2021年2月のミャンマー軍事クーデターは、この国の政治の先行きに暗い影を落としたが、極めつけは、丸腰でクーデターに抗議する市民に対する軍による致死的武力行使への反応として生じた暴力の連鎖だ。この暗い影は広がり、さらに色濃くなり、ミャンマー国民の安全保障に対する考えや懸念に影響を及ぼしている。 2021年のクーデター以来、今も続く政情不安と暴力のため、ミャンマー国民は安全保障上の重大な問題を抱えている。このクーデターの最初の犠牲は政治的安全保障で、選挙で選ばれた文民政権の最高幹部や閣僚、与党議員が拘束・起訴・投獄された。また、軍事政権による抑圧的な政策と表現の規制により、全般的な不安感が生じた。そして、これらのいくつかの政策は、国民の経済的安定や健康安全保障にも影響を及ぼした。さらに、ミャンマー各地での対立激化による大規模な強制退去や家屋の破壊により、個人と地域社会の安全に対する不安が一層増大した。そして、紛争の影響を受けた地域で高まり続ける人道支援の需要は、自然災害によって一段と深刻化した。そのような災害には、2023年5月の強力なサイクロンや、2024年の台風直後の洪水や土砂崩れ、2025年3月の壊滅的な地震などがある。現に、ミャンマーは世界で最も災害が起きやすい国の一つとされているが、紛争と気候変動による脆弱性の集中には広範囲に及ぶ影響が伴う。 だが、暴力の停止とともに、ASEANのミャンマーに関する5項目コンセンサス(Five-Point Consensus on Myanmar)という広い枠組み下での包括的対話の仲介を目指す地域の外交介入に、軍政は頑迷な姿勢を示している。そのような態度に不満といら立ちが募る中、ミャンマーの国外での評判から、国民の苦境に対して同情と懸念が生じている。現在も続く内戦の仲裁と、人道状況の悪化への対処を試みるASEANの努力を阻んでいるのが、加盟国間の利害の相違と、ミャンマー国内の多様な利害関係者との連携の複雑さであり、集団的な決定や立場の合意形成と維持に影響を及ぼしている。 これまで、ASEANは、主に地域外交という形で、ミャンマーの対応に多くの時間とエネルギーを費やしてきた。各種声明や、緊急会議、ミャンマーが5項目コンセンサスを順守しているか(否か)の監視、ミャンマーの様々な政治勢力や利害関係者との議論、2025年地震後の都市型捜索救助隊(USAR:Urban Search and Rescue teams)などの人道支援の提供などはその例だ。だが、ミャンマーの変化し続ける安全保障上の課題により、この国の危機に対処するASEANの制度的な仕組みの有効性も疑問視されている。ここでは、そのような4つの問題と、それらの(複雑な)背景、地域と二国間での対応への影響を簡潔に論じる。 移住と強制退去 2021年クーデター以来、ミャンマーの内紛は移住の主な動機の一つだが、クーデター後は、ミャンマー国内外に向かう人々の移動に拍車がかかり、「ミャンマー移住時代」が生じた。[1] また、強制退去には、国内と国境を跨いだものの2つの次元があるが、これらには、結果的に、人道上の大きな需要が伴う。UNHCRの運営データポータル(UNHCR’s Operational Data Portal)の発表では、2025年9月現在、国内で住む場所を追われた人がミャンマーに350万人以上おり、第三国には、2025年8月現在で、難民や亡命希望者が150万人以上いる(その27万人以上は2021年クーデター後に入国)。[2] 法的手続きを踏んだ者であれ、難民であれ、越境した入国者がより重視しているのは、特に、ミャンマーから一番近いASEANの隣国、タイなどの受入国の医療制度や社会制度だ。なお、現在、タイは2021年以降、相当数の亡命希望者や移民を受け入れている。また、2010年の徴兵法が2024年の初頭に施行されると、多くの若者、特に男性は、紛争時代に国軍に強制徴兵されるのを回避しようと出国の手段や方策を模索した。そして、他の人々は抵抗勢力に加わった。[3] そこで、軍政は、2025年の初頭に徴兵年齢の男性にさらなる旅行規制を科した。[4]これはミャンマーを出ようとする移民希望者の意欲と選択に影響を与え、受入国での彼らの法的保護と社会福祉の利用に関する脆弱性も強めた。だが、長期滞在のミャンマー難民にタイ国内での合法的労働を許可するというタイ内閣の最近の決定は、多くの移民と難民たちにとって歓迎すべきニュースだった。そして、この新たな政策決定が、つい最近入国した者にまで拡大されるのではとの期待が高まった。[5] 気候と紛争の結びつき クーデター後、アナリストは、ミャンマーの気候変動脆弱性増大の懸念を表明し始めている。気候変動へのレジリエンス向上を目的とした複数の重要なプロジェクトや構想を停止させ、再び採取産業に経済を集中させることがもたらしうる負の影響を警告している。