CIAのワールド・ファクトブック(World Factbook)はタイについて、タイ人が人口の95%を占める民族的に均質な国と述べている。 1 このイメージは、植民地時代後期に遡るタイの公的特徴描写にぴったり沿ったものだ。イギリスとフランスがシャム(1939年以前のタイの呼称)を全面包囲すると、シャム人のエリートはその勢力範囲内の主要タイ系(Tai)民族集団を、シャム人の属するタイ人(Thai)民族集団の地方構成員と呼ぶようになった。こうして、コーラット(Khorat)高原のラーオ族(現在、人口の約30%を占める)はタイ東北人となり、北部山地のブラック・ラーオ族(Black Lao/現在、人口の約12%を占める)は北部タイ人となった。 2
以来、タイ・ナショナリズム計画は、タイ国境を脅かしたヨーロッパ国民国家諸国を模倣しながら進められる事となる。国家の道具たる普通教育と併せ、地図製作や仏教の中央集権化、そしてユージン・ウェーバー(Eugene Weber)のフランス・ナショナリズムの展開についての有名な研究論文の表現を借りると、農民をタイ人にするための国家的プロパガンダが行われた。 3 その120年後、タイ・ナショナリスト計画はどのくらい成功を収めたのだろうか?
この疑問を北部タイのラーンナー人の民族集団において検討する。北部タイのラーンナー民族は約800万人、あるいはタイの人口の約12%を占める。 4 彼らが自分たちの呼称(ethnonym)として、より一般的に用いるのは、文字通り「ムアンの人々 5」を意味する「コム・ムアン(khonmueang)」だが、同集団はタイ・ユアン(Tai Yuan)、あるいは北部タイ人(Northern Thai)とも呼ばれる。各名称には具体的な歴史的起源と政治的な意味がある。事実、シャムがかつてのラーンナー王国領を1899年に初めて併合した時、シャム人エリートたちは彼らの事をラーオと呼んでいた。 6 ラーンナー民族のタイ国民のアイデンティティへの統合は、どのくらい成功しているのだろうか?彼らは自分たちの事をどの程度タイ人と見なし、また、その他のアイデンティティは、どの程度まで今も有効なのだろうか?
この疑問への一つの答えは、ラーンナー人に対する一般的な考え方や認識から導くことができる。イサーン人の民族集団について、しばしばネガティブなステレオタイプがタイ社会に満ちているのとは異なり、ラーンナー人は穏やかで洗練された民族として描写される傾向にある。ラーンナー人には、イサーン人に対する近隣ラオスのラーオ族のような、国境地方で併存して暮らす民族がいない事も大きいだろう。これはおそらく、現在のタイ国境内にあった最初期のタイ族の諸王国が、ラーンナー領内に位置していた事と関係している。いずれにせよ、チェンマイはバンコク住民にとって理想の休暇先と考えられており、白く美しい肌や、穏やかな口調の方言、豊かな文化などが首都への土産話となっている。
本論はステレオタイプを超え、ラーンナー人のタイ人アイデンティティに関する疑問に答えを出そうとするものであり、そのために世界価値観調査(the World Values Survey /WVS))が実施した世論調査を参照している。また目下、著者が2015年から2019年の間に北部で行った3つの調査に関連したラーンナー文化プロジェクト(the Lanna Cultural Project /LCP)の結果も紹介する。
タイ国民のアイデンティティ
タイで2007年と2013年の二度の周期で実施されたWVSの質問を用いる事にする。WVSでは、どの言語が家庭内で話されているかという、調査上、最良のエスニック・マーカー(ethnic marker)となる質問もされ、不完全とはいえ、優れた民族的アイデンティティの判断基準を提供している。この基準を用いる事で、タイにおける国民アイデンティティの強弱の差を分析する事ができる。図表1は「タイ人である事をどのくらい誇りに思いますか?」という質問に対する民族別の結果を示すものだ。回答は既定の4段階評価に沿って行われ、1は「全く誇りに思わない」、4は「非常に誇りに思う」を意味する。大半の回答者が3、あるいは4と答え、全集団の平均値は3.5以上であった。中部タイ人(ないしシャム人)は、この国の主要民族であるが、誇りについての平均値は最も低かった。ラーンナー人は、2007年と2013年の調査を平均して最高値を示し、これに僅差でイサーン人が続いた。
