近年、仏教運動は研究者や政策担当者、実践家の間で相当な議論の的となっている。 1 サンガ(僧伽、出家者集団)と在家から成る仏教徒活動家は、社会的公正と政治改革運動の促進や、環境保護主義の普及、そして自身の信仰への脅迫や異端教義からの擁護を目指してきた。東南アジアという文脈で仏教運動が想起させるものには、ゴーサナンダ(Ghosananda)やティク・ナット・ハン(Thich Nhat Hanh)らの平和運動や、スラック・シワラック(Sulak Sivaraksa)の政治・社会運動、それからもちろん、2007年ビルマで起きたサフラン革命がある。だが、このような運動は、東南アジア大陸部の仏教諸国に特有のものではない。東南アジア島嶼部の仏教徒コミュニティもまた、相応に運動を担ってきたのである。
東南アジア島嶼部と言ってしばしば思い浮かぶのは、今日のブルネイ、インドネシアやマレーシアを含むイスラームのマレー世界、そして、カトリックのフィリピンである。島嶼部の中でシンガポールが異彩を放っている理由は、圧倒的な華人人口の多さ(約75パーセント)と、あまり多くの人には知られていないが、その多くを仏教徒人口が占めることである。シンガポールで行われた2010年の人口調査によると、33.3パーセントの人々が、仏教徒を自認している。 2筆者は最近の研究で、シンガポールのポスト植民地期における仏教運動に焦点を当ててきた。そこで明らかになってきたのは、東南アジア大陸部の仏教徒活動家とは異なり、シンガポールの仏教徒活動家は、政治改革や環境保護主義、あるいは世界平和にはあまり関心を抱いていないということである。むしろ、彼らは、教義の誤った解釈や「異端」から仏教を擁護し、社会福祉活動を推進することに携わっている。
シンガポール仏教総会(The Singapore Buddhist Federation/ SBF, Xinjiapo fojiao zonghui 新加坡佛教總會)は、仏教コミュニティを代表する包括的な全国組織であり、英国植民地政府とシンガポール国内の様々な仏教団体との橋渡しを務めるべく、1949年に設立された。設立当初から、SBFは仏教コミュニティの利益促進に積極的な役割を果たし、1955年には、ヴェ(Vesak)が祝日として官報に告知されるよう求める植民地政府への働きかけにおいても重要な役割を果たした。 3また、植民地政府に対して、仏教徒用の墓地建設の承認を求める働きかけも行った。1955年9月と1959年2月には、SBFは当局に仏教徒用の墓地の設立と、その周辺での橋や下水設備、道路、仏教寺院や食堂の建設許可を与えるよう嘆願をした。 4墓地設立当初SBFが主導した運動は、主に仏教コミュニティに実用的かつ具体的な利益をもたらす運動に限られていた。SBFの関心は明らかに、政府を説き伏せ、自分達の要求を承諾させる事にあったのであり、仏教徒を結集させてその信仰を擁護したり、誤った教義解釈や実践を正したりすることではなかった。
ダルマ(仏法)を擁護する
1970年代初頭から、SBFは宏船尊師(Hong Chuan, 1907-1990)の指導の下、「仏法擁護運動」(hufa xingdong 護法行動)の推進に、より積極的に取り組むようになった。SBFは、仏教を冒涜する内容や間違った教義解釈を含む外国映画の検閲を求めて、政府に働きかける上で重要な役割を果たした。SBFが主導した最初の運動は1970年8月に行われた韓国映画「Dream (夢)」に対する抗議である。SBF側の言葉を引用すると、この映画は「仏教を侮辱し、道徳規範を堕落させ、人々の心を毒する」ものである。仏教コミュニティの「品格」を守るべく、宏船は映画検閲委員会に嘆願書を提出し、上映の一時停止と、SBFによる映画の検閲許可を求めた。その後、この映画はシンガポールでの上映が禁止となった。 5その後の数年間に、SBFはシンガポール映画検閲委員会に働きかけ、いくつかの他の映画、例えば「出家者(Monks/Chujia ren)」や「四大皆空(The Four Great Elements are Empty (Sida jiekong)」、「露乳女尼(Breasts Revealing Nun /Louru nüni)」、「肉蒲団(The Carnal Prayer Mat /Roupu tuan)」、「風花雪月(Moods of Love / Fenghua xueyue)」などの上映禁止に成功した。 6
