イサーンにおける灌漑——東北部のアイデンティティと水政策

Kanokwan Manorom

本論では、タイ東北部(イサーン)の水政策が、この地域の地理条件や人々をどのように結び付け、イサーン人の従属的政治アイデンティティを生み出し、助長し、時には、挑戦しているのかを考察する。灌漑とダム建設は、タイ東北部とタイ中央政府との不均等な関係を維持する上で、絶対不可欠な存在だ。そもそも、水政策は社会的に中立的な政策ではない。むしろ、これは暑くて乾燥したイサーンの地理的特性を、イサーン人が後進的で劣った反体制派だ(ゆえに、より厳しく統治する必要がある)とするイメージに結び付ける政策なのだ。

タイ東北地方のイサーンには、20の県が存在する。この地方は、タイ最大の地域であり、その約2,200万人の住民は全国の総人口の33%を占める。この地域の人々、コーン・イサーン(khon Isan/イサーン人)は、主にラオ語の話者である。だが、タイ史のどの時代にも、イサーン人は無教養で後進的な人々との烙印を押されてきた。その原因は、民族主義的な社会のヒエラルキー構造にある。また、イサーンはタイで最も貧しい地域であり、1人当たりの国民所得は最低レベルだ。それにイサーンの大地は、砂で覆われ、酸性、不毛を特徴とし、これが農業経営を困難にしている。このため、同地域からバンコクに送られる出稼ぎ労働者は、タイの他の地域よりも多い。

大規模な水インフラは、干ばつに強いという口実でこの地域に売却され、二毛作を促進してきた。これらの政策は、100年近くの間、イサーンにおける政府の重要政策となっている。東北地方の政治家は、しばしば、このような政策がコーン・イサーンに水を供給し、生活と収入を向上させると言っている。だが大抵、中央政府と全国の政治家は、水政策を貧困からコーン・イサーンを「救う」手段であり、イサーン政治を支配する方法と位置付けている。とはいえ、後述するように、コーン・イサーンは受け身のアクターではない。むしろ、彼らは常に水管理をめぐって政府と闘ってきたし、そのような闘いを通じて、しばしば、自分たちの従属性に異議を申し立ててきた。この地域の水にまつわる歴史を分析する事で、どのように水政策が、コーン・イサーンを後進的とするイメージを生み出しているかが分かる。さらには、この分析によって、水政策がコーン・イサーンの新たな政治的実践を生み出す場となった事も明らかになるだろう。

 

水とイサーン支配

過去70年のうちに、イサーン地方は森林地帯から水田地帯へと、急速な環境の変化を経験してきた。また、これとほぼ同時期に、中央政府は様々な種類と規模の灌漑事業、6,000件以上に出資してきた。これらの事業は、この地域の約120万ヘクタールの土地に水を供給するために計画されたものだ。これらの事業では、同地域を乾燥した不毛の土地であり、これを開発し、住み良くするには、インフラが必要だとされている。

だが、これらの地理的特性にも、政策が関係している。というのも、タイで共産主義の反乱が起きた時代に、イサーンは、その地理条件や貧困、そしてラオスやカンボジアに国境を接する立地から、特に共産主義の影響を受けやすい地域と認識されていたのだ。これらの不安材料の重なりは、一連の政治的で開発主義的な傾向のある国家主導型の開発事業を開始させる動機を政府に与えた。そのようなわけで、米国の支援もあり、イサーンが経済・インフラ開発の優先対象とされた事で、近隣諸国の「共産主義の脅威」を抑制する緩衝地帯が生じる事が望まれていた。

1958年にサリット・タナラット(Sarit Dhanarajata)陸軍元帥がタイの主導権を握ると、彼はイサーンにおける幾つかの事業に着手した。この地域の出身者であるサリットは、米国から資金援助を受け、5年間の開発計画(1961年に発表)を推進した。この計画の一部であった緊急農村開発計画(Accelerated Rural Development Programs)は、県知事の管掌の下で反乱対策を講じ、経済改革を促進させる一つの手段であった。

当時、政府はコーン・イサーンの生業として、大規模な工業型農業を奨励していた。これに伴い、イサーン農民は、コメの生産高を上げるため、「緑の改革(Green Revolution)」の一環として導入されたハイブリッド種や、化学肥料、殺虫剤の使用を勧められた。このように、農業が変わってゆく状況の中で、新たな農法はコメの生産高向上に役立ち、農民は需要の増加に応じるべく、新たな土地区画を開墾した。この新たな手法は、土着農法よりも多くの水を必要とするものであった。

Rice Farmers in Ubon Ratchathani, Thailand

現在、イサーンには17基の水力発電ダムがあるが、最新のものは、ウボン・ラチャタニ(Ubon Ratchathani)県のパクムン(Pak Mun)・ダムだ。イサーンにおける農業の重要性を考えると、バンコクで権力を握った全ての政権が、この地域の開発ニーズに対する解決策の第一として、水資源を大いに重視してきたのは当然の事だと言える。だが、たとえ政府が、この地域の経済成長の促進のために巨大ダムの提案をしたのだとしても、これらは、バンコク向けに電力を発電するダムとされたのだ。このようにして、ダム建設はバンコクとイサーンの非対称的な関係性を助長する事になった。それに、コーン・イサーンは、ダムがもたらした結果に苦しみはしたが、これらの事業から、ほとんど何の恩恵も受けなかったのである。

