タイ チェンライ メーファールアン大学 法科大学院 講師

Nuttakorn Vititanon

タイにおける地方分権化の最大の変化は、1997年に「人民憲章」として広く称賛された新憲法の可決と共に起きた。しかしそのときにも、この急激な変化が、この国に深刻な政治、あるいは利害上の対立をもたらすのではないか、という深い懸念があった。有権者たちの準備がまだ整っておらず、マフィアが地方選挙に当選するのではないかと危惧する者もあった。さらには、地方政治家やその家族を標的とした政治的暗殺も日刊新聞で報じられていた。こうして地方政治は「血なまぐさいもの」と考えられるようになった。

このような政治犯罪のニュースが新聞などで無数に報じられ、社会に恐怖感を生み出した。このような政治的暗殺は、全国で起きているものなのか、それとも、特定の地域に限定されたものなのか?このような事件は、正確には毎年何回起きているのか?その回数は地方分権化後に増加しているのか、減少しているのか?タイの地方政治は、本当に人々が思う(恐れる)ほど、危険なものなのであろうか?

図1.「プレー県自治体(PAO: Provincial Administration Organization)長の殺害命令」 プレー県自治体長のChanchai Silapaouychai氏が、ジョギング中にオートバイに乗った狙撃者によって射殺された。警察はこの犯罪の動機を政治的対立と見ている。
出典:2007年10月24日 タイラット(Thairath)紙 第一面

全国調査が示すもの

2000年から2009年の間に、481件(100%)の地方政治家(行政職員、地方議会議員の両者、候補者および事務官を含む)の暗殺未遂、あるいは459件の訴訟があった。 1中には、同一事件内で一人以上の被害者が襲撃された事件もあった。この数の中で、死亡事件は362件(75.3%)である。実に悲しいことにこれは相当高い数字であるが、全国的な計画殺人事件(ほぼ4,700件)や、地方政治家の総数(地方政治家は約16万人)と比較すると、この数字は相当低いものである(1%未満)。

殺人未遂の被害者481人のうち、467人(97%)は男性であった。大部分の被害者が、41歳から59歳(54.1%)であった。最も一般的な殺害方法としては、狙撃(93.1%)、爆弾の設置(3.1%)、その他の手段(3.7%)である。

一つ明らかな事は、自治体長の立場が、最も暗殺のリスクが高いという事だ。記録を見ると、139人(ほぼ30%)の被害者がいる。これは自治体内で、長官が有する特に人材管理と予算配分に関する権能と権限のためであろう。また、より小規模な地方行政機関では、大規模ではなく、ただし数多くの政治的暴力が存在してきた。349人(72.6%)の被害者は、行政区自治体(SAO: Sub-district Administrative Organization)で働いていた者たちである。

 

順位地域事件数確率(%)
1ナラティワート南部347.1%
2パタニー南部316.4%
3パタルン南部306.2%
4ヤラー南部245.0%
5ソンクラー南部204.2%
6ナコンシータマラート南部183.7%
7ナコンパトム中部163.3%
7ペッチャブーン中部163.3%
9ナコンラチャシマ東北部132.7%
10チェンマイ北部122.5%
10スパンブリ中部122.5%

表1. 地方政治家の殺人未遂事件が起きた上位11県

興味深い事に、この種の暴力は全国で広く発生しているが、特にタイ南部(42.2%)やタイ中部(26.4%)には、幾つかの危機的地域が存在した。上記11県のうち、4県が「深南部」に位置するナラティワート、パタニー、ヤラー、ソンクラー(の幾つかの郡)であり、これらは非常に長い間、困難な状況を経験してきた(図2の濃赤色の地域を参照)。これに対して5つの県でだけは、殺人未遂の記録が存在しない。これら5県のうち、3県は東北地方に位置している(図2の白色点を参照)。

図2. タイ地方政治家の暗殺地図

2000年から2009年の間の政治的暗殺の傾向は、予測が不可能で不規則であるという事だ。2003年(13.3%)と2005年(14.1%)には、この数字が高い。一方、2008年から2009年には、この数字がタイの全地域において徐々に減少する傾向にあった。

これらの数字を見ながら、全国レベルでの政治情勢も考慮するべきである。2003年の始めに、タイ政府は麻薬撲滅運動を発表した。多くの研究の指摘によると、この壊滅的な運動の結果、約2,500人の人々が殺害された。 22004年初頭のナラティワートにおける、タイ陸軍武器庫の強制捜査の後、南部国境沿い3県の政治情勢は最悪であった。暴力事件(殺人、暗殺、爆弾の設置など)の数が増加し、政情不安を引き起こしたのである。この地域では、暴力事件の数が2004年から2005年の間に大幅に上昇した。 3

チャーンチャイ・シラパーアウチャイ(Charnchai Silapauaychai, นายแพทย์ชาญชัย ศิลปอวยชัย)の暗殺

2007年10月24日、プレー県自治体長のチャーンチャイ・シラパーアウチャイ(Charnchai Silapauaychai, นายแพทย์ชาญชัย ศิลปอวยชัย)博士(53歳)が射殺された。プレーは政治的暴力で知られる北部県の一つである。彼はタイの上北部全8県の県自治体長の中で、唯一暗殺された人物であった。

この殺人の前に、チャーンチャイ博士は彼の政敵、シラワン・プラッサチャクサツー(Siriwan Prassachaksattru)女史と反目していたという事だ。彼女は政治的影響力がある名の知れた家の跡取りで、プレーに昔からある政党の党首の一人であった。チャーンチャイ博士は、S氏(シラワン女史のいとこ)をプレー県自治体副長に指名しなかった。プレー県自治体議会の議長であるポンサワット・スパシリー氏(Pongsawat Supasiri, シラワン女史の弟)は、チャーンチャイ博士のプロジェクトの一つ、クルンタイ銀行(Krung Thai Bank)からの1億2千万融資計画を妨害した。

