本論で提示する議論は、武装勢力代表とタイ国家の2015年から2019年にかけての和平交渉が、いくつかの点で異なるにせよ、南部各県のそれ以前の和平交渉の試み(2006-2014)と同じ欠点のために難航したというものだ。2004年に紛争が始まって以来、南部の確かな和平プロセスの構築において、MARAイニシアチブが出だしの失敗を伴った最後の事例である事も論じよう。
2014年の軍事クーデターは、タイに独裁的統治という新時代の到来を告げた。 1 2019年選挙では、新未来党(The Future Forward Party)という、軍部優位に対する新たな反対拠点の台頭も見られたが、その後、同党は活動を禁止されている。概して2014年以降、タイは軍部優位を維持する、あるいは、国家運営における陸軍の役割を拡大させる方向にすら向かっている様子だ。2014年以来、南部各県での暴力事件の発生率は着実に減少しつつあり、死者数や暴力事件数は、年々低下し続けている。古参の学者も若い学者も、アナリストたちは、この減少について幾らか説明を試みているが、概して、納得のいく完璧な説明はまだ出て来ていない。その理由については、また別の文献で概要を述べる。2013年には南部紛争で574名の死者が観測されたが、2019年に同紛争で生じた死者は174名だ。 2
2015年から2019年にかけて、タイ国家が数多くの会談を行ったMARA(Majlis Syura Patani)は、かつての紛争(1960-1990)のメンバーが高齢化した元武装勢力の連合体で、その会談には現地で活動する武装勢力を統制する効果がほとんど、あるいは全く無い事が広く知られている。現地で活動する武装勢力は(現)パッタニ・マレー民族革命戦線(BRN/Barisan Revolusi Nasional)によって召集され、洗脳され、訓練された者達である。BRNは急進的な分離独立主義組織で、2000年代初期から残忍な暴力的作戦を実行している。 3 現BRNは事実上、ヤラー旧市場地区の組織として、1990年代半ばに始まった。 4
結局、MARAは数々の失敗したイニシアチブの最新事例となった。この失敗事例の第一番はランカウイ会談だ。2005年後半から2006年初頭にかけ、タイ官僚と以前の紛争の武装勢力のメンバーとの会談が、マレーシアの物議を醸すマハティール・モハマド首相によって召集され、ランカウイ島で開かれた。以前の紛争の武装勢力が出した提案は無難なものだったが、当時のタクシン政権は反政府街頭デモに気を取られ、これに取り合わなかった。タクシンを失脚させた2006年クーデターの3日前、武装勢力はハジャイ(Hat Yai)にある多数のデパートを爆破して、和平イニシアチブに対する反意を表明したが、これは同じ日に和平集会が予定されていた場所だった。 5
2008年にはインドネシアのボゴールで、ソムチャーイ政権の代表と、様々な武装勢力グループの代表の間で秘密裏の会談が開かれた。だが、この会談は間もなくタイ軍部の有力者による激しい批判を受け、断念された。2010年には、イスラム協力機構(OIC/the Organisation for Islamic Cooperation)が南部のムスリムに自分たち自身の政治運動を組織するよう提案し、分離独立派とタイ国家との会談を設ける手助けを申し出た。この提案を批判し、拒否したのは、アピシット政権とタイ軍で、彼らはタイの政治と保安の両機構が内政問題と見なす事柄に、部外者が関与する事を一切許さなかったのだ。 6
ヨーロッパのNGOの調停により、2006年から2011年にかけて、国家安全保障会議(NSC/the National Security Council)と武装勢力との間で断続的な会談が行われた。これらは「ジュネーブ・プロセス(‘Geneva process’)」と呼ばれるもので、会談はタイ貢献党(Pheu Thai)政権が権力を握る2011年まで続いた。結局、これらの会談には成果がない事が判明した。武装勢力代表団のスポークスマンで、現地戦闘員の70%以上を指揮すると豪語したカストゥリ・マフコタ(Kasturi Mahkota)は、2010年の夏にナラティワートの3地区の停戦合意を取りつけた。この停戦合意の発表後も攻撃は続き、間もなく、カストゥリが自身の影響力の度合いを完全に誇張していた事が明らかとなった。 7 同様の「停戦」は、2008年7月にも軍部から発表されている。 8
2013年2月、クアラルンプールで「和平対話プロセスに関する合意書(General Consensus on Peace Dialogue Process)」が、BRN下級メンバーのハサン・タイブ(Hassan Taib)とタイ国軍代表のパラドン・パッタナターブット(Paradorn Pattanatabut)中将によって署名された。これに続く半年間には、クアラルンプールで数多くの会合が開かれた。このクアラルンプール会談は、以前のイニシアチブとは幾らか異なり、タイ首相の支持の下、公共の場で開催されたし、BRNもこのプロセスの期間中は絶えずYouTubeを通じて、数々の公式声明を発表していた。 9これらの会談は、2013年のラマダーン中に両者の間で停戦の試みが失敗した後に決裂した。
これらのイニシアチブが全て失敗したのは、同じ、あるいは似たような理由のためだ。
- 指揮統制の欠如…反国家側の代表は、以前の紛争の戦闘員であり、マーク・アスキュー(Marc Askew)が彼らを「主張はするが、無力な過去の人間」と評したように、現地戦闘員の実戦に対する統制力を持たない。これはこの欠点リストの中で、最も的を射たもので、原因はBRNの沈黙政策や、過度に秘密主義的な小集団から成る組織そのもののあり方、それに、追放され、分断された様子の高齢化する指導部のあり方だ。
