2018年5月のマレーシア第14回総選挙から2021年12月までの間に、マレーシア政府は3人の首相の交代と、2つの与党連合の崩壊を経験した。その結果、外務大臣は2度の任用期間中に3回入れ替わり、マレーシア国防相も、3人の大臣が代わる代わる率いる事となった。さらに、この背後ではCOVID-19による健康・経済の危機が生じ、国内情勢を悪化させた。
これと同じ頃、マレーシアは、初の国防白書と二つの外交政策の枠組を発表し、同国が外交を実施する際の国家の優先事項と姿勢を明確に示した。この論文で論じるのは、国内の政治情勢が激変し、過去4年間のマレーシアの外交関係で時折、失敗があったとしても、この国の外交政策の構造の大筋は実質的に変わっていないという事だ。確かに、人間性を全面にだした(personality-driven)外交の実施は、政策の一貫性のなさを助長したかもしれないが、マレーシア外交の基本的な指針は一貫している。だが、今後、保健外交やサイバー・セキュリティー、文化外交など、新たな重点分野を維持する力は、マレーシア国内の安定や、リーダーシップ、資源の優先順位付けなどによって大きく左右されるだろう。
一歩前進:指針と政策
マレーシアでは、2018年までの60年近く、国民戦線(the Barisan Nasional/バリサン・ナショナル)政府が連綿と国政の実権を握ってきた。そのようなマレーシアにとり、今回の政治的混乱は前代未聞の出来事だった。まず、党の裏工作の波紋は、2018年に選挙で選ばれた連立与党、希望連盟(Pakatan Harapan/パカタン・ハラパン)を政権の座から追放し、その後、相次いで党の内部分裂を引き起こした。しかも、この影響は今もなお、水面下で渦巻いている。
ここで、連邦政府と野党連合の間に結ばれた改革と政治的安定に関する覚書(MOC on transformation and political stability)は、党派間の平和を維持するための唯一の手段だ。これによって、2023年7月の第14回議会の解散に伴う次期総選挙までは平和が保たれるだろう。ところが、この停戦協定にもかかわらず、第15回総選挙の呼び水と見られる国政選挙が2021年の末に控えているため、マレーシアの国内情勢は今なお濃厚な政治色に包まれており、マレーシアの政策の存続について不透明感が広がっている。
「新しいマレーシア(Malaysia Baharu)」を公約に掲げた希望連盟政権が選挙に当選してから1年余り経った2019年9月、マレーシア外務省は「新しいマレーシアの外交政策枠組み(Foreign Policy Framework of the New Malaysia)」(2019年枠組み)を発表した。これには、「継続性の中の変化」という題が付いていた。その三か月後、国防省はマレーシア初の包括的な国防白書(DWP)を国会に提出し、承認を求めた。これらの文書には、マレーシアの外交・防衛態勢の概要がまとめられ、その中で、包摂的な国際主義、非同盟、不干渉、紛争の平和的解決、法の支配など従来の原則が確認されている。また、いずれの文書にも、東南アジア諸国連合(ASEAN)が、マレーシアの外交政策の要である事に変わりはないことが明記されている。
これらの文書は、明らかに時代の産物であり、マレーシアの変わりゆく戦略環境の実態に、より良く対処するという目的の下に作成されたものであった。そのため、この2019年枠組みと国防白書には、政権交代によって方向転換するかに見えた、当時の国家の楽観主義が反映されている。また、両文書は、民間のステークホルダーを交えた協議プロセスの成果でもあった。まず、2019年枠組みでは、国際社会におけるマレーシアの積極性と卓越性が約束されている。また、同枠組みは、人権・主権の擁護を論じ、移民やサイバー・セキュリティー、テロなどの非伝統的な安全保障上の課題に対する認識も示していた。一方、国防白書には、「大陸的ルーツを持つ海洋国家(maritime nation with continental roots)」、マレーシアの地位をより効果的に守るための、一元化されて機動的で集中的な未来の軍隊の計画概要が記されていた。さらに、この白書は、防衛にまつわる科学・技術、産業に対する国内での新たな取り組みも提示した。このように、国防白書は、「マレーシアの地政学面を強化する新たな要素」として構想された。
二歩後退:継続性の中の矛盾
2020年2月には、希望連盟政権が瓦解し、ムヒディン・ヤシン(Muhyiddin Yassin)率いる国民連盟(ペリカタン・ナショナル/the Perikatan Nasional)の与党連合が政権に就いた。そして同じ頃、COVID-19が全世界を一変させた。これによって、2019年枠組みと国防白書は、事実上、効力を失う事となった。マレーシアの外交政策の実践が時折、協調性や一貫性を欠くように見えたとしても、これらの文書の根底を成す原理に変わりはない。だが、マレーシアの南シナ海での領有権の主張に対する中国の挑発や、豪英米3カ国(AUKUS)協定の発表への対応では、この矛盾性がひと際目立って見えた。