また、論争の的となったパクムン・ダムの状況も、これと似たようなものだった。このダムが1994年に完成した後、多くの急流は水底に沈み、ムン川とその支流からは、150種類以上の魚種が姿を消した。これに対し、パクムン・ダムがもたらす灌漑と電力の恩恵には限りがあった。このため、貧民連合(Assembly of the Poor, 以下AoP)と世界ダム委員会(The World Commission on Dams , WCD)は、この事業を大いに批判した。また、このダムが建設される前には、適切な環境アセスメントが行われていなかった。しかも、商業と自給自足の両方の目的で、小規模な漁業活動を営む地域の村人は、川や河川資源に対するダムの悪影響に比べると、灌漑用水にどのような利点があるのか分からないと述べた。地元住民は漁業収入を失い、多くの者がAoPに代わってデモに参加した。これらの運動には、イサーン各地から人々が集まり、中にはシリントン・ダムなど、過去の事業の影響を受けた人々もいた。このようにして、人々は新たな方法で運動に加わる事となった。これらの運動は「タイ・バーン(Thai Baan)研究」を通じて、新たな知識を生産し、反覇権主義的な政策決定の可能性を提示した。そうする事により、彼らはイサーンの環境政策と政治的アクターの改革を行ったのである。

また同時に、政府は水力発電事業にも着手し、経済発展を促そうとした。この水関連のインフラ計画は、貧困を撲滅し、食糧の安全保障をもたらし、アグリビジネスに水を供給する手段として、具体的レベルで様々に正当化された。また、これらの計画には、重要な政治的意義もあった。というのも、これらは共産主義の反乱と闘い、政治的支援を得るために計画されていたからだ。この地域で最初の水力発電事業は、1971年に完成したラムドムノイ(シリントン・ダムLam Dom Noi/ Sirinthorn Dam)で、このダムの建設により、2,526世帯が強制的に彼らの土地を追われる事となった。その後、不毛な土地に再定住させられた彼らには、なけなしの補償が与えられたばかりである。

The Lam Dom Noi that is stopped by Sirindhorn Dam. Wikipedia Commons

不毛地帯イサーンの新たな水事業

タイ政府による予測では、全国の全セクターで、水需要の大幅な増加が生じるという事だ。だが、政府の報告書によると、この国には、農村部と都市部における水利用の需要を十分に満たすだけの利用可能な水が無い。目下、水不足はタイ全土で深刻な状況にあるが、イサーンでは一段と危機的な状況なのだ。

2018年にタイの軍政は、20年計画の国家戦略(2018-2037)を決定し、これによって各機関で重複していた水管理を合理化し、541,000基以上の小規模ダムを建設し、350万ライ(rai)の流域を再生しようと試みた。しかし、東北地方9県が深刻な水不足に直面しているというのに、この政策では、主要工場などの経済活動に水を供給する事に主眼が置かれていた。一方の農民は、慎重に計画を立て、干ばつに強い作物を育てるよう指示されたのだ。また、2018年には、160の貯水池が水不足に直面していた。そのうち、35の貯水池の貯水量は、満水時の30%以下であった。それなのに、軍政は他のセクターの水利用を制限するでもなく、イサーン農民に、集中的な散水を要する特定の乾季作物を育てぬよう強く求めたのであった。

また、2020年には、防災防止軽減局(the Department of Disaster Prevention and Mitigation, DDPM)が、25の県を干ばつ被災地として発表したが、そのうち10県はイサーンにあった。これに対し、メコン川委員会(The Mekong River Commission, MRC)は、干ばつが極端な気候変動によって生じた状況だと説明していたが、NGOは中国のダムが、さらなる干ばつを引き起こし、これを深刻化させたと報告した。いずれにせよ、これらの干ばつの発生が、政府に、イサーンの灌漑により大規模な投資を行う事を促したのである。

農家に水を供給する主な目的は、商業的農業を推進し、その結果、大半の農家がキャッサバやトウモロコシ、サトウキビや天然ゴムなどの新たな換金作物を手掛けようになる事だ。ところが、このように気候変動や地域の土質が農業に制約を与えるため、イサーンの農家、一戸あたりの現金収入は、農業の継続性改善のための数々の努力も空しく、いまだに全国の農業生産平均の3分の2以下と推定される。そこで、政府はイサーンをサトウキビ工場とバイオ燃料生産のための「バイオエコノミー(bio-economy)」拠点として推進するようになった。このプロセスの中で、農業生産の増加が収入を生み、コーン・イサーンの生活水準を向上させる、と政府は請け合うのだ。これらの事業には、政府がそのように約束しながら、イサーン地方の農業構想を常に練り直している様子が表れている。

