ゾンビとの出会い―東南アジア仏教におけるゾンビへの考察

Justin Thomas McDaniel

      

   とりわけ、ゾンビや屍については、ほとんど研究される事の無いものではあるが、最も有名な現地資料の一つにVetāla-prakaraṇam(ゾンビの物語集)がある。Vetāla-prakaraṇamはprakaraṇam文献全体の一ジャンルであり、東南アジアに広まり始めたのは、証拠となる写本によると15世紀である。prakaraṇam文献の中で最も重要なものには、Vetāla-prakaraṇam(ゾンビ物語集)、Nandaka-prakaraṇam(雄牛物語集、実際のところ、インドの言語、ジャワ語、タミル語、そしてラオ語の物語では、あらゆる種の動物が一頭の雄牛を訪ねる物語である)、Maṇḍūka-prakaraṇam(蛙物語集)、Piśāca-prakaraṇam(幽鬼物語集)、Pakṣī-prakaraṇam(鳥物語集)であるが、これは物語によってはŚakuna-prakaraṇam(どちらもサンスクリット語で鳥の意味)と題される事もある。これらは通常は短編集で、怪物や動物を主題とした物語である。しかし、この呼称はまた、少なくとも一例において、特定の都市の成り立ちや特定の像、及び遺物の来歴にまつわる歴史物語集にも用いられる。これらの書物は、中世日本の説話物語や、中国の志怪小説の物語に幾分似たところがあるが、ヨーロッパなどで見受けられる動物寓話集とは似ていない。これらは、幻想、怪奇的な生き物の世界への詳しい入門書ではないが、物語に登場するのは、動物や人の姿をした悪魔や幽鬼、半獣などである。prakaraṇamのジャンルは、鳥や蛙の物語集と、その他の種や超自然的存在である幽鬼、怪物などの物語集とを区別しない。東南アジアのそれぞれのprakaraṇam文献に収められた、これらの物語の多くは『パンチャタントラ』や『ヒトーパデーシャ』、『カタ―・サリット・サーガラ』その他、インドの物語集のサンスクリット語の物語に由来する。しかし、その他のインドの物語と同様に、東南アジアの物語の多くは対応するインドの物語とは、かなり異なっている。特にラオ語とタイ語のPakṣī-prakaraṇamは『パンチャタントラ』の、主に第三巻の様々な物語に間接的に由来している。しかし、これらが直接的に東南アジア(特にジャワ、北タイ、シャン地方やカンボジア)に初めて紹介されたのは、Tantropākhyāna(ラオ語ではMun Tantai、タイ語ではNithan Nang Tantrai、ジャワ語ではTantri Kāmandaka、あるいはTantri Demung)を通じてであった。 

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Keterangan gambar: Lukisan mural di Wat Sommanat (Bangkok)

  この物語集のインドにおける最古の写本はマイソールで発見されたもので、時代は西暦1031年に遡る。サンスクリット学者や南インド文学の専門家であるEdgerton、Venkatasubbiah、Artola達は、サンスクリット語文献の異本や、タミル語、カンナダ語、マラヤーラム語で、作者がインド人のVasubhāga、Viṣṇuśarman、Durgasiṃhaらとされる物語の由来を明らかにした。それらはBhāvadevasūriの編纂したジャイナ教の聖者パールシュヴァナータの物語に類似している。 当然、これらの物語のうち、より広く知られている物語は中央アジアや中東の諸言語にも見られる。例えば、パフラヴィ―語やペルシア語、シリア語の物語である『カリラとディムナの物語』(『ビドパイの寓話集』としても知られる)は、Pakṣīや『パンチャタントラ』のいくつかの鳥の物語に近似している。これらの物語の中には、ギリシア語、アラビア語、ヘブライ語やスペイン語に翻訳されたものもある。大変人気の高い『鳥の会議(ペルシア語:Manteq at-Tair)』は、12世紀の詩人Farid ud-Din Attarの作であるが、構想や登場する鳥がPakṣī-prakaraṇamのそれに酷似している。 

  Syam PhathranuprawatとKusuma Raksamaniは、これらの原典と思しきインドの文献を広範に研究し、さらにはこれらをジャワ語の物語と比較してきた(しかし、仏教文献との比較は行われていない)。Kusumaの研究はNandakaprakaraṇamに集中しているが、彼はNandakaPakṣīMaṇḍūkaPiśācaの諸文献が、タイ北部に1400年代の半ばにもたらされた事、また、これらがおそらくVasubhāgaの物語に由来する事を示しているが、Pakṣīの大部分はViṣṇuśarmanの系譜に連なるようである。これに相当するパーリ語文献は発見されておらず、北タイ語の写本はニッサヤ形式によって記されたものであり、これはパーリ語ではなく、サンスクリット語文献に由来する。中には、サンスクリット語の言葉がパーリ語に翻訳されている例もあるが、これらの文献の本格的なパーリ語訳は、北タイ語方言への翻訳と注釈より前には存在しないようである。Syamは、北タイ語やラオ語、タイ中央部の言語によるTantropākhyāna物語が全く異なるという点を強調している。Tantropākhyānaのタイトルは、サンスクリット語でTantrī、あるいはTantrū、ラオ語、タイ語、ジャワ語の物語では、Nang Tantai 、Nang TantraiあるいはTantriとされる女性の名前に由来するものである。この女性が王に様々な物語を聞かせた事によって、理論上では360編ほどの物語が伝わったとされているが、通常、東南アジアの物語集には80編から90編の物語のみが存在する。 