[6] また、専門家によるミャンマーでの気候と紛争の関連についての綿密な調査[7]<から、この国が世界の炭素排出に果たす役割が最小限でも、気候関連リスクへの脆弱性が高い事が判明した。現に、最新の研究に基づく予測によると、1,200万人が暮らすミャンマー中部の大部分が今後、数十年のうちに猛暑によって居住不可能になる可能性がある。また、2021年クーデター後に激化した武力紛争は、暮らしと食料供給を一層脅かし、この国の気候保全課題への取り組みの要求をより複雑にした。さらに、国際的な財政支援が限られている事や、統治にまつわる問題も、環境と社会の不安定な状態の相互補強的な連鎖を強化している。それでもなお、専門家はいくらか楽観的で、今後のミャンマーにおける効果的な気候変動対策と災害リスクの削減が地域で取り組まれると見ている。特に、紛争の影響を受け、困窮した地域では、地域や先住民のコミュニティを巻き込み、連邦制の下部尊重の原理と、局地的な気候資金への世界的動向に沿った対応が考えられるという。だが、目下、紛争で荒廃したミャンマーの状況において、気候と紛争の結びつきに関する、より顕著で差し迫った懸念事項は食料確保と生活の安定に関する懸念だ。何しろ、繰り返し生じる強力な自然災害によって農業が蝕まれているからだ。また、紛争と関連した不正な資源採取も環境悪化を加速させ、社会的緊張と紛争をさらに深刻化させる可能性がある。 サイバー犯罪と安全保障[8] この地域に新たに出現した問題であるサイバーセキュリティの課題も、ミャンマーにとって変化しながら継続する問題だ。そして、これは東南アジア内外の大勢の市民や国民を狙い、リクルートするサイバー犯罪や、詐欺行為の増加と表裏一体の問題でもある。実際、ミャンマーはサイバー犯罪の温床と見なされているが、それは国民を保護する適切なサイバーセキュリティ対策の制定・実施力が弱いためだ。さらに、中国やタイと国境を接したミャンマー辺境のグレーゾーンでは、法と秩序の手が届くのに限りがあり、これが同地域で詐欺行為の罪が問われぬままとなる事態を促している。これまで、ミャンマー当局がより力を入れてきたのは、行政の手が届く地域での国家の監視や対応力[9]、(国家安全保障と称した)体制安全保障の管理だ。それに、ミャンマー国境地帯と様々な非国家民族武装組織は、不正な経済活動とも、ミャンマー国軍兵士との複雑で共生的な相互関係とも無縁ではない。現に、それらの活動は、2021年クーデターも、新型コロナのパンデミックも、ものともせず、その最中にも続いてきた。つまり、現在のミャンマーの政情不安は、机上の規定と現地の実情との隔たりをより大きくしている。紛争地や、周辺地域での統治と領土支配のつぎはぎ状態からは、異なる治安勢力の様々な動機や機構の存在が浮かび上がる。それには、ミャンマー国軍に反対するもの、もしくは、軍事政権に抵抗するものから、国軍を積極的に支持するものまで様々なものがある。このような状況から見えてくるのは、ミャンマー国境地帯から新たに出現し、増大するサイバーセキュリティの危機が政情不安や、統治と施行能力の弱さによって悪化する周期的問題となる恐れだ。 麻薬と紛争の結びつき 詐欺行為やサイバー犯罪が行われる以前、ミャンマーと関連した主な国際犯罪は麻薬の生産と密売だった。麻薬生産の中心地というミャンマーの悪評の起源は「黄金の三角地帯」を出現させた冷戦遺産に遡る[10]。黄金の三角地帯とは、最低限の統治しか及ばない地域での非国家武装組織による違法な麻薬取引の資金調達活動や事業を意味する言葉だ。また、利潤を追求し、積極的和平ではなく、消極的和平を重視した停戦交渉を行う独裁政権との癒着が違法な麻薬生産の継続を促進した。このため、2023年には、ミャンマーがアヘン麻薬の生産において、アフガニスタンをしのぐ国としてリストに掲載された。[11]さらに、黄金の三角地帯、中でも、ミャンマーのシャン州では、合成麻薬、特に、メタンフェタミンの生産と密売が前代未聞なまでに増加した。この「爆発的増加」は、2023年から24%増加した236トンという押収された麻薬の「記録的な量」にも表れており、市場に出回る可能性もはるかに高まっている。[12] 2021年クーデター後のミャンマー全土における情勢不安の高まりは、国際犯罪組織が法執行機関の機能不全や、内戦資金調達のための資源需要の増加を悪用するさらなる機会をもたらした。 だが、ミャンマー国軍は、一貫して、違法麻薬などの国際犯罪の問題を国家介入に抵抗する民族武装組織(EAO)支配地域のせいにし、自分たちは国外の協力者と共に問題対処にあたる責任ある組織だと示そうとしている。ミャンマーの歴代政権は、麻薬撲滅のため、何十年間も米国政府の麻薬取締局(DEA: the Drug Enforcement Administration)や、国連薬物犯罪事務局(UNODC: the United Nations […]