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パッタニ政治…2019年選挙運動の顔ぶれ

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2019年3月24日タイの選挙において、パッタニ、ヤラー、ナラティワートから選出された国会議員全員がマレー系ムスリムであったが、これは前代未聞のことだ。 1この16年間で7千名以上の命を奪った反政府暴動が暗い影を落とすタイ深南部には、この地域独特の政治情勢の機微がある。 2数十年前、ムスリムが大半を占めるこの地域の国会代表を務めていたのは、主に仏教徒だ。タイ下院のマレー系ムスリム議員たちの置かれた状況は複雑で、当局からは暴力行為と関係しているのでは、という疑惑の目を向けられ、自分たちのコミュニテイーの一部の者達からは、マレー人アイデンティティに対する裏切り者と見なされている。

長年、民主党が第一党である北寄り南部の有権者とは違い、南寄り南部のマレー系ムスリムの有権者はひどく気まぐれだ。この三県の国会議席11席のうち、9席は2019年に真新しい政党が獲得し、前国会議員が獲得したのは、わずか3席だ。 3民主党は、2011年に11議席中の10席を獲得したが、2019年に確保した選挙区はパッタニ第一区(Pattani District 1)の一つだけだ。この地域で最大の勝者となったのは、新党、プラチャーチャート(Prachachat)で、元下院議長のワン・ムハマド・ヌール・マタ(Wan Muhamad Noor Matha)(アカ・ワン・ノル/aka Wan Nor)が率いるこの党は、三県各県に2議席ずつ、6議席を獲得した。残りの3議席を獲得したのは、新党、国民国家の力党(Palang Pracharat)で、彼らは2014年5月のクーデターで権力を掌握した軍事政権と密接な協力関係にある。パッタニ第二区の小選挙区議席を獲得したのは、実用主義のプームジャイタイ党(Bhumjai Thai Party)で、彼らは2011年にも別のパッタニ議席を獲得していた。選挙区の11議席とは別に、他にも3名のマレー系ムスリムが比例による議席を確保した。プラチャーチャート党の党首、ワン・ノル(Wan Nor)と、プームジャイタイ党のペダウ・トーミーナ(Pechdau Tohmeena)、そして新未来党(Future Forward)のニラマン・スレイマン(Niraman Sulaiman)だ。一体何が起きたのだろうか?

Human rights lawyer and Palang Pracharat MP Adilan Ali-is-hoh in his Yala office. Photo: Duncan McCargo

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ワン・ノルは謎めいた人物だ。彼は深南部から現れた政治家としては飛びぬけて成功した人で、以前は多くの国家の要職に就いていたが、その語り口は穏やかで、無口で、極度の引っ込み思案だ。独身のワン・ノルは、ヤラーの豪邸に一人住まいで、滅多にインタビューには応じず、著者のインタビューには一度も応じていない。ワン・ノルが1986年にデン・トーミーナ(Den Tohmeena)らと共に、ワダー(Wadah/「統一」)という政治派閥を設立したのは、タイ国会でマレー系ムスリムの利益を増進するための組織的な試みであった。ワダーは機会と利益を求め、党から党を渡り歩き、チャワリット・ヨンチャイユット(Chavalit Yongchaiyudh)の新希望党(New Aspiration Party)や、後にはタクシン・シナワットのタイ愛国党(Thai Rak Thai)の庇護の下で成長した。1995年から2005年の歴代政権の下、ワン・ノルはタイ政府にとって、この地域の重鎮であったし、その功績には十分な報酬が与えられた。

ワン・ノルの破滅は、2004年10月25日の恐ろしい夜に生じた。この日、千人以上の非武装のデモ参加者がタクバイ(Tak Bai)で一斉に逮捕され、軍用トラックに乗せられてパッタニ陸軍基地に運ばれた。この移送中に78名の男性が窒息死した。当時、内務大臣を務めていたにもかかわらず、ワン・ノルには人命損失を防ぐ力が無かった。有権者たちはタクシン政権の手荒な公安警察を非難し、ワダーの選挙区の全議員が2005年選挙で議席を失った。プラチャーチャート党は、14年間野党となっていたワダーの再起をかけた最新の試みであった。