- 妨害者…タイ国家との交渉に反対する現在のBRNは、絶えず会談を頓挫させようと試みていた。彼らは自分たちの闘いが、意図の不明な高齢化する元戦闘員によって代表される事にも反対していた。
- 対立関係…タイ政界とその保安機構内には、2014年まで分裂がはびこり、恒常的な内部争いや、対立相手阻害の試みは一般的だった。
- 当事者の経験不足…武装勢力「代表」も、タイ国家代表も、交渉経験や明確な計画を欠く傾向にあった。
- 第三者による調停の欠如…国際機関や第三者の仲裁者が存在しなかった、あるいは役割を果たさなかった事は非生産的であった。
結局、MARA会談は、これら全ての欠点のために難航する事となった。
2014年11月に、軍政が南部紛争に関する会談再開の重要性を言明する布告に署名した後、2015年初頭に、昔からある6つの武装勢力グループを代表する集団が、MARA(Majlis Syura Patani)と呼ばれる事が発表された。2015年から2019年にかけて、合計で20回の会談がMARAと軍政代表の間で行われた。軍政の和平イニシアチブの一環として、パッタニ統一解放機構(PURO/Patani United Liberation Organisation)の元指導者二人が刑務所から釈放され、南部に平和をもたらすタイ政府の努力を支える事を誓った。 10現BRNは、会談に対する反対表明として、2015年5月の第一回会談の数日前に、ヤラー市内で三日間の爆撃作戦を実行した。MARA代表の一人と関係していたイマーム、アワン・ジャバト(Awang Jabat)も、第一回会談の数か月前に暗殺されている。 11
ジュネーブ・プロセスやクアラルンプール会談と同様に、武装勢力側の代表は最初から疑いの目で見られていた。この会談はドン・パタン(Don Pathan)など、ベテランのアナリストたちから大いに批判された。2015年9月には、明らかな会談失敗の兆しが、BRNの公開したビデオという形で届き、そこには彼らの会談に対する反対がはっきりと簡潔に述べられていた。BRNは彼らがMARAに反対している事を、このビデオの公開後、間もなく行われたアンソニー・ディビス(Anthony Davis)とのインタビューで繰り返し述べた。
BRNからの反対に直面しても、MARA会談はその後も四年間続けられ、その途上で失望と延期が経験された。2016年には、陸軍代表トップがプラユット将軍によって解任され、軍政は以前に議論された会談の交渉方式の規定(TOR/ terms of reference)を公然と放棄した。 12TORの議論は2016年9月まで続いたが、この時、MARAはついに軍政の要求に屈した。(ジュネーブ・プロセスの際のカストゥリ・マフコタの計画に似た)「セーフティーゾーン」設立に関する議論は一年以上続いた。結局、長々とした議論の末、セーフティーゾーン計画は軍部によって棄却された。
同時に、裏ルートでの会談が2016年に、BRNの適切な代表と軍政の間で開始され、交渉を巡るBRNの姿勢が完全に様変わりする可能性が示された。この動機はおそらく、BRNの武力闘争が減った事と、BRNで最も有力なメンバー二人が2015年と2017年に死亡した後、変化がもたらされた事にあるだろう。2017年4月8日から18日の間に、10日間の停戦が実施され、BRNはこれを自らの指揮統制力を示す手段とした。 13全体的に見ると、停戦は一歩前進ではあったが、MARAとは無関係だった。2019年12月、開始時点で失敗したMARAイニシアチブが4年以上続いた後、別の方面で議論が持ち上がり、新たな展開が生じ、これがようやく実質的な武装勢力の代表を交渉のテーブルへ赴かせ、ついにはMARAを完全に退ける結果となった。
全体を通じて、MARAプロセスは、以前の南部和平会談の試みと同じ欠点によって難航していた。それらの欠点とは、内部分裂や妨害者がらみの暴力、無能、あるいは経験不足の交渉者、改革を実行に移すよりも公式の場に姿を現す事に感心のあるタイ指導部、武装勢力の代表に現地武装勢力に対する実質的な統制力が無い事、そして国際的、あるいは中立的な第三者による調停の欠如だ。 14要するに、MARAイニシアチブには、BRNに対話を促した事、停戦を開始させ、BRNの統制力の程をはっきりと示させた事を除いて、ほとんど成果が無かったのだ。
2017年の停戦と2016年から2019年にかけて行われた裏ルートでの会談がはっきりと示している事は、現BRNが今、ほぼ間違いなく、回復不可能なほどに衰退し、彼らの活動が「Merdeka(独立)」を達成せずに終わる事を理解し始めたという事だ。この組織には、タイ国家との交渉経験が一切無く、ベルジハード・ディ・パッタニ(Berjihad di Patani)やBRNの製作したビデオから判断すると、彼らには自分たちの地域の将来に対する明確な計画も、支持可能なビジョンも一切無いように思われる。また、彼らには洗練された、あるいは国際的に認められた政治部門も無ければ、目立った、カリスマ性のある指導者もいない。さらに、BRNは自分たちが最も弱っている時に交渉を開始した。アナリストたちには暖かく迎えられたとしても、2020年1月に交渉のテーブルにつき、タイ国家と交渉するという現BRNの決断は、分離独立の理念のためにしては、おそらく「あまりにも些細で手遅れな」ものだ。
