人々を結束させる国民アイデンティティも無いまま、複数の少数民族が自治権拡大を求める闘いの中で、少数民族武装勢力(Ethnic Armed Organizations: EAOs)を結成した。さらに、1962年の軍事クーデター後には、民族的・宗教的マイノリティに対する国家的な抑圧が強まった。その後、軍事政権は1982年ビルマ国籍法(the 1982 Burma Citizenship Law)を採択し、これが現在も改正されずに、ムスリムやヒンドゥ教徒、華人などの集団を差別している。事実、これらの集団は、ミャンマーの原住民(Taing Yin Thar)ではないとの理由により、完全な市民権を認められていない。特にムスリムは、殊さら差別の標的とされ、政府や軍の職を追われた。また、1990年代の大規模な軍事攻撃の際には、軍部が特定の少数民族の集団を優遇する一方、その他の集団を厳しく弾圧した。さらに、軍政支配下での差別はジェンダー差別にも及んだ。そもそも、タトマドー(Tatmadaw :いわゆるビルマ軍)は昔から、女性指導者をタブー視してきた。例えば、国軍の最高幹部が重んじる、「雌鶏ではなく、雄鶏の鳴き声のみが夜明けをもたらす」というビルマの格言には、国家は男性が統治する場合のみ強くなれるという意味がある。また国軍は、スパヤーラット(Suphayarlat)女王の無分別な統治が、英国によるビルマ帝国の植民地化をもたらしたという話を捏造し、無能な女性指導者のナラティブを広めた。このような事情から、軍が公布した2008年憲法では、一部の重要な閣僚ポストが男性のみに割り当てられている。また、女性が兵役に就く事は、ごく最近になって、ようやく認められたが、軍部にも政府にも、地位のある女性はごく僅かしかいない。

National League for Democracy’s headquarters in Yangon (before reconstruction). Wikipedia Commons

USDP(2010-2015)とNLD(2016-2021)政権下での準民主的統治への移行  —社会的包摂性に向けた、わずかな進歩

民族の包摂

2011年の民政移管後、連邦団結発展党(USDP)政権は、少数民族の異なる集団間に分割統治的な手法を用い、包括的な和平交渉の前段階である全国停戦合意(the Nationwide Ceasefire Agreement: NCA)から一部の少数民族武装勢力(EAOs)を排除した。しかし、2015年選挙でNLDが政権を獲得すると、民族のさらなる包摂と平等な待遇への新たな期待が高まった。なぜなら、NLDの選挙公約では、政治対話を行って民族紛争の根本原因に取り組む事、平等な権利と民族自決、資源共有の原則に基づく真の連邦制国家に向けて努力する事が誓われていたからだ。ところが、NLDは政権の座にあった5年間に、この公約を大して実現できなかった。後に、NLDはこの失敗を正当化し、2008年憲法による制約のせいだと主張した。

Ashin Wirathu, a Burmese Buddhist monk, leader of the Myanmar’s extremist 969 Movement. He has been accused of conspiring to persecute Muslims in Myanmar through his speeches, although he claims to be a peaceful preacher – a claim disputed by others. Wikipedia Commons

だが、少数民族の視点から見ると、常にビルマ族の多数派が国家統治機構の中心となるべきとするNLDの民族至上主義的な信念に、この失敗の原因があった。他にも、NLD政権と国軍の緊密な関係、両者が早急な憲法改正に乗り気でない事や、少数民族との平等な権力分担に関する憲法条項の改正に反対している事なども、少数民族の指導者から批判されている。

宗教の包摂

1962年以降、仏教は、もはや国教ではなくなったが、2008年憲法361条は、仏教がミャンマー社会における「特別な信仰である事」を認めている。その結果、歴代ミャンマー政府は他の宗教集団を顧みず、仏教を優遇し続けてきた。この政府による仏教の優遇には、宗教的共生を地域社会や個人のレベルで妨げる政策や法律、実践が含まれる。その分かりやすい例の一つに、礼拝施設の建設をめぐる、様々な宗教集団への不公平な待遇がある。例えば、仏教徒なら、仏塔や寺院など、どんな宗教施設でも、気に入った場所に自由に建てる事ができる。だがこれに対し、キリスト教やヒンドゥ教、イスラーム教の団体は、既存の礼拝施設を改修するにも、新たな建物を建てるにも、許可を得るのを困難に感じている。