だが妙な事に、プラチャーチャートの結党を発案したのはワン・ノルではなく、仏教徒で元警視監のタウィー・ソドソン(Tawee Sodsong)である。タウィーは以前、南部国境県行政センター(the Southern Border Provinces Administrative Centre)長官を務め、当時も地域を変えるための個人的使命を持っていた。ワン・ノルは当初、党首となる事を辞退し、選挙遊説もほとんど欠席していた。著者がパッタニでのプラチャーチャート党大規模決起集会で彼に会った時は、妙にぼんやりした様子だった。

Tawee Sodsong and Wan Muhamad Noor Matha at a Prachachat Party campaign rally, 19 March 2019. Photo: Duncan McCargo

プラチャーチャートは見事に6選挙区を確保したが、ライバル同士の反目によって助けられていた。元民主党員の一部はステープ・トゥアクスパン(Suthep Thuagsuban)の離脱組、タイ行動連盟(Action Coalition for Thailand)に寝返り、また別の者達は、軍寄りの国民国家の力党に乗り換えたのだ。だが、プラチャーチャートは国内の他の地域では一議席も獲得せず、同党がマレー系アイデンティティ以外の全国の多文化的な有権者に訴える魅力を新たに備える事は無かった。ワン・ノルは75歳にして、かつて自身が議長を務めた議会に復帰する事となったが、今回、彼が率いるのは小さな野党であり、この党が永久に非主流派政党となる運命は確実と思われた。彼は戦意を喪失した男のように見えた。

Suthep Thaugsuban, de facto leader of the Alliance Coalition for Thailand, talking to reporters in Pattani during the election campaign. Photo: Duncan McCargo

選挙運動期間中、タウィーにプラチャーチャートは新たな議会で軍部に反対する事を公約するかと尋ねると、いささか、のらりくらりとした返事が返って来た。ワン・ノルがプラユット・チャンオチャ政権に加わろうとしているとの噂が広くささやかれていた。結局、彼の全キャリアは実用主義と妥協に基づいていたのだ。結局、プラチャーチャートは寝返らなかったが、その他の著名なマレー系ムスリムは、2019年に異なる選択をした。

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ペダウ・トーミーナが2019年に、ついに国会入りしたのは、長年の苦難の末であった。なぜ、そんなに時間がかかったのか?ペダウはパッタニ生まれで、マレーシアで研鑽を積んだ医師であり、彼女の祖父は1950年代に殺害された伝説的なイスラーム教の教師で、パッタニ・ナショナリストのハジ・スロン(Haji Sulong)だ。彼女の父、デン・トーミーナは、1976年に民主党の旗によって初めて国会入りし、10年後にはワダー派をワン・ノルと共同設立した。デンはその後、20年間国会に留まり、短期間、副大臣として二期を務めた後、パッタニ上院議員に選出され、タイ国イスラーム教委員会(the Islamic Council of Thailand)の事務局長も務めた。著者はペダウ自身の2006年4月の上院選挙戦を取材した。その申し分ない文化的資質にもかかわらず、彼女はムスリムが80%を占める県で、裕福な仏教徒の自動車ディーラーで、ホテル経営者のアヌサルト・スワンモンコーン(Anusart Suwanmongkol)に僅差で敗れた。ペダウの2006年上院選の敗北は、かつてパッタニ政治を40年間支配した一族を13年間、選挙から追放する事となった。

Bhumjai Thai Party list MP Dr Petdau Tohmeena with her father Den Tohmeena on Haji Sulong Day, 13 August 2019. Photo: Duncan McCargo

トーミーナ一一族を巡る感情は複雑だ。ハジ・スロンが尊敬される一方、デンという人物には賛否両論があり、彼はかつてのワダーの大半の同胞たちとは長い間、反目している。プラチャーチャート党の設立者はデンを敬遠し、彼抜きで2018年に党を設立した後、ようやく彼に上級顧問の話を持ち掛けた。しかし、ワン・ノルとタウィーがデンの所へ押し掛けたのは無駄足となった。彼はすでに超実用主義的なプームジャイタイ党と話をまとめていたのだ。デンの支持を取りつけるための代償は何だったのか?それはプームジャイタイ党の党名簿、11番の座を彼の娘、ペダウに与える事だった。デン邸での2019年8月13日のハジ・スロン記念日の集会では、トーミーナ家が国民議会に復帰した事から、一族は上機嫌であった。