しかし、SBFはシンガポール当局に対する仏教教義を誤伝する映画の検閲要求に、常に成功していたわけではない。他のどんな手を尽くしても駄目であった時、SBFは映画の「間違った」内容を説明する教育キャンペーンに乗り出した。1982年に、SBFは香港とマレーシアの仏教団体から、若き武術家ジェット・リー(Li Lianjie/ 李連杰)の出演する武侠(wuxia)映画、「少林寺(The Shao Lin Temple /Shaolin si)」に関する「内密情報」を入手した。SBFはこの映画が少林寺の歴史を歪曲するもので、少林寺の僧侶を犬をも喰らう暴力漢だと描写している事を知らされたのである。まず、宏船はキャシー映画配給会社(Cathy Film Distribution)に手紙を書き、この映画の検閲を要求した。ところが、映画配給会社はこの要求を退けた。そこで、SBFは映画検閲委員会に1982年3月8日付で手紙を送り、この映画の調査を要求した。その手紙の中で、SBFは「少林寺」を再検閲する必要性を強く主張し、それは仏教の威厳を保ち、利益を追求する実業家たちが映画で仏教の評価を損ねるような事態を防ぐためだとした。 7この訴えに反し、この映画は最終的にはシンガポールでの上映を許可された。その結果、SBFは仏教徒に向けて少林寺の歴史と仏教の正しい実践を教えるための教育キャンペーンを立ち上げたのである。 8
少林寺(1982) 9
シンガポールの仏教コミュニティを代表する全国組織として、SBFは国内の仏教実践における「正統」と「異端」を定義する上で重要な役割を果たした。新たな「仏教」運動がシンガポールに到来したことは、仏教コミュニティでも憂慮された。シンガポール憲法下で宗教の自由が保証されているため、SBFは「異端」と見なす宗教団体や、その実践の禁止を国家に働きかけることはできなかった。 10そのため、SBFは仏法の擁護を口実に、これらの「疑わしい」団体の異端信仰や実践を警戒し、仏教徒がそのような活動に関わらぬよう警告した。例えば、「一貫道(Yiguandao)」を「邪教(xiejiao)」、あるいは「偽仏教(jiaomao fojiao/ 假冒佛教)」呼ばわりし、仏教徒にこの団体に入信せぬよう警告している。 11また別の例では、SBFは1996年4月2日に73名の尼僧が署名した嘆願書を受け取ったが、この嘆願書は人乗仏教(Jen Chen Buddhism (Rencheng fojiao/ 人乘佛教)の尼僧の「正統でない」服装に抗議したものであった。 12SBF議長の隆根尊師(Long Gen, 1921-2011)は、委員と会合し、人乗仏教に手紙を送り、彼らが戒律に沿った「正統」な服装規定を順守し、サンガのイメージの毀損を止めるよう要求した。 13また、法輪功(Falun Gong)という新興宗教の活動は、1999年に中華人民共和国政府によって非難、禁止されたため、中国から世界各地へと広がって行った。この法輪功は、シンガポールで自分達の組織を「法輪仏学会(Falun foxue hui/ 法輪佛學會)として登録し、活動を許可された。これに対してSBFは、「仏教の名は乱用されるべきではない」と題した公式声明を発表し、法輪功が仏の名を悪用していると批判した。彼らは法輪仏学会がその組織名から「仏」という語を取り除く事を要求した。 14
社会福祉運動