同様の結果が見られたのは、回答者が自身をどの程度タイ国民と考えているかを判断する、もう一つの質問への回答で、これも4段階評価に基づくものだ。図表2から分かるのは、全集団の平均値が(3)の「そう思う」と(4)の「強くそう思う」の中間辺りにあるという事だ。この質問においても、ラーンナー人の平均値は最も高かった。
では、ラーンナー人のタイ人意識が最も強いと結論付けるべきなのだろうか?これら二つの質問において不明な事は、回答者がどのような文脈上で回答したのかという事だ。具体的には、回答者が誰、あるいは何を自分たちの比較対象にしたのか、という事だ。タイ人である事に誇りを持っていないのであれば、他のどのアイデンティティに誇りを持っているのか?同様に、タイ国民の一員でないのならば、他のどの国民の一員なのか?エスニシティの文献が長年に渡り、立証してきた事は、個人には同時に数多くのアイデンティティがあり、それぞれのアイデンティティが全般、個別の二つの文脈の中で優位を巡って競合しているという事だ。ラーンナー人のタイ人意識が最も強いと単純に結論付ける事の複雑さを説明するため、WVSの質問をもう一つ紹介しよう。この質問は回答者がどの程度、自分たちを地域コミュニティの一員と考えているかを問うものだ。WVSでは、自分をタイ国民の一員だと思うか、という質問の直後にこの問いが来る。図表3はこれらの結果を示すものだが、ラーンナー人が再び最上位の結果となり、彼らが国民的、地域的アイデンティティの両方に最も強い意識を持つ事が示された。だが、これらの結果をどのように解釈するべきだろうか?この結果を不可解とする者もいる。タイ人アイデンティティの意識が最も強い集団なら、地域的アイデンティティの意識は最も弱いはずではないのか?これは何を意味するのだろうか?
WVSは国民アイデンティティや民族的アイデンティティに関する疑問の分析を意図したものでは無く、ここからタイの諸民族集団がタイ人の国民アイデンティティ、あるいはラーンナー人のアイデンティティについて、どう感じているのかを読み取る事には限界がある。そこで、筆者はこれらの疑問をより深く掘り下げるべく、2015年から3つの調査を行ってきた。まず、「タイ人である事をどのくらい誇りに思いますか?」という質問を繰り返す事で、望ましさのバイアス(the desirability bias)とWVSの質問の段階評価の限界に対処した。まず回答者には、彼らの誇りのレベルをタイ人の平均値と比較するよう依頼し、タイ人の平均値が段階評価の中程であった事を伝えた。これは回答者が誇りのレベルに関して、低い絶対値をさらけ出す事なく、より低い相対値を示しやすくするためだ。タイには強い社会的プレッシャーがあり、高いレベルのナショナリズムを示す事が求められるが、相対値の低さは必ずしも絶対値の低さに結びつくものではない。こうする事で、望ましさのバイアスを最小限に抑えた。質問に対する二つ目の調整は、単純に回答幅を拡大する事で、ここでは4段階から10段階評価にまで拡げた。図表5はこの結果を示すものだ。11.82%の人々のみが、タイ人である事を誇りに思う気持ちが平均的な人と同じレベルだと考えていた。その他の約15%は、平均的な人よりも誇りに思うレベルが低いと考えている。低い事に変わりはないが、これらの結果から分かる事は、WVSの結果が示すよりも、はるかに大きなばらつきがあるという事だ。WVSの結果では、回答者の0.54%のみが「あまり誇りに思わない」、あるいは「全く誇りに思わない」と述べていた。残る73%はタイ人である事を誇りに思う気持ちが、平均的な人のレベルよりも高いと考え、自らを最高の段階評価に位置付けた者は、WVSの調査では95.70%であったのに対し、13.69%のみであった。この調査は、北部タイのラーンナー地方に限定されたものであったため、現段階でこれを他の民族集団と比較する事は出来ない。だが、質問に手を加えた事で、ラーンナー人のタイ人アイデンティティの強さに、より大きなばらつきがある事が分かった。
ラーンナー人のアイデンティティとラーンナー・ナショナリズム
