マニラ首都圏のマラテ地区は、1970年代から2000年代初頭まで、マニラ首都圏の、そして事実上フィリピン諸島全体におけるゲイの都として栄えた。だが、今や閑静になったこの通りを少し歩くだけで、ゲイたちのマラテが消滅してしまったことを十分に知ることができる。いくつかの互いに関連する要素によって、ゲイ空間の栄えたマラテに終わりがもたらされたのだ。本論は、この現象についての覚書を提供するささやかな試みである。 フィリピンのゲイ文化が栄えたのは、1970年代のフェルディナンド・マルコス独裁政権の時代だった。同性愛についての大衆的な言説が立ち表れ、同性愛者の生活に関する探求がフィリピン映画のテーマになり、ココ・バナナ(Coco Banana)などのゲイバーがマラテ地区でブームとなった。だが、政治意識の高いゲイやレズビアンの運動がこの国で活発化したのは、ようやく1990年代になってからのことだった。マニラは、フィリピンにおけるレズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスセクシャルたち(LGBT)が経験した歴史上の全ての節目を目撃した。 1990年代初頭から半ばには、マラテのアドリアティコ通りとナクピル通りの交差点が、ゲイとストレートの人びとの両者を対象とした賑やかな歓楽街となった 。ナクピル通りで最初にゲイのたまり場になった場所の一つがブルー・カフェ(Blue Café)で、ここでは毎週水曜の夜に女装パフォーマンスが披露された。ナクピル通りと交差するオロサ通りも活気づいて、多くのバー、レストラン、ショップが開店した。だが、今ではオロサ通りとナクピル通りの交差点沿いの全てのゲイ関係のお店は、チェルー・バー(Chelu Bar)を除いて消えてしまった。一体、何がゲイたちのマラテの消滅を招いたのだろうか。この現象は、テクノロジー、都会の立地、経済学、政治意識といった、いくつかの互いに関連した要因によって説明できるだろう テクノロジーとリアルとバーチャルな世界における相手探し 現代のコミュニケーション・テクノロジーは、世界中のゲイ男性たちの相手探しの作法を変えてしまった。出会い系サイトやプラネット・ロメオ(Planet Romeo)、グリンダー(Grindr)などのアプリは、彼らの出会い市場を食い尽し、フィリピンではゲイたちがパートナーを見つけるための、より安全な方法を提供している。ソーシャル・ネットワーク・サイトが出現する前は、安っぽい映画館、公園、サウナなどが、マニラのゲイ男性たちが好んで行くパートナー探しの場所だった。だが、これらの場所にはいずれもリスクが付き物だった。映画館とサウナは、何度も警察によって強制捜査されたし、相手探しのために通りをうろつく男性は浮浪罪に問われる恐れがあった。フィリピンのサウナは、いとも容易に警察による強制捜査の対象となってきたのだ。他方、ゲイバーは他のゲイ男性に出会う場所としてより安全だったし、著者の知る限り、警察の強制捜査を受けたことは一度もない。 しかし、たとえゲイバーが社交場として安全な選択肢だったとしても、多くのゲイ男性たちは、このような場所に行くのを拒んでいた。彼らは「見破られる」、つまりゲイと特定されることを恐れていたのである。このような状況の中、バーチャル・コミュニケーションの技術は、たまり場に顔を出したがらないゲイたちを悩ませてきた現実の空間における物理的な危険や、自己受容の問題を解決する有効な手段となった。携帯電話の無料アプリが提供するゲイの出会い系サイトのなかで、フィリピンでもっとも登録者数の多いのはプラネット・ロオであろう。2011年の2月の時点で、プラネット・ロオには、既に約97,000人のフィリピン人会員がいた。このサイトのホーム画面の情報によれば、プラネット・ロオにログインしている世界中のユーザーのうち、いつでも4%から5%ほどがフィリピン人だった。オンラインでのパートナー探しは理想的かつ安上がりな選択肢であるため、ゲイバーの経営に深刻な悪影響を与え、その多くが倒産した。 新世代のゲイ、新たなゲイの都市空間 ゲイ空間としてのマラテの興亡に関して、次に考慮すべき要因は、ゲイバーに足しげく通う男性の人口動態の変化である。それぞれのバーは、それぞれ異なる社会経済的バックグラウンドを持つ客を引き付けようとする。マニラのゲイバーは社会階級ごとに階層化され、富裕層向けの店もあれば、下位中間層や労働者のゲイ男性のための店もある。 過去10年間に、フィリピンではビジネス・プロセス・アウトソーシング(BPO)産業の急速な成長が見られたが、ゲイ男性たちは、この急成長するサービス業の労働力として大きな割合を占めている。これらのBPOのゲイ男性たちは、主にコールセンターの電話対応係として働いており、ゲイバーとレストランの顧客としてもかなりの割合を占めている。BPO労働者たちは深夜勤務が多く。その不規則な仕事のスケジュールと、過酷な仕事生活が、とりわけ週末に彼らをバーでの交際へと向かわせる。これは理にかなったリクレエーションの形態だ。ところが、BPOのオフィスはマラテ地区にはなく、そのほとんどはマニラ市の域外、ケソン市のオフィス街オルティガスや、マカティ市にある。 悪名高いマラテ地区の交通渋滞は、ただでさえ余暇時間が限られたバーの常連客の不満の種となっている。