2020年の前半に、パンデミックの第一波と戦っていたマレーシアは、同時に中国からの威嚇にも対応しなければならなかった。当時、南シナ海では、自国が業務を委託した石油掘削船、ウエストカペラ号(West Capella)に対し、中国の調査船、海洋地質8号(Haiyang Dizhi 8)が脅し行為を行っていた。これに対し、アメリカとオーストラリアは同海域に戦艦を派遣し、そのプレゼンスと力を示した。おそらく、この行為には、東南アジア地域のパートナー諸国に対する助力の意思表示を行う目的もあっただろう。だが、当時のマレーシアのヒシャムディン・フセイン(Hishammuddin Hussein)外相は、この米国の対応とマレーシア政府との間に距離を設けた。この時、ヒシャムディン外相は、南シナ海の「戦艦や船舶」によって緊張が高まる可能性があると注意を促した。だが、これは一方の中国船と、もう一方の米豪船舶、双方の次第に拡大する影響について、言葉を濁したような発言だった。
既に指摘されているように、一切の誤解を避けるため、これが政府の1970年代初期からの大国との等距離政策の継続を反映した発言であった事を、国内の政策エリートは言明するべきだった。 1 つまり、マレーシア政府の懸念は、米中間の不和が、南シナ海紛争の性質を、重なる領有権をめぐる一つの地域紛争から大国間の覇権争いに変えてしまうのではないか、という点にあった。確かに、マレーシア政府はこの懸念を、もっとしっかりと伝えるべきだっただろう。だが、マレーシアが中国による南シナ海のナラティブに同調しているとの見方は、一年後のヒシャムディンの失言によって、そのように受け取られてもやむを得ないものとなった。当時、中国の国務委員でもある王毅外相との共同記者会見で、ヒシャムディンは「兄」という言葉を使ったのだ。後に、ソーシャルメディア上で国民から多くの批判を受け、ヒシャムディンは次のように弁明した。「マレーシアが外交政策において独立性を保ち、原則に基づいて実利を重んじることに変わりはない」。さらに、「兄」という言葉については、自分より年上の王毅を個人的にそう呼んだだけであり、何もマレーシアと中国の二国間関係を指したものではないと述べた。
一年後、マレーシアと中国の国交47周年には、中国人民解放軍空軍(People’s Liberation Army Air Force: PLAAF)の軍用機16機が戦術的陣形を組み、南シナ海上空のマレーシア領空域付近を飛行した。珍しいことに、マレーシア空軍 (Royal Malaysian Air Force: RMAF)と外務省の両方が、マスコミ向けに個別の声明を発表した。ちなみに、この外務省の声明はRMAFの声明をベースにしていた。RMAFの詳細なインシデント・レポートは、慎重に選んだ言葉で記されていた。そこには、中国の航空機が、「マレーシア海域のコタキナバル飛行情報区の領空」に侵入し、「マレーシア領空に接近した(下線は筆者が加えた)」と記されている。さらに声明は、中国の航空機が「(マレーシアの)国家主権と航行の安全に脅威」を与えた事にも言及した。これとは対照的に、外務省の「今回のマレーシアの領空および主権の侵害(原文ママ)」という文言は、領空侵犯の危機というよりその事実を示唆していた。この中国の対立行為にも、マレーシアの自国領土を守る決意(RMAFはジェット機をスクランブル発進させる対応を取った)にも、疑念の余地は無い。だが、外務省が事件後に声明を起草する際、協議を伴うより緊密な連携が取られていれば、法律的により正確な声明も用意できただろう。それに、空軍と外務省という二つの機関の間の公的連携も改善されたはずだ。
さらに、マレーシアが自国の裏庭で大国の外交に巻き込まれまいとしている証拠に、2021年9月のAUKUSの発表に対するマレーシア政府の対応がある。マレーシア第9代首相、イスマイル・サブリ(Ismail Sabri)は、その就任宣誓からわずか1カ月後に、東南アジアの安定に対するAUKUSの影響に懸念を表明した。これに続き、希望連盟政権下で外務省を率いていたイスマイル内閣のサイフディン・アブドゥッラー(Saifuddin Abdullah)が、外務大臣の座に復帰し、首相の見解を支持する声明を発表した。さらに、国防省トップに返り咲いたヒシャムディン・フセインも同様の声明を出した。この3人の声明はいずれも、特に南シナ海における従来のリスクと、核軍拡競争のリスクを繰り返し述べている。また、インドネシアのレトノ・マルスディ(Retno Marsudi)外相との共同記者会見において、サイフディンは、インドネシア政府の懸念と共にマレーシア政府の懸念を明確に示した。
だが、AUKUSに懸念を示すマレーシア政府も、安全保障条約では、AUKUS全3カ国との二国間、多国間での関係強化を歓迎した。この関係強化のプラットフォームには、5カ国防衛取極(the Five Power Defence Arrangements:FPDA)などがある。確かに、ヒシャムディンは、「AUKUSについて中国と協議する」という失言をした(彼は後にこの発言を撤回した)。だが、彼はまた、「南シナ海をはじめとする東南アジア地域で、地政学的な超大国と対峙する際」、マレーシアは「今後も我が国の持つ(FPDAに関する)利点を維持していく」と強調した。実際、マレーシア外務省は、オーストラリア、ニュージーランド、シンガポール、イギリスとの10日間の軍事演習の後、FPDA50周年記念の式典と代表者会議を開催している。