次は、ラーンナー人がWVSにおいて最も強い国民的・地域的アイデンティティを有するという難題に目を向けよう。LCPの二つ目の質問は、回答者に自分たちのタイ人アイデンティティを地域的アイデンティティに比較するよう尋ねるものだ。回答者には6つの異なるアイデンティティを提示し、これに対して1から6までの順位をつけるよう頼んだ。1位は最も重要な位置づけを示す。表1は、それぞれのアイデンティティの平均順位を示す。タイ人アイデンティティは概して最も高い順位であり、41.88%がこれを1位とし、全体平均順位では2.37である事が分かる。回答者には、三つの異なる民族的・地域的アイデンティティの選択肢を与えた。それらは北部、ラーンナーとチェンマイだ。これら三つの地域的アイデンティティを合わせると、43.56%という割合で一位となった。 7 三つのアイデンティティを比較すると、北部は二番目に高い平均順位であるが、ラーンナーとチェンマイのアイデンティティは、いずれもより高い頻度で一位となった。また、この三つの民族的・地域的アイデンティティの平均は、どれもほぼ同じであった。この事が示していると考えられるのは、一つの民族名称を他の名称よりも好む者があったとしても、平均的に見ると、これらの名称は大いに置き換えが可能であるという事だ。
表1. アイデンティティの順位 カム・ムアン語話者
1 2 5 4 5 6 Average
Thai 41.88 19.63 8.39 20.56 9.14 0.41 2.37
Northern 11.01 26.67 38.32 20.44 2.97 0.58 2.79
Lanna 17.47 26.79 24.40 22.36 7.57 1.40 2.80
Chiangmai 15.08 22.54 24.34 27.32 8.44 2.27 2.98
Tai 2.68 2.39 3.79 7.28 51.02 32.85 5.00
Asian 11.88 1.98 0.82 2.04 20.85 62.43 5.05
だが、タイ人である事を誇りに思う気持ちと、比較対象の値を明確にした上でのタイ人アイデンティティの順位には関連性があるのだろうか?この疑問に答えるため、二つの順序変数の関連性を測定するのに用いられるテストを行った。結果は、関連性の度合いが非常に弱い事を示していた。 8 事実、ラーンナー人回答者の60.00%で、タイ人である事の誇りが最低レベルであった人々は、それでもなお、タイ人アイデンティティをその他のどの地域的アイデンティティよりも上に位置付けていたのだ。これと比較されるのが、わずか45.30%の人々で、タイ人である事の誇りが最も高いレベルである事を示した人々だ。この関連性は整然とした直線的なものでもない。要は、ラーンナー人アイデンティティが出てくると、タイ人である事を誇りに思う気持ちと、タイ人アイデンティティの順位の間に明確な関連性が無くなるという事だ。したがって、最善の結論は、人々が二つのアイデンティティの間で迷っているという事だ。
では、LCPの最後の質問の結果を以て締めくくりとしよう。回答者には、自分たちのタイ人とラーンナー人のアイデンティティを厳密に比較してみるよう依頼した。これは、三つの異なる民族的・地域的アイデンティティが、比較を曖昧なものとする問題を克服するものだ。回答者は自分たちを「ラーンナー人ではなくタイ人」、「ラーンナー人というよりタイ人」、「ラーンナー人であると同様にタイ人でもある」、「タイ人というよりラーンナー人」、そして最後に「タイ人ではなくラーンナー人」とする事ができる。同様の質問は、英国の民族的・地域的マイノリティ(ウェールズ人、スコットランド人、北アイルランド人)の間で長年行われている。図表6が示すように、大半の人々(72.11%)は、タイ人であると同様にラーンナー人でもあると感じている。この中間的区分の両脇には、それぞれ同数の人々が存在し、約14%がタイ人というよりラーンナー人、あるいはラーンナー人というよりタイ人だと感じている。
結論