仏教徒活動家は、信仰を擁護し宗教上の間違いを正すために仏教徒を結集させる上で積極的な役割を果たしてきたが、加えて社会福祉運動にも携わってきた。演倍(Yanpei 1917-1996) は、社会活動を実践する著名な僧の一人であり、仏教教義の伝道と福祉事業の普及に関与した。彼が師事した高名な仏教改革主義者の太虚(Taixu, 1890-1947)は、中華民国時代の中国で「生活仏教(rensheng fojiao/ 人生佛教)」を積極的に推進した人物である。 15また、演倍は閩南仏学院(Minnan foxue yuan)を卒業した後、印順(Yinshun , 1906-2005)という高名な仏教思想家と親交を結び、師事した。印順は、「人間主義的仏教(renjian fojiao/ 人間佛教)」という思想によって最も良く知られているが、この思想は後世の仏教僧たちに決定的な影響を与えるものとなった。 16
中国で国共内戦が勃発すると、演倍と印順は1949年に中国本土を離れて、香港へ向かい、その後、1950年代初頭には台湾へ移った。その後、演倍は1963年にシンガポールへの移住を決意し、霊峰般若講堂(Leng Foong Prajna Auditorium/ Lingfeng bore jiangtang)の僧院長となった。シンガポールに腰を据えた後、演倍は積極的に仏法を説き、「人間主義的仏教」を奨励した。 17霊峰般若講堂の僧院長の座を退く1979年には、彼は仏教徒が社会参加し、社会に報いる必要性を感じていた。演倍が見出した新たな使命は、貧しく生活に窮する者たちの救済であり、1981年にシンガポール仏教福祉協会(Singapore Buddhist Welfare Services: SBWS/ Xinjiapo fojiao fuli xiehui: 新加坡佛教福利協會)の設立を決意した。
演倍の社会福祉活動は、主に三分野に分類できる。すなわち①高齢者介護と子どもによる親孝行、②臓器提供と腎臓透析、そして③麻薬防止対策と中毒患者のリハビリである。まず、演倍は貧者と高齢者の福祉に取り組んだ。彼は高齢者介護と子どもによる親孝行責任に関して仏教の観点から一連の説法を行い、これは後にSBWSの月報『慈恩(”Grace Monthly”, Cien)』に発表された。 18彼が強調したのは、困窮している高齢者の多くが「貧困ライン」より下のレベルで生活している事であった。 19そこで演倍は、食事の配給と公的援助を積極的に推進した。SBWSのボランティアは、定期的に家庭訪問を行い近隣の困窮した高齢者を訪ね、彼らに食事やその他の生活必需品を届けた。 20その後、彼は慈恩林(Grace Lodge Home for the Aged, Cien lin)と呼ばれる高齢者の家を1985年1月に設立し、人種や宗教を問わずに、ホームレスの女性高齢者を受け入れる救護施設として提供した。 21
2つめに、演倍は臓器提供キャンペーンを積極的に推進した。彼は、臓器提供が仏教の慈悲や慈愛の教えと合致する、と信じていた。演倍が推進した考えとは、「仏教は、全仏教徒に腎臓その他の有用な臓器の病人への提供を奨励しており」、「仏教は腎臓提供プロジェクトの立ち上げに積極的に関与するべきである」というものだ。 22一般の仏教徒の人々にこのことを認識してもらうべく、演倍は1983年9月4日に「腎臓提供:仏教的見地と医学的見地」というセミナーを開催した。これに続き、彼はシンガポール仏教福祉協会―国立腎臓基金透析センター()をシンガポール北東に設立した。SBWSは腎臓病患者への長期的な貢献を誓い、宗教組織としては初めて、毎年70万シンガポール・ドルの運営資金を寄付し、世俗の透析センターを支援する事となった。 23