特筆に値する事は、チャーンチャイ博士が古参政党から寝返り、タイ愛国党(TRT: Thai Rak Thai /พรรคไทยรักไทย)を前身とする国民の力党(PPP: People Power Party/พรรคพลังประชาชน)への支持を表明していた事である。事実、彼は首尾よく議会の野党議員の全票を集め、自身の政治団体‘Hug Muang Phrae’(กลุ่มฮักเมืองแป้)に加えた。その結果、フラエ県自治体議会は過半数票を獲得し、ポンサット議長を解任したのである。またチャーンチャイ博士は、シリワン女史の写真が付いた選挙運動用横断幕の取り外しも命じていた。このように、彼女が政治的な権力や地位を失う事を恐れていたと考える強い根拠がある

この殺人の後、プレー県自治体の首脳陣が10年ぶりに入れ替えられる事となった。シリワン女史とポンサット氏の両者が、何らかの地域の政治的地位に選出される事は二度となかった。 4彼らが罪に問われることはついに無かったが、世間の目では、彼らは有罪に連座している。このことから、地方分権化が政治的暴力を無くす事は不可能でも、社会には、選挙を通じて政治的任務に適していると思われる人物を選び、暴力行使の経歴がある人物を拒否する力があることが分かる。

この訴訟に関しては、冗長な手続きの後2015年11月に、タイ最高裁判所が二人の被告人、狙撃手とオートバイの運転手に終身刑を宣告した。これと同時に、民事裁判所はJ氏(シリワン女史のいとこ)も含む、その他の被告人に対する全ての申し立てを却下した。理由は、彼らの関与を合理的な疑いを越えて証明するための証拠が不十分であったということだ。

過去、19世紀後半から20世紀半ばの間、プレーの経済は主に天然資源である土地や木材、タバコ、タングステンなどの獲得競争によって形成されてきた。これらの資源が多くの主要政治家の家庭を裕福にした。これらの裕福で影響力のある家の家族は、多くの場合、‘Paw Liang’ (พ่อเลี้ยง)として知られていた。その意味は、裕福で権力があり、多くの者を従え、またしばしば(大胆不敵であったために)暴力に関与して、人々の尊敬を集める者である。

チャーンチャイ博士の死が、総選挙前のわずか2カ月以内の出来事であった事は特筆に値する。この事件が示しているのは、政治的対立が必ずしも、全国レベルのものだけではないという事だ。政治的対立や暗殺は、地方レベルでも起こるものであり、その原因は個人的対立やビジネス上の対立である。政敵同士の対立だけでなく、同政党内の政治家同士の対立も発展して暴力的になり得るのである。実際に何が暗殺の原因であるかを明確に特定する事は(通常は一つ以上の理由があるため)困難であるが、この経済競争の背景を無視することはできない。

Nuttakorn Vititanon
タイ チェンライ メーファールアン大学 法科大学院 講師

* この論文は、メーファールアン大学に提出された博士論文 “Conflict and Violence of Local Politics in the Upper North of Thailand (A.D. 2000-2009)”の一部である。

REFERENCES:

Anderson, Benedict. “Murder and Progress in Modern Siam.” New Left Review 181 (May-June 1990), pp. 33-48.
Kongkirati, Prajak. เลือกตั้งไม่นองเลือด : ความรุนแรง ประชาธิปไตย กับการเลือกตั้ง 3 กรกฎาคม 2554. Luektang mai nong lued: khwamrunreng prachatippatai kap kanluektang 3 karakadakom 2554.
[Not-so Bloody Election: Violence, Democracy and the Historic July 3, 2011 Election]. Bangkok: Kobfai Publishing Project, 2013.
Paige, Glenn D. Nonkilling Global Political Science. Honolulu, Hawaii: Center for Global Nonkilling, 2009.

Notes:

  1. 暗殺(‘assassination’)という言葉は殺人((‘murder’)という言葉と互換的に使われる。. タイ語では、暗殺(‘assassination’, การลอบสังหาร) は、こっそりと誰かを殺すことを意味し、これは明らかに英語における語意とは異なる。本稿の基本的な情報は、(1)地元紙のThairath (2000/1/1-2009/12/31)。 (2) Matichon e-libraryとon line news Clippingの2つのデータベースによる。この研究では、郡長と村長あるいはそれと同等に解釈できる人は「地方政治家」には含まない扱いとした
  2. この年は、タイで殺人数が極端に多かった年である。殺人は通常4,000-5,000件であるが、2003年には6,434件に及んだ。, http://statistic.ftp.police.go.th/ dn_main.htm (accessed on 16 July 2010)
  3. 2004 年には 1,843回、2005年には1,703回の暴力が報告されている。(Srisompob Jitpiromsri, Khwamrunraeng Cheng Krongsang)Khwanrunreng Nai Jangwat Chaydantai Sathanakan Khwamrunreng Nai Jangwat Chaydan Paktai Nai Rob Song Pee (2547-2548) [Structural violence of violence structure in the Southern provinces of Thailand, the unrest situation in the South during two years (2004-2005)], ศรีสมภพ จิตร์ภิรมย์ศรี, ความรุนแรงเชิงโครงสร้างหรือโครงสร้างความรุนแรงในจังหวัดชายแดนใต้ สถานการณ์ความรุนแรงในจังหวัดชายแดนภาคใต้ในรอบ 2 ปี (พ.ศ.2547-2548), Deep South Watch Network. Available online: http://www.deepsouthwatch.org/node/16 (accessed on 22 December 2009)
  4. 2011年には、シリワン女史は全国区の比例代表制度によって議席を獲得したが、プレー県からの選出議員にはなれなかった。