大規模な計画は、イサーンにおける事業を通じて次々に推進されてきた。その事例には、コーン・チ・ムーン(Khong-Chi-Mun)の分水計画や、水道網などの事業がある。しかし、ハウナ(Hau Na)・ダムや、ラーシーサライ(Ra Si Salai)・ダムのある、シーサケート(Si Saket)県や、ローイエット(Roi Et)県、スリン(Surin)県の村民は、このような事業の悪影響を目撃してきた。これらの県では、主要な湿地帯が水没した事で、過去30年にわたって村民経済に著しい影響が出ているのだ。

The Ra Si Salai Dam. Villagers claim that Department of Energy Development and Promotion did not release information before or during the dam’s construction. DEDP claimed it was building a 4.5-metre rubber weir that would not raise water levels above the riverbank. Wikipedia Commons

2009年には、コーン・チ・ムーン計画が、新たに「メコン・ルーイ・チー・ムーンの河川管理と重力排水 (Mekong-Loei-Chi-Mun River Management and Diversion by Gravity) 」計画として復活した。タイ王室灌漑局(Royal Irrigation Department, 以下RID)によって開始された、この最新事業は、この地域の灌漑農業用地を約5万㎢(3千万ライ以上)も拡大させると見込まれている。これは、172万世帯の農家収入を、19万9千バーツ増加させるという事だ。これに際して、RIDは同計画の戦略的環境アセスメントを2012年に完了させた。この計画は、メコン川の水を、チェンカーン(Chiang Khan)郡のルーイ川に流し込む事を提案していた。だが、この分水計画の予定地には、村民の居住区域があり、計画が実行されれば、同区域は水没する事となる。そうなると、過去に自然発生した洪水で苦しんでいた村民を、さらに苦しめる事となる。そのような事から、市民社会組織やNGO、研究者は、この分水計画を疑問視しており、現地の人々にも環境的影響が及ぶ可能性があると考えている。

たとえ、現在進行中の問題が、水不足とお粗末な計画設計の両方のせいで生じたとしても、常にイサーン地方の水政策と水政治を形成しているのは、この地方の乾燥した地理条件や、干ばつが貧困を誘発するというイメージなのだ。これらの事業と、これに伴う政治的、経済的動向には、その様子が映し出されている。また、100年以上もの間、確かに資金が投入されたにも関わらず、水不足は今もコーン・イサーンの重要課題であり、今後、悪化するであろう事も浮き彫りとなった。さらには、単にイサーンに水が無い事だけが、水不足の原因ではない事も明らかとなった。これらの灌漑計画によって、タイ各地の様々な経済セクターに、不平等な形で水が供給されている事にも原因があると判明したのだ。このような事情により、しばしば、イサーン農民は土地も懐も干からびたまま放置されている。

イサーンに公平な水を

イサーンは、干ばつと大規模な灌漑投資の悪影響によって絶えず苦しめられている。この地方の水政策の歴史の中で、コーン・イサーンの政治的な発言力や構想は、今後も従属的な扱いを受けるだろう。コーン・イサーンは、この地方を創成する中心的なアクターの役割を与えられる代わりに、不毛の地に暮らす後進的な農民として、国家の技術が生活を改善するのを待ち望む者と見なされている。このようなイメージは、タイ社会の民族主義的で階層的な社会・政治構造に根差し、水政策を政治権力にまみれたものとしている。だが、イサーン人は何世紀もの間、伝統的な知識と小規模なインフラによって、伝統的な堰や土水路、天然の水源を用い、自分たちの土地に水を引いてきた。これらの小規模な灌漑計画は、環境に優しい上に有効なものだ。しかし、この知識には政治的な値打ちがほとんどなく、工業型農業の形成にも役立たない事から、政府に無視されてきた。それに多くの場合、地域の知識は非合理的だと考えられている。

それにもかかわらず、コーン・イサーンと支持者たちは、今後も水を用いて政治的な結束を固めていく。例えば、パクムン・ダム貧民連盟(Assembly of the Poor on Pak Mun Dam)は、内部分裂によって縮小されてしまったが、新イサーン運動(the New Isan movement)とP-Moveが設立され、これに代わる存在となった。新イサーン運動は、様々な人々によって構成され、そのメンバーには、この地方で環境正義に取り組む研究者や学生、CSOやNGOなどがいる。両団体は、社会正義や民族自決、地方分権化、水権利をめぐる問題を、より大きな民主主義の問題と結び付ける活動を行っている。例えば、これらの団体が取り組む問題には、この地域のバイオエコノミーや鉱山業、そして水にまつわる大規模事業の問題などがある。これらの運動は、まだ多くの人々から支援を集められてはいない。だが近年、東北地方では、政治意識の目覚めが幅広く生じ、多くの村民が、もう間もなく状況が変化し、イサーン地方で実施される水政策にも変化が起きるのでは、との期待をつないでいる。

Kanokwan Manorom
Associate Professor, Faculty of Liberal Arts, Ubon Ratchathani University, Thailand