3つめに演倍が関心を寄せたのは、シンガポールにおける麻薬乱用問題であった。彼は麻薬の乱用が「健康に害をもたらすもの」であり、「人の将来を台無しにして」、「社会の平和と繁栄を損ねるものである」事を強調した。彼はまた、仏教の教えは酩酊に反対だと主張した。それにもかかわらず、演倍は仏教徒が元麻薬中毒者に同情の念を示し、彼らが「心身の不安定性」を克服する手助けをするべきだと指摘した。 241993年に、彼はグリーン・ヘイブン(Green Haven)と呼ばれるシンガポールで最初にして唯一の仏教徒の手による更生訓練施設を開設し、これを元麻薬中毒者たちの回復支援に役立てた。グリーン・ヘイブンは、6か月から12か月間にわたる居住型リハビリ治療プログラムを元麻薬中毒者たちに提供し、社会復帰を促している。この施設は、リハビリ・プログラムの最終段階で宿泊場所と雇用の両方を必要とする元麻薬中毒者たちを支え、彼らが見事に居住型のリハビリと治療を終え、家族の元へ戻り、社会復帰を行う手助けをするものである。 25
結論
東南アジアの他地域における仏教運動とは異なり、シンガポールの仏教徒活動家は、政府に働きかける事で、政治改革を求めたり、社会変化を求める抗議を行なったり、環境保護主義を推進したりする事はなかった。シンガポールには厳格な法律があり、宗教団体や市民団体による街頭抗議やデモを禁じているため、仏教徒活動家は違法行為を犯さぬよう、また国家当局を敵に回さぬよう慎重だった。その代わり、彼らは国家機関に働きかけたり、嘆願したりする事で、その宗教的利益を保護し、またしばしば、彼らが言うところの、仏教の品格と評判を保とうとした。演倍は嬉々として国家当局と協同していた様子であった。彼は「宗教調和のためのシンガポール大統領会議」(Singapore Presidential Council for Religious Harmony)の草分けメンバーであり仏教徒の代表でもあり、しばしば閣僚を招いては、彼らに自分の社会福祉団体のオープニング・セレモニーを執り行わせていた。そのような事から、演倍の社会参加という貢献がシンガポール政府によって評価、称賛されたとしても、驚くには値しない。 26シンガポールにおける仏教運動の研究は、国家と社会の関係性について興味深い洞察をもたらす。政府と軍事的に対立したり、大衆のデモを組織して当局を敵に回す危険を冒したりするよりもむしろ、仏教徒活動家は、堅調にしかし平和的な方法で、目的を達成した。つまり、仏教徒活動家は、国家とその思惑を取り込んだのであり、その反対ではなかったのだ。
仏教徒活動家は、仏教教義に関する知識と理解を拠り所として、「異端」集団を攻撃する事もあれば、同時に、教義を用いて自らの社会福祉活動の正当化もはかった。演倍は、仏教の慈悲や慈愛の思想、そして陶酔性のあるものを摂取しないという教訓を巧みに用いて、高齢者介護や臓器の提供と移植、麻薬からのリハビリなどを含む世俗の社会問題に対する、実用的な解決法とした。人間主義的仏教という思想の要は、より良い人間性を目指して信仰を行動にうつすことにあるが、おそらくこれは、演倍やその他のシンガポールの社会参加仏教論者にとって、重要なモチベーションの源であっただろう。精神的なレベルにおいて、人間主義的仏教論者は、悟りはこの世で得られるものであると信じており、それゆえに地上に浄土を築こうと努力する。この世で浄土を築く一つの手段は、現代の諸問題に取り組み、これに貢献する積極的な市民となる事である。
本論は出版される予定の以下の論文が元になっている。“Defending the Dharma: Buddhist Activism in a Global City-State,” in Singapore: State and Society, 1965-2015, ed. Jason Lim and Terence Lee (London: Routledge, forthcoming 2016) and “Toward a History of Engaged Buddhism in Singapore,” forthcoming 2016.