本論の動機となった疑問に話を戻すと、WVSとLCPの結果が示しているのは、タイ国民のアイデンティティがラーンナー人の間で構築され始めたのが、ほんの100年前の事だとしても、これをラーンナー人の一連のアイデンティティ一に統合する取り組みは、大いに成功しているという事だ。しかし、ラーンナー人アイデンティティとタイ人アイデンティティが同程度に強いと思われる事実は、驚きであると同時に学ぶところも大きい。この事は、この数年間にラーンナーで生じた、二つのアイデンティティ間の争いを示す政治的な出来事の一部を説明する上で役に立つ。さらなる詳細は、現在完成間近の著作原稿で述べた通りだが、ラーンナー人は深南部のマレー系ムスリムを除いて、他のどの民族・地域集団よりも、民族的アイデンティティの一層の政治問題化を経験してきた。2014年のはじめには、北部各都市の橋にラーンナー国家の分離独立を呼びかける垂れ幕が下げられていた。逮捕者が出たとはいえ、この動きが数名の個人以上に拡がったと考える(あるいは少なくとも宣伝する)事はためらわれた。LCPの結果については著作で述べるつもりだが、これらの結果が示しているのは、ナショナリスト感情の支持が、タイ当局が楽観できる事態を上回っているとしても、南部での暴力的反乱には遠く及ばないという事だ。だが、政治学の文献は、ラーンナー人のような集団が、どのようにして不穏な状態から反乱へと移行するのか、ひいては、彼らを懐柔する最善策は何かという事について、ほとんど語らない。今後のいかなる民族地域主義(ethnoregionalism)の考察にも、本論に提示した競合するアイデンティティに取り組む必要が出て来るだろう。
Joel Sawat Selway
ブリンガムヤング大学
Banner image: Thai mural painting of Lanna people life in the past on temple wall in Chiang Rai, Thailand
Notes:
- Central Intelligence Agency. 2019. “World Factbook.” Central Intelligence Agency, United States Government. https://www.cia.gov/library/publications/the-world-factbook/. ↩
- Keyes, Charles F. 1995. “Who are the Tai? Reflections on the Invention of Identities.” Ethnic identity: Creation, conflict, and accommodation:136-160; Ongsakul, Sarasawadee. 2005. “History of Lanna, trans.” Chitraporn Tanratanakul (Chiang Mai: Silkworm Books, 2005). ↩
- Anderson, Benedict. 1983. Imagined Communities: reflections on the origin and spread of nationalism. 1st ed. New York: Verso. Weber, Eugen. 1976. Peasants into Frenchmen: the modernization of rural France, 1870-1914: Stanford University Press. Winichakul, Thongchai. 1994. Siam mapped. A history of the geo-body of a nation. Honolulu: University of Hawaii Press. ↩
- 推定には幅がある。これは著者が人口増加のために改定された1983年のエスノローグ(Ethnologue)統計のカム・ムアン語(khammueang)話者数に基づいて予測したものだ。 ↩
- ムアン(Mueang)は歴史的には、山間部の村落に対し、谷や低地に位置する城郭都市を指していた。 ↩
- コーラット高原のラーオと区別するため、シャム人のエリートは実際には自分たちをブラック・ラーオと呼んだ。事実、シャム人は全ての非シャム系タイ族集団をラーオと呼んでいた(Keyes 1995)。 ↩
- 回答者に三つのアイデンティティを提示した事によって、タイ人アイデンティティ、あるいは地域的アイデンティティがどの割合で一位となるのかが曖昧となってしまう。そこで、ラーンナー、北部、チェンマイのいずれか、というように、一つの回答としてまとめる事にした。そのようなわけで、確たる結論を出す事は控えた。 ↩
- 具体的にはケンダール(Kendall)のタウ-bテスト ↩