これまで、USDP政権(と国軍)は、右翼活動家のネットワークや団体を動員し、自ら仏教ナショナリズムを扇動してきた。この例には、仏教徒ナショナリストの969運動(the 969 Buddhist nationalist movement)や、民族宗教保護協会(the Association for Protection of Race and Religion:MaBaTha: マバタ)などがある。これらは、ビルマ人仏教徒の民族と宗教を保護するために設立された団体だ。中でも、イスラーム教社会は、過剰な程この国の差別的法律や仏教徒社会の敵意の対象とされている。例えば、2015年の4月と8月には、USDP政権が民族宗教保護法(Race and Religion Protection Laws)と総称される4つの法律を可決したが、これらの目的は、イスラーム教社会を排斥し、仏教徒社会との交わりを全国的に持てなくする事にあった。さらに、2012年以降には、ラカイン州の超国家主義者をはじめとする少数民族が、何百というイスラーム教の宗教施設を焼き払い、破壊した。これらの建築物には、ラカイン州の多くのタウンシップ(郡区)各地にあるモスクや宗教学校(マドラサ)が含まれていた。しかも、このムスリム社会の宗教基盤の破壊に、ラカイン州政府、特に保安国境問題省(the Ministry of Security and Border Affairs)が資金援助を行っていた事が大きく報じられた。このため、今日では、ムスリム社会の人々が礼拝式や宗教行事に参加するためのモスクは、ごく僅かしか残されていない。

Do Aung San Suu Ky at a forum in Prague in September 2013. Photo: Nadezda Murmakova / Shutterstock.com

結局、NLD政権は、ムスリム社会の排斥をほとんど解消することができなかった。特に同政権は、USDPによる宗教の政治化や、右翼活動家による反ムスリム感情の扇動を上手く抑える事ができなかった。またNLDは、多くの公民権からムスリム社会を排斥する差別的な行為の廃止にも失敗し、彼らに平等な市民権や、ムスリム地区や村落の外での移動の自由などの権利を与えられなかった。その上、同政権は、特にラカイン州で、ムスリム社会の教育や医療などの公共サービスへのアクセス改善にも失敗した。

また一方で、ムスリム以外の非仏教徒社会についても、宗教間の緊張が生じている。例えば、ラカイン州では、仏教徒や精霊崇拝者の間でキリスト教への改宗率が上昇し、地域間の緊張が増幅している。これに対し、仏教徒社会は、キリスト教の宣教師やキリスト教会の建設の数を制限しようと試みている。また、その他の地域では、宗教間対立による緊張関係が、同じ民族集団内にさえ暴力を引き起こしている。このような民族・宗教間対立の顕著な例の一つに、キリスト教徒を主な構成員とするカレン民族同盟(Karen National Union: KNU)と、仏教徒を主な構成員とする民主カレン仏教徒軍(Democratic Karen Buddhist Army: DKBA)の武力紛争がある。これは、両集団が同じ民族のアイデンティティを共有していたにもかかわらず、「宗教色の強い」紛争だった。

ジェンダーと性的志向の包摂

さらに、ジェンダーのアイデンティティや、性的志向を理由とした排斥は、今もミャンマーに根強く残る問題であり、男尊女卑はエスニシティに関係なく、ミャンマー社会に深く根を下ろしている。この男性優位の社会、文化、宗教の諸制度は、昔から女性やLGBTQ+の人々を排除し、彼らに多くの市民権を与えてこなかった。特に女性排除が目立つのが、ビルマ族の仏教徒社会だ。というのは、大半の仏教徒男女が、男性には生まれつきhponという性質があると信じ、このために男性の精神的優位を認めているからだ。その結果、女性は僧籍に入る事も、特定の仏像や仏画に近づく事も、男性より高い地位に立つ事も許されていない。

それでも、1988年の民主化デモ後には、次第に女性の政治参加が進み、大勢の女性政治活動家や指導者が出現した。また、NLD政権期には、女性国会議員の数も増え、その割合は2010年選挙の時には5%未満だったものが、2015年選挙では13%、2020年選挙では15%となった。このような心強い傾向があるにせよ、村落区行政官(Village Tract Administrators: VTAs)や地域社会の長老、市民社会団体(CSO)や地域社会組織(CBO)の指導者など、地方や地域社会の指導的立場に選任される女性はほとんどいない。それに、この国の和平プロセスに女性が参加する割合も、まだ極めて低い。事実、全国停戦協定(NCA)で交渉人代表を務める女性は、67人中4人(つまり6%)しかおらず、その全員がEAOsの代表者で、政府や国軍、現地CSOsの代表者ではない。