また、2021年にサイフディン・アブドゥッラーが、イスマイル・サブリ政権の一員として外務省に復帰した事により、以前の人権重視の姿勢がよみがえった。マレーシアがさらに発展した誠実な国家に生まれ変わるための取り組みの一環として、外務省の2019年枠組みは、人権問題により積極的な姿勢を示そうとしていた。しかし、人権を重視した外交政策課題の提唱に関心が向けられ続けているのは、外相個人の熱意に負うところが大きい。この熱意の背後には、若い頃に青年活動家として活躍し、後年には草の根団体とも交流した外相自身の経験がある。
例えば、サイフディンは、2018年に当時のロヒンギャ族の苦境について明確に言及し、マレーシアの政治家にASEANの不干渉政策を見直すよう強く要求した。また、2021年には、ミャンマーでの危機発生に対する自身の所感を繰り返し述べ、不干渉ならぬ非無関心政策を提唱した。さらに、2021年10月のASEAN首脳会議へのミャンマー政府のミン・アウン・フライン国軍司令官の参加について、同外相は、ASEANの5つの合意に進展がない限り、断固反対するとの姿勢を示した。
結論:今後の外交政策の枠組みの行方
2021年12月に、外務省は新たな外交政策の枠組みを発表した。今回の題は、「継続性の重視、パンデミック後の世界におけるマレーシア外交政策の枠組み(“Focus in [sic] Continuity: A Framework for Malaysia’s Foreign Policy in a Post-Pandemic World”)」(「2021年枠組み」)だ。2019年枠組みの延長として作成されたこの文書は、マレーシア外交政策の原則を確認しつつも、特にCOVID-19後の「新たな推進力や焦点、方向性を示そう」としている。2019年枠組みと同じく、最新版枠組みも、非同盟、国際法および規範、人権が揺ぎ無い原則である事を改めて表記している。そして前回同様、2021年枠組みも、民間のステークホルダーとの協議を通じて作成された。さらに、この新たな枠組みは、サイバー・セキュリティーを重点課題として改めて強調している。だが、一方で、マレーシアの世界経済との結びつきや、保健外交、デジタル経済、文化外交、平和的共存、多国間主義、国連の2030年に向けた持続可能な開発目標も、新たに重点課題に加えられた。なお、これらの各分野については、外交政策の目標及び実施という観点から詳しく説明されている。
マレーシアの不安定な国内情勢を踏まえた2021年枠組みは、この国の外交政策上の喫緊の課題をめぐる疑問を解消するものだ。だが、マレーシアの政治情勢が目まぐるしく変化し続けているだけに、この2021年枠組み全体が存続できるかという不安も残る。とはいえ、平和的共存や多国間主義などの重点分野は、性質上、より長期的な目標であり、政治の気まぐれにも耐えて存続するだろう。それに、マレーシアのキャリア外交官は、政治的指導者が誰であれ、より大きな官僚機構の一部としてプロ意識を持って働いている。現に、今も続く党派閥の流動的変化の中で、彼らが実務面を安定させているのだ。
だが、先進的な外交政策を推進するには、デジタル経済や保健・文化・サイバー外交などの新分野で、専門技能や分野横断的知識、省庁間の協調的な連携を育む必要がある。これにより、これらの分野には、必然的に十分な資源配分や、能力の画一化、集中的な政治決断が生じるだろう。確かに、マレーシア外交政策の原則は、必要なら何も考えずに実施できるほど健全なものだ。だが、ますます複雑化する世界では、もはやその原則だけでは十分ではない。そこで、国防白書や外交政策の枠組み自体も認めるように、マレーシアは世界に対して積極性とチャレンジ精神を発揮する必要がある。だが、国内政治の迷走が止まらないかぎり、この国の国際的な課題は初歩的な所から進んでいかないかもしれない。結局、外交政策とは、国内政策の延長に過ぎないのだ。従って、対外問題を解決するために、マレーシアはまず、国内の問題を解決しなければならないだろう。
Elina Noor
Elina Noor is Director, Political-Security Affairs and Deputy Director, Washington, DC office, Asia Society Policy Institute
Notes:
- Kuik, C. C. and Thomas, D. (2022), “Malaysia’s Relations with the United States and China: Asymmetries (and Anxieties) Amplified”, Southeast Asian Affairs, forthcoming. ↩