タイ東北部のブリーラム(Buriram)県出身で、政治を操る実力者のネ―ウィン・チドチョーブ(Newin Chidchob)が2008年に設立したプームジャイタイ党は、2019年選挙によって生じる政権がどのようなものであれ、これに加わろうとして、密かにその態勢を整えていた。プームジャイタイ党には、これと言ってこの地域と関連した政策が無かった。地域住民は党首のアヌティン・チャ―ンウィーラクーン(Anuthin Charnvirakul)が、ナラティワートで選挙集会を開催し、大麻の合法化を呼びかけた時に非常に恥ずかしい思いをした。このような呼びかけは、ムスリムが大半を占めるこの保守的な地域では、ほとんど1票も集める事は無かった。この問題の政策は、元プームジャイタイ党のパッタニ人議員、ソンムート・ベンジャラック(Sommut Benjaluck)が、2019年にプラチャーチャート党に敗れた理由の一つでもある。もう一人のプームジャイタイ党のパッタニ人候補、アブドゥル・コルハ・ウェプテー(Abdul Korha Waeputeh)は、彼らが選挙運動で大麻の合法化を口にした事は一度も無いと著者に語った。ペダウは、彼女がプームジャイタイ党の一議員として、プラユット将軍を首相とする票を投じた事で、ソーシャルメディア上での中傷を受けたと著者に打ち明けた。何ゆえ、マレー人アイデンティティを体現すると主張する一家が、この地域で広く不信感を抱かれる陸軍出身の首相を選ぶ事ができたのか?ペダウの長年の夢であった国会入りの実現は、ひとえに、彼女が既存の軍事政権の事実上の存続を承認するという、ファウスト的な取引に依るものであった。

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ヤラー第一区を押さえ、軍寄りの国民国家の力党のものとしたアディラン・アリ・イス・ホー(Adilan Ali-is-hoh)は、さらに意外な当選者だった。アディランは著名な人権派弁護士で、ムスリム弁護士センター(MAC/the Muslim Attorneys’ Centre)の中心的人物であり、数多くの反政府勢力容疑者の弁護をしている事で有名だ。このように、一見進歩主義的と思われる人物がなぜ、選挙後もプラユットを確実に首相の座に据えておく事を可能とするためだけに結成された、その場限りの政党の旗で出馬するのか?事態をさらに複雑にしているのは、アディランがMACで最も懇意にしている同僚の二人が、同選挙で別々の党から出馬している事だ。アブドゥル・コルハ・ウェプテーは、プームジャイタイ党からパッタニ第三区に出馬し、カムサク・リーワモー(Kamsak Leewamoh)はナラティワート第四区をプラチャーチャート党のために勝ち取った。後にアディランの事務所を訪問した時の彼の説明は、やや分かりづらかったが、彼が言うには、別々の政党の旗で出馬するのは、分散化を狙った意図的な政治戦略であり、次期政権に確実にマレー系ムスリムの利益が代表されるようにするための戦略なのだという。アディランの政治哲学はさし詰め、「倒せないなら加われ」というものだろう。だが、彼は人権社会の多くの元同僚たちが、彼が国民国家の力党に加わった後、彼との縁を切った事を認めた。

アディランは軍当局の人間から、党に加わるよう打診されていた事は認めたが、国からの資金は一切受け取っておらず、選挙運動中は政府関係者には誰にも会っていないと主張した。国民国家の力党は、ヤラーでは一切集会を開いておらず、周辺県での同党の集会の演壇に彼が姿を見せた事も無かった。これは彼が他の党や候補者たちを批判したくなかったからだ。アディランの批評家たちは、彼の行動は戦略的というより、むしろご都合主義的な感じがすると論じた。つまり、彼が自分の草の根的な法律活動家としての名声を利用して、軍部に自らを売り込んでいたというのだ。そうだとしても、アディランは極めて魅力的で説得力があった。彼が私に話をしていた時は、彼を疑う事などあり得ないように思われた。だが、彼の事務所を出た後で、彼が話した事が何を意味するのかと考えると理解に苦しんだ。