だが、2010年の政権移行以来、LGBTQ+の人々は、社会の理解が深まるにつれ、次第に安心できる社会環境が実現されてきたと感じている。それでもなお、彼らは社会・政策の両レベルで差別にさらされ続けている。例えば、同性間の性交は今でも違法とされ、トランスジェンダーらしさの表現は、刑法第377条の下で犯罪とされている。それに、これまでLGBTQ+の人々が議会や政府、あるいは、地域社会の指導的立場の代表となった事もほとんどない。

People of Myanmar protest calling for freedom and release of Myanmar’s ousted civilian leader Aung San Suu Kyi, against a military coup in Mandalay, Myanmar, on July 18.2021. Photo: Sai Han One / Shutterstock.com

2021年2月1日の軍事クーデター ―コミュニティ間の関係の転機となるか?

2021年2月1日の軍事クーデターは、ミャンマーの社会的包摂の転機を意味しているのかもしれない。実際、クーデター以降の4カ月間で、コミュニティ間の関係には重大な変化があったようだ。また、少数民族、特に国境地帯の諸民族は、何十年もの間、国軍の容赦ない残虐行為の対象にされてきたが、多くのビルマ族にとっては、国軍の虐待を目撃したのは今回が初めてだった。そのため、このクーデターは多くのビルマ族に反省を促し、大勢の者が少数民族の苦境に対し、より深い共感を示した。さらに、彼らは自分たちがロヒンギャ族などの少数民族の苦境を認識し、受け止められなかった事についての公式謝罪も行った。

また、今回の民主化運動は、社会的に排除された集団の主張に世間の注目を集め、彼らが社会的ヒエラルキーに挑む機会ともなった。実際、これまで抗議運動の先頭に立ってきたのは女性たちだ。例えば、ヤンゴンで最初のクーデター反対デモを主導したのは、二人の若い女性活動家だった。一方、LGBTQ+コミュニティの参加者も、街頭デモではひと際目を引く存在となった。彼らがデモに参加した事で、LGBTQ+コミュニティに対する市民の認識は高まり、主流派の理解も深まった。

ただし、これらの進歩が持続していくかどうかを見極めるには、まだ早すぎる。なぜなら、多くの少数民族は、ビルマ族の彼らに対する共感の高まりを一時的で、ビルマ族への弾圧が収まれば、立ち消えるに違いないと考えているからだ。それに、軍事政権の転覆に少数民族の協力が必要な事を考えれば、少数民族には、ビルマ族の誠意も疑わしく思われる。つまり、軍政が政界から排除された後も、ビルマ族が真に包括的なフェデラル民主連邦(federal democratic union)の設立を遂行するかどうか、少数民族は確信が持てずにいるのだ。それにビルマ族の中には、ビルマ族の多数派がミャンマー政治の主導権を担い続けるべきだと考える者が、まだかなりの割合でいる。確かに、ビルマ族も少数民族も、国軍を共通の敵と見ているし、両者には独裁政権の廃絶という共通の目的もある。だが、ビルマ族の多数派と少数民族の間には、まだ相当な不信感が残っており、これが両集団の関係を邪魔している。

だとしても、これらは解決が不可能な問題ではない。各政党やEAOs、CSOsの指導者は協力し、クーデター以降に高まった連帯感を存分に活用するべきだ。昔から、各政党やEAOsには、民族ごとの政治的特色があり、それが協力を困難にしている。だが、近年では、各機関の間を取り持ち、異なる政党やEAOsの指導者同士の交流を促進する多くのCSOsも現れている。例えば、少数民族のCSOsは、連邦民主主義憲章(Federal Democracy Charter)について諮問を受け、ビルマ族が多数派を占める連邦議会代表委員会(Committee Representing Pyidaungsu Hluttaw: CRPH)と少数民族政党の対話を促した。それに、国民統一政府(National Unity Government: NUG)も、少数民族の政党やEAOs、CSOs、活動家団体の指導者をメンバーに迎えている。この事は、ミャンマーの多様な人口構成を反映しているだけでなく、この国の集団指導体制も強化しているのだ。最終的に、より包摂的な社会に向けたミャンマーの歩みは、この国の様々なステークホルダーが、先行きの見えない状況の中で、いかに信頼を深め、協力を育めるかにかかってくるだろう。

Htet Paing Oo
Senior Research Consultant and Senior Program Manager
Center for Diversity and National Harmony (CDNH), Myanmar

Photo collage of events from the Center for Diversity and Social Harmony