全体的に見ると、以前は欠けていた南部紛争の解決に必要不可欠な要素の一つが、今回はそろっている。それは武装勢力の適切な代表が交渉の場に参加している事だ。2018年夏の選挙以来、マレーシア政府からの圧力が高まった事、近年、古参のBRN指導者が死亡した事、2014年以降の組織の作戦行動の減少、これらの全てが重なり、組織がタイ国家と何らかの形で交渉を行う事を可能にした、あるいは、その必要性が生じた。しかし、BRNの武装勢力の作戦実行力は現在、かつて無い程に弱く、組織には以前ほど、交渉の手立てが無い事を論じておく必要がある。さらに、タイでは現在、極めて独裁主義的な気風の政権と、これが国家機関を支配している事から、政治的分裂は少なくなっているものの、今年2月の新未来党の活動禁止など、最近のタイ政府の動向を考えると、近い将来にタイ側から大した提案が出される事は無さそうだ。2020年1月の展開には、他にも二つのプラス面がある。一つは、BRNが2017年に強い指揮統制力を示してから、現在、妨害者がらみの暴力事件の可能性が一段と減っている事だ。二つ目は、今後、ヨーロッパ諸国の調停者が会談で双方を支援していくという事だ。
要約すると、MARAイニシアチブは、以前の和平交渉と同じ欠点によって難航し、当然、これがけん引力を発揮する事は無かった。だが、これと同時期に発生した別の展開により、現在、この17年間近く続いた紛争の解決に向け、双方がついに何らかの形で合意に至る可能性が生じた。MARAイニシアチブの衰退は、南部各県の真の和平プロセスの設立と展開をめぐる、数々の出だしの失敗を有した最後の事例の終わりと見て良いだろう。総じて、2020年1月の出来事は、紛争の転換期の始まりと見るべきなのだ。
Gerard McDermott
Gerard McDermott is a PhD candidate at the Department of Asian and International Studies, City University of Hong Kong.
Notes:
- Claudio Sopranzetti, “Thailand’s Relapse: The Implications of the May 2014 Coup”, The Journal of Asian Studies, 2016, pp.1 – 18 ↩
- Email correspondence with Anthony Davis (Janes Defence), January & April 2020 ↩
- Marc Askew, “Fighting with Ghosts: Querying Thailand’s “Southern Fire””, Contemporary Southeast Asia, Vol. 32, No. 2 (2010), pp. 117–55 ↩
- Sascha Helbardt, Deciphering Southern Thailand’s Violence: Organization and Insurgent Practices of BRN-Coordinate (ISEAS – Yusof Ishak Institute, 2015), p.32 ↩
- ‘Bomb Blast Aftermath,’ Bangkok Post, Sept.18, 2006. ↩
- Don Pathan, ‘Negotiating the Future of Patani’, Patani Forum, May. 2014, pp. 102 – p110. ↩
- Jason Johnson, ‘Talk is cheap in south Thailand’, Asia Times, May.26, 2011. ↩
- Don Pathan, ‘Ceasefire in south is just too good to be true,’ The Nation, Jul. 19, 2008. ↩
- Gerard McDermott, ‘The 2013 Kuala Lumpur Talks’, Peace Research:The Canadian Journal of Peace and Conflict Studies, Volume 46, Number 1 (2014), pp. 18-27 ↩
- ‘Ex-Separatist Leader Pledges to Help Thai Govt. Fight Southern Rebellion’, Khaosod English, Jul.19, 2015 ↩
- Don Pathan, ‘Deep South peace efforts hit another dead end’, The Nation, May.22, 2015 ↩
- Razlan Rashid & Pimuk Rakkanam, ‘Thailand ‘Not Ready’ to Accept Reference Terms for Peace: Southern Rebels’, Benar News, Apr.28, 2016 ↩
- Matt Wheeler, “Thailand’s Southern Insurgency in 2017”, Southeast Asian Affairs, 2018, p380 – 382 ↩
- Gerard B. McDermott, “Barriers Toward Peace in Southern Thailand”, Peace Review: A Journal of Social Justice, 25:1 (2013), p.120-128 ↩