Issue 19, Kyoto Review of Southeast Asia, March 2016
Notes:
- 例として以下のものがある。Andrew Higgins, “How Buddhism Became Force for Political Activism,” The Wall Street Journal, November 7, 2007; The Resistance of the Monks: Buddhism and Activism in Burma (New York: Human Rights Watch, 2009); James Brooks Jessup, “The Householder Elite: Buddhist Activism in Shanghai, 1920-1956” (PhD diss., University of California, Berkeley, 2010); Lodro Rinzler, “Buddhism and Activism: How Would Sid Produce Social Change?” The Huffington Post, January 5, 2011; John K. Nelson, Experimental Buddhism: Innovation and Activism in Contemporary Japan (Honolulu: University of Hawaii Press, 2013); David P. Barash, “Can Buddhists Be Activists?” History News Networks, February 3, 2014. ↩
- The Straits Times, 14 January 2011. シンガポールの人口調査によると、仏教徒を自認するシンガポール人の割合は1980年の27%から1990年の31.2%、2000年の42.5%へと急成長している。一方で、その後2010年には33.3%へと減少した。過去30年間で初の下降である。 ↩
- Y.D. Ong, Buddhism in Singapore: A Short Narrative History (Singapore: Skylark Publications, 2005), 92. ↩
- Shi Nengdu 釋能度, Shi Xiantong 釋賢通, He Xiujuan 何秀娟, and Xu Yuantai 許原泰, ed., Xinjiapo hanchuan fojiao fazhan gaishu 新加坡漢傳佛教發展概述 (Singapore: Buddha of Medicine Welfare Society, 2010), 61. ↩
- 前掲, 125-126. ↩
- 前掲, 126-127. ↩
- “Yanzhong pohuai sengqie xingxiang de Shaolin si 嚴重破壞僧伽形象的「少林寺」,” Nanyang fojiao 155 (1982): 26. ↩
- You Shi 幼獅, “Cong Shaolin si yingpian lianxiang daode 從 「少林寺」影片聯想到的,” Nanyang fojiao 156 (1982): 18. ↩
-
この映画はシンガポールの仏教徒活動家にはあまり受け入れられなかったものの、当時大ヒットし、ジェット・リーを一躍有名俳優にした。 ↩
- シンガポール共和国の憲法第15条では以下のように定められている。「人は皆信仰を明言し、実践し、伝道する権利を有する」。 ↩
- “Qianwan moxin xiejiao 千萬莫信邪教,” Nanyang fojiao 115 (1978): 22. ↩
- この嘆願書によると、人乗仏教の尼僧は戒律(修道僧の従うべき規則)の示す正しい服装規定に従わずに、カトリック修道女のようなスカートを穿き、長袖ブラウスを着て頭にスカーフをかぶっている。 ↩
- “Fandui rencheng fojiao shangai sengfu 反對人乘佛教擅改僧服,” Nanyang fojiao 324 (1996): 4. ↩
- “Xinjiapo fojiao zonghui wengao: Fojiao mingcheng burong lanyong 新加坡佛教總會文告:佛教名稱不容濫用,” Nanyang fojiao 383 (2001): 1 ↩
- 太虚の仏教改革については以下参照。Don A. Pittman, Toward a Modern Chinese Buddhism: Taixu’s Reforms (Honolulu: University of Hawai‘i Press, 2001). ↩
- Charles Brewer Jones, Buddhism in Taiwan: Religion and the State, 1660-1990 (Honolulu: University of Hawaii Press, 1999), chapter 4; Pittman,Modern Chinese Buddhism, 263-270. ↩
- 演倍は多くの論文を書いた研究者でもあり、以下の題名のエッセイ全34巻を執筆している。Collected Works of Mindful Observation (Diguan quanji 諦觀全集). 彼はまた、僧院長を務めた時期に霊峰般若講堂を改修し拡張している。 ↩
- 例えば以下参照。 Grace Monthly, July 1983; Grace Monthly, May 1984; Grace Monthly, June 1984; Grace Monthly, May 1985; Grace Monthly, December 1985. ↩
- シンガポールは一度も公的に貧困ラインを定めてはいない。以下参照Grace Monthly, April 1985. ↩
- Grace Monthly, April 1985. ↩
- Grace Monthly, March 1986. ↩
- Grace Monthly, August 1983. ↩
- Grace Monthly, December 1991; “SBWS-NKF Dialysis Centre,” http://www.sbws.org.sg/4f_nkf.html (accessed October 1, 2015). ↩
- Grace Monthly, April 1983. ↩
- “Green Haven,” http://www.sbws.org.sg/4l_gh.html (accessed October 1, 2015). ↩
- 演倍は、1986年と1992年に公務に従事したことを称える賞(1986年はthe Public Service Medal (PBM)、1992年はthe Public Service Star (BBM) )を、シンガポール大統領から授与されている。 Xinlu 心路 (Singapore: Buddhist Cultural Center, 1997), 82-83. ↩