BPO産業の活性化と、それに伴うゲイバーの顧客市場の変化に加えて、こうした混雑した立地条件が、ゲイのマラテを消滅へと追いやった要因なのである。 都会のゲイ空間のポリティクス 最後に、ゲイのマラテを消滅させたもうひとつの理由として、この国のゲイ男性の大多数に政治意識が欠如していることを論じたい。1990年代と2000年代の初頭には人気のあったマラテであるが、ここは問題のある空間でもあった。一方で、マラテはゲイたちのプライドの象徴であった。だが、例年マラテで行われた公開ゲイ・プライド・パレードの参加者数は、パレードの後にゲイたちのたまり場で行われたプライド・パーティーの参加者数と比べるとずっと少なかった。これは、マニラの比較的少数のクィアたちだけが、自らのセクシュアリティに対してオープンな構えをもっていたことを意味する。もしバーの常連たちが、例年の公開ゲイ・プライド・パレードに参加していれば、このイベントにはもっと多くの参加者がいたはずだ。ゲイバーが企画したプライド・パレード後のパーティーにしか行かなかった男性たちにとって、いったい「ゲイ・プライド」とは何の意味があったのだろうか。彼らは、マラテ地区の象徴的、政治的な重要性を自覚していたのだろうか。「ゲイ・プライド」には、自己のゲイ・アイデンティティの個人的肯定や、ゲイ・コミュニティの存在とそこへの帰属感の確認も含まれるだろう。だが私は、政治的意思と政治的行動という側面が、これらのゲイ・パーティや、マラテ全般において欠如していたと主張したい。マラテのゲイバー・シーンにおけるゲイ・プライドは、政治的内容と意味を欠いた単なる商業的事業に成り下がったのだった。 1990年代以降、マラテは事実、巨大な「クローゼット」になってしまった。それは状況に応じて選択的にはゲイであることをカミングアウトしたがりつつも、同時にクローゼットの中に留まろうとするゲイ男性たちのための場所だった。逆説的にも、ゲイ・プライド・パレードなどの機会にマラテでカミングアウトする誘因は、マラテ地区の商業的なゲイのたまり場であるクローゼットのプライバシーに戻れる可能性に支えられていた。ジュディス・バトラー(1991)によれば、カミングアウトを実行し成立させるには、いつでも出たり戻ったりできるクローゼットの存在が必要である。バトラーは次のように述べている。 「アウト」の状態であるためには、常にある程度「イン」の状態であることが必要であり、それはこの両極性のなかにおいてのみ意味を成す。したがって、「アウト」でいることは、その「アウト」の状態を維持するために、クローゼットを何度も何度も作り出さなくてはならない。この意味において、アウトの状態は、新たな不明瞭さを生むばかりである。クローゼットは公表の約束をもたらすものの、定義上、その約束は決して果たされない(1999: 16)。 マラテはまさに、そうしたクローゼットに他ならなかった。フィリピンで急進的なセクシュアル・ポリティクスが不可能だったのは、マラテのゲイバーのパトロンたちの大多数が、ゲイとレズビアンの大義に関心もなければ、LGBTの歴史にも気をかけていなかったためである。ゲイの都市空間に身を置くことが、必ずしもゲイのポリティクスや運動につながるわけではないのだ。 ゲイ空間の存続には政治的な連帯とプライドが必要である。だが、それは現在のフィリピンでは、まったくもって明白ではない。そのことは、LGBT団体の「アン・ラドラド」(Ang Ladlad、「カミングアウト」を意味する)が、2013年に(下院の2割を比例制で選出する)政党名簿選挙に立候補したが、議席の獲得に失敗したことからも明らかである。アン・ラドラドは、少なくとも一議席を得るために、投票総数の2パーセントを獲得する必要があった。だが予想どおり、この目標は達成できなかった。フィリピンのゲイ人口(レズビアン、バイセクシャル、トランスジェンダーのコミュニティはさておき)は、「慎重」対「アウト」、「男っぽい」対「女っぽい」、「筋骨隆々」対「ぽっちゃり」といった二項対立によって分断されている。ゲイ男性たちはまた階級格差によっても分断されており、彼らが政治的に連帯するのを極めて困難にしている。現代フィリピンのゲイ言説において、同性愛者自身が嫌悪しあう、とりわけ問題のある二項対立が、「慎重」対「アウト」である。「慎重」が男性的で、目立たず、好んで(必ずしもではないが)クローゼットの中にいることを示す一方、「アウト」は女性らしさと社会的体面の欠如を示す。階級格差とジェンダーの表し方は、依然としてフィリピンのゲイ文化を分裂させる力なのである。 フィリピンのゲイ文化が、ゲイ空間の存続を要求するには、ゲイバーに見られる政治的無関心の文化を変える必要がある。ゲイのマラテが消滅したのは、実際、フィリピンのゲイたちが、自分たちの歴史、そして何よりも自分たち自身について、充分な関心を持たないためだった。かつてマニラ首都圏、そしてフィリピン共和国におけるゲイのメッカだったマラテは、今や消滅してしまった。そして悲しい現実は、この国の多くのゲイ男性、特にゲイバーの常連の男性たちが、このことに配慮を示さず、まったく関心を寄せなかったことである。 デ・ラサール大学マニラ校 文学部Ronald Baytan博士 Issue 18, Kyoto Review of Southeast […]