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3月20日、長年の民主党議員で、選挙遊説中のアンワル・サラエ(Anwar Salae)に取材した。アヌサルト・スワンモンコーンのCSパッタニホテルは、チュワン・リークパイ(Chuan Leekpai)元首相が滞在していたホテルだが、そのロビーでは、軍人風の髪型で、黒い制服に身を包んだ若い警備員5、6名が、ハイテク無線のイヤホンを見せびらかすように着けていた。だが、彼らの制服には記章が無く、誰に雇われているかは、見ただけでは分からなかった。アンワルも、私や黒服の傭兵たちと同様にロビーで待っていた…派閥メンバーとの朝食に、チュワンのスイートへ誘われる様子は無さそうだ。彼はこの地域では、民主党の選挙における最大のホープだったが、ソンクラー県境以北の「もう一つの」南部出身の仏教徒たちが主流を占める党内では、あくまでもアウトサイダーだった。アンワルには以前も何度か会っていたが、この日は明らかに落ち着かぬ様子で、あまり話をしたがらなかった。

Democrat parliamentary candidate Anwar Salae campaigning in Pattani with former prime minister Chuan Leekpai. Photo: Duncan McCargo

チュワンは、今もパッタニの仏教徒有権者の間で非常な人気があり、民主党の選挙カーと車8台のパレードが繁華街の道をすり抜けるようにして通ると、この少し弱々しい80歳のチュワンに挨拶をしようと人々は顔を出した。チュワンが市場を歩くという約束は何らかの理由で果たされなかったが、最後に車が止まった所で、彼は以下のような短いスピーチをした。…軍部が権力を握ったのは、政治が全てのレベルにおいて、タクシンやインラックたちのような悪い人間によって独占されたからだ。この解決策は、今回の選挙でアンワルのような良い人間を選ぶ事だ。この左翼の元扇動者からは、実権を握る軍政を非難する言葉は一言も聞かれなかった。

最終的に、アンワルとチュワンの二人は、共に良い結果を出した。アンワルはプラチャーチャート党のライバルを下し、選挙区を余裕で勝ち取ったし、チュワンはワン・ノルの前職である下院議長の座に落ち着いた。だが、それ以外では、民主党は敗北し、深南部では文字通り全滅した。

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これらはマレー系ムスリムの有権者たちにとって、奇妙な状況だった。彼らは自分たちの代表として、誰を信じれば良かったのだろうか?軍部や保守的な体制に協力する方が良かったのか、それとも、中央政府による支配に抵抗する可能性が最も高い政治家に投票するべきだったのか?以前、深南部の人々は、タクシンに投票するか、民主党に投票するかの二択を行ったり来たりしていたが、武装勢力による暴力事件と国家の弾圧は続き、タイ国家での彼らの周辺的立場はいつまでたっても変わらなかった。2019年3月の選挙は、この地域の解決が困難と思われる政治的問題に明白な答えを一つも示さなかった。ワン・ノルはペダウより、アディランはアンワルより、何か優れたところがあったのだろうか?選挙運動の熱烈な盛り上がりは、数年ぶりにパッタニで開催された日没後の大規模な公共イベントだったが、済んでしまうと、人々の期待は再び低下する事となった。

Duncan McCargo
Duncan McCargo is Director of the Nordic Institute of Asian Studies and Professor of Political Science at the University of Copenhagen.
E-mail duncan@nias.ku.dk

This article draws on fieldwork observations and interviews conducted in Pattani, Yala and Narathiwat in March and August 2019. The author gratefully acknowledges financial support from the United States Institute of Peace, Grant SG-477-15.

Notes:

  1. For an overview of the 2019 election, see Duncan McCargo, ‘Democratic Demolition in Thailand’, Journal of Democracy, 30, 4, 2019: 119–133.
  2. On politics and the insurgency in the Deep South, see Duncan McCargo, Tearing Apart the Land: Islam and Legitimacy in Southern Thailand, Ithaca NY and London: Cornell University Press, 2008, especially pp. 63–80.
  3. For a discussion and results of the 2019 elections in the southern border provinces, see Daungyewa Utarasint, ‘The Deep South: Changing Times’, Contemporary Southeast Asia, 14, 2, 2019: 207–215.
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