John T. Sidel
Capital, Coercion and Crime: Bossism in the Philippines
(資本・強制・犯罪―フィリピンのボッシズム)
Stanford, U.S.A. / Stanford University Press/ 1999
Patricio N. Abinales
Making Mindanao: Cotabato and Davao in the Formation of the Philippine Nation-State
(ミンダナオ創出―フィリピン国民国家形成におけるコタバトとダバオ)
Quezon City, Philippines / Ateneo de Manila University Press / 2000
フィリピンにおける「実力者政治」について近年なされた二つの研究例を書評したい。両研究は、フィリピンの政治景観を形作るものとして学界にも一般にも受け入れられている説明、つまり「伝統的」パトロン-クライアント関係(Sidel)やアイデンテティ政治(Abinales)、に異議を唱える。SidelとAbinalesはそれぞれ、「ボッシズムbossism」と「実力者strongman」の概念を用いて、アメリカによる植民地国家形成の名残を強調しながら、「国家」と「社会」のつながりを見直している。彼らにとって国家形成とは、実力者の登場と別個に語りうるものではなく、むしろ実力者の力を生み出し、そして強める根底にあるものとして捉えられる。さらに、両者とも首都マニラ以外を事例としているため、地方と中央の間の複雑な関係を探り、それによって政治上の駆け引きと代表制を決定付ける権力関係の網の目を読み解くに至った。
しかし両者は、実力者の有権者との関係や彼らの「強制的圧力」(暴力や選挙違反を伴う)の使用をめぐって決定的に異なる。Abinalesはそのような公私の混同を、支配そのもののひとつのあり方とみなし、一方Sidelは国家が略奪的になる原因を、複雑なボスのネットワークの一部に位置する略奪的なボスに見出す。そのような対照的な解釈は、次のような問題を浮き上がらせる:フィリピンの実力者やその他の人々にとって、そのような状況(公私混同や略奪的状況)に対してどのような対応が可能なのか。また、独立後のフィリピンの政治権力の複雑な性質を理解するにあたって、学問それ自体がどれほどまで限界を定めてしまっているのか。
Caroline S. Hau (カロライン・S・ハウ)
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