  Vetāla-prakaraṇam、あるいはタイ語で一般にNithan Wetanというこの物語は、タイで有名なものであり、過去数年間のうちに数編の現代版が存在した。それらは過去四世紀に渡って、ラオ語やタイ語で流布していたサンスクリット語の物語集の中の、20編から25編の物語を題材としたものである。この物語集は、サンスクリット語や幾つかの現代東南アジア言語の様々な物語に見出される。この最古の物語集には、どうやら25編の物語が収められていたらしく、10世紀頃よりVetālapañcaviṃśatiというタイトルが付けられていた。これは後にソーマヴェーダが編纂した『カタ―・サリット・サーガラ』に組み込まれることとなった。Theodore Riccardiは、ネパールで知られているJambhaladatta版の物語に関する学位論文を書いた。この物語11編のうち、人気の高い一編がRichard Burton作の「Vikram and The Vampire」となったが、Arthur Riderの「Twenty-Two Goblins」もまた、この物語の不完全な翻訳である。 この文献ではそもそも、これらの物語がVikramādityaという名の王によって語られたとされているが、この人物は東南アジアの写本では物語の作者と認識されている。

thai-termple

  東南アジアの物語では、Vikramādityaは木に吊るされた死骸と一連の対話をする王である。これは生ける屍、もしくはヴェターラー(タイ語ではwetan)として知られるゾンビである。王はこのゾンビを捕らえて担ぎ、バラモンの預言者(サンスクリット語ではṛṣi、タイ語ではphra reusi)のところへ運び、この預言者から神秘的な力を授かろうとしている。ゾンビは繰り返し、王に様々な生き物にちなんだ広範で、しばしば、とても滑稽な物語に関する謎をかけては逃げてしまうのであった。ゾンビは王に謎をかけた後に(奇妙な事に、王に正解を当てさせておいて)王の肩を飛び下り、元通り木に登ってしまうのであった。例えばある物語ではオウムと九官鳥が、女と男ではどちらがより無知であるかと議論をする。九官鳥はある恩知らずな男の話をする。美しく裕福な女性に愛されながら、彼女から盗みを続け、彼女を捨ててしまった男である。オウムはある女の話をする。彼女は結婚しているにも関わらず、長い間、あるバラモンと浮気を続けている。ところがある日、このバラモンは彼女の部屋に忍び込んだ泥棒と勘違いされてしまう。彼女の召使いに頭を殴られた男が横たわって死にかけていると、女は彼を生き返らせるために、その口から息を吹き込もうと試みたのであった。しかし、彼は断末魔の苦しみから、図らずも彼女の鼻を食いちぎってしまった!彼女は自分の美貌が損なわれた事を夫のせいにした。この夫は彼女に非が無ければ、王に死刑にされていたところである。ゾンビは王に、男と女で本当に酷いのはどちらであるかと尋ねる。王は「女」と答えるが、その答えは何ら客観的な理由もなく、ゾンビが正解と見ていたものである。また別の物語では、あるバラモンの父母が、彼らの年若い息子の突然の死に悲しんでいた。彼らが息子の亡骸を墓地へ運ぶと、そこには年老いたヨーガ行者がおり、彼は初めにその子を見て泣いたが、その後、飛び上がって小躍りし、その子の亡骸に乗り移るために魔術を使った。両親たちは、自分たちの子供が生き返った様子を見て大喜びであった。しかし、その子は禁欲的なヨーガ行者として余生を過ごす決意をしたのである!ゾンビは王に、このヨーガ行者が初めに泣き、それから小躍りした理由を尋ねた。王は再び正しく答え、ヨーガ行者は自分の古い肉体を失う事を悲しみ、それから新たな若いバラモンの肉体を得る事に喜んだのであると言った。他にも恋愛や毒殺、遊女の話、魔法によって性が入れ替わる話など、謎かけ物語が多く存在する。この王とゾンビの物語の終わりに、ゾンビは人間や動物の習性に対する洞察から、その苦行者が王を殺し、ゾンビの力を利用せんとしている事を王に警告する。このゾンビは王を怖がらせるのではなく、最終的には王の命を救い、彼の霊的な味方となるのであった。 

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  サンスクリット語のゾンビ物語集(「との対話集」であろうか)に見られるように、生ける屍の概念には、ある程度の慰めがある。ゾンビは助言を与え、守護的な力の源泉として、あるいは吉祥や幸運の源泉として存在する。東南アジア本土の大部分やジャワに隈なく流布していたこれらの物語は、現代の儀礼や口承文学の源泉である。また、実際にこれらの物語は、殊にタイで大成功を収めているホラー映画産業の素材でもある(ビルマ、ラオスやカンボジアの映画産業は未だ揺籃期にある)。これらの映画の多くでは、ゾンビや屍、幽鬼やその他、生ける屍の世界に属する者たちが取り上げられている。「Maha-Ut」、「Arahant Summer」、「The Coffin」、「Eternity」、「Uncle Boonmee Who Can Remember his Past Lives」、「Nang Nak」、「Nak」、「Chom Khamang Wet」、「Ahimsa」、その他の多くの映画には、力や知識を与えたり、人を苦しめたり、殺したりする事のできる屍や幽鬼たちが登場する。これらの映画では、しばしば、仏教僧侶や俗人たちも主要な登場人物として描かれる。今こそ、多様な資料の研究に取り掛かり、この地域に極めて特有のこれらの文化的特性を探るべき時である。 

Justin Thomas McDaniel
ペンシルベニア大学

翻訳者 吉田千春 

Kyoto Review of Southeast Asia. Issue 12 (September 2